コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

<英語読書チャレンジ7/100> O. Donath “Regretting Motherhood: A Study”(邦題『母親になって後悔してる』)

思いつきで英語の本100冊読破にチャレンジ。ページ数100以上、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2023年3月末まで。

本書の邦訳は『母親になって後悔してる』というタイトル。原書タイトルの直訳も同じ。

Regretting Motherhood: A Study

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。「母親になったことを後悔する」ことを社会的側面から研究調査したもの。いわゆる母性神話に反対意見をとなえたものといえる。

 

本書の位置付け

本書は「母親」と「後悔」というふたつの言葉を結びつけ、「母親になったことを後悔する」ことがあるのか、もし「母親になったことを後悔する」のであればどのようなことが原因だと考えられるか、どのような改善が必要かを、女性たちへのインタビューを交えながら論述したもの。テーマが身近で、読みやすい入門書の位置付け。

母親になる大変さや不安感についての著述はちまたにあふれているけれど、率直に「母親の後悔」について語られたものはあまりない。そのことに著者は注目した。言葉で語られないものは認識されない。これまでほぼ語られなかった分野を叙述しようと試みたのが、本書の研究である。

 

本書で述べていること

まず著者が強調したのは【後悔】を「葛藤」「困難」などほかの感情と混同しないこと。【後悔】はある道を選んだけれどもそうでない道を選ぶこともできたはずという感情であり、【母親になったことを後悔する】ことは、母親にならないことを選ぶこともできたはずという想いをほのめかしている。だが実際にはさまざまな社会的圧力が存在し、女性が母親にならないことを選ぶのは難しい。【母親になった後悔】が抑圧され、否定され、語ることさえタブー視される真因はここにあるというのが著者の観点。

女性支援や福祉事業は数多かれど、そのほとんどが、貧困、差別、心身の病気、そういった障害を取りのぞけば女性はのびのびと子育てできるという暗黙の前提をもつ。しかし著者はここに慎重に踏みこむ。子育ては「役割」ではなく「人間関係の結びつき」と解釈するべきであり、客観的状況にかかわらず、人間関係を結ぶことを望む女性もいれば、そうでない女性もいる。

どのような環境にいても子どもをもつことそのものが我慢ならない女性は存在する、と、著者は母性神話を否定する。「役割」には理想像があるけれど、「人間関係」には利害、損得、好ききらいがある。もちろん後悔も。社会は女性が子育てを「人間関係」とみなすことにより利害や好ききらいを持ちこむのをひどく嫌うけれど、それは社会がそれだけ母親の無償の献身に依存してきたからであり、女性の主観的立場からいえば、子育てを「人間関係」とみなし、後悔を含むさまざまな感情を抱くのはおかしなことではなく、むしろ人間らしい営みである、というのが著者の結論である。

 

感想いろいろ

非常にセンシティブなテーマなこともあり、著者はかなり慎重に議論をすすめている。それでも、本書は発表されるやドイツで一大論争になったという。

「母親になると後悔するのか」…ドイツで一大論争に 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

以前著者が同じテーマの記事を学術雑誌に発表したところ、すさまじいバッシングを受け、殺害予告じみたコメントまで寄せられたという。母親になったことを後悔した女性がいることを「信じられない」と批判され、一握りのモラルに欠けた女性がそう言っているだけだと片付けられ、なぜ彼女たちはそう感じるのかを考えようともしない。社会規範は母性愛のみならずその表現方法まできびしく規定しており、期待された母性愛表現からはずれれば、モラルに欠けると決めつけられる。

その思考停止状態に一石を投じるために、著者は本を書いた。

 

本書には "social norms" という言葉がよく登場する。いわゆる社会規範である。ある年齢になれば学校に行き、卒業すれば就職、結婚、子どもをもつ。親や友人との会話、メディアで流れるニュース、ドラマや本などのエンタメの暗黙の前提となるのが社会規範であり、繰返し聞かされるうちに「社会規範に従えば人生はうまくいく」と考えるようになる。

これに加えて "feeling rules" という言葉がある。ある状況で抱くべき/抱くべきでない感情についての規範を意味する言葉で、たとえば母親は子どもに無条件の愛情を抱くものというのが具体例。これに背く感情はなかなか言葉にしづらい。激しい批判の的になりかねないためである。

そういう状態で女性が子どもをもつことにしたところで、はたしてそれは女性の自由意思による選択なのか? 社会規範に従うことで安定感を得たい、まわりからの肯定がほしい、社会規範に背くデメリット(欠陥品扱いされたり変人扱いされるなど)を負いたくないだけではないか? たとえなんの障害もなくても、女性は母親になることを無条件で良しとするわけではないのが真実では?

本書は鋭い問題提起をしている。

この点は世の女性たちの心の琴線にふれ、最近の心理学でも徐々に母性神話が否定されてきている。しかし誤解してほしくないのは、著者は女性に「子育ては後悔するものなのよ!」とあおりたてているわけではない点。著者は、母親になることにはさまざまな意見があってしかるべきであり、すべての女性は母性をもち母親になりたがると決めつけられるものではない、と述べているにすぎない。

 

残念なのは、女性がなんの外的圧力も社会規範のスポイルも受けずに、自由意志で子どもをもつか決めるのはほぼ不可能であること。人間社会に生きる以上、なんらかの社会規範はかならず共有されるものだし、人間社会を持続させるための出産はかならず推奨される。たとえ女性が出産子育てを無条件でよしとしないものであっても、個人の抵抗にとどまり、社会制度が変わるみこみはほぼないだろう。

もう一つ残念なのは、著者のフィールドワーク対象国に中国が含まれておらず、中国文献にくわしい人が著者のそばにいないと思われること。本書に登場する母親たちは、あるいは口ごもり、あるいは何度もおなじことを繰り返し、社会から加えられてきた圧力をなんとか言葉にしようと四苦八苦してきたけれど、近代以前の中国はまさに【社会規範としての女性のあるべき姿】を文章化、体系化したものをもっていた。有名どころは《後漢書》の《女誡》あたりだろう。文化圏がちがうからそのままあてはめることはできないにせよ、これを読むことができていたら、自分たちを苦しめていたものがなにか、母親たちは理解でき、反抗あるいは従順を考えるためのヒントになったことだろう。