コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】責任主体たり、問題解決者たれ〜読書猿《問題解決大全》

 

なぜこの本を読むことにしたか

《独学大全》の項で、学ぶのはなぜ自分自身が生きづらいのか知るためだと書いたが、まさにそれにうってつけのお道具箱が《問題解決大全》。これもそこそこ分厚い鈍器本だが、最初の一文だけで「これどうしても読みたい」と思わせてくれる。

本書は、困難や窮状を「問題」として捉え直し、その対処法や目標へ到達するための手段・方法を発見・実行することで、未来を変える方法と知恵を集めた道具箱である。

 

本書の位置付け

《アイデア大全》《問題解決大全》とあわせて、読書猿の《大全》3部作の1冊であり、タイトルのとおり、問題解決のためのさまざまな手法を長所短所あわせて紹介する。

本書の〈問題解決〉の定義は、ちまたにあふれる「こうすればうまくいく」系のビジネス本とはちがう。人間は全知でも全能でもないけれど、ある目標を実現するためにやるべきことを計画・実行できる主体であって、問題解決とはやるべきことを計画・実行することそのものであり、人間はみずからが計画できる、コントロールできる範囲内において「自由」である、という考えである。

〈問題解決〉能力を身につけるとは、仕事や家庭でのいざこざを解決することのみならず、みずからが計画し、コントロールできる範囲、すなわち〈自由になる範囲〉そのものを広げることにほかならない。このように定義することからも、本書は問題解決そのものの意義を考えぬいた、哲学的な考えに支えられた本であるといえる。

その他2冊の読書感想はリンク先参照。

【おすすめ】『アイデア大全』(読書猿著)を読んだ - コーヒータイム -Learning Optimism-

【おすすめ】みずからの足で立つために~読書猿《独学大全》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

本書で述べていること

本書が与えるのはすでにあるお道具だけではない。「お道具を増やすためのお道具」だ。難題にぶつかり、コントロール不可の状況に陥り、どう状況打開すればいいのかわからなくなる、まさにそのときこそ、問題解決技法を新開発し、将来同様の状況をコントロールできるようにする(「自由」にできる範囲を増やす)チャンスである。本書はこういうときにこそ使用されるお道具箱である。

 

感想いろいろ

問題解決のためには、まず問題を定義しなければならない。 ためしに、私が今思いついたケースについて、本書で紹介された問題認識技法のひとつ【キャメロット】を使ってみる。

キャメロット】では以下のように段階を踏む。

❶理想の状態を想像する。たとえば「自分の言うことを◯◯さんに受け入れてもらう」のが理想の状態だとしよう。

❷ 理想状態と現在の状態を比較する。選んだ理想と現在の状況を比べて、どこがどう違っているか? たとえば「◯◯さんと一度話をしたが意見を受け入れてもらえず、それ以上話も聞いてくれない」のが現在の状態だとしよう。(まあ自分の言うことをだれかが無条件に受け入れてくれるのは、幼い子どもの親くらいのものだ)

❸リストアップされたそれぞれの違いについて、以下のような観点から分析する。

❸-1: なぜその違いがあるのか? その原因は何か?

  1. 意見が未熟/根拠が弱いからこれ以上時間を割きたくない?
  2. 意見をうまく伝えられず誤解されている?
  3. 意見がちがうからこれ以上聞きたくない? 
  4. 単純にいま忙しいから後で聞きたい?
  5. そもそも言い方が悪くて怒らせてしまった?
  6. 実は◯◯さんも同意見だがわけあって言えない?

❸-2: 違いを生んでいるのはどんな問題か?

  1. 自分の意見が未熟/根拠が弱い
  2. 自分の表現方法がつたない
  3. ◯◯さんと意見が違う
  4. ◯◯さんがいま忙しい
  5. 自分の言い方がよくない
  6. ◯◯さん側に事情がある

❸-3: 違いを生んでいるのはどんな条件/機会か?

  1. 自分の勉強不足
  2. 自分の表現方法の引き出しが少ない
  3. ◯◯さんとの考え方や立場の違い
  4. ◯◯さんが置かれている状況(◯◯さん自身により解決可能)
  5. 自分のコミュニケーション習慣
  6. ◯◯さんが置かれている状況(◯◯さん自身により解決可能でない。たとえば人間関係のしがらみなど)

このように、問題解決者の認識によって、とるべき戦略はまったく異なるものとなる。

しかし私が一番目からウロコだったのは、自分の行動が「問題を形成する悪循環の一部」であるかもしれない、問題が生きているのは一方的な因果関係ではなく、相互関係の中だと《問題解決大全》に書かれていたこと。

我々の問題や悩み事は、しばしば我々の認知を巻き込んだ悪循環によって維持され再生産される。

現実がしぶとく変えがたいのは、我々の働きかけを受けつけぬほど固いからではなく、我々の相互行為のループによって不断につくり直されているからなのだ。

たとえば◯◯さんに話を聞いてもらえないことが数回続けば、「どうせ聞いてもらえないのだから時間をかけて準備してもむだだ」という気分になるかもしれない。態度が無愛想になるかもしれない。それを◯◯さんに気付かれて、さらに話を聞いてもらえなくなる、という悪循環が生じる。

悪循環を断ち切るためには、「そもそも◯◯さんに言うことを受け入れてもらえないのはそれほど悪いことなのか?」と問い直すことも有効かもしれない。◯◯さんのことがなければ、【キャメロット】を使用して、自分の至らないところを反省しなおすこともなかったかもしれない。むしろ学ぶ機会を与えられたと解釈できるかもしれない。

このように「自分の言うことを◯◯さんに受け入れてもらえなかった」という出来事を【リフレーミング】できれば、悪感情ばかりを抱くのではなく、◯◯さんの反応そのものから学べることもあると前向きに考えることができるだろう。

ちなみに反省や心がけだけでは足りず、行動に移さなければならないことも、本書でしっかり釘を刺されている。

「自分」を変えることで何らかの成果を得ようとすることは、喩えるなら、スピードメーターの針を動かして自動車を加速させるようなものである。こうした考え方は、因果の向きの捉え方が逆さまになっている。スピードメーターは自動車のスピードが変化した結果動くのであって、その逆ではない。

行動によって何らかの成果が得られた結果「自分」は変わるのであって、その逆ではない。

 

この本でも、最後にグサッときた言葉をメモしておく。いずれもまえがきから。これらの言葉を目にしたとき、私は「問題解決者」ではなかったために、それ相応の評価しかしてもらえずにいたのだということを痛感させられる。

我々が互いを一人前の人間として扱うのは、互いに責任を問える存在として考えられるとき、すなわち責任主体と見なせるときに限られる。

そして人が責任主体となるのは、その人が自由に自身の意図を抱くことができ、その意図を実現するために行動することができる場合である。

この意図の実現を目指す行動を我々は問題解決と呼ぶ。

つまり人が責任主体であることは、問題解決者であることを前提とする。

問題解決者として扱われるということは、問題解決の成功はもちろん、失敗についても引き受けるよう求められることだ。

(......)

問題解決者は、問題解決の結果について責任を負うならば、自身の知や力を超えた事柄についても、その帰結を引き受けなくてはならないことになる。

 

あわせて読みたい

《アイデア大全》《独学大全》とあわせて読むのを強くおすすめ。