コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

あわただしい人間社会の時間と、もうひとつの悠久の時間〜星野道夫『旅をする木』

わたしは、日本に生まれた人々は、生涯に一度は大陸に行くべきだと考えている。

わたしはユーラシア大陸(中国)と北米大陸(カナダ)を旅した。桂林の山水画そのもののような景観の中、どれほど川下りしてもいっこうに河口は見えず、ロッキー山脈沿いに何時間車を走らせても、雪を抱いた山脈はまったく途切れずに威容を見せていた。

どこまでも、どこまでも広がる大陸。それを知識ではなく感覚で意識したとき、『旅をする木』で著者が「もうひとつの時間」と呼んだ、悠久に流れる自然の時間を感じとることができる。

星野道夫氏はアラスカの大自然に魅せられ、写真家としてこの地で十数年にわたって暮らしてきた。氷河、山脈、氷海、ツンドラ。そこに生きる動物たち、小さな集落で動物を狩って暮らす狩猟民族のエスキモーやインディアンたち、そんな世界に魅せられてやってきた白人たち。悠久の時間が流れる、雄大な自然を、著者はエッセイにつづる。

この自然が自分たちの現代社会と「地続き」であることを感じとれれば、とたんに目の前にアラスカの大自然が開けるだろう。会社員や自営業や子育てや介護や……そんなあわただしい人間世界の日常を暮らしている同じ時に、太平洋ではクジラが跳ね、雪原ではカリブーの群れが移動している。それは禅の、あるいはヨガの、静謐な境地に似ている。

だが、アラスカの自然とて手付かずで残っているわけではない。エスキモーやインディアンの村から離れて現代社会に住みつく者が多くなり、古老の語る物語や昔ながらの文化の名残りは急速に森に呑まれつつある。20世紀後半にはアラスカの北極圏で核実験を行う計画が立てられ、その名残の建物の残骸が海辺近くに残されている。著者はエスキモーが彼らの伝統的狩猟生活を送れたのは100年位前が最後だという。人々もまた変容している。

変わりゆく人々、まだ手付かずの自然、その自然が読者の日常生活と地続きである不思議な感覚。「もうひとつの時間」とそれが流れ去るさまを、深みのあるワインのように、醸成された文章で味わおう。