コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】香港社会を理解するためのベストノンフィクション〜星野博美『転がる香港に苔は生えない』

 

1997年7月1日、香港は99年間の植民地支配を終え、中国に返還された。この本は、香港返還前後の2年間を香港の庶民にまじって暮らし、香港に生きる「香港ではごく普通の」人々の日常、仕事、思考、ひいては人生を活写したノンフィクション。

「香港ではごく普通の」人々とことわったのは、1990年代の香港に生きる人々は、激動の20世紀に翻弄され、それぞれの人生がそのまま一冊の本になるような人々ばかりだからだ。

第二次世界大戦終戦後、日本が高度成長期からバブル崩壊までの経済成長を経て復興していたころ、中国では1949年まで内戦が続き、敗れた国民党員が多くの難民とともに香港に逃れた。1950年代末の三年間にわたる大飢饉、1960年代から1970年代まで続いた政治闘争に起因する文化大革命(この言葉自体現代の中国では禁じられつつある)、1970年代の経済復興とそれに伴う貧富の差の拡大。いずれの年代でも、中国大陸で生きづらくなった人々が、途切れることなく香港に移住し、あるいは密航した。香港にはそんな移民たちがごろごろしている。彼らの人生は、そのまま中国近現代史の一部だ。

著者はそんな人々と現地の言葉である広東語で交流した。同じ環境に住み、同じ飯を食い、彼らの考え方を聞き、彼らがどう考えるのかを肌で感じ取った。写真集のように、それぞれの人生物語を切り取りながら、香港の全体像を浮かび上がらせた。

言葉に置き換えにくい「感じ」をも、まったく異なる日本社会に暮らす人々にもスッと理解できる文章にしたのが、著者の一番凄いところだと思う。本文からいくつか抜き書きしてみたい。

 

香港は「ふだんは貧困暮らしだがたまには贅沢する」ことがむずかしい。

地域によって売られている日常用品のレベルがはっきりと区別され、洗濯機をもたないのが普通で、汚れが目立たない服が普段着になる地域で暮らしていれば、贅沢品であるコーヒーのドリッパーなどはどこを探しても売っていない。コーヒードリッパーは高級百貨店で手に入るが、汚れが目立たないというだけの普段着では、高級百貨店では場違いもいいところだ。(著者は書いていないが、私が想像するに、高級百貨店の従業員は、貧乏臭い格好をした人間がくればろくにサービスしない。サービスしたところで買い物などできやしないと決めつけるからだ)結局、卑屈感が芽生え、ひどく気分を害して終わることになる。

高級百貨店でなくても、普段の買い物でもあからさまに金がある者とない者は区別される。卵一個にしても、こうである。

「七毫の卵は自分で選んでいいが、六毫の卵は選べない」

香港の人ほど、自分がこれから購入しようとする商品の品質を確かめられないことを嫌う人種はいない。彼らは容易に他人を信用せず、自分の判断能力に絶対的自信を持っているため、商品を触ったり嗅いだり振ったりすかしたりできないことを非常に嫌う。悪いものを買わされる。それはここでは馬鹿な人間の証なのだ。

つまり六毫の卵を買うことは、馬鹿になれ、ということである。六毫の卵を買う人間は、卵一つ買うにも、自分が商人から馬鹿にされていることを自覚させられるのだ。

(……)

安くていい物を消費者のみなさんに提供する。そんなめでたい話はこの街では通用しない。安い物は悪くてかまわない。なぜなら安い物を買う人間には、安い物を買う以外に選択肢がないからである。金がない人間には正当な扱いを受ける資格はない。悔しかったら、金を出せばいいだけなのだ。

 

香港では人脈があるとないとで生活のしやすさが大きく変わる。

香港に初めてやってきた人々は、まず親戚や同郷人に雇ってもらうのがふつうだ。中古テレビの入手から不動産探しまで、親戚や友人の手を借り、見知らぬ店に入ることはしない。一方で、知人友人に頼むことでかえって手間がかかることもあり(それでも顔をつぶすことを恐れて他人に頼むことはできない)、してもらったことへのお返しにも神経を使う。それでも香港の人々が人脈に精を出すのは、目に見えない友人感情ではなく、目に見える頼み頼まれること、メリットデメリットが親しさの判断基準になっているから。それが著者の感じたことである。

私は彼らが人より得をしたいから人脈を頼るのだとずっと思っていたが、そんな単純な精神構造ではないようだ。互いが互いを友達と認め合っていることを確認するために、どんなささいなことでも頼り、頼られ、そこに膨大な時間と金を注ぎ込む。親さを確かめあうために、人の領域を侵食し、侵食されることを厭わない。どれだけ相手の生活に食い込んだかで、親しさを計る指標にする。そのやりとりを繰り返すことこそ、人間関係維持に欠かせないプロセスであり、この手続きを経ないと彼らは親しみを実感できないのではないだろうか?

 

香港では1980年12月1日より前に密航者として入境し(その時期は香港にたどりつければ居留権を得ることができた)、低賃金の仕事につき、中国大陸に妻と子供を残している「新移民」が社会問題になっている。福祉が存在しない香港社会において、やがて夫を追って香港に密航してくる「新移民」の妻と子供たちは、生活保護や香港文化教育などの福祉を必要とするからだ。

つまり勝手に自分の力で生きてくれる密航者に対する許容度がかなり高い特異な社会であるがゆえに、いくら合法的移民とはいえ社会的負担の大きい女子供は余計に許容できないという、屈折した排他主義に今の香港は覆われているのだ。

 

香港返還から25年近く。一国二制度は有名無実化され、中国にどんどんとりこまれることを恐れた香港で暴動が起こったことは記憶に新しい。香港側は「自由を守るための抵抗」と位置づけ、中国側は「経済発展に取り残された若者たちの不満のはけ口が反中暴動という形で吹き出た」とみなす。

主役となったのはまさに本書で書かれたような人々の子供たち、孫たちの世代だ。本書に登場する人々もまた、せいぜい60代。まだ香港にいれば暴動を目の当たりにしたことだろう。彼らはなにを感じ、どう動いたか。案外気にすることなく、本書にあるように「どのように行動すれば一番得か」を考えつつ、したたかに生き抜いている気がする。機会があれば是非その後を知りたいものだ。