コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】小川一水《天冥の標》シリーズ

SFはあまり読まないのだけれど、ブログ「基本読書」の中の人が全身全霊でおすすめしていたから興味をもち、《天冥の標》シリーズを読んでみた。

生まれてきたこと、この本に出会うに至る人生の軌跡、その全てに感謝を捧げるレベルの傑作──《天冥の標》 - 基本読書

一言でいえば僕はこのシリーズを読んで生まれてきたことに感謝し、それどころか、生まれてからこの作品に出会うまでのすべての軌跡に感謝した。辛いことも苦しいことも多くあったが、天冥の標という作品に出会えたことはそのすべてを帳消しにするのにふさわしい。

予備知識なし、ネタバレ遮断、のんびり気が向いたときにすこしずつ読み進める、ときどき立ち止まりいろいろ考えてみる、というふうに読みながら、「基本読書」の中の人にここまで言わせる心の揺さぶりを感じるだろうか? という楽しみを抱くのはとても心地良い。

 

《第1部「メニー・メニー・シープ」読後感想》

な、ん、じゃこりゃあああ!!!

読後絶叫した(心の中で。近所迷惑だから)。

第2作以降でなぜこういう世界になったのか過去に遡り説明してくれるのよね?と、今すぐ全部放り出して第2部を読み始めたい。それくらい衝撃的なラスト。(あの人は死んじゃったかなぁ……生きていてほしいなぁ……でもあれじゃ助からないかなぁ……)と頭の中でグルグルグルグル廻る。

あらすじをまとめると、舞台は2800年代、人類は恒星間飛行を実現する科学力を手に入れ、さまざまな惑星に宇宙船を飛ばして植民地化しようと試みていた。しかし、惑星ハーブCでは、宇宙船〈シェパード号〉墜落のトラブルにより、高度技術設備の再生産が不可能になる。人々は数百年間、壊れていないものを大事に使いながら、羊を飼い、比較的不便ながらなんとか暮らしてきていた。

拡散時代とは、人類がまだ恒星間宇宙船を建造していた時代のことだ。しかしこの説明はやや不正確で、正しく言えば人類は今でもまだ恒星間宇宙船を建造している。ただ、植民地メニー・メニー・シープは不幸な事故と領主の施政により、そこから脱落してしまった。

植民地にも、たとえばこのフェオドールのように高度技術の産物は残っているが、それはあくまでも遺物でしかなく、その構造を理解したり、ましてや再生産することには成功していない。植民地で自作された最も高度な機械は、隣の部屋にあるレントゲン装置ぐらいのものだ。

植民星全体の電力供給をまかなう発電機は〈シェパード号〉にのみあり、〈シェパード号〉の甲板長の後継者である領主が電力配給の全権をもっていたが、当代の領主ユレイン3世はなんのつもりか厳しく電力供給制限を行う。人々の不満は高まり、反骨精神豊かで戦闘能力が高い〈海の一統〉アウレーリア家の次期当主、アクリラ・アウレーリアとその友人セアキ・カドムを中心とするさまざまな人々が、それぞれの思惑を絡ませつつ、ついに立ちあがろうとするーー。

始まりにしてひとつの到達点の物語。これから先どうなるかを知りたい、と、どうしてこういうことになったのかを知りたい、という読後感がせめぎあい、すぐにでも続きを読まずにはいられなくなる。

 

《第2部「救世群」読後感想》

第2作からは、過去に遡り、なぜ第1作はああいう世界になったのかがひもとかれる。

舞台は21世紀初頭。パラオのあるリゾート地で異常なウイルス感染症が広がる。麻疹並みの感染力、90%を越える致死率、回復しても感染力は保ち続けるという絶望的な感染症である。回復患者は目のまわりに両掌を押しつけられたような特徴的な斑紋があらわれるため、判別は容易である。感染症専門医である児玉圭吾と同僚の華奈子らは、患者を救おうと必死にかけずりまわるが、患者、とくに回復者に対する世間的迫害がどんどんひどくなるーー。

第1作よりわかりやすいし、コロナ禍もあり作中の出来事がイメージしやすい。第1作で出てきた名前が登場してニヤニヤする楽しみもある。回復者第一号であり、さまざまな絶望的体験の果てについに闇堕ちした千茅ちゃんは、なんとなく漫画「絶園のテンペスト」の登場人物を思わせる。

作中、なぜこの感染症が〈冥王斑〉と名付けられたか明らかになる場面がある。治療中の誤穿刺により発症を覚悟したアクランド医師の言葉だ。

「医業の道なかばにして倒れることを、心底無念に思う。しかし、賢明で果敢な同志たちの見守る中でこのような運命が私に訪れたことには、大きな喜びを覚える。冥王の裳裾に触れた者が、いかなる過程を経てその腕に抱かれていくのかを、私は我々の言葉で語ることができるだろう。その秘密が遠からぬ未来に暴かれ、人類の大切な財産としてすべての人々に共有されることを、私は信じる」

この言葉には感激に震える。みずからの死に意味を持たせてくれと訴え、志を同じくする医療従事者たちに後を託す。見事なり。

 

《第3部「アウレーリア一統」読後感想》

物語超序盤にドロテア・カルマハラップ少将が登場する時点で、ある程度話の落ちつく先が見えて安心できる親切設計。

サブタイトルから、主人公はアウレーリア家のアダムスとその一族、第1部に登場したアクリラ・アウレーリアの遡ること500年位前のご先祖さまではあるのだけれど、私はセアキ家(もちろんセアキ・カドムのご先祖である)とアウレーリア家が結ぶ縁のはじまりの物語として読んだ。

第2作での〈冥王斑〉生存患者たち、通称〈救世群〉のその後も知ることができる。まあこうなるしかないというある意味予想通り、しかし救いのない現状に暗澹とした気分になる。作中、〈救世群〉の一人であるグレアが悪意剥き出しでアダムスを嘲笑う場面は鳥肌がたつ。怨嗟と差別の中に生きる彼らにいつか救いがもたらされることを願わずにはいられない。

「誰が」

ずい、とアダムスのそばに影が立ち上がった。覆いかぶさる。底抜けの悪意を持つ見知らぬ魔物のように、視界を塞いで顔を寄せる。切れ長の細い二つの隙間に白い目が光っている。

「やめるか。こんなに気味のいいこと」

アダムスはシーツを蹴って後ずさろうとする。相手は心から嬉しそうに涼しげな笑いを漏らす。

「それが私の境地。救世群の境地。囲まれて奪われて突き落とされ叩かれる。苦しくて、痛くて、息もできないでしょう。どうして自分がそんな目に遭うのかって、呪わしいでしょう。人も神も何もかも遠ざけたくなるでしょう。――あなたがわかるわ、とてもよくわかる。生まれてきた新しい赤ん坊を見るような気持ちよ。ようこそアダムス、愛しいわ。今までで一番あなたを近くに感じる」

 

《第4部「機械じかけの子息たち」読後感想》

食と性は人間の二大本性だというけれど、第4部は性のお話。人間そのもののような身体と、人間に奉仕する精神を与えられた生体アンドロイド〈恋人たち〉は、第1部でも抜群の存在感を放っていたけれど、彼らの誕生、生業、目指す先を語る。

〈恋人たち〉の本業はようするに人間たちを性的に満足させることにあるため、第4部はいわゆるお色気場面満載。生殖不可能、人間なら致命傷になるような損傷でも修復可能な生体アンドロイド相手にはどんな制約も必要なく、〈恋人たち〉の本拠地である〈ハニカム〉を訪れるゲストたちは性的嗜好をとことん満足させる。

その中でも、複雑な事情をもち〈ハニカム〉に足を踏み入れたキリアンという少年が主人公だ。至高の性体験を求めるなどという、どこの中学生だみたいなものがキリアンの目的だとされるけれど、その真意は〈恋人たち〉の存在意義そのものを問うところにあり、後半になるにつれてなかなか哲学めいた展開になる。

ちなみに私は物語終盤、ある宇宙船が名前だけ登場する場面が、この第4部最高の盛り上がりどころだと信じて疑わない。あれはそうだったのか!!!!!と、ものすごく気持ちいい答え合わせになることうけあい。

 

《第5部「羊と猿と百掬の銀河」読後感想》

食と性は人間の二大本性だというけれど、第5部は食のお話。タイトルの「羊」「猿」にそれぞれある予感を抱きつつ、一宇宙農家のあれこれを農業エッセイよろしく楽しく読んだ。感想終わり。

……だったらよかったけど、そうはいかない仕掛けが用意されているのが《天冥の標》である。

この巻で初めて、重要なキーワードである〈被展開体〉の解説が入る。ようするに自分自身では増殖できないウイルスのようなものだけれど、意識そのものとして生物無生物問わずにとりついて繁殖できる、存在というよりも現象に近い、意識、情報(信号群?)としてのなにかといおうか。

この〈被展開体〉を軸に、話のスケールはいきなり宇宙規模まですっ飛ぶ。宇宙にはさまざまな超銀河団があり、超銀河団を構成するそれぞれの銀河があり、銀河には恒星間移動を果たす種族が登場することが語られる。そこまで大風呂敷を広げたうえで、しれっとわれわれの銀河、われわれの太陽系、われわれの小惑星帯に生きるわれわれの種族、その一農民とその娘に話を戻す。

後半の展開は胸糞物だが、いやなあ……これ、わが地球の人類史で実際にあったできごとを参照しているよなどう見ても……と、おそらく世界史をちょっとでもかじれば聞いたことがあるであろう超有名例に思いを馳せて遠い目になった。

ちなみにこの巻を読む前は「なかなか奇想天外で面白いSF小説だなー」というのが《天冥の標》シリーズの評価であったけれど、後半とある事件が立て続けに起き始め、いろいろなことが明らかになってからは「全人類!!読め!!」と全力推薦するレベルになった。アニー最高すぎる。

 

《第6部「宿怨」読後感想》
……感想を書けないほどの衝撃、衝撃、衝撃の連続。基本設定から結末にいたるまでジブリの某作品を思い起こさせずにはいられない(キーは真逆だが)。さりげなくシリーズ名《天冥の標》をタイトルに冠する章がでてくる。本作全体の核心である。

ちなみに《天冥の標》シリーズの名台詞として「私はあなたたちを愛しています」をあげるブロガーがいたが、登場するのはこの巻。戦慄。

 

《第7部「新世界ハーブC」読後感想》

第6作以上の衝撃は当分訪れないと思っていたのに、それを軽々と上回る衝撃、衝撃、絶望。限りない絶望感の中、真の現状が明かされる。

ようやく戻る。なぜ第1作『メニー・メニー・シープ』の世界ができたのか、その成り立ち、支配者層以外の人々からは失われていた真の歴史へと。

 

《第8部「ジャイアント・アーク」読後感想》

無理だろここまでの大風呂敷どう折り畳むんだよ。

というのが最初の数頁で浮かんだ感想。

あの人何時まで味方ごっこしてんの?

途中からはこの感想も加わる。

今作は第1作『メニー・メニー・シープ』がもう一人の視点から語られる。いわばフリップサイド。謎解き編。そして読者はついに本作全体を貫く問いかけの入口に立つ。

ここまでには数限りない布石が慎重に打たれてきた。作中に登場するさまざまな改造人間、アンドロイド、冥王斑生存者、宇宙飛来者と彼らの在り方を通して【人間とはなにか】という壮大な問いかけがすでに姿を見せつつある。それも太陽系を越え、銀河すら越えた、宇宙の一種族として。

しかしそれにさらに大きな問いかけが重なる。

【対立する者たちの共存はありや、なしや?】

【種族はどのように宇宙に向き合うべきか?】

シリーズ名そのものの意味は、『宿怨』ですでに明らかになった。

〈冥〉はいうまでもなく【冥王】ーー地底、暗闇、ローマ神話ではプルートと呼ばれる死者の国の王、その名を冠する冥王斑ウイルス保持者たちやその元凶である「たちの悪い雑草」。〈天〉とは〈冥〉の対立面に立つ者たち、この者たちがどういうものかは【人間とはなにか】という問いに答えられなければ説明できず、まだ答えがでない。対立する〈天〉と〈冥〉ーーその共存を探る者こそが〈標〉。

ここまできたらもはや徹夜本、一気読み以外ありえない。

 

《第9部「ヒトであるヒトとないヒトと」及び第10部「青葉よ、豊かなれ」読後感想》

終わりが近づくにつれて、終わってしまうのがもったいないという気持ちが芽生えた。もっともっとこの世界に浸りたい。カドムやイサリやアクリラ(彼の行く先は意外すぎたけどまあ一度死んだようなものだし……と自分を納得させる)の生き様を見たい。そう思いながら読み切った。

小さくは個人、大きくは宇宙。どのように生き、栄え、繁殖するのが良いか。どのように隣人と共存するか。とほうもないテーマを抱えながら、それぞれのーー過去生きた者もこれから生きる者もーー答えを示し、ぶつけあい、考える。

「立ち止まるな。押し潰されるな。生きられる場所を見つけて生きていけ。あんたたちが消えていい理由は何もない」

「生まれてから何も失ったことのない者が、何かを欲すると思いますか? 悲しみを覚えたことのない者が、喜びということがわかっていると思いますか?……」

来し方行く末をうたう宇宙叙事詩を通して、君たちはどう生きるか?と問いかけられているようにも感じる。この作品を読めたことに感謝を、己の生きる様をさぐる思考を止めないことに信念を。