コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】これから経済独立をめざしたい人のための投資入門書〜バートン・マルキール《ウォール街のランダム・ウォーカー》

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は①。投資業界での不滅の名著とされる本。

ウォール街のランダム・ウォーカー』は、初手から読み手の意気込みをくじいてくる。

初版の中で私が発したメッセージは、「個人投資家にとっては、個々の株式を売買したり、プロのファンド・マネジャーが運用する投資信託に投資するよりも、ただインデックス・ファンドを買ってじっと持っているほうが、遥かによい結果を生む」という単純明快なものだった。(......)それから四五年以上がたった今、私はこの考え方に一層確信を持つようになった。

不思議でならないのだが、このアドバイスに従う個人投資家はそれほど多くないように思える。ある株式が順調に値上がりしているとみるや個人投資家が群がり、自分が高値で買っても誰かがより高値で買い取ってくれるだろうという〈砂上の楼閣理論〉(または「最後のバカ理論」)が猛威をふるう。多少冷静な人々は〈ファンダメンタル価値理論〉に基づいてその株式の本質価値を評価しようとするが、どちらにしろ、インデックス・ファンドで満足しようとしないのは両者同じである。

ウォール街のランダム・ウォーカー』はこれらの人々も読者に取りこむ。メッセージは初版から変わらないし、ところどころで投資市場の歴史から学べることに基づいて警告を発してもいるものの、無理に個人投資家を説得しようとはしていない。投資指南書として、これまで株式投資市場がたどった歴史、ビットコインブロックチェーンまで含んださまざまな金融商品を、最新の投資理論や研究成果もわかりやすく説明している。

「Make your choice. ーー選択は君次第だ」という、映画〈SAW〉シリーズの決め台詞が聞こえてくるようだ。(その言葉をかけられた映画の登場人物がたいていひどい目にあうところまで同じだったりして?)

歴史から得られる教訓は明白だ。その時の市場の投資スタイルや流行のはやりすたりが、株価形成に大きな影響を及ぼすということである。株式市場の動きは、時には砂上の楼閣理論とうまく合致することがある。それだからこそ、投資というゲームはこの上なく危険なのである。

ビットコインを支えるブロックチェーン技術は、確かに国際的な決済システムに大きな変革をもたらすだろう。また、資産の一部を匿名性と流動性の高い仮想通貨で保有するメリットも大きいだろう。しかし、「投機バブルはかなりの期間持続するかもしれないが、やがて破綻して大部分の参加者は身を亡ぼす」という歴史の教訓は、ここでも当てはまる。バブルの根底にしっかりしたテクノロジーがあるのは事実だとしても、そのことが投資家の資産の安全性を保証することにはならないのだ。

どちらかというと、わたしの印象に残ったのは、ウォール街の住人たちがカネもうけのために考え出したあらゆるやり方がまさしく「もうければ官軍」を地で行っていることだ。企業はさまざまな手段で利益と成長率を高く見せ、証券会社のアナリストは巨額の引受手数料目当てである株式を買い推奨し、一般投資家は推奨銘柄や証券を中身も知らずに買いまくる。市場参加者は欲にまみれた人間にすぎないのだ。カネが人の判断能力を奪い、狂乱させる様がそのままウォール街の歴史であり、著者はそれを繰り返し読者に見せつけているにすぎないような気がしてくる。

短期の株価予想はできない、という話をするときに、著者はあるラジオミステリーを紹介したけれど、わたしも似たような短編小説を読んだことがある。うろ覚えだがこんなストーリー。

ある貧しい若者が「事前に宝くじの当選番号がわかれば大金持ちになって親孝行できるのに」と願った。すると不思議な力が働き、2日後の夕刊紙が彼のもとに配達された。若者は大喜びで宝くじ当選欄を穴が空くほど読み、一等前後賞の番号を買った。2日後、若者は当選した宝くじを手に、意気揚々と実家に向かった。しかし彼を待っていたのは父親が死んだというニュースだった。勤務先の工場でその日起きた爆発事故に巻き込まれたのだ。爆発事故の記事も夕刊紙にあったのに、記事に気づけば父親がその日出勤しないよう止められたのに、彼は宝くじの当選番号ばかり気にしていたせいで読み落としたのだ。若者は大金持ちになり、母親に豪邸を買い与えることができたが、父親亡きあと、母親はもはや「自分自身が生きているのか死んでいるのかすら関心がない」状態になってしまったーー。

短編小説は「神が人を罰するときは、クソ見事なやり方をするものだ!」という言葉で結ばれる。

カネは天下の回りものというけれど、わたしはもう若くないし、子どももいるから、一攫千金を夢見て無茶な投資をするようなリスクのとり方はもうできない。

 

わたしが投資を始めるのは、定年を迎えてから、子どもや親戚に頼らずとも生きていけるだけの老後資金を確保するため。70歳頃まではちょっとした海外旅行だって楽しみたい。

 

この前提を忘れないように、今後の投資戦略を考えるのがわたしにとって大切だ。著者も、まるまる一章割いて、ライフステージごとの投資戦略について考え方を説明している。

個人が投資を行う上で最も重要な意思決定は、人生の各ステージに応じて、株式、債券、不動産、マネーマーケット商品などの「アセット・ミックス」をいかにバランスのとれたものにするかという決定であろう。(......)投資の総リターンの九〇%は、投資家の選択したアセット・ミックスによって決まるという。投資の成功度合いのわずか一〇%弱が、選択された資産の中身、例えば具体的にどの銘柄や投資信託を選ぶかに依存するにすぎない。

これまで投資をあまりやったことのない初心者投資家として、わたしがやることは単純だ。

  1. 確定拠出年金とつみたてNISAを買う。
  2. 老後資金を計算し、足りなければ、税法上有利な方法で金融商品を追加購入する(インデックス、債券、REIT)。
  3. 持家購入を検討する。
  4. 子どもの教育資金を確保する。

ここまでやって、余剰資金があれば、ちょっとくらい個別株式銘柄に投資するのも悪くない。本書によれば個別銘柄に投資するのはカジノで遊ぶようなもので、未来予測は不可能に等しいから、もうけるためというより、株式銘柄を選ぶ楽しみ、好みの産業分野がどう発展してゆくのかを観察する楽しみを得るため。

 

ウォール街のランダム・ウォーカー』の中では、古典的名著『証券分析』にしばしば触れ、市場が一時熱に浮かれて特定株式に信じられないような高値をつけたからといって、これまでの評価基準が間違っていただの、金融資産価格に関するファンダメンタル価値が当てにならないだのと安易に結論付けてはならないと戒めている。

というわけでこれも一緒に読む。

本書の面白いところは、証券分析は本当に意味のある作業なのか、ということ自体を、ことあるごとに検討しているところだと思う。

分析とは、入手可能な事実を詳細に検討し、確立された原則と有効な論理に従ってそこからある種の結論を引き出すことと定義される。(……)しかし、証券分野でそうした分析を適用しようとすれば、投資というものが本来的には厳密な科学ではないことによる多くの困難に直面する。

債券をふくめた証券全体に対してすらこれである。普通株についてはさらに「普通株の分析とはどれほど有効で価値のある作業なのか。普通株の投資は企業の将来と株式市場におカネを賭けるという不確実ではあるが、そうせずにはいられない行動なのではないか」と、あからさまに疑問視している。

とはいえそれでは話が進まないので、著者らは一応回答を用意している。まとめるとこうなるだろうか。

  • 証券分析は投機的性格をもつ普通株についてはあまり意味がない(ただし人間はなんだかんだと自分の行動に理屈をつけたがるものなので、その意味ではまあ無駄ではないかもしれない)。一部の、投資対象にふさわしい普通株については明確で科学的価値がある。
  • 証券分析の目的は、決算報告書やバランスシート、賃借対照表などに記載された重要事実をわかりやすく説明し、必要あれば批判することで、その証券を買うか保持するか売るかを選択出来るようにすることである。証券自体のファンダメンタル価値は厳密にわかるものではないが、要はお買い得かどうかがなんとなくわかればよい。

そうことわったうえで、本書はさまざまな分析方法、注目点(減価償却費など)、その裏付けとなる考え方を説明する。それでもことあるごとに、企業の将来性などというものは投機対象であり分析対象にはしない、と切り捨てることは忘れない。

株式分析対象にはなり得ないが、実際に株価に大きく影響する「将来性」という予測不可能のナニカが、株式投資のときに避けられないリスクになる。本書はこの一見あたりまえながら忘れがちになることを「分析対象から外す」ことで際立たせている。

しかし、この本が書かれてから100年近くたつ今でさえ、企業の将来性への期待が株価に織りこまれることはもはやあたりまえになってしまった。ある企業が新製品開発プロジェクトを立ち上げたと発表すると、まだ新製品ができあがったわけでもないのに株価が上がる。このリスクと折りあうためにも「妥当な価格」というものの評価は不可欠である。

われわれの投資を目的とした普通株の論理とウォール街の論理には大きな違いがある。ウォール街では優良株のPERが16倍をかなり上回っていても十分に正当化されるばかりでなく、そうした銘柄は株価とは無関係に「投資適格」と見なされている。これに対するわれわれの論理によれば、「最高の優良株」であってもそれなりの高値をつければそれを正当化する将来の高収益が不可欠であり、その意味からすればそうした銘柄を購入するのは本質的に投機的な行為である。

わたしがもっとも気に入ったのは、普通株投資を保険会社業務にたとえているところ。非常にわかりやすい。

普通株の投資原則は保険会社のアプローチにかなり似ているという結論にたどり着く。(......)個別のケースでは支払保険金が受取保険料をかなり上回ることもあるだろうが、保険事業全体として見るとちゃんと利益は出ているのである。同様に普通株の投資でもその会社の業績を詳しく調査して個別の銘柄のリスクを全体の利益でカバーすれば、保険会社と同じように利益を上げることができるだろう。そして保険会社にも数量的な基準では測れない道徳的なリスクが存在するように、普通株の投資でもその企業の将来の見通しについては慎重に判断すると同時に、個別銘柄における予想外のリスクを平均化するためにも分散投資を心掛けるべきであろう。

保険会社がやっているのは、まさに「将来起こりうることを予測して保険対象や保険料を決めること」である。生命保険は年齢別死亡確率を、車両保険は交通事故発生確率を参考にしなければならないだろう。こうした統計情報はすべて過去のデータに基づくものであり、保険会社はそれを個別被保険者の将来予測に使用する。「30代、持病無し、家系にがん患者有り」といった個人情報をもとに、この人に売る保険を決めるわけだ。たまには予測が外れて高額な保険料を支払うことになるかもしれないが、全体的にもうかればよい。株式も同じである。