コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

リアルな出来事に芸術的視点をまぶした印象派絵画のような小説〜莫言『赤い高粱』『続・赤い高粱』

莫言(ばく・げん/モー・イエン)は2012年にノーベル文学賞を受賞した中国人作家。幼少期は1500万~4000万の餓死者が出たとされる大躍進期(*1)にあたり、その後文化大革命(*2) を経験する。この経験が彼の創作の原動力となっている。ノーベル文学賞を受賞した理由は「幻覚的なリアリズムによって民話、歴史、現代を融合させた」である。

その莫言の代表作『赤い高粱』『続・赤い高粱』を読んでみた。この作品はチャン・イーモウ監督が『紅いコーリャン』として映画化したことでも有名。

(*1) 1958年~61年。ちなみに中国国外では人災と評価されることも多い出来事だが、中国の公式見解では人災ではなく『三年自然災害』と表現されるのが一般的。

(*2) 1966年〜1976年。上層部における政治闘争→反対派粛清→下層部から反対派支持者を一掃するための思想審査開始→特定思想の徹底的否定及び破壊、という流れが似ている点から、後に説明する『整風運動』の全国版と言えなくもないが、さまざまな面で文化大革命の方がより破壊的であった。10年間続いたことから、中国国内では『十年』というキーワードで言及されることが多い。中国国内では語ることを許されなくなりつつある出来事。

 

『赤い高粱』『続・赤い高粱』は全五篇からなる語り手「私」の父母と祖父母の物語。あたかも「私」が思い出すままに話しているように、時系列は過去から現在へ、また別の過去へと飛び、過去と現在、写実的風景と心情的風景が交互に現れながらだんだん出来事が進んでいくさまは「幻覚的リアリズム」と表現される。

物語自体はそれほど複雑ではない。

舞台は架空の寒村とその周辺。中国山東省高密県東北郷と名付けられたそこは、はてしない高粱畑の中に寒村が点在する地域。「私」の祖母は没落地主の血をひく美しい少女で、高粱酒の酒造業を営む村一番の金持ちに見染められ、その息子の嫁に迎えられたが、息子はらい病(ハンセン病)患者という噂だった。婚礼の日、「私」の祖母はとある出来事をきっかけに輿担ぎ(中国農村では花嫁を輿に乗せて婚家に運ぶ)の男を意識するようになる。男は婚礼の日から3日後、「私」の祖母と高粱畑の中で肉体関係を結び、祖母の新婚の夫を酒造業の主人もろとも殺害した。祖母はこのとき「私」の父親を孕み、酒造業を引き継いだ。「私」の祖父はその後、地元のごろつきどもと土着匪賊集団を結成するなど流れ者として生き、祖母のほかにも女をつくり、やがて日中戦争が始まると、「私」の父親とともに山東省一帯を侵略する日本軍と凄惨な戦闘を繰り広げる。

物語の流れはこのようなものだが、「私」の父親が祖父に連れられて、日本軍を待ち伏せするために高粱畑を抜ける際の描写は、高粱の赤色、空の青色、雲の白色、田舎道の灰白色、畑の土の黒色、小川沿いに茂る葦の灰緑色、兵士たちの服装の濃赤色といった色彩描写にあふれ、そこに高粱の香り、鮮血のなまぐささといった匂いが加わり、さらに「私」の父親が退屈な道中であれこれ思い出す過去のビジョンーー酒造業の老番頭だった羅漢大爺が日本軍に拉致され、ついには耳を削がれ頭皮をはがされて惨殺されるさま、「私」の祖父の叔父が嫁入り前の村娘をレイプした罪で銃殺されるさまから、ウサギ狩りやカニ取りといった思い出までーーが入り混じって、まさに古今和歌集にある「夢かうつつか寝てか覚めてか」という状態。

『赤い高粱』『続・赤い高粱』はよくマルケスの《百年の孤独》と比較されるけれど、個人的にはもっとリアリズム寄りというか、現実の出来事をあえて主観的、芸術的な手法で描いているという方がしっくりくる。絵画における印象派のようなもので、ゴッホの《向日葵》《星月夜》のように、見たものをそのままではなく「感じとった」ままに表現するから、一見やたらと大げさな装飾が多い文章になっている。核心となる出来事はリアルだ(多少迷信も混ざっているが)。

ちなみに(日中戦争を扱った中国小説にはよくあることだが)日本軍との戦闘場面でのグロ描写や残虐描写はかなり容赦なく、日本軍=悪という図式を際立たせるためか、味方側の死傷者の様子をことのほか悲惨に描写する。作者自身は戦後の生まれだが、親世代がもろ経験者だからかめちゃくちゃリアル。胸糞悪く感じる人もいるかもしれない。読み応えがある小説だが、残虐描写が苦手な人は気をつける方が無難。

 

【おまけ】

『赤い高粱』の舞台となった時代背景について紹介。

『赤い高粱』の時代設定は1930年代から1940年代初めの日中戦争のさなか。当時、中国国内は国民党支配地域、共産党支配地域、村社会や土着匪賊集団の支配が残る地域に割れており、それぞれ勢力拡大に躍起になっていた。『赤い高粱』では「私」の祖父は土匪集団をひきいて日本軍相手にゲリラ戦を繰り広げていたが、高密県東北郷周辺を根城にしていた共産党分隊から「共産党の傘下に入らないか?」と誘われている。

この頃共産党と国民党は内戦を繰り返していたが、日本軍に対抗するためにーーそれぞれの腹づもりはあるにせよーーとりあえず一時的に手を結ぶそぶりは見せていた。しかし『赤い高粱』では共産党分隊と国民党分隊は相変わらず犬猿の仲である。末端組織までみんな仲良くというわけにはいかなかったのだろう。

この時共産党内部では、1930年代から始まって1942年の「整風運動」(*3) でピークに達した派閥闘争や異端思想撲滅運動 (*4) により、上層部の入れ替わり、党員の思想審査 (*5)、「マルクス主義の中国化」の名のもとでの共産主義再解釈などが一気に進み、毛沢東の揺るぎない優位性が確立されていた。毛沢東は政治面のみならず軍事面でもすぐれた能力を発揮しており(かなりの部分が日本軍ではなく国民党軍に向けられていたが)、『赤い高粱』でも共産党分隊のリーダーが「毛沢東は現代の英雄だ」「中国の未来は共産党のものだ」と語る場面が出てくる。

(*3) 南京大学の高教授の著書『紅太陽是怎樣昇起的(How Did The Red Sun Rise: The Cause And Effect Of Zheng feng In Yan'an)』では、整風運動の大部分は、毛沢東中国共産党の最高指導者となるために行われたと論述されている。「紅太陽」は毛沢東を指す言葉として広く用いられる。ちなみにこの本は中国では禁書。

(*4) 思想内容によって「教条主義」などさまざまな名称がついているが、要するに毛沢東の考え方に合わない思想全て。共産党員は個人の経歴、交際関係、思想内容などをすべて文章で提出させられ、審査された。少しでも矛盾点があったり党の公式見解に合わないところがあれば徹底的に追及され、反省文を提出させられた。経歴によってはスパイ容疑をかけられ、推定有罪のやり方で自白を迫られた。ただし『赤い高粱』の舞台となった山東省では、さまざまな理由からこの活動はそれほどエスカレートすることなく終息した。

(*5) 思想審査では繰り返し思想内容を文章化され、重箱の隅をつつくように追及された。これらを含めた自白強要手法は、のちにアメリカで、朝鮮戦争中に共産党側の捕虜となったアメリカ兵の経験をもとに「囚人管理テクニック」として研究されている。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1806204/pdf/bullnyacadmed00378-0046.pdf