著者の浜辺祐一氏は現役の墨東病院救命救急センター部長で、2021年の東京パラリンピックで組織委員会より重症者受け入れを要請された際、
「救命救急センターは本来、突発、不測の重症患者に備えるものであり、予定された行事のバックアップをするものではない。災害モードでコロナに対処すべきだと言われている時期に、こうした協力を約束することはあり得ない。大会直前の要請は、組織委自体が大会を安全に開催できないと思っていることの反映ではないか。開催の是非を早急に議論するべきだ」
と拒否し、一時メディアをさわがせた人である。
本書は『青春と読書』誌上で『救命センター 新・ドクターファイル』というタイトルで連載していた内容を単行本化したもの。救命救急センターで毎朝行われるモーニング・カンファレンスで、勤務明けの当直医が前日収容された患者の状況紹介を行い、それに対して部長(名前はでてこないが著者本人がモデルなのはまちがいない)が質問をぶつけたり、コメントをしたりするという構成。
もちろん、医療従事者には守秘義務があり、患者の個人情報の最たるものである医療情報を明かすことは許されない。本書でとりあげられているのはすべて、膨大な症例をふまえてつくられた架空の「救命救急センターあるある」「だが個別患者には絶対に結びつけられない」ケース。それでも切羽詰まる雰囲気や、もしこれが自分自身と身内にふりかかればどうなるかまざまざと想像出来るほどの臨場感はすこしも損なわれない。よく話題になるが、実名を出さなければリアリティが出てこないなどということはない。
とりあげられているケースは落下事故、くも膜下出血、心筋梗塞など、救命救急になじみがなくても「こういうことありそう」と想像出来るものが多い。しかし、救急患者を受け入れたあとの当直医師の判断や、それを受けた救命救急センター部長のコメントは素人にはわかりづらいので、判断根拠となる、医学知識や実務経験がていねいに解説される。
たとえば母親と口論し、母親の目の前でマンションの十二階から飛び降りて心肺停止になった若い女性について、部長や当直医がカンファレンスで話しあう場面が登場するが、その場面のすぐあとに、
- 心肺停止の患者に行う心肺蘇生法
- 心肺蘇生法がうまくいかないケースとその理由
- 救急搬送する際に使用されるバックボード
- バックボードを用いる理由
これらの医学知識について、きちんと説明部分が設けられているので、やりとりの意味が読者の目にも明らかになる。
医学知識だけではなく、実務経験についてもふれられる。上記の飛び降りのケースでは、運ばれてきた女性はどう見ても救命出来る状態ではなく、当直医が救急隊長に「こんな状態で救命センターに搬送してくることに、いったい、何の意味があるっていうの?」と詰め寄っている。
運ばれてくる患者を全員受け入れるのが理想的だろうけれど、現実には病床数も医師数も無限ではなく、しかも夜間救急となれば昼間のようにおおぜいの医療従事者がいるわけではない。限りあるリソースをどのように救急患者にふりわけるべきかーーぶっちゃければ、どう見ても助からない患者、すでに寝たきりになっている高齢患者に時間をとられるくらいなら、それ以外の患者に一秒でも多くの時間をかけるという冷徹さが必要になる。
しかし、そううまくいかないのが、本書でとりあげられている(架空の)救命救急搬送ケースだ。目の前で娘に飛び降りられて半狂乱になった母親に「娘さんは心肺蘇生すらままならないほどの重傷です、助からないので救急搬送しません」などと言い放てば、お前の血は何色だと激しく非難されてもしかたがない。
こうして救急隊が救命救急センターに「なぜこの患者を搬送してきた」と塩対応されることになり(もちろん搬送されてきたからには全力を尽くすが、ひとこと文句を言わずにはいられないのだ)、部長が「受け入れるべきではなかった」と冷徹なコメントをすることになる。この部長、漫画『ブラックジャックによろしく』に登場すれば悪役間違いなしだが、実際には実務経験豊富、清濁併せ呑むリアリストで、現実にはこういう人こそが救命救急医療の現場に必要だ。