コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

<英語読書チャレンジ 13 / 365> C.S.Lewis “The Lion, the Witch and the Wardrobe”(邦題《ナルニア国物語1 ライオンと魔女》)

思いつきで英語の本365冊読破にチャレンジ。ページ数100以上、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2025年3月20日
本書は映画化された大人気ファンタジーシリーズ《ナルニア国物語》の第1作《ライオンと魔女》。子ども向けであるから英語は非常に読みやすく、英語多読にはもってこい。ストーリーは起承転結がはっきりしていて、樹木の精や水の精、ドワーフや魔女など、おとぎ話に出てくる存在が大活躍しており、大人が読んでも子どものようにわくわくさせてくれる。

第二次世界大戦中の英国。ロンドンを離れ、田舎の教授の家に兄妹だけで疎開してきたピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーの四兄妹が主人公。広大な古屋敷でかくれんぼをしている最中、ルーシーはある空き部屋に巨大な衣装ダンスがあるのを見つける。その奥にはなんと雪に包まれたナルニア国の森が広がっていた。

ルーシーはナルニア国の住人である "Tumnus the Faun" ーー半人半羊のフォーン種族ーーにお茶をごちそうになるが、タムナスは急に泣きだし、自分が白い魔女に命じられ、"Sons of Adam" や "Daughters of Eve" (直訳すれば「アダムの息子」「イヴの娘」、いわゆる人間の子)を見つけたら連れてくるように言いつけられていること、白い魔女こそがナルニア国を永遠の冬に閉じこめた張本人であることを告白する。心優しいタムナスに見逃されてルーシーはもといた世界に戻るが、衣装ダンスの裏の通路はいつのまにか消えた。兄姉たちはルーシーの話を信じてくれず、とくにエドマンドはルーシーをあからさまに馬鹿にして嘲る。

しかしある日、エドマンドもまた衣装ダンスの裏からナルニア国の冬の森に入りこんだ。エドマンドの目の前に、冷たい表情を浮かべた、女王と名乗る白衣の女が現れる。女王はエドマンドに美味しい "Turkish Delight" (ロクムと呼ばれるゆべしに似たトルコ菓子)をごちそうし、甘い言葉で、エドマンドの兄姉や妹をナルニア国に連れてくれば、もっとたくさんのお菓子をあげる、ゆくゆくはエドマンドを王様にしてあげるとささやくーー。

 

Wikipediaによると本シリーズは「キリスト教弁証家であるC・S・ルイスが子供に向けてキリスト教の基礎を専門用語を使わずに書いた小説」であるとのことだが、児童文学としてもとても面白い。

思いやり深くうそをつかないルーシーと、うそつきでいじわるなエドマンドは対照的である。キリスト教ではうそをつくことは罪であり、子どものころからうそをつかないよう厳しくしつけられる。この意味でルーシーの名誉を傷つけるようなうそをつき、食い意地が張り、欲深いエドマンドは「悪い子」にちがいなく、作中でも"Treacherous."ーー「信用ならない者」と呼ばれる(〈暴食〉も〈強欲〉もキリスト教七つの大罪に含まれる)。しかしエドマンドは1歳下の妹に兄貴風を吹かせたい、口うるさい兄姉を見返してやりたいという子どもらしい反逆心を抱いているだけで、根は決して悪い子ではない。
自然情景もとてもすばらしい。キツネやリス、ビーバーやコマドリはイギリスの子どもたちになじみ深く、キンポウゲやサクラソウが揺れる草原は春を思い起こさせる。最年長のピーターが「コマドリっていうのは、ほら、どんなお話でも、いつだっていい鳥だよ。コマドリが悪いほうの味方ってことはないよ。」と訳知り顔で言うように、動物ごとのイメージも物語に生きている(ちなみに白い魔女の手下はオオカミである)。

私がなによりすばらしいと思うのは、屋敷の主人である教授が、ルーシーはおかしくなったのではないかと相談に来るピーターとスーザンを諭す場面。その諭し方は二人を子どもとしてではなく、大人になろうとしている少年少女として向き合う。

"Logic!" said the Professor half to himself. "Why don't they teach logic at these schools? There are only three possibilities. Either your sister is telling lies, or she is mad, or she is telling the truth. You know she doesn't tell lies and it is obvious that she is not mad. For the moment then and unless any further evidence turns up, we must assume that she is telling the truth."

「論理だよ!」教授は、なかばひとりごとのようにおっしゃった。「最近の学校じゃどうして論理を教えんのだろうかね? 可能性は三つしかない。妹さんがうそをついているか、おかしくなったか、本当のことを言っているか、だ。妹さんがうそを言わないことは、きみたちが知っており、頭がちゃんとしていることは明らかだ。ということは、なにかほかの証拠が出てこないかぎり、本当のことを言っていると考えざるをえない。」

(角川文庫訳)

子どもの空想めいたおとぎ話(この場合は空想ではないわけだが)をくだらないと一蹴せずに聞いてくれる大人がいかに少ないことか! いまのところこの物語で一番好きなのは教授かもしれない。