コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

流れゆく時からふと汲みあげた小説〜川端康成《山の音》

 

川端康成は《雪国》《伊豆の踊り子》が有名だけれど、この《山の音》については知らなかった。しかし、海外での評価が高く、ノルウェー・ブック・クラブ発表の「史上最高の文学100」に選出されたことを知り、読んでみた。

 

読み終えたあと、浮かんできたイメージ。

さざなみが寄せる波打際、かすかなさざなみの波音、遠くの岩場で砕けるより大きな波音以外は耳にとどかない。夕陽はとうに海の下にかくれたものの、残照が濃い紅色の夕焼けとなって西の空に漂う。その上から急速に濃藍色の夜がおおいかぶさり、あたかも夕焼けを呑み尽くそうとしているかのよう。人生の終盤にさしかかり、ふたたび陽が昇ることはすでにないと思うものの、残された一筋の残照を海岸からいつまでも物欲しそうに見つめる、ひとりの老人。

老人は主人公である尾形信吾。頃は昭和24年、第二次世界大戦が終わったばかりでまだ傷跡もなまなましいとき。信吾の息子である修一も帰還兵だ。

信吾は還暦をすぎて、老いを自覚することが増えてきた。ある夜目覚めた信吾は、雨戸を一枚開けた。そこにひびいてきた「音」があった。

八月の十日前だが、虫が鳴いている。

木の葉から木の葉へ夜露の落ちるらしい音も聞える。

そうして、ふと信吾に山の音が聞えた。

音がやんだあとで、信吾はいわれのない恐怖におそわれる。山の音に死期を告知されたような気がしたのだ。

みずからの老いと死を恐れる気持ち、同年代の友人達がつぎつぎと老衰や病気で世を去ることのほかにも、信吾の日常生活は大小さまざまな問題をかかえていた。同居する息子夫婦のこと、息子の女遊びのこと、うまくいっていない娘夫婦のことーー。

ゆるやかな筆致で、川端康成は戦後間もない家族のしめやかに衰退する日常生活を描く。ドラマチックな盛り上がりはほとんどなく、すべてがただ日常の一部として流れゆく。その流れの中からふと汲みあげた信吾の、信吾の妻保子の、修一の、修一の妻菊子の、言葉やしぐさが、秋の紅葉のような鮮やかさと哀愁をもって、戦後日本に暮らしていた人々の心理状態を浮き彫りにする。

流れる音楽のような小説を、秋の夜長にめしあがれ。