コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

日常生活の中に立ちこめる黒雲〜宮部みゆき『昨日がなければ明日もない』

宮部みゆきさんの〈杉村三郎シリーズ〉の第5作。3篇の中編小説がおさめられていて、短いからさくさく読みやすい。

〈杉村三郎シリーズ〉を読むのは実はこれが初めて。シリーズの順番は『誰か』『名もなき毒』『ペテロの葬列』『希望荘』から、この第5作『昨日がなければ明日もない』につながるのだが、第4作『希望荘』とこの第5作は主人公の杉村三郎が私立探偵として仕事を受けることになる物語で、その前の3作は、杉村三郎が私立探偵になる前のサラリーマン時代の物語、いわゆる〈来し方行く末〉の〈来し方〉である。私立探偵・杉村三郎に興味があるのなら後から読み始めても問題ないが、1〜3作目を読めば彼という人間についてより深く知ることができるという仕掛け。私は探偵ものを読みたいから後から入った。

 

本書には『絶対零度』『華燭』『昨日がなければ明日もない』の三本が収録されている。私立探偵・杉村三郎はサラリーマンあがりで、警察にコネがあるわけでもなく、街を歩いていたら殺人事件にぶつかるような悪運もそうそうないので、彼が引き受けるのはもっと地味な身辺調査や人探しといった日常生活の延長線上にあることだ。

この三本の中編小説は、彼がそうして引き受ける3つの事件をそれぞれ書いている。『絶対零度』では自殺未遂した娘を心配する母親が、『華燭』では家族と絶縁状態にある友人を気遣う主婦が、『昨日がなければ明日もない』では恋多きシングルマザーが、それぞれ依頼人である。

当事者だけで解決することはできそうになく、かといって弁護士や警察などはおおげさすぎるように思える。杉村三郎が引き受けるのはこういう日常生活にまぎれこんだ小さな事件だ。彼はこれを「(空の)遠くの方に黒雲が見える」と表現する。晴空にまぎれこんだ不吉な予感。いまわしいもの。汚らわしいもの。それはだんだん広がって空全体を覆ってしまうかもしれないし、やがて風に吹き散らされてしまうかもしれないーーしかし完全に消えたわけではない。

杉村三郎の立ち位置は微妙だ。彼はシャーロック・ホームズのように頭がキレるわけではなく、ひとよりちょっと好奇心旺盛で、勘が良くて、地道な仕事を厭わずにこなし、優しい。依頼を受けて動く立場である以上、彼は依頼人の事情にあまり深く立ち入ることはできないけれど、ときにはみずから行動せずにはいられなくなり、ときには関係者の不幸に涙を流す。

このシリーズの主人公は杉村三郎だけれど、ほんとうの主人公は彼が出会う依頼人たちのほうだ。人生の空に立ちこめた黒雲を晴らすことを目的に、彼ら彼女らは杉村三郎に依頼をする。杉村三郎視点からだんだん掘り下げられる黒雲の中には、悪意の嵐が渦巻き、欲望の稲光が走る。日常生活の中にまぎれこむ黒雲を、しだいに広げてゆき、不安をかき立てる物語構成は宮部みゆきさんの得意とするところ。ありふれた会話、隣近所にありそうな日常光景から、ふっと一本横道にそれると、表通りから見えないところに影が落ちている。

この三本の物語はどれも、思いがけない濃い影にハッとさせられる。結末を胸糞悪く感じたが、だからこそ現実に沿っている。現実ではきれいに事態が収拾されてオチがつくことなどないのだから。