コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】むきだしの人間の弱さ〜葉真中顕『灼熱』

 

灼熱

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いつのことだか、世界情勢についてあれこれ雑談しているとき、ふと思い立ったことを口にした。

ーー核保有国同士では戦争は起こらない。少なくとも核戦争は絶対起こらない。なぜなら核兵器の恐ろしさを知っているから。そう言うけれど、もし広島と長崎に原子爆弾が落とされていなかったら。もし原爆が落とされたら都市が、被爆者がどうなるかを誰も本当の意味では知らなかったら。これほどの抑止力があったと思う?

雑談相手は即答した。

ーー思わない。だけど、間違いなくだれかがどこか別のところに原爆を落としていたと思うね。

この本を読んでいて、ふとこの対話を思い出した。

 

小説の舞台は第二次世界大戦前後のブラジル。タイトルの『灼熱』はブラジルという国名の由来を示す。この地に生える樹木から炎のごとく赤い染料が得られるため、『灼熱』を意味する〈ブラーザ〉に由来し名付けられた。

ジャンルはあくまでミステリーであり、とくに後半になるにつれて謎解きの色が濃くなる。しかし謎解きの背景の方がむしろ小説のメイン。第二次世界大戦直後にブラジルの日本人入殖地で実際に起きた「勝ち負け抗争」である。あまりにも悲惨であったゆえにタブー化され、忘却され、封印され、当事者が高齢化するにつれて埋もれつつあるできこと。

勝ち負け抗争とは第二次世界大戦直後、ブラジルの日本移民社会において、日本の敗戦を認める「認識派(後に「負け組」)」と、勝利を信じた「戦勝派(後に「勝ち組」)」との間で起きた事件。二十三人もの死者、多数の負傷者を出した。

本書の帯にはこのように書かれている。

小説の主人公は二人。一人は南雲トキオ。祖父の代にブラジルに入殖し、父親・南雲甚捌は殖民地「弥栄村」で最大規模を誇る南雲農園の当主。トキオ自身はブラジルで生まれた二世でありながら、日本人のアイデンティティを保っている。もう一人は比嘉勇。沖縄出身で、飢餓から逃れるために家族とともに大阪に出稼ぎにゆくが、そこでも生活は苦しく、家族に見放されるようにして親戚夫婦とともにブラジルに来て、弥栄村に入殖した。

歳の近い二人は親交を結ぶが、南雲農園の土地を間借りするところから始め、十年近くたっても狭い小作地を手に入れるのが精一杯であった勇は、心の奥底でトキオに対する劣等感が拭えず、弥栄村の住人たちも村一番の農園主である南雲家の恩恵を受けながら、南雲甚捌の悪気無い尊大な態度に、腹の中に不満を澱ませていた。1941年12月8日(ブラジル現地時間では7日)、太平洋戦争勃発後、トキオと勇、南雲家とほかの村民たち、その関係に走る亀裂がついに暴発するーー。

ここまで書けば想像できるように、「勝ち負け抗争」でトキオと勇は認識派と戦勝派に分かれることになる。そこにさまざまな人間のさまざまな思惑が絡み、坂を転がり落ちるように事態が悪化する。

 

人間は弱くて、差別的で、流されやすい。とことん痛いめにあわなければ争いを思いとどまることもできず、敵だと思いこめばどこまでも残酷になれる。

トキオと勇の関係、弥栄村の人々の関係にはそんな人間の弱さや差別根性が余すことなくむき出しにされる。

日本本土出身者から沖縄出身者への差別。

ブラジル現地住民から日本人への差別。

日本人からブラジルで生まれた二世への差別。

富める者への嫉妬心。

持たざる者の劣等感。

故国から遠く離れた地に置き去りにされた不安感。

絡みあうむきだしの人間の弱さがとても上手い。不安にとらわれたトキオや勇をはじめ、弥栄村の人々は疑心暗鬼になり、耳に心地良い情報にしがみついてつかのまの安心感を得ようとする。同調圧力が強まり、不都合な情報には激しく反発するようになる。しかもブラジルの排日政策により邦字新聞は廃刊され、ポルトガル語を読める人間は限られる。情報源といえばひどく聞き取りづらいラジオ放送と、村から村へとめぐる噂話だけ。

敗戦などは不都合な情報の最たるものだ。異国の地に置き去りにされながらも日本人であることを誇りとし、われらはだれよりもすぐれたる皇国人民であるぞ、こんなところでガイジンにいじめられてよい人間ではない、いつか戦争に勝てばお国に帰るぞとの一心で耐え忍んできた、その心の支えを根こそぎ折る情報だから。

作中でトキオがある人から諭された言葉が痛い。

「不安でもいいんだよ。不安を感じることは、お国に背くことにはならない」

「本当にまずいのはその不安から目を背けてしまうことなんだよ。不安を受け止め、できる限りの対処をするんだ。想像していたのとは違う戦争の終結や講和もあり得ると備えるんだ。今、私たちに求められているのは、その覚悟なんだよ」

物語のラストで勇がしたことは、正直、私としてはあまり納得出来ていない。ここまで不安感、劣等感、競争意識、さらには憤怒を重ね、積み上げ、増幅させてきた勇は、たぶん、こういう選択をしないと思う。この小説はきっと、映画会社のアドバイスを受け入れてしまった『セブン』なのだろう。

それを差し引いてもこの小説は素晴らしい。ラストに至るまでの弱い人間たちの物語を、ぜひ、読んでみてほしい。