コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

苦労や工夫を重ねて生きていたあの頃〜暮しの手帖社『戦争中の暮しの記録』

 

小学6年生だったとき、学級文庫になぜかこの本があった。戦争など露ほども知らない世代だが、好奇心にかられてよくめくっていた。記憶にあるのは「主食代わりに配給されたコッペパン」「配給の塩が足りないから海水で味付けしたおかゆ」「捨ててある物を拾ってたべた」といった食べ物関係ばかりで、食べざかりの小学生の興味がどこにあったのかよくわかる。

自分の子をもつ年齢になり、図書館でこの本をたまたま見かけて借りてみた。子供視点ではなく親視点から見てみると、夫が出征でいない中、自分と子供たちを生かすために母親たちが大変な苦労と工夫をしていたことがありありと想像出来た。(それでも全員生きて終戦を迎えられたわけではなかった)

もともと本書は戦後に創刊された家庭向けの総合生活雑誌『暮しの手帖』特集版を書籍化したものである。『暮しの手帖』の読者層は主婦がメインであり、特集版を組むにあたって寄稿された体験談も主婦視点が多い。このため日常生活でのささいな出来事、食事、服、日用品、おもちゃといったこまごまとしたもの、母親たちが毎日見ていたものがよく記録されており、それぞれの家庭で立ちのぼる匂いまで感じとれるほど。ちなみに2016年のNHK連続テレビ小説とと姉ちゃん』は、『暮しの手帖』の創業の軌跡をモデルにしているという。

全編通して読み、とくに印象深いものがいくつかある。

 

〈日々の歌〉

イラストエッセイ。すごくキレイなスケッチに、とても読みやすい文章を添えている。配給玄米の精米、化粧石鹸(現代でいうボディソープ)の代用品探し、成分不明の配給食用粉と煮ても焼いても食えない配給乾燥トウモロコシを前にした悪戦苦闘など、日々苦労や工夫を重ねてなんとか暮らしていたことの記録。たとえばこんな風。

十七日、米一粒もなくなる。近所では借りつくし、この上は高木さんか、酒井さんへ頼みに行く外あるまいという。ヨシヨシ、配給所から来るまで、何としてでもがまんしろと、二かたけ、茄子と南瓜でしのぐ。

戦時中広く使われていた七輪、モンペ、防空頭巾などをここで学んだ。記憶に残る「主食代わりに配給されたコッペパン」が収録されているのもここ。

 

疎開 その屈辱と悲惨〉

この本では〈東京大空襲〉〈飢えたるこどもたち〉〈油と泥にまみれて〉〈路傍の畑〉などのテーマに分かて、それぞれのテーマに沿った手記を数件紹介するという形式をとっているけれど、わたしが一番読んだのは〈疎開 その屈辱と悲惨〉のテーマ。

空襲が激しい都会を離れて、女子供だけでもと、親戚を頼ったり、政府主導の集団疎開に加わったりして田舎の方に疎開するけれど、食べる口が増えることを歓迎されるはずもなし、女性たちは慣れない畑仕事をし、お情けで余り物をもらってなんとか生き延びて、親と引き離された子供たちはひもじさをがまんし、親に会いたいと疎開先を脱走する。それぞれのエピソードからは、声なき泣き声が聞こえるよう。

 

〈百姓日記 米作農家の側から見た敗戦の年の記録ー佐賀県兵庫村(現在佐賀市)〉

佐賀市の米作農家、田中省吾氏が、昭和20年1月1日から8月15日までつけていた日記を整理したもの。

肥料不足や用具不足の中植え付けする苦労、配給に不満を持った隣部落(部落という用語がよく出てくる)との実行組合分離、不作の中政府供出米をひねり出す苦労、地主との小作料減額交渉、塩も石炭もなにもかも米と交換させられる時勢。その合間を縫った防空壕作り、空襲、銃撃、大本営発表、そして玉音放送

それこそ映画『この世界の片隅に』がもう一本撮れそうなこまやかさと率直さで語られている。時々出てくる九州弁には慣れないが、ちゃんと注釈がついているので安心。

 

いま読み返してみると、東京大空襲隅田川にかかる橋が死体で埋まり、死体と遺物が川を流れていったなどという生々しいエピソードが、小学6年生なら簡単に読み解ける文章で書かれているようなものが、よくもまあ学級文庫で誰でも読めるように置かれていたものだと思う。当時のわたしは全然気にしていなかったが、なんとなく怖そうなタイトルの文章(「火」「死」「無理に疎開させた子が疎開先で爆死」「黒い雨」など)はとばしていた。とはいえ図書室にあった原爆文集やらはだしのゲンの漫画やらも平気で読んでいたし、繊細とは言いがたい子供だったのだろう。

いまこそ読み返したいと思うのはなぜなのか、自分でもわからない。こういう時代でも生きていかなければならないし、生き延びた人々がわたしたちの両親や祖父母や曾祖父母に血を繋いでくれたのだな、と思う。