コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

恐れを抱かずにはいられない人間の宿命〜貴志祐介『天使の囀り』

貴志祐介さんの小説を読んだのは〈リング〉シリーズから始まるホラーブームの真っ最中、『ISOLA - 13番めの人格- 』が最初。主人公の賀茂由香里は人の強い感情を読みとることができるエンパスで、長期入院中の多重人格者・森谷千尋に会う。彼女の中には十二の人格があるはずだったが、由香里は十三番目の人格「ISOLA」の存在を感じ取る……というお話。最後の一行がとにかくもうめちゃくちゃ怖かった。ある意味古文の勉強にはなったが(あの単語は死んでも忘れられない)。

『ISOLA』があまりにも怖かったので、貴志祐介さんの小説そのものを読むのを避けていたが、やがて映画化をきっかけに『悪の教典』を手にとった。主人公の高校英語教師・蓮実聖司はルックスの良い人気教師だが、実は邪魔だと感じればたいした理由がなくてもためらいなく排除(殺害)するサイコパスで、〝モリタート〟の口笛を吹きながら犯行を重ねてゆくというストーリー。前半は蓮実のサイコっぷりにおののいたけれど、後半はあまりにも荒唐無稽に思えたから、『ISOLA』ほど怖い印象は受けなかった。どんでん返しはなかなか印象的。

その次に読んだのはファンタジー小説新世界より』。これはいまでもお気に入りの小説のひとつ。舞台は1000年後のまるでユートピアのように美しい日本で、人類は「呪力」と呼ばれる超能力を身につけている。だが12歳の少女・渡辺早季はひょんなことから、1000年前の文明が崩壊した理由、血塗られた歴史について、禁じられた知識を得てしまう……という展開。人間の「死の軛がなければ互いに争うこともやめられない」愚かさとその報いを、これほどみごとに書いている小説はそうないと思う。

 

本作『天使の囀り』は貴志祐介さんの小説としては4作目。

まずはあらすじから。主人公の北島早苗はホスピスで終末期医療に携わる精神科医で、担当する薬害エイズ被害者たちの悲劇に心を痛めている。恋人で作家の高梨は死恐怖症(タナトフォビア)だったが、調査隊として訪れたアマゾンの密林でなにかを体験してから、人格が一変して『死』に魅せられたようになり、ついには自殺してしまう。さらに、調査隊のほかのメンバーも次々と自殺を遂げる。アマゾンでいったい何が起きたのか? 高梨が残した「天使の囀りが聞こえる」という言葉はなにを意味するのかーー?

白状すると、恐怖を和らげるために後半部分から読み始めて、いわばネタが割れた状態であらためて最初から読んだ。おかげでエンディングはそれほど目をそむけずに読み進めることができたが、前半にでてくる「カミナワ族の民話・採集番号⑨ 憑依」がものすごく怖かった。

カミナワ族はアマゾンの先住民で、彼らの民話が、アマゾンで調査隊の身に起きたできごとを暗示している。語られる民話は、村から離れて、狩りをして暮らしていたある兄弟の物語。北島早苗の言葉を借りれば「原音のリズムを尊重するためだろう、やたらに繰り返しのセンテンスが多く、翻訳不能の擬音も、そのまま記載されていた。ところどころ伏せ字にされているのは、テープの音声が不明瞭聞き取れなかった部分だろう」というような代物。たとえばこんなふうだ。

兄は、見に行こうと言った。「大勢の人が、祭りをしている」弟は、やめようと言った。「こんなところに、人がいるのはおかしい」だが、兄は、どうしても見に行こうと言い張った。見に行こうと言って、聞かなかったのだ。チェッチェッ。兄弟は、見に行った。焚き火のまわりで、大勢の人が、食べたり、飲んだり、歌ったり、踊ったりしていた。アアアア。焚き火で、肉を焼いていた。後ろに。■■■■。

(......)

■■■■ときに、弟が兄の顔を見ると、目がぎらぎら光っていて、恐ろしい形相だった。シューッ、シューッ。蛇のように、ジャガーのように、目がぎらぎら光っていたのだ。

見てはならないものを見、食べてはならないものを食べたために罰を受ける神話や民話はめずらしくない。日本神話では黄泉の国で妻イザナミの異様な姿を見てしまったイザナギギリシャ神話では冥界でざくろの実を食べてしまったために地上に戻れなくなったペルセポネあたりが有名だと思う。

それらに比べてこのカミナワ族の民話は素朴で神々も登場しないけれど、なぜか原始的恐怖をかきたてられる。語り手が発する「チェッチェッ」「シューッシューッ」などの声が、原始的恐怖をさらにあおる。

作中では心理学者のコメントという形で、村から離れて住んでいる人間は悪に取り憑かれやすくなると解説しているが、現代社会に生きる私たちも、このことを本能的に知っているのかもしれない。

そうした人間は、まず、日常生活の中の様々な禁忌を犯すことに無頓着になるらしい。「チェッチェッ」という舌打ちのような音は、タブーが犯されつつあると話者が感じたときに、必ず発せられている。そして、タブーを軽んずることは、同胞にとって本当に危険な行為、真に恐ろしい罪に繫がっていくのだ。「シューッ、シューッ」という、激しい警戒音が発せられなければならないような……。

カミナワ族の民話とさまざまな状況証拠をヒントに、北島早苗はしだいに真相に近づいていくけれど、最後まで読んだときに感じたのは、恐れを抱かずにはいられない人間の宿命であり、死よりも惨い状況におかれてしまった人々の悲しみであり、それをもたらしたものの摂理の冷酷さであった。ときにはカミナワ族の民話に耳をかたむけながら、ヒトもまた生きとし生けるものの一種類にすぎないことを、思い出す必要があるかもしれない。