コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

古代中国にタイムスリップした主人公は現地でサバイバルする〜柿沼陽平『古代中国の24時間』

美味しいものはとっておいて後で食べる主義である。この本は読む前から絶対面白いとわかっていたから、ゆっくり読む時間ができるまで楽しみにとっておいた。

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は①②。紀元前後の秦漢時代のリアルな24時間を膨大な資料といきいきとした語りで浮かびあがらせている。

 

本書の位置付け

著者は世界最高峰の歴史学論集である "The Cambridge Economic History of China" で中国古代経済史部門の執筆を担当するガチの中国古代史専門家。本書は著者が10年間にわたって秦漢時代の中国史資料を読みこみ、日常生活について書かれた部分を読み解き、さらに中国で出土したさまざまな古代の遺物を参照してまとめた、秦漢時代のリアルな24時間を紹介する。

なお、本書の学術的意義について、著者は次のように述べている。

本書は、古代中国の時代相・帝国像・文化全体を大上段から論じるのではなく、古代社会に暮らす人びととその細々した所作にたいする解釈をつみかさね、ささいな日常風景に迫ろうとするものである。そして、「国家と戦う民」「虐げられる弱き民」「共同体を形成して時代を担ってゆく民」にのみ注目するだけでなく、むしろ「大きな社会の流れのなかで、ゆるやかに流されつつ、そのことに自覚的でない民」の日常にも注目していった。

 

本書で述べていること

高校生などに中国古代史に興味をもってもらうために、著者本人がタイムスリップして(!)漢帝国を散策しながら、観光ガイドのごとく、秦漢時代の一般市民の日常生活を紹介するというめちゃくちゃ面白い書き方になっている。

かりに読者の皆さんが古代中国の世界にタイムスリップし、ロールプレイングゲームのようにその時代を生きていかねばならないことになったら、皆さんは古代中国の一日二四時間をぶじに過ごせるであろうか。本書はそのガイドブックとなる。

日常生活はまず夜明け前に起床するところから始まり、ふとんはどういうものであったか、どんな服装をするべきか、洗顔やお化粧などの身だしなみをどうするか(歯磨きの習慣はまだなかったがブレスケアはあった)、朝食になにを食べるか、という細やかさで日常生活に踏み込む。朝食後は街に出て、お役所、市場、大通り、花街、郊外の森などを散策していき、日が暮れれば夕食(飲み会かもしれない)を経て眠る。すべてにおいてこまごまとしたところまで紹介し、脚注に参考文献一覧を載せることで検証出来るようにしている。

 

感想いろいろ

タイムスリップして現代知識で無双するライトノベルは山のようにあるが、まず現地で生き残るための最低限の社会規範、科学面で無双するならなにが得られてなにが手に入らないか、人々はなにを知っていてなにを知らないか、くらいはつかんでおく必要があるわけで、そういう目的にぴったりなのが本書。ただし古代中国の秦漢時代限定。ちなみに「現王朝はいずれなくなる」などと口走ると大逆罪として死刑になりかねないご時世なので、現代知識をもらすにしても細心の注意が必要。

最初の漢帝国の皇帝の痰事情(!)のところですでに抱腹絶倒。皇帝の痰壺係を「虎子(しびん)や清器(おまる)よりマシ」だとありがたがる臣下とか、遊牧民の首領が美少年を痰壺代わりにしたこともあるとか、面白すぎるでしょ。

あちらこちらに、今日まで使われている言葉の原型がみえる。「城郭」ーー城は長官とその属吏が勤める区画、郭は平民が住む区画を分ける土壁のこと。「檄を飛ばす」ーー檄は役所への指令を記すための野球バットに似た多面体の木の棒。しばしば早馬で運ばれた。「楊枝」ーー古代インドの人びとが歯ブラシのかわりにくりかえし嚙んでいた木ぎれのこと。「紳」ーー礼儀作法にうるさい儒者が身につける腰帯のこと。現代の「紳士」の「紳」はここから来ているという。

日常風景にいたっては、ほんとうに自分が古代中国にタイムスリップしたかのように錯覚するほど。見るものだけではなく、トイレの臭さやブレスケアの香りなどの匂い、家畜のいななきなどの音、料理の味、粗末な着物や贅沢な絹織物の肌触りまでもいきいきと思い浮かぶすばらしさ。もし私が研究対象とするならば、古代中国のトイレ(すでに和式や洋式に似ているものがあったがトイレットペーパーはなく、木片でこするか手で洗っていた。ちなみにトイレの下に豚小屋が併設されていることもあり、呂后のエピソードに繋がる)と衛生観念、流行り病との関連などを研究してみたいものである。