コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

さまざまなジャンルの小説の原型を打ち立てた傑作たち〜エドガー・アラン・ポー《全集》

 

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。原文はオンラインで参照可能。

Library of World Literature » Bokklubben

Edgar Allan Poe, short stories, tales, and poems

以下、気に入ったものについてつれづれと。

 

《アッシャー家の崩壊》

アメリカのゴシックホラー小説の代表作。暗雲垂れこめる沼と枯れ木にかこまれた古色蒼然とした屋敷、陰気で色褪せたカーテンなどの調度品、悲劇を暗示する詩、数百年続く由緒正しき血統、狂気と神経症(私には躁鬱病に思える)を抱えた最後の当主、語り手となる友人、当主の双子の妹の不可解な遺伝病と死、遺体の地下室への埋葬、嵐の夜に動き出す死体……と、いまやゴシックホラーの定番になった演出がこれでもかとつめこまれた、細密画のような短編小説。いわゆる「全部盛り」になっているから、ゴシックホラーとして読後の満足感が半端ない。小説がなければ映画『シャイニング』が生まれなかったといわれるのがよくわかる。

 

ウィリアム・ウィルソン

これまた素晴らしいゴシックホラー。主人公ウィリアム・ウィルソン(本名ではない)は学生時代は奇怪な古色蒼然とした館に設けられた寄宿学校に在学し、そこで出会った同姓同名、姿形が似通い、立ち振舞いから誕生日などまですべて同じであるウィリアム・ウィルソンにつきまとわれる。主人公が悪事に手を染めようとすると決まって現れて邪魔立てをするこの男は、最後の最後に、主人公の良心のようなものを擬人化した存在であったことがほのめかされる。いわゆるドッペルゲンガーものだけれど、ドッペルゲンガーが止めようとすればするほど、主人公は堕落と狂気に追いやられていくように思う。最後の台詞は、光文社古典新訳文庫がすごく好き。

You have conquered, and I yield. Yet henceforward art thou also dead -- dead to the world and its hopes. In me didst thou exist -- and, in my death, see by this image, which is thine own, how utterly thou hast murdered thyself."

「さあ、おまえの勝ちだ。おれは負ける。だが、これからは、おまえも死んでいると思うがいい。この世にも、天界にも、希望にも、無縁になったと思え。おれがいたから、おまえも生きた。おれが死ぬところを、ようく見ておけ。この姿でわかるだろう。これがおまえだ。どれだけ己を滅ぼしてしまったか知るがいい」

 

《大渦巻への下降》

ノルウェー海、ヘルセッゲン山とモスコー島にはさまれた海域で発生するメールストロム(あるいはモスコーストレム)という名の大渦巻を主題に据えた本作は、科学的知見を取り入れたSF小説のはしりとして後世のSF小説に影響を与えたという。

有名な例では《三体》にブラックホールのモチーフとして、《海底二万海里》にノーチラス号の最終目的地としてメールストロムが登場する。すべてを飲み込む大渦巻に呑みこまれた漁師の決死の脱出を書く本作は、九死に一生系の海洋冒険小説にも近い。私は子どものころ、ジュール・ヴェルヌSF小説が大好きで、《十五少年漂流記》をはじめ《海底二万海里》《神秘の島》などを何回も読んだが、この《大渦巻への下降》にはたしかにヴェルヌ小説につながる雰囲気が感じられて、懐かしさを覚える。

 

《モルグ街の殺人》

世界初の推理小説といわれるのがこの小説。

探偵役のオーギュスト・デュパンは由緒正しい名門の末裔ながらいろいろ不本意なできごとのはてに窮乏している若い紳士。思考能力と分析能力にすぐれている。

ある日、新聞にモルグ街で起こった奇怪な殺人事件が掲載された。被害者は母娘で暮らしていたレスパネー夫人とカミーユ・レスパネー嬢で、夫人の遺体は庭に横たわり、娘の遺体は煙突に押しこめられており、いずれも激しく損傷していた。複数の証人が夜中に悲鳴を聞いたこと、ついで二つの声が聞こえたことを証言したが、片方の声は太く低いフランス人男性のものだとほぼ全員が一致していたものの、もう片方の奇怪な高い声については、イギリス人だ、イタリア人だ、ロシア人だ、と証言が一致しない。オーギュスト・デュパンはこの時間に興味をもち、その頭脳でみごと真相を暴く。

この小説にも、いまや推理小説の定番となった演出がたっぷりとつめこまれている。天才的な頭脳をもつ探偵、語り手としての凡庸な友人、引立て役としての警察、最終場面での推理披露、意外な犯人、というようなもの。いまの読者には見慣れたものだけれど、「すべてはここから始まった」という言葉がふさわしい《モルグ街の殺人》は、独特の魅力にあふれている。