コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

現代中国社会の熾烈なお受験戦争+習いごと+マウンティング〜ドラマ原作小説『小舍得』

中国でいまもっともアツいドラマは、同名小説を原作とした『小舍得』(未邦訳)らしい。「舍得」という単語はかなり日本語訳しづらいのだけれど、ここでは「子どもの将来のためならば、心は痛むけれど、いまの苦労を惜しんではいられない」くらいの意味。

テーマはズバリお受験戦争。一人っ子政策が長期間にわたり、2016年にようやく二人っ子が解禁された中国では、たった一人の子どもが14億人もの中国国民、数千万人もの同年代の競争相手たちに負けないよう、幼稚園から塾通いを始めさせるのがふつうだ。

『小舍得』は2つの家庭を中心に、子どもたちとその親たちがどれほど教育に心を砕き、どれほどのプレッシャーにさらされているかをいきいきと書く。作者の魯引弓(ルー・インゴン)は記者出身であり、インタビュー記事によれば、「内容の80〜90%は実際にあったこと」「主要登場人物には実在のモデルがいる」。

 

まずは簡単にあらすじを。

新聞社副編集長の南麗(ナン・リー)は、同僚との雑談をきっかけに、小学四年生の長女を私立受験させるか悩み始める。長女はすでに習いごとを5つかけもちしている (*1)。娘にあまり大変な思いはさせたくない。しかし南麗が悩んでいるうちに、長女は自分から数学特訓塾に入りたいと言い出した。クラスメイトの4分の3以上がすでに数学特訓塾で学んでおり、自分も学ばなければ、テストのクラス内順位が上がらないというのが理由だ。

南麗の大学時代の同級生で、同じ新聞社に勤め、なにかといえば南麗をライバル視する田雨嵐(デン・ユーラン)は第二子妊娠中。長男は同じく小学四年生で、すでに数学特訓塾に通わせている。小学生対象の数学コンテストで一等賞を獲れば、私立中学進学でかなり有利になる (*2)。

(*1) 中国都市部の子どもは、幼稚園から5つくらいの習いごとをかけ持ちする。月謝は決して安くないため、受験に有利になる、まわりがみんなやっている、などの理由で親が選ぶのがほとんど。ちなみに南麗の娘が習っていたのはピアノ、ダンス、絵画、アナウンサー育成、水泳。

(*2) トップクラスの私立学校入学選抜には、数学や英語などのコンテスト受賞歴、スポーツ大会などでの好成績がかなり影響する。受験生の親は「履歴書」を作成し、わが子の輝かしい成果をアピールする。もちろん入学選抜試験も行われる。

 

物語開始時の南麗は教育ママにはほど遠かったが、田雨嵐からお受験話を聞き、数学特訓塾に足を運び、公立中学教師がわが子を私立に入れている現実を知るにつれて、すこしずつ、わが子が取り残される恐怖にとりつかれる。長女だけではない、幼稚園年長組の長男も、小学校受験をするべきではないかと考え始める。

クラスメイトの大半が数学特訓塾で学び、数学テストで上位を独占するようでは、わが子をあえて塾に通わせないことこそが難しい。公立中学の高校進学実績が私立中学に遠く及ばない現実を知れば、平気でいられるはずもない。南麗はしだいに、わが子を良い私立学校に行かせるためならどんなことでも惜しまなくなる。

わたしが喜んで子どもたちにこんな苦労をさせてると思うの? 心が痛まないとでも? あなたに甲斐性があるなら、子どもたちをいますぐアメリカに移民させなさいよ。向こうは勉強が楽なんでしょう? それができないなら不動産を二軒購入して。将来売却して子どもたちの留学費用にすれば、中国国内のやり方に従わずにすむ。それもできないなら黙ってて。わたしに一年半時間を頂戴。子どもたちをいい学校に入れるんだから。(意訳)

南麗が夫に投げつけた言葉に、彼女の焦りが凝縮されている。中国国内で教育を受けなければならないのなら、ゲームルールに従うしかない。南麗の焦り、教育ママへの変貌、それが子どもたちにもたらす影響を、小説は不気味なほどに活写する。

 

もうひとつ、私立小中学校選抜システムに存在する恐ろしい「グレーゾーン」も、南麗を追いつめる現実のひとつとして小説に登場する。

中国教育部(日本の文部科学省にあたる)は、私立学校の入試解禁時期を定めているが、トップクラスの私立校はその前から半ば公然と優秀な子の「囲いこみ」を始める。数学コンテストなどで金賞を獲得した子、スポーツで優秀な成績を残した子に連絡をとり、あるいは保護者がわが子を売りこみ(ここで履歴書が活躍する)、「面談」という名の入学選抜試験に呼ぶ。個人塾と裏で手を結び、優秀な生徒を優先的に「面談」にまわしてもらう私立学校もある。

やっていることは、日本の就職活動で就活解禁日前にインターンシップという名の面接を経て内々定を出すやり方そのままだが、これを小中学校の入試でやるのだから恐ろしい。しかも履歴書を出せば選考してもらえるわけではなく、どの子が「面接」に呼ばれるかはまったく不明瞭だから、保護者のストレスは半端ではない (*3)。

(*3) 小説の中ではほのめかされるだけだが、親の社会的地位が高ければ、入学選抜で優遇されたり、入試免除で入学することも可能。コネ入学はあたりまえのこととして受けとめられ、親が失脚しない限り罰せられることはほぼないといえる。

 

原作小説はまだ邦訳されていないけれど、テレビドラマは中国国内で大きな話題をさらっているから、そのうち日本に入ってくるかもしれない。是非見てみてほしい。

読み終わったあと、あなたは中国に生まれなかったことを感謝するかもしれない。けれど、こういう熾烈な受験戦争をくぐりぬけてきた百戦錬磨の猛者たちが、あなたやあなたの子どもたちと仕事をとりあうライバルになるのだと思えば、あなたにも焦りがでてくるだろう。そのときあなたは、南麗の焦りを身をもって知ることになるだろう。

 

<2021.6.12追記>
中国の熾烈なお受験戦争を、経済学の観点から分析するおもしろい論説を読んだ。(ちなみに中国語で書かれているが、なぜか中国国内ではニュースサイトから削除されているらしい)

要約するとこうだ。

  • 熾烈さを増すばかりのお受験戦争は、経済学でいう限界効用逓減の法則(law of diminishing marginal utility)から説明出来る。
  • 中国は長い動乱を経て、1970年代にようやく国交正常化がすすみ、各国から先進技術を学ぶようになった。まわりの誰もが知らない技術であるため、少しの学習で、その技術分野の中国国内での第一人者になれた。教育への投資には莫大なリターンを期待でき、社会的階級を上げることもたやすかった。
  • しかし、21世紀になって先進技術を理解出来る人材がどんどん増え、社会階級は固定化していった。この時代になると教育への投資を増やしても以前ほどのリターンを期待出来なくなる。逆に言えば、以前ーー親世代の若い頃ーーと同程度のリターンを得ようとすれば、教育投資を増やさざるをえず、それがお受験戦争の白熱化につながっている。
  • しかし皮肉にも、限界効用逓減の法則によれば、みんながお受験戦争に力を注げば注ぐほど、単位当たりのーーたとえば習いごと一種類増やしたときのーー効果は落ち、親たちはますます焦って、より多くの力をお受験戦争に注ぎこむ悪循環となる。これを「内巻(involution)」という。
  • 内巻の三大原因は階級固定化、所有権制限(世襲制等で土地や財産所有者を限定すること)、情報規制によるイノベーション阻害である。

なるほど、かなり納得出来る。

限界効用逓減の法則を打ち破るには、イノベーションを推進し、ふたたび「少しの教育投資と斬新なアイデアで第一人者になれる」分野を作り出すしかない(たとえば21世紀始めのIT業界のGAFAAirbnbなどのシェアリングサービスがそれだ)。しかし中国の教育システムはこれが苦手だと論説は述べている。大学受験合格を最終目標として、いまある知識を暗記や詰め込みで覚えることに必死になるあまり、教育本来の目的であるはずの独立思考、創造性、自由な発想力を殺しているという。教育は「人を育てるためではなく、人を選抜するための手段になっている」。

『小舍得』に登場する親たちはまさにこれだ。いまある競争ーー習いごと、数学コンテスト、小学受験や中学受験ーーで勝つことが手段ではなく目標になって、子どもを追いつめている。田雨嵐の息子の「ママは僕が好きなんじゃなくて、満点取れる僕が好きなんだ」という言葉にすべてあらわれている。

親として子どもに苦労させたくない。この想いは万国共通だろう。しかし、教育投資の費用対効果がどんどん下がっていることもまた現実であり、子どもが親と同じ社会的地位を得ようとすれば、親の何倍も努力しなければならないこともまた事実。「少しの教育投資で第一人者になれる」分野を創造出来る子どもがそうそういるわけもなく、親は葛藤しながらも子どもに教育のプレッシャーをかけることをやめられない。それぞれの家庭で、考え、もがきながら、自分たちのやり方を探るしかないのだろう。