コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

真の読者にはとどかない寓話〜ジョージ・オーウェル《動物牧場》

 

 

中篇《動物農場

本作は《1984》の著者ジョージ・オーウェルのもうひとつの代表作。《1984》の読書感想はこちら。

身震いするほどの不快感〜ジョージ・オーウェル《1984》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

あらすじを簡単に。

ジョーンズ氏の荘園農場で動物たちの反乱が起き、ジョーンズ氏をはじめとする人間たちが追い出され、動物たちのうちもっともかしこい豚をリーダーとする動物による自治が確立された。動物たちは、すべての動物を人間の支配から解放するために戦うことを誓い、〈七戒〉が制定されたーー

 一、いやしくも二本の脚で歩くものは、すべて敵である。

二、いやしくも四本の脚で歩くもの、もしくは翼をもっているものは、すべて味方である。

三、およそ動物たるものは、衣服を身につけないこと。

四、およそ動物たるものは、ベッドで眠らないこと。

五、およそ動物たるものは、酒をのまないこと。

六、およそ動物たるものは、他の動物を殺害しないこと。

七、すべての動物は平等である。

しかし、2頭の豚、スノーボールとナポレオンが文字を覚え、動物農場経営方針をめぐって意見対立をはじめ、雲行きが怪しくなる。やがてナポレオンが私設警備隊として育てた犬をけしかけてスノーボールを追放し、ナポレオンの独裁天下となる。

文字を満足に読めない動物たちはナポレオンとその代弁者スクィーラーにいいように言いくるめられ、スノーボールは反逆者に仕立てあげられ、みずからが記憶する事実とスクィーラーが吹聴する内容に食い違いが生じても、記憶違いだという気がすれば黙るしかない。豚は特権階級となり、〈七戒〉は次々に破られてはこっそり書き換えられ、ついにある日動物たちは、二本足で立つ豚を目撃するーー。

 

動物農場》が《1984》と同じく、全体主義国家の醜悪さを見せつけるものであることはもはや繰り返すまでもない。この小説は動物たちを主人公にしているからまだどうにか読み進められたものの、もし人間を主人公にしていたら、その醜悪さと読後感の悪さは《1984》に勝るとも劣らなかったかもしれない。もちろん動物たちは人間を暗喩したもので、結局は人間社会を痛烈に批判していることに変わりはないのだが。

もっとも醜悪なのは人間の真似をしてどんどん堕落していく豚たちであることにちがいないが、そもそも最初に豚のメージャー爺さんが提唱した〈七戒〉のもととなった思想そのものが、現実を見ない夢想家のそれであった。四本足はすべて味方だの、ほかの動物を殺害しないだの、すべての動物は平等だの、農場でのみかろうじて成り立つーーもちろんメージャー爺さんは産まれてから死ぬまで農場の暮らししか知らないのだーー、食物連鎖無視の頭でっかちな理論でしかない。(実際、作中には肉食動物はほとんど登場しない)メージャー爺さんの夢想家の理論が、文字を覚え、特権を覚え、享楽を覚えた豚たちに都合よく歪められ、豚たちがやがて人間同様にふるまうようになっていくさまはまさに圧巻。ちなみにメージャー爺さんのモデルになったのはレーニンだといわれる。

本書の最後に開高健氏の解説があるが、本作について素晴らしいまとめがあるので引用。

この作品は左であれ、右であれを問うことなく、ある現実にたいする痛烈な証言であり、予言である。コミュニズムであれ、ナチズムであれ、民族主義であれ、さては宗教革命であれ、いっさいの革命、または理想、または信仰のたどる命運の、その本質についての、悲惨で透明な凝視である。理想は追求されねばならず、追求されるだろうが、反対物を排除した瞬間から、着実に、確実に、潮のように避けようなく変質がはじまる。

 

短篇《象を射つ》《絞首刑》

いずれも植民地時代のビルマを舞台とした短篇。《象を射つ》は、ビルマに派遣されたイギリス人警官が、さかりのついた象が逃げ出した報告を受け、その象を射殺する物語。《絞首刑》はタイトルそのままで、ある朝、ヒンズー人死刑囚を処刑する場面を描いた物語。

《象を射つ》では、主人公(一人称で名前は明かされていない)のイギリス人警官は、ヨーロッパ人を憎みながら反乱を起こすほどでもない現地人の「ガス抜き」のいたずらを日々堪え忍び、気が進まないながら象を射ったのも、背後についてくる群衆のプレッシャーのせいだ、支配階級であるはずの自分は、支配されているはずの人々に、ある意味では行動を強いられたのだ、と独白する。

それは心底本音だったのだろう。どれほどいい顔をしても現地人は「白人」と親しくつきあうなどということはありえないのだし、現地では自分たちが圧倒的多数を占めているのだから。主人公の警官の方も、心の中では現地人のことを同等だと考えていない。

《絞首刑》は逆に、絞首刑にともに立ち会ったことで、ヨーロッパ人看守と現地人の間に奇妙な親しさがつかのま生じる物語。《象を射つ》の主人公と同一人物かどうかはわからないけれど、短いながらも奇妙に味わいのある短篇。