コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

マルクスとエンゲルスの理想と現実〜マルクス、エンゲルス《共産党宣言》

ここ最近色々あって(ロシアとかロシアとか)、人間が世界情勢を理解するときの視点はもちろんその人の育った環境、受けた教育、積んだ人生経験などによってさまざまだけれど、もっとも基本となるいわゆるOperating System (OS, Windowsのようなもの)にあたる「設計された」思想基盤が異なると、これはもう絶望的に話が合わなくなる、と思うことが何度もあった。

もっとも有名なのは5大宗教(ユダヤ教キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教、仏教)のちがいだけれど、それ以外にも国家単位、(日本でいえば)地方単位でOSの設計思想がかなりちがう。

  • 法治社会を理解できない(南アジア某国)
  • 言論の自由を理解できない(東南アジア某国)
  • 児童労働禁止を理解できない(東南アジア某国)

私が見聞きした実例である。ある発想や概念がただただ「ない」のであり、成人過ぎればインストールもほぼ不可能になる。

5大宗教がもたらす宗教思想基盤の設計思想については、経典にきちんとまとめられていることがある(キリスト教なら聖書)。こういうものは学習しやすい。一方で国家政府が主導する主義思想基盤や教育思想基盤は、たとえば文部科学省なら教育指導要領に一応まとまってはいるものの、その根源的思想体系までたどるのはそれほど簡単ではないのがふつうだと思う。

しかしお隣中国は主義思想基盤のよりどころとなる根源的思想体系をしっかりきっちり文章化している。出発点をマルクス思想、とくに「共産党宣言」におき、さまざまな目的のためにカスタマイズしたり取捨選択したりしている。

というわけで《共産党宣言》を読んでみた。

今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。自由民と奴隷、都市貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、要するに圧制者と被圧制者はつねにたがいに対立して、ときには暗々のうちに、ときには公然と、不断の闘争をおこなってきた。この闘争はいつも、全社会の革命的改造をもって終るか、そうでないときには相闘う階級の共倒れをもって終った。

最初の一文はとても有名。すべての(博愛主義でない)思想がもつ【敵の定義】にあたる。だいたいどのような思想主義でも、さまざまな考え方をもつ人間をまとめるにあたって、①【共通の(強大な)外敵】をもうける ②【あなたがたは敵を倒すべく選ばれた者である】と吹きこむことほど効果的なものはない。

共産党宣言ではブルジョアとプロレタリアを次のように定義しているが、お互いがお互いの【敵】となる。共産党宣言はプロレタリア側に立つものであるから、ブルジョア階級がどんなふうに【敵】であり【悪】であるかについてもくわしい。(まあカネは人間関係を破壊するというのは真理だが)

(一八八八年英語版へのエンゲルスの​)​ ブルジョア階級とは、近代的資本家階級を意味する。すなわち、社会的生産の諸手段の所有者にして賃金労働者の雇傭者である階級である。プロレタリア階級とは、自分自身の生産手段をもたないので、生きるためには自分の労働力を売ることをしいられる近代賃金労働者の階級を意味する。

ブルジョア階級は、支配をにぎるにいたったところでは、封建的な、家父長的な、牧歌的ないっさいの関係を破壊した。かれらは、人間を血のつながったその長上者に結びつけていた色とりどりの封建的きずなをようしゃなく切断し、人間と人間とのあいだに、むきだしの利害以外の、つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった。

(......)

一言でいえば、かれらは、宗教的な、また政治的な幻影でつつんだ搾取を、あからさまな、恥知らずな、直接的な、ひからびた搾取と取り代えたのであった。ブルジョア階級は、これまで尊敬すべきものとされ、信心深いおそれをもって眺められたすべての職業からその後光をはぎとった。かれらは医者を、法律家を、僧侶を、詩人を、学者を、自分たちのお雇いの賃金労働者に変えた。

うまいなと思うのは、「医者を、法律家を、僧侶(※『聖職者』のことだと思われる)を、詩人を、学者を…」と書くことで、どのような社会的地位にある人であろうともブルジョア階級とプロレタリア階級に分けた力業。産業革命に続く激動の時代変化の中にあって、これまでにない速度で社会構造が変わりゆくさまにとまどう人々には、すべてをブルジョア階級のせいにする《共産党宣言》は、ひどく明快で、不満と不安のはけ口のような役割を果たしたことだろう。

さんざんブルジョアとプロレタリアの対立をあおりたて、「あらゆる階級闘争は政治闘争である」「法律、道徳、宗教は、プロレタリアにとっては、すべてブルジョア的偏見であって、それらすべての背後にはブルジョア的利益がかくされている」と断じたのち、プロレタリアが立ち上がることを促し、共産主義者の当面の目的は、階級へのプロレタリア階級の形成、ブルジョア支配の打倒、プロレタリア階級による政治権力の奪取であるとすすむ。

現代社会の最下層であるプロレタリア階級が起き上がり、立ち上がることができるためには、公的社会が形成する諸層の全上部構造を空中にけし飛ばさねばならない。

ちなみに2018年はマルクス生誕200周年で、中国ではさまざまな記念式典が行われたが、式典演説では《共産党宣言》について「マルクス主義は科学理論」「共産党宣言は真理」の言葉が飛び交っており、言葉の定義と適用範囲がちがうのかもしれないと真剣に頭を悩ませた。

 

共産党宣言》の最後に、共産主義者としての政策10箇条がかかげられている。お隣中国を例に、どのような政策が策定され、どのような経過をたどったのかを見てみた。

一、土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り分ける。

中国では土地はすべて公有であり私有は認められない。1990年の『中華人民共和国都市国有土地使用権出譲及び転譲暫定施行条例』により「国有土地使用権」の譲渡制度を創設、1995年の『都市不動産管理法』により土地使用権を軸とした「所有」と「利用」を分離する制度が成立。物権としての土地使用権の担保能力及び担保権設定方法についても法制化され、投資対象とみなされる。

ちなみに土地は都市部では国有、農村部では集団所有であるから、上記の法規制は都市部土地限定だが、2018年の法改正により、農業用地の権利を「所有権、請負権、経営権に分ける『三権分離』を柱に、農村部でも土地流動化のための仕組みがだんだんと整いつつある。

二、強度の累進税。

中国では『個人所得税法』により個人の給与収入に超過累進課税制度を適用しており、税率は最大45%。『企業所得税法』により企業所得税は基本税率が一律25%(軽減税率あり。条件に合致する小型の低利益企業は20%、国が重点的に援助する必要のあるハイテク企業は15%)。このため高収入者は企業を設立して個人所得を企業所得に転換することが多いといわれる。

三、相続税の廃止。

1994年の税制改革の際、相続税及び証券取引税が中国で徴税可能な税目として定められた。実務上は徴税されていないが、ときたま話題にのぼる。

四、すべての亡命者及び反逆者の財産の没収。

実情不明ながらおそらく実施。

五、国家資本及び排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する。

1948年に中国人民銀行日本銀行にあたる)創設。1970年の改革開放をきっかけに、銀行体系の市場化をすすめる。現在中国は三大国有政策銀行(中国輸出入銀行、中国農業発展銀行、国家開発銀行)と六大国有商業銀行(中国工商銀行中国銀行中国農業銀行中国建設銀行、中国郵政貯蓄銀行交通銀行)。そのほかに持株形式の銀行があるが、その大株主は(ホールディングスなどの形式はとりつつ、最終的には)中国政府財政部である。

2017年時点ではノンバンクやシャドーバンキングが無視できない存在感を発揮しつつあるが、いまだに85%以上の資本は銀行に集中している。

六、すべての運輸機関を国家の手に集中する。

鉄道/航空はすべて国営で利用は実名制。チケット購入には『身分証』(運転免許証などの写真付き身分証であればよいわけではなく、国家発行の個人管理番号入りの身分証明書)提示が必須。

都市圏や主要幹線道路では監視カメラを用いてさまざまな利用情報を収集し、収集したビッグデータをAIが分析することで交通管制を行っている。指名手配犯がAIの顔認識システムにより発見されたという報道もしばしば。新型コロナウイルス流行後は運輸機関のチェックがますますきびしくなり、地下鉄、バス、タクシー、自家用車などにも監視が広がる。

七、国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良。

1978年までは人民公社による土地所有体制で、生産隊、生産大隊、公社の3つのレベルから成り,生産隊が耕地を管理して統一農業経営を行っていた。改革開放により生産責任制度が導入され、農家請負経営方式が全国に普及した。21世紀に入る頃には都市圏の急速な拡大にともなう耕地の住居用地化が社会問題化し、農業用地の縮小、農民の都市流入による農地荒廃を防ぐためにさまざまな政策が打ち出されている。

なお国有工場は株式会社化や民間払下げがすすんでいるが、主要企業の大株主は変わらず中国政府財政部。

八、すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成、とくに農業のために。

1978年以前の人民公社制度においては「工分制度」というものがあった。労働量と報酬計算に利用される尺度で、たとえば1労働日が10点(労働点数)、金額換算すると1元というぐあいで、農村部ではこの制度以外に個人商売などによる報酬獲得は認められてなかった(というより個人商売そのものが非合法)。

文化大革命期の人民公社では工分の決定方法は「底分活評」(労働者ひとりひとりの労働力、技術力をもとに基礎点を決め,一定期間の実際の労働量から評議を経て加点または減点する。ちなみに『評議』におおいに手心が加えられる余地があったことはいうまでもない)、「労働定額」(農作業を労働、技術,操作に従って分類、レベル分けしてノルマを出す)などのやり方があった。人民公社が解体され生産責任制度に移行するにつれ、工分制度は徐々に廃止されていった。

ちなみに中国で個人事業主が登録免許制で合法化されたのは1979年。登録者第一号は、服につけるボタンなどを露店で売っていた女性である。当時、生活のために非合法で露店商売をしていた者は少なくなかったという。

九、農業と工業の経営を結合し、都市と農村との対立をしだいに除くことを目指す。

都市住民と農村住民はさまざまな社会福祉制度や教育制度等で差別されてきたが、ここ数年になって格差解消のための政策が次々打ち出されている。もっとも画期的なのは『都市戸籍』『農村戸籍』の区別の撤廃。戸籍とはいわゆる住民登録だが、日本とはちがって自由に住民票を移動させることはできず、とくに北京や上海などの大都市の戸籍取得はほぼ海外移民なみの難易度。すべての教育や公共福祉は戸籍にひもづけられるため、たとえば農村出身の両親と子どもが都会に出稼ぎにきても、子どもは現地の小学校入学が認められないことがよくあった。戸籍における差別廃止政策の影響は小さくないが、対立解消は一朝一夕でうまくいくものではなく、今後に注目。

一〇、すべての児童の公共的無償教育。今日の形態における児童の工場労働の撤廃。教育と物質的生産との結合、等々、等々。

中国では俳優などごく一部を除いて児童労働禁止が徹底されている。公立学校での義務教育は無料だが、苛烈な受験競争に勝ち抜くために幼稚園のころから5つも6つも習いごとや学習塾をかけもちすることがごく一般的で、高額な私立学校やインターナショナルスクールも次々開校して人気を集めているため、実質的には教育費はうなぎのぼりで、教育格差は広まる一方である。2021年に中国政府は主要教科で営利目的の個別学習指導を全面的に禁止し、教育費高騰にブレーキをかけようとしているが、まだ効果がどれほどあるかは明らかでない。

 

〈おまけ〉

現代中国の主義思想基盤は習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想と呼ばれる。中国政府は習近平思想について公式学習資料をウェブ公開しており、学習指導要領にも組み込んでいる。全部で30講あるが、中国語がわからずとも、タイトルだけでもだいたいどんなものか想像できると思う。

三十讲