コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

投資初心者にこそ読んでほしい、長く生き残るための投資哲学〜ハワード・マークス『投資で一番大切な20の教え』

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は①。ウォーレン・バフェットのお気に入りの本で、彼の会社バークシャー・ハザウェイ株主総会でも配布されたと聞き、読んでみた。

バリュー投資家の思考方法、投資哲学をよく学ぶことができる本だ。ただトレンドにしたがって投資するのではなく(投資関連書籍ではこのやり方をすすめているものがたくさんあるのだが)、買おうとしている証券、不動産、資産の本質的価値を把握してから、それより安いときに買うのが賢いやり方だという教えには、深くうなずかされた。

まさにわたしはこの間違いをおかそうとしていた。価値もよくわからないのに、なんとなく市場価格がいま安くなってきているからという理由で、資産購入を検討しようとしていた。この本はわたしの目を覚まし、ストップをかけてくれた。

とても読みやすい。

著者ハワード・マークスは世界最大級の投資運用会社オークツリー・キャピタル・マネジメントの共同創業者兼会長であり、数十年の投資経験がある。不定期で顧客向けレターを書いて、みずからの投資哲学、投資の成功を左右する要素、重視することなどを述べてきた。

本書はそのレターの内容をふまえて20の教えにまとめている。投資についての顧客の理解度はさまざまでありーーこの世界に入ったばかりの者もいるだろうーー、そのためか、20の教えはどれもシンプルで、理論とか計算式とか難解用語とかに凝ることがなく、なのに味わい深い。まさに『哲学』となっている。

 

著者はバリュー投資をメインに行っている。バリュー投資とは、あるべき価値よりも安い値段がついている「掘り出し物」をみつけて買い、より高値で売ってもうける方法。投資家には、資産の本質的価値を評価できる、いわゆる「目利き」の知識と洞察力が求められる。

「目利き」がどういう人々なのか、いちばんいい例は、わたしが子供のころから見ているテレビ東京の人気番組『開運!なんでも鑑定団』に登場する鑑定家たちだろう。絵画、掛軸、瀬戸物、有名人の直筆原稿、浜辺で拾った謎の石(!)まで持ちこまれるスタジオで、鑑定家たちは本物と偽物を見分け、値段をつける。

たとえば絵画の専門家なら、画家の作風、多作か寡作か、作品制作時期、作品流通状況、サインの形状、紙の質、絵具の種類、保存状況など、さまざまな点をふまえて評価するが、その背景には深い専門知識や経験があり、ヤマカンで真偽が見分けられるものではない。言いかえれば、努力して身につけた専門知識やそれを活かす能力こそが、優位を保てるよりどころだ。ちなみに浜辺で拾った拳よりやや大きい石の正体は、マッコウクジラの体内でできる珍しい香料だとかで、100万円以上の値段がついていた(!?)。

著者は「目利き」としての思考方法を「二次的思考」と呼んでいるが、これはダニエル・カーネマン行動経済学に関する必読名著《ファスト&スロー》のシステム1・システム2によく似ている。流されるままに反応するのではなく、しっかりとした知識を土台とする論理的思考から、合理的結論に達すること。そして、結論にしたがって、ほかの投資家たちとは違う行動を続ける決意と勇気をもつこと。

「これは良い企業だから、株を買おう」というのが一次的思考。一方、「これは良い企業だ。ただ、周りは偉大な企業と見ているが、実際にはそうではない。この株は過大評価されていて割高だから売ろう」というのが二次的思考である。
(...)

一次的思考は単純で底が浅く、誰にでもできること(つまり、優位に立とうとする場合に役に立たないこと)である。一次的思考をする者がみな求めるのは、「この企業の見通しは良好だから、株価は上がる」といった将来に関する見解である。

一方、二次的思考は奥が深く、複雑で入り組んでいる。

強調部分はわたしが追加したが、この一文にはグサッときた。あたりまえだが、誰にでもできる程度の判断しかできないのであれば、市場平均よりも高いパフォーマンスをあげることなど夢のまた夢。「目利き」は簡単になれるものではなく、知識や経験を得る努力をしなければならない。

投資の世界では、著者の言葉を借りればこうなる。

二次的思考をする者は、すばらしいパフォーマンスを達成するには、情報面と分析面のどちらか、あるいは両方で強みを持つ必要があるとわかっている。そして、誤った認識が生じていないか、アンテナを張りめぐらしている。駆け出しの投資家である私の息子アンドリューは、現状と今後の見通しをもとに、数多くの魅力的な投資アイデアを考え出している。若輩だが十分に訓練を積んでおり、いつもその発想の原点には、「この情報を知らないのは誰か」という疑問がある。

 

本書で著者がとくに強調しているのは、みんなと同じことをやらないこと、リスクをとりすぎないこと。一山当てて大もうけしようとリスクの高い投資商品に手を出すのではなく、本質的価値よりも低い値段で売り出されている「お買い得品」を買い、地味で手堅く利益を上げること。これが、長期間、投資の世界で生き抜くコツだ。

わたしにとって、「リスクの高い投資を高いリターンの源としてあてにすることはありえない」という著者の指摘は目から鱗だった。金融業界では、リターンの高いものはリスクも高い鉄則がある。しかし、高いリスクをとったからといって、高いリターンが実現するとはかぎらない。考えてみればあたりまえのことだが、いつのまにか「高いリスクを取ればその分一山当てられるにちがいない」と思いこんでいた。恐ろしい考え方である。

もっと恐れるべきなのは、「この金融商品/投資先はリスクがないから安全である」という言葉かもしれない。目利きができなければ、この言葉をしんじこんで、投資金をつぎこんだあげく、大損するかもしれないのだから。しかし、人気の金融商品でまわりがもうけている中、自分は手を出さないと踏みとどまることも、なかなか難しくはある。

特に相場が良い時期には、「リスクのより高い投資は、より高いリターンをもたらす。もっと儲けたければ、もっとリスクをとることだ」という話を、これでもかというほど耳にするだろう。だが、リスクの高い投資を高いリターンの源としてあてにすることはありえない。理由は単純だ。リスクの高い資産が確実に高いリターンを生み出すというのなら、その資産は高リスクとは呼べないからである。

厳密に言うならば、「よりリスクの高い資産は、資本をひきつけるために、より高いリターンの見込み、またはより高い公約リターン、もしくは高い期待リターンを提示しなければならない」となる。しかし、こうした高リターンの見通しが実現する必然性はまったくない。

  • 誰もが高リスクと考えている資産の価格はたいてい、不人気のせいでまったく危険ではない水準まで低下する。否定的な見方が広がれば、それは最もリスクの低い資産になりうる。価格に楽観的な材料が何ひとつ織り込まれていないからだ。
  • そして、七〇年代の「ニフティ・フィフティ」投資家の前例が示すように、誰もがリスクがないと信じている資産の価格はだいたい、きわめて危険な水準までつり上げられる。投資家がリスクを恐れていなければ、リスクをとることへの見返り、つまり「リスク・プレミアム」が求められたり、提供されたりすることはない。したがって、これは最もリスクの高い資産となる可能性がある。

 

実際はリスクがあるにもかかわらず、リスクがないと信じこんだ投資家たちがカネをつぎこむことで、資産価格はしばしば危険なまでにつりあげられる。「これからもっと値段が上がるだろう、ひともうけできるぞ」という期待が織りこまれるからだ。不動産バブルなどはまさにその典型。

ではどのように、攻めすぎず、守りのポートフォリオを構築できるか。著者は二つの大原則をあげる。

投資における守りには、二つの大原則がある。一つ目は、損失を出す資産をポートフォリオに入れないことだ。これは、幅広く綿密な調査を行うこと、厳格な投資基準を採用すること、低価格と十分な「誤りの許容範囲」(詳しくは後述)を求めること、持続的な繁栄やバラ色の予測や不透明感のある出来事をあまり積極的に投資の材料としないこと、によって実行できる。

二つ目の原則は、相場が悪い時期、とりわけ暴落による市場崩壊が起きるリスクがある時期を避けることだ。そのためには、損失を出す資産をポートフォリオに入れないという個別の対応に加えて、慎重にポートフォリオを分散化させること、ポートフォリオ全体でリスクを抑えること、そして全般的に安全性に対する選好を強めることが必要となる。

しかし、わたしが考えるに、三つめの大原則がある。「なにもかもうまくいっているときに、最悪の事態を想定して、ディフェンスを行う気を起こす」ことだ。新築ビルをたてる際、これまで火事が起きたことがない地域だからといって、消防設備をまったく取りつけない者はいないだろう(また、そういう愚か者が出ないように、国は法規で最低限取り付けなければならない消防設備を定めている)。安全対策は実際に使用されないに越したことはないのだが、ここにかけるカネを惜しめば、万が一のときに莫大な損害を覚悟しなければならない。

著者が繰り返し強調しているのは、まさにこのことだ。大もうけはできないかもしれないが、一度の失敗であり金失って強制退場にならないように、防護策を考えておかなければならないと。たまたま大勝ちした投資家が、得意になって自分の投資手法をふれまわることはよくあるが、大切なのは一度だけ大勝ちすることではなく、地道に小さく勝ち続けること、大負けしないことだ。ほかの投資関係の本でも、小さく勝って大きく負けるのは、投資初心者がよくやる失敗だと書かれている。

投資哲学といわれれば取っつきにくそうだし、なぜ利益を出す手段ではなく「考え方」を学ばなければならないのか疑問に思うかもしれないが、本書は一読の価値あり。投資を考えている方はぜひ。