コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

<英語読書チャレンジ 3/100> Charles Dickens “Great Expectations”(邦題《大いなる遺産》)

思いつきで英語の本100冊読破にチャレンジ。ページ数100以上、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2023年3月末まで。

本書はノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。

Library of World Literature » Bokklubben

まずは簡単なあらすじを。

物語は主人公ピップが年老いたのち、若かりしころの出来事をふりかえり語る、いわゆる回顧録形式をとり、ピップの一人称ですすむ。

ピップは幼い頃に両親を亡くし、鍛冶屋に嫁いだ姉に引き取られる。姉は癇癪持ちで誰彼構わずつらくあたるが、義兄のジョーは優しく接してくれる。ピップもジョーと友情を育み、いずれジョーのもとで鍛冶屋見習いになると考えていた。

ある日ピップは、両親が眠る教会の墓地で足かせをはめた脱獄囚に会い、脅されて食糧品と足かせを切るためのやすりを盗み出して与えてしまう。脱獄囚はすぐに逮捕されたが、鍛冶屋から食糧品とやすりを盗んだのは自分だとピップをかばう。

数年後、ピップはひょんなことから金持ちのミス・ハヴィシャムの退屈凌ぎの話相手をさせられる。彼女の養女であるエステラという高慢で美しい少女にピップは恋してしまうが、下品で学がないと侮蔑される。自分が今置かれている環境を恥じる気持ちが芽生え、鍛冶屋見習いになりたくない、教養をつけて品の良い紳士(ジェントルマン)になりたい、とピップは願うようになる。

エステラとの出会いからさらに数年後。思いがけず、ピップに巨額の遺産(Great Expectations)がもたらされることがわかり、ピップは鍛冶屋見習いを中断し、紳士修行のためロンドンに向かう。ピップは遺産がミス・ハヴィシャムによるものであり、自分をいずれエステラの結婚相手にするためのものだと信じていたが、実はその遺産には、かつて教会の墓地で助けた脱獄囚が関係していたーー。

 

ピップと脱獄囚の関係、ピップのエステラへの恋慕が物語の両軸をなし、彼の運命を狂わせていく。

少年時代のピップが見聞きしたことや行動したことが物語の中心だけれど、語り手である年老いたピップ自身に必要以上の興奮と自己正当化はなく、醜悪なできごと、悲しいできごとであっても淡々と語り続け、すべてはもはや過去の出来事であり、振りかえることができるものだと語らずとも感じさせる。このあたり、同じく過去を振り返りながら自己正当化にまみれているカズオ・イシグロ日の名残り》とは対照的。

ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズの作者ヘレン・フィールディング女史が、古い時代のイギリス女性像としてミス・ハヴィシャムをあげているが、実際に読んでみればかなりの嫌味だとわかる(さすが嫌味と皮肉の本場イギリス)。結婚式当日に婚約者に裏切られるという強烈な体験から、男という男を心底憎んでいるミス・ハヴィシャムは、見た目も性根も魔女同然の存在として語られる。ピップがミス・ハヴィシャムに抱いた第一印象はこう。

In an arm-chair, with an elbow resting on the table and her head leaning on that hand, sat the strangest lady I have ever seen, or shall ever see.

She was dressed in rich materials—satins, and lace, and silks—all of white. Her shoes were white. And she had a long white veil dependent from her hair, and she had bridal flowers in her hair, but her hair was white. Some bright jewels sparkled on her neck and on her hands, and some other jewels lay sparkling on the table.

そう、私がそれまで見たこともなかったような、そしてこれから後も見ることのないような、不思議な女性が肘掛け椅子に座り、片方の肘をテーブルの上に乗せ、頭をその手で支えていた。

彼女はサテン、レース、シルクといった贅沢な素材を身にまとっていたーーすべてが真っ白だった。靴も白かった。長く白いヴェールが頭から垂れ下がり、花嫁がつける花を髪にあしらっていたが、髪の毛は白くなっていた。首と手には宝石がいくつかきらきらと輝いていた。化粧台の上にも別の宝石が輝いていた。

河出文庫版訳)

これには実在のモデル(路上生活者らしい)がいるというからなお驚き。

ディケンズの作品を読むのは初めてだけれど、人物造形が深く、文章に独特のリズムがあるように感じる。上の文にもあるが、意図的に "and...and..." と重ねながらすこしずつずらしていくことで、全体像を描き出すという手法をよく用いている。

"Lord" という単語が、しばしば祈り文句の中で「神様」の意味として使われるという豆知識を得るなど、おもしろい発見も多々あったけれど、全体的に(私がイギリス英語がそれほど得意でないこともあり)読みやすいとはいえず、しばしば邦訳の助けを借りなければ意味を取れなかった。

 

ピップの心理変化は微妙な襞までみごとに描写されているが、河出文庫版解説を読むかぎり、これは回顧録執筆時のピップが、実に深い自己洞察を重ね、若かりしころの失敗を醜悪な部分まで余さず思い起こし、思索と分析を重ねたためだと考えられる。

父親代わりのジョーの後を継いで鍛冶屋になり、気心知れた地元の娘ビディーと結婚すれば、ささやかな幸せを得られるだろう。そう考えながらもピップは高嶺の花のエステラへの恋慕を忘れることができず、ロンドンという大都会に行くチャンスに飛びつく。

手がとどかないとあきらめられれば、ピップが愚かな見果てぬ夢を見ることはなかったかもしれない。けれど彼自身が語るように、欲望に負け、愚かで浅ましく、恩知らずな真似をしでかしてしまうのはピップ自身である。

後味は決して良くないけれど、なぜか目を離すことができないのはきっと、ピップの悩みがどこか私自身のかつての悩みに共通するものがあるからだろう。都会に出るか故郷に残るか。結婚相手には洗練されているが高慢な都会人がいいか、地味ながら気立ての良い地元人がいいか。親(ピップの場合は他人だが)に押しつけられた進路に従うか、自分でこれだと思う道を往くか。若者が抱く葛藤はどの時代でもあまり変わらない。

ピップがある意味不幸だったのは、思いがけない遺産相続の話がころがりこんだことで、エステラに手がとどくかもしれないと夢見てしまったことだろう。脱獄囚と再会したあとの独白が、ピップの悲喜劇のすべてを物語る。

Miss Havisham’s intentions towards me, all a mere dream; Estella not designed for me; I only suffered in Satis House as a convenience, a sting for the greedy relations, a model with a mechanical heart to practise on when no other practice was at hand; those were the first smarts I had. But, sharpest and deepest pain of all—it was for the convict, guilty of I knew not what crimes, and liable to be taken out of those rooms where I sat thinking, and hanged at the Old Bailey door, that I had deserted Joe.

ミス・ハヴィシャムが私のために考えてくれていた計画など、ただの夢に過ぎなかった。エステラと私を結婚させる予定など存在しない。私はサティス・ハウスで欲深い親戚連中をチクチク刺す針として、都合よく利用されていただけだった。それが最初に感じた痛みだった。しかし、もっとも深刻で強烈な痛みは、囚人のためにジョーを見捨てたという意識だったーーそれも、どんな罪を犯したとも知れぬ囚人、おそらくは今私が考え事をしているこの部屋から引っ張り出されて、中央刑事裁判所のドアの前で縛り首にされるだろう囚人のために。

河出文庫版訳)