コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

中国に生まれ育った人々の思考や行動を理解するために〜武内義雄『中国思想史』

 

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は①。《論語》を読むにあたり、基礎知識を得るために読んだ。

論語》から始まり、数千年間受け継がれてきた中国思想は、欧米社会におけるキリスト教精神、中東におけるイスラム教教義のように、中国に生まれ育った人々の思考や行動の根幹をなすものである。どのような思想が生まれ、どのように変遷してきたのかを知ることは、中国人のふるまいを理解するために必要不可欠であり、中国人のさまざまな言動に説明を与える。

 

本書の位置付け

中国思想変遷の過程を明らかにすることを目的に、思想の集大成ともいえる書き物である〈経〉に関する経学の変遷、仏教の影響をふくめて、上下三千年にわたる中国思想史を解説した学術書。もとになる漢文の書き下し文がほぼ解説なしでのせられているなど、ある程度知識がある読者を想定しているが、解説の部分はキモとなるところをピンポイントで突いていて明快である。

ただ、秦の始皇帝焚書坑儒によりかなりの書物が失われ、今日まで伝えられた書物も原本そのものではなく口伝を書きとめたものであったり、オリジナルテクストと後世の注釈・追記とが混合されたものであったりするため、中国思想研究は常にテクストの質を問い続けなければならない。清王朝時代に考証学がおおいに躍進し、漢代以前の著作を読み解くことができるようになったが、中国思想史においてはなお究明を待たれることが多い。

 

本書で述べていること

中国思想史は孔子生誕〜後漢滅亡までの第一期、三国時代〜唐玄宗皇帝末年までの第二期、唐玄宗皇帝以降〜現代までの第三期に区分することができる。

中国思想を系統立てたのは孔子が最初であるけれど、その思想はさらに古い民間信仰に起源を求めることができる。古くは人間はすべて天から生まれたとする信仰があり、天にいます【帝】(これは根源をたどれば祖先を表す漢字である)の後裔が人間だと考えられてきた。また天はその子を地上に降して民を治めるため、主権者は【天子】と呼ばれる。

【天子】の役割は第一に祖先である【帝】を祭ること、第二に天の意向である【天命】に従い治世を行うことである。殷の時代以前は【天命】を知るために亀卜(亀の甲羅を火で焼いてできた割れ目を読む占い)を行っていたが、周の時代にだんだん廃れ、天意は人々の素質の内にすでに授けられているため、自己を内省することで天意を忖度し得るという考え方が広がった。

周の初期には、人間がもつ最も根源的な感情は第一に親子愛である【孝】、第二に兄弟愛である【弟】であるという考え方により、これを道徳の根本とみなした。孔子はこのような民間信仰に基づき、【仁】、すなわち【孝】【弟】を根本とする人間同士の親愛の情、人間固有の道徳感情であり天より授けられた天意である【仁】を〈夫子の道〉とする思想を打ち立て、ここに〈道〉を説くに至った。

【仁】の根本はまた【忠】【信】であり、【忠】とは中に心と書くごとく自己の心を内省して自らを偽らないこと、【信】とは人に言と書くごとく他人と約束した言葉を違えないことである。ここに人間の行動規範ができてくる。

そうしてかくの如く人間道徳の根源を天命に帰することは中国古代の民族信仰であって、天命が人間の心の内に宿っていると考えたことは周書の康誥篇に既に萌芽していること上に論じた通りであるが、孔子は更に明確に吾々人間の心の内に先天的に具備して居る親愛の情が即ち天から賦命された道徳性であって、これを拡充することが即ち仁道であると意識されたものらしい。

孔子からおよそ100年後 (*1)儒家とそれに対立する墨家 (*2) の教えを止揚(低い次元で矛盾対立する二つの概念や事物を、いっそう高次の段階に高めて、新しい調和と秩序のもとに統一すること)するかたちで道教のもとになる教えが生まれたと考えられる。

(*1) 著者は老子孔子よりものちの時代の人であるとの説を採っているが、老子孔子は同年代人で、老子の方が歳上であり、孔子は若いころに老子に【礼】について問うたという説もある。

(*2) 墨家創始者墨子儒教が重視する【孝弟】を「親兄弟など自分に近しい者を愛することであり、自己中心的である」と批判し、階級差や血縁による差などのない平等な愛として【兼愛】こそを思想の中心にするべきと主張した。また【礼】を「儒家が提唱する天子・諸侯・大夫・士・庶民の階級制度が前提であるうえ、礼儀作法が複雑にすぎる」と批判し、礼儀作法の簡素化をうったえた。このため儒教との間で激しい論争が起こった。儒教が国教となった漢代以降、墨家は没落したが、清朝末期に中華民国の国父である孫文らにより再評価された。

老子は「真の常道は人間道徳などというものではなく天地万物の絶対的本源であって、相対的形容でしかない人間の言葉では表現できないものである。現象は【有】であり、【有】をもたらす【有にあらざるものもの】すなわち【無】が道である。万物事象は生成し変化し遂にその本体にかえるというのは自然の真理であり【常】と説明すべきであり、かくして万物事象は【有】【無】【常】により説明出来る。道にそむいた行をさけるために高きを避けて卑しきにつかなければならない」と説いた。老子の教えを受けた列子はさらに一歩進んで「人間が欲を起こすのは是非利害の判断をするためであるから、是非判断すなわち知的判断を捨てることで道にしたがうことができる」と説いた。

その後も孔子老子の教えを発展させ、あるいは追加し、あるいは別解釈を与え、あるいはそれに反対し、あるいは複数の流派をなんらかの方法で統合し、あるいは他家の思想をも参照するかたちで、諸子百家といわれるさまざまな思想が花開いた。後世には印度仏教の思想が伝来し、民間信仰老荘思想を取り入れて道教という一大宗教になり、歴史によって大義名分や政治道徳の思想を鼓吹する動きがさかんになり(孔子による歴史書《春秋》やそれを受けた歴史書資治通鑑》はまんまこれを目的に書かれたもので、歴史的事実の正確性だけを目的としたものではない)、中国思想はさらに変遷していく。

 

感想いろいろ

私が一番知りたかったことが第9章末尾にあった。なぜ焚書坑儒は行われたのか。どういう理由がつけられてのことか。これを知ることができただけでもこの本を読んだ価値があると思う。

これを要するに荀子は人性を欲と見て、学問によって礼を治め、礼によって欲を制すべきことを主張したもので、その学問は儒家の伝統をついで経典の研究を主眼としているが、その人性を欲と解したのは、老荘派特に楊朱の考を襲うたもので、儒家からすればむしろ異端思潮である。(......)その人性を欲と解して礼を尊重した結果、礼は全然人為的客観的の法則となって法と択ぶところがなくなった。そこで韓非は荀子の門から出て、荀子の礼を法で入れかえて、法至上主義をとなえ、韓非の主張は李斯によって実行にうつされて、遂に思想の圧迫文化の破壊が敢行せらるに至ったものである。

以下雑感。

老子の教え「現象は【有】であり、【有】をもたらす【有にあらざるものもの】すなわち【無】が道である」というのはかなりわかりづらいが、柳緑花紅春秋などの万物事象のもとになるものといえば物理法則じゃね? と思えばそれなりに理解出来る気がしてくる(物理法則を〈道〉だという気はミジンコほどもない。あくまでたとえ)。

物理法則はいわゆる漢文ではなく、数学をもって記述するもの。『神は数学者か?』という本が書かれているからそのうち読みたい。

 

あわせて読みたい

人はすべて天から生まれたという古い民間信仰、人の中に天命が息づくという思想、天意は吉兆や災難としてあらわれるという解釈などを基本設定に練りこんで書き上げたのが小野不由美さんのファンタジー小説十二国記』シリーズ。これを読み通せば中国思想の根幹部分がかなり理解しやすくなる。小説としても超一級品のおもしろさ。