コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

[テーマ読書](未完 22 / 100)世界最高の文学100冊を読んでみた

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)というものがあることを知り、全作読んでみることにした。

Library of World Literature » Bokklubben

目標は2030年までに全作読破。英語原著はできるだけ原文で読みたいけれど英語以外でも可。ルールはこれだけ。さらにせっかく読むのだから、読む前と読んだあとで自分の思考がどう変わったかをメモしておくと最高。

以下、選出された100タイトル。「ドン・キホーテ」が最高傑作であることを除けばとくに順番は定めていないらしいので、ウェブサイトで公開された順番そのまま。メモがないものは未読。

 

Chinua Achebe (b. 1930)
Things Fall Apart (Nigeria)(邦題《崩れゆく絆》)

ブログ記事参照。わたしたちが生まれ育ち、あたりまえだと信じている地域社会のありかたが、いかに簡単に崩れゆくか、なぜ崩れゆくか、植民地化前後のナイジェリアでの出来事を通して、考えさせずにはいられない傑作。わたしたちのやり方を、ほかの社会との相対的視点から見る必要があることを、いつでも思い起こさせてくれる名著。
ナイジェリアとイギリスの価値観が出会うとき〜チアヌ・アチェべ《崩れゆく絆》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Hans Christian Andersen (1805-1875)
Fairy Tales and Stories (Denmark)(邦題《アンデルセン童話集》)

子供の頃、最初に買ってもらったシリーズものがアンデルセン童話全集。全16冊。有名な人魚姫などの物語は1冊目にまとめてあったため、1冊目だけよく読んでボロボロになった。2冊目以降は大人向けの話が増えてきて、『雪の女王』『パンを踏んだ娘』『世界一の美しいバラの花』『食料品屋の小人の妖精』は何度も読み返した。子供の頃は意味がよくわからなかった。けれどいまならわかる。ある程度人生経験を積んでからわかるようになるのが、アンデルセン童話の魅力だと思う。

 

Jane Austen (1775-1817)
Pride and Prejudice (England) (邦題《高慢と偏見》)

ジェーン・オースティンの傑作恋愛小説。学生時代に読んだときには、娘たちに金持ちの夫をあてがってやろうと目の色変える主人公エリザベスの母親のあさましさにドン引きしたが、主人公一家が所属するジェントリ階級の女性は働くことができず、ほとんど財産も相続できず、裕福な男性に嫁がなければ生活が立ちゆかなくなる時代背景を知るにつれ、逆に資産家であるダーシーを拒むエリザベスこそがある意味変人だったのかもしれないと考えるようになった。頭の回転が速く、はっきりと物を言い、己の間違いから目をそむけないエリザベスは、わたしが想像する「いい女」のイメージにかなり影響を与えている。

 

Honoré de Balzac (1799-1850)
Old Goriot (France)(邦題《ゴリオ爺さん》)

初読時は主人公である没落貴族の末裔ラスティニャックが、ゴリオ爺さんの娘のひとり、ニュシンゲン夫人にあからさまに取り入るさまにドン引きした。しかし、当時のパリでは貴婦人たちがお気に入りの若者ーー美貌で聡明、野心あふれる者達ーーを恋人扱いし、見返りに出世を支援することがよくあったと知り、カルチャーショックを受けた。病死したゴリオ爺さんの墓前でラスティニャックが「成り上がってやる、勝負だ」などと独白したその足で、ニュシンゲン夫人との晩餐会に出かけるというラストシーンがなんとも気味悪く、貧乏で才気煥発な若者が、父親を金蔓としか思わず、金が尽きれば病死するにまかせるような女におべっかを使わなければ出世できない皮肉が忘れられなかった。社会の現実というものを考えるいいきっかけになったと思う。

 

Samuel Beckett (1906-1989)
Trilogy: Molloy, Malone Dies, The Unnamable (Ireland)

 

Giovanni Boccaccio (1313-1375)
Decameron (Italy)

 

Jorge Luis Borges (1899-1986)
Collected Fictions (Argentina)

 

Emily Brontë (1818-1848)
Wuthering Heights (England) (邦題《嵐が丘》)

エミリー・ブロンテの《嵐が丘》は英国文学史上最高傑作だと名高いけれど、初読時は異様にねちっこい性格の主人公ヒースクリフも、彼が執着する(あれを愛情とは思えなかった)キャサリンも狂気じみているとしか思えなかった。姉のシャーロット・ブロンテの名著《ジェイン・エア》初読時も、自分を世話する大人にいい顔すれば食べものをもらえるのにそうせず、変なプライドで意地張っているようにしか見えないジェインが好きになれなかった。ブロンテ姉妹の作品は、わたしにとって、喉に刺さった小骨のように不快感を残すけれど、なぜか忘れられない。ジェインやキャサリンのようになりたくないという意味で、思考に影響しているとは思う。

 

Albert Camus (1913-1960)
The Stranger (France)

 

Paul Celan (1920-1970)
Poems (Romania/France)

 

Louis-Ferdinand Céline (1894-1961)
Journey to the End of the Night (France)

 

Miguel de Cervantes Saavedra (1547-1616)
Don Quixote (Spain)

 

Geoffrey Chaucer (1340-1400)
Canterbury Tales (England)

 

Joseph Conrad (1857-1924)
Nostromo (England)

 

Dante Alighieri (1265-1321)
The Divine Comedy (Italy)

 

Charles Dickens (1812-1870)
Great Expectations (England)

 

Denis Diderot (1713-1784)
Jacques the Fatalist and His Master (France)

 

Alfred Döblin (1878-1957)
Berlin Alexanderplatz (Germany)

 

Fyodor M. Dostoyevsky (1821-1881)
Crime and Punishment (Russia) 

The Idiot (Russia)

The Possesed (Russia)

The Brothers Karamazov (Russia) (邦題《カラマーゾフの兄弟》)

ブログ記事参照。物語の主軸はフョードル・カラマーゾフ殺害事件と容疑者ドミートリー・カラマーゾフの心理過程だけれど、わたしとしては、彼の弟イワン・カラマーゾフが創作した物語詩〈大審問官〉が最重要課題。

【おすすめ】読まずに死ねない〜ドストエフスキー《カラマーゾフの兄弟》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

George Eliot (1819-1880)
Middlemarch (England)

 

Ralph Ellison (1914-1994)
Invisible Man (USA)

 

Euripides(ca. 480-406 BC)
Medea (Greece)(邦題《メディア》)

中野京子著「怖い絵」シリーズでメディアの絵が紹介されたことをきっかけに知った。夫であるイアーソーンに裏切られたメディアが、滾る怒りのままにイアーソーンが結婚しようとしていた王女とその父親である国王を焼き殺し、さらにイアーソーンとの間にもうけた子供二人までみずからの手で殺して、駆けつけたイアーソーンを「おまえのせいだ!」と痛罵して去る、という物語は、いざとなればここまでする女の怖さを凝縮して顔面めがけてたたきつけられるようで、鳥肌が立った。

 

William Faulkner (1897-1962)
Absalom, Absalom! (USA)
 
The Sound and the Fury  (USA)

 

Gustave Flaubert (1821-1880)
Madame Bovary (France)

A sentimental Education (France)

 

Federico García Lorca (1898-1936)
Gypsy Ballads (Spain)

 

Gabriel García Márquez (b. 1928)
One Hundred Years of Solitude (Colombia)(邦題《百年の孤独》)

ブログ記事参照。要約できないと感じた作品はこれが初めて。七代100年にわたるある家族の一代記が、現実と幻実を入り混ぜながら書かれていく。この作品をきっかけにコロンビアの近現代史やおとぎ話に興味をもった。

要約はできない。全文読むべし《百年の孤独》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Love in the Time of Cholera (Colombia)

 

Gilgamesh (ca. 1800 BC)
Mesopotamia

 

Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832)
Faust (Germany) (邦題《ファウスト》)

ブログ記事参照。初読時はグレートヒェンを妊娠させて不幸のどん底に落としておきながらのうのうと魔女の夜会に参加するファウストのことを最低野郎だと思っていたが、彼が選んだ「時よ止まれ、お前は美しい」という場面があまりに衝撃的で、ファウストが生きることをどう思っていたのか考えずにはいられなかったが、わたしにはまだわからない。

ゲーテ《ファウスト 第1部》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

ゲーテ《ファウスト 第2部》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

Nikolaj Gogol (1809-1852)
Dead Souls (Russia)

 

Günter Grass (b. 1927)
The Tin Drum (Germany)

 

João Guimarães Rosa (1880-1967)
The Devil to Pay in the Backlands (Brasil)

 

Knut Hamsun (1859-1952)
Hunger (Norway)

 

Ernest Hemingway (1899-1961)
The Old Man and the Sea (USA)(邦題《老人と海》)

老漁師の目に映る海の描写がすばらしくて、海に近いところで生まれ育った思い出がよみがえって泣きそうになる。貧困にあえぐ老漁師はある日、これまでにないほど大きい、漁船よりもまだ体長があるカジキに餌を食わせることに成功するが、なお体力衰えないカジキを相手に、老漁師の孤独な闘いが始まる。少年は涙を流し、疲労の極致にいたった老漁師は眠る。人は自然の摂理のなかにあり、老いること、力弱ること、奮いたつこともまた自然の摂理であるということを思い出させ、恐れることではないという気持ちにさせてくれる作品。

Homer (ca. 700 BC)
The Iliad (Greece)(邦題《イーリアス》)

大学時代にひまをもてあまして図書館で読んだ。トロイア戦争終盤、ある事件をきっかけにギリシャ勢の勇士アキレウス(アキレス腱の語源)と総大将アガメムノーンが喧嘩し、アキレウスが戦場放棄してテントにこもってしまうという、3000年近く前に書かれたとは思えないほど人間臭く共感しやすい物語。ギリシアの神々が各陣営にわかれて人間の戦争に肩入れするのが面白い。アガメムノーンとアキレウスの喧嘩場面は現代にもそのままありそうで、何千年経過しても人間変わらねーなーと心底思ったことを覚えている。


The Odyssey (Greece)(邦題《オデュッセイア》)

子どもの頃、児童向け文学全集で読んだ。オデュッセウスが航海中、部下6人を怪物に食わせるか、船ごと破壊されるかという残酷な二択を迫られ、嘆きながらも部下6人の犠牲を選んだところ。ここが一番衝撃的だった。子どもの頃は、オデュッセウスが下した選択のせいで部下が死ななければならないのかと理不尽に思ったものの、大人になってからは、「効率良く味方を殺す」ことができなければ全滅するしかないときもあるのだと知った。早々に現実の冷酷さを思い知らされたといえる。

 

Henrik Ibsen (1828-1906)
A Doll's House (Norway)

 

The Book of Job (600-400 BC) (Israel)

 

James Joyce (1882-1941)
Ulysses (Ireland)

 

Franz Kafka (1883-1924)
The Complete Stories (Bohemia)

The Trial (Bohemia)

The Castle (Bohemia)

 

Kalidasa (ca. 400)
The Recognition of Sakuntala (India)

 

Yasunari Kawabata (1899-1972)
The Sound of the Mountain (Japan)

 

Nikos Kazantzakis (1883-1957)
Zorba the Greek (Greece)

 

D.H. Lawrence (1885-1930)
Sons and Lovers (England)

 

Halldór K. Laxness (1902-1998)
Independent People (Iceland)

 

Giacomo Leopardi (1798-1837)
Complete Poems (Italy)

 

Doris Lessing (b. 1919)
The Golden Notebook (England)

 

Astrid Lindgren (1907-2002)
Pippi Longstocking (Sweden)

 

Lu Xun (1881-1936)
Diary of a Madman and Other Stories (China)

 

Mahabharata (ca. 500 BC) (India)

 

Naguib Mahfouz (b. 1911)
Children of Gebelawi (Egypt)

 

Thomas Mann (1875-1955)
Buddenbrooks (Germany)

The Magic Mountain (Germany)

 

Herman Melville (1819-1891)
Moby Dick (USA)

 

Michel de Montaigne (1533-1592)
Essays (France)

 

Elsa Morante (1918-1985)
History (Italy)

 

Toni Morrison (b. 1931)
Beloved (USA)

 

Shikibu Murasaki
The Tale of Genji (Japan)(《源氏物語》)

日本人なら説明不要の超有名古典だけれど、通読できた人はそれほどいないと思う。わたしもあらすじはわかるけれど読み通せたのはほんのわずか。けれど、《源氏物語》をきっかけに王朝文化に興味をもつようになったのだから、影響ははかりしれない。

あなたの知らない平安時代へようこそ〜山本淳子『平安人の心で「源氏物語」を読む』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

Robert Musil (1880-1942)
The Man without Qualities (Austria)

 

Vladimir Nabokov (1899-1977)
Lolita (Russia/USA)

 

Njals saga (ca. 1300)  (Iceland)

 

George Orwell (1903-1950)
1984 (England)

 

Ovid (43 BC-17 e.Kr.)
Metamorfoses (Italy)

 

Fernando Pessoa (1888-1935)
The Book of Disquiet (Portugal)

 

Edgar Allan Poe (1809-1849)
The Complete Tales (USA)

 

Marcel Proust (1871-1922)
Remembrance of Things Past (France)

 

François Rabelais (1495-1553)
Gargantua and Pantagruel (France)

 

Juan Rulfo (1918-1986)
Pedro Páramo (Mexico)

 

Jalal ad-din Rumi (1207-1273)
Mathnawi (Iran)

 

Salman Rushdie (b. 1947)
Midnight's Children (India/England)

 

Sheikh Musharrif ud-din Sadi (ca. 1200-1292)
The Orchard (Iran)

 

Tayeb Salih (b. 1929)
Season of Migration to the North (Sudan)

 

José Saramago (b. 1922)
Blindness (Portugal)

 

William Shakespeare (1564-1616)
Hamlet (England)(邦題《ハムレット》)

"Frailty, thy name is woman." "To be or not to be, that is the question."などの名台詞がとても多い、シェークスピア最高傑作のひとつ。復讐者ハムレットが、結局は自分自身が殺したポローニアスの娘、愛するオフィーリアを自殺で失い、息子レアティーズの復讐によって死亡するという連鎖的結末がひどく皮肉。なんともいえない後味悪さ。


King Lear (England)(邦題《リア王》)

あどけない子供時代にはじめて触れた「善人が報われない」お話が《リア王》だった。読んだ当時は言葉にできなかったけれど、「理不尽」「不条理」ということを感じたのは《リア王》が人生最初だった。とはいえ、たかだか末娘コーディリアが父親リア王への愛情を美辞麗句で飾り立てなかったくらいのことで、激怒して絶縁宣言するリア王がその後受ける仕打ちは、自業自得だといまでも思う。


Othello (England)(邦題《オセロー》)

恐怖。オセローが狡賢いイアーゴーの作り話に騙されて、新妻デズデモーナが浮気したのではないかと疑い始める瞬間がとてつもなく怖い。オセローがムーア人(北西アフリカのイスラム教徒のこと。とはいえオセロー自身はキリスト教に改宗している)で肌黒く、年配であることから、ヴェネツィア出身の若く美しい白人女性であるデズデモーナが本気で愛してくれているのか自信をもてなかったことが、彼女の浮気を疑った根本的原因である。そこを容赦無くえぐる悪魔のごときイアーゴーのやり口は、人間に疑いの心を起こさせ、操り、間違いをおかさせるのがいかに簡単かを見せつけているよう。恐怖にわななきながら一気読みした。

 

Sofokles (496-406 BC)
Oedipus the King (Greece)(邦題《オイディプス王》)

父親を殺し、母親を娶り、そのことが発覚してみずからの両眼を突いて失明したオイディプス王の衝撃もさることながら、フロイトが「父殺しは人がもつ根源的欲望である」などと説明したおかげで、空恐ろしいほどの影響をもつようになってしまった。スター・ウォーズからエヴァンゲリオンシリーズまで、息子が父親を越えようと悪戦苦闘する物語は星の数ほどあるけれど、オイディプス王はこれらの物語に〈核〉を与えたのだろう。

 

Stendhal (1783-1842)
The Red and the Black (France)

 

Laurence Sterne (1713-1768)
The Life and Opinions of Tristram Shandy (Ireland)

 

Italo Svevo (1861-1928)
Confessions of Zeno (Italy)

 

Jonathan Swift (1667-1745)
Gulliver's Travels (Ireland)(邦題《ガリヴァー旅行記》)

子どもの頃、児童向け文学全集で読んだ。「一本の麦、一本の草しか生えぬ荒れた地に、二本の麦、二本の草を生やすことができる人物……そういう人物こそ、つまらぬ政治の書物を何十冊も読んだ者よりも王にふさわしい」という巨人国の国王の言葉がひどく印象的で、それがわたしの読書経験の根底にあると思う。読書は必要だ、だが実践に勝てるものではない、と。

 

Lev Tolstoj (1828-1910)
War and Peace (Russia)(邦題《戦争と平和》)

ブログ記事参照。これは長編小説ではなく、ナポレオンのロシア侵攻という歴史事件を、分解し、解析し、歴史をつくるのは英雄ではなく無数の意志をもつ無数の人々であるという視点から再構築するという挑戦そのもの。主人公のひとりピエールがヘタレすぎるが、流されやすく、思いこみが激しく、常に自分の代わりにものごとを決めてくれる人を探しているようなピエールのふるまいは、わたしにも身に覚えがあることばかりでいたたまれなくなる。

【おすすめ】歴史に人々が流されるか、人々が歴史をつくるか〜トルストイ《戦争と平和》 - コーヒータイム -Learning Optimism-


Anna Karenina (Russia)(邦題《アンナ・カレーニナ》)

ブログ記事参照。不倫の恋のあげくに身の破滅を招いたアンナ・カレーニナに同情する気にはなれなかったが、結婚生活というものを考えるにあたっていい参考になるのは確か。
男と女の視線がからみあうとき《アンナ・カレーニナ》 - コーヒータイム -Learning Optimism-


The Death of Ivan Ilyich and Other Stories (Russia)(邦題《イワン・イリイチの死》)

ブログ記事参照。中年過ぎればめちゃくちゃ刺さる。だが目が離せない。自分はこうなりたくないと必死にならざるを得ない。

【おすすめ】最後まで読むには勇気がいる〜トルストイ《イワン・イリイチの死》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

Anton P. Tsjekhov (1860-1904)
Selected Stories (Russia)

 

Thousand and One Nights (700-1500) (India/Iran/Iraq/Egypt)

 

Mark Twain (1835-1910)
The Adventures of Huckleberry Finn (USA)

 

Valmiki (ca. 300 BC)
Ramayana (India)

 

Vergil (70-19 BC)
The Aeneid (Italy)

 

Walt Whitman (1819-1892)
Leaves of Grass (USA)

 

Virginia Woolf (1882-1941)
Mrs. Dalloway (England)

To the Lighthouse (England)

 

Marguerite Yourcenar (1903-1987)
Memoirs of Hadrian (France)

過去を知り、現在を読み解く〜国際金融史研究会『金融の世界現代史』

700ページ近くある分厚い本で、読み通せるのか不安だったけれど、いざ読み始めたら「めちゃ面白いんだけど!?」と、するする読めた。

内容はタイトルそのままで、金融機関や金融活動の現代史を国家別に紹介している。各国の金融制度の成り立ちをみていくと、その国の金融活動がなぜいまのような形になったのか、ヒントとなる知識が沢山得られてワクワクする。

中国の章の分量が少なすぎる(アメリカの半分程度)のが多少不満だけれど、中国はネット金融とシャドーバンキングが複雑怪奇すぎて、正規の銀行制度からはとても金融活動の全体像を読み解けないのだから仕方ないところではある。

以下、面白いと思った金融制度現代史についてのメモと感想。

 

アメリカ】

政府による経済活動規制(いわゆる「大きな政府」)に反対する精神をもつアメリカでは、建国当初、日本でいう日本銀行にあたる単一中央銀行を設けていなかったのが面白い。まだビジネス規模が小さかったころは、州をまたいだ手形決済にはニューヨークにある専用の手形交換所を使用したり、商業銀行同士が連携したりして、資金をまわすことができたためだ。

しかし後に、全国規模で資金受給関係を調整し、破綻時には銀行に資金を貸付する中央銀行の必要性が認められて、連邦準備銀行が設立された。現在は連邦準備銀行をはじめ、各州にちらばる4000以上もの商業銀行(2019年時点)、その後、貯蓄金融機関、信用組合、さらには手形引受業務や債券発行業務などから身を起こしてきた投資銀行が、アメリカの複雑な銀行システムを構成している。

とはいえ21世紀では実質6大メガバンクグループ(バンク・オブ・アメリカシティグループJPモルガン・チェースウェルズ・ファーゴゴールドマン・サックスモルガン・スタンレー)が経済に多大な影響を及ぼしているのは、やはり、時代の要請というものかもしれない。

 

【イギリス】

第一次世界大戦前、ポンドは国際通貨であったが、1960年台の度重なる対ドル切り下げによりその地位を失った。

1980年前後まで、イングランド銀行法を除けば銀行を定義・規制する法律が存在しなかったり、証券取引に関する公的な規制の根拠となる法律が存在せず、証券取引所などが定める規則等の自主規制にとどまっていたのは、いかにも慣習法に従うイギリスらしい。EU加入や外国資本の増加、金融危機を経て、さすがのイギリスも銀行規制を整備しはじめ、今日に至る。

 

【中国】

日中戦争中は日本占領区、国民政府統治区、共産党抗日解放区でそれぞれ発券銀行がもうけられていたが、日中戦争中からつづく戦時インフレーション(軍事費増加を通貨増発によってまかなったため)に国民政府が対応できず、共産党に政権をゆずってから人民元に統一されたという歴史をもつ。

このころから、インフレーションをおさえるため、財政収支の統一的管理、いわゆる「モノバンク」により中央・地方財政双方の支出・収入を中央政府が統一的に管理する「統収統支」方式が制度化され、現在までつづいている。

しかし、モノバンクシステムは、中国経済が対外的に閉じていた計画経済時代から、1980年代の改革開放時代にうつるにつれて限界が見え始めた。中央政府は間接管理、貸付枠規制緩和によってこれに対応しようとしたが、マネーサプライの伸びによるインフレ圧力がかかり、80年代末を頂点とする民主化運動の背景となった。ようするに国民政府と同じく経済政策の失敗であやうく足元をすくわれそうになったわけだが、90年代の経済発展でもちなおす。

2008年の金融危機以後、シャドーバンキング(通常の金融システム外の金融仲介)が盛んになり、主に2つの形式の融資が行われた。

  1. 地方政府が融資プラットフォームと呼ばれるノンバンク企業を設立した上で、地方政府が管轄下におく土地や不動産からの収益を担保とした貸付を銀行からひき出すやり方。しかし土地価格が上昇することを前提としているためバブルを起こしやすく、また過剰投資により債務危機に陥る地方政府がでてきた。
  2. 理財商品という一般投資家向けの資産運用商品を売り出すやり方。信託会社が投融資先の債券や貸出債権を小口化したもので、元本保証がなされていないことから銀行にとっては簿外取引になる(もちろん元本保証をうたう理財商品もある)。高金利で多くの一般市民を惹きつけたが、デフォルト事例も頻発し、中央政府は管理策を打ち出そうとしている。

こうしてみると、中央政府による強力な金融管理があるために問題が表面化していないけれど、地方政府の債務問題、債券化商品の過剰な人気は、けっこうリスクではないかと思わなくもない。

 

不動産投資の基礎知識にこの一冊〜大和不動産鑑定編著『不動産の価格がわかる本』

最近不動産購入や不動産投資の話題にふれることが多くなってきたため、勉強するために読んだ。不動産価格鑑定の基礎事項から租税までしっかりおさえていて、かゆいところに手がとどく一冊。最初に不動産市場のサイクルについて述べてから、一般的な価格評価の考え方、個別の不動産評価方法を解説しているところも良い。

本書は投資用不動産を前提としているため、分譲マンションについては扱いがあるものの、ふつう自宅用に購入される一戸建てについての価格鑑定方法はほとんど書かれていないのがちょっと物足りない。また本書は2019年12月25日発行のため、2020年1月からのコロナ禍による打撃は含まれていないが、充分参考になる。

 

不動産市場のサイクルについてメモしておく。

  • 不動産投資や事業の成否は、将来の市況の読みによって決まる。このため、個別の不動産の評価方法を習得する前に、不動産市場のサイクルを理解する必要がある。
  • 不動産価格は基本的にその収益性によって評価されるが、それ以上に金融政策や銀行の貸し出し姿勢の影響を受け、実際にはこれらが大幅な価格の上昇や下落の要因となっている。
  • 日本の不動産市場は比較的長く好況が続いており、国内の状況をみる限り急激な下落は考えにくいが、国際的な情勢の変化や資産市場の動向には注意が必要である。

超ど素人のわたし、「バブル発生期の2.5%から急激に金利を6%まで上昇させたわけですが、これは資産価格を人為的に半値以下に下落させることを意味します。」という記述に?がとびかう状態になり、金利と資産価格の関係をネットで調べる羽目になったが、例えばこういうことらしい。

不動産投資は、債権投資や株式投資など、ほかの選択肢と比べて魅力的かどうかで判断される。魅力的かどうかの判断基準は、投資に対するリターン率だ。

例えば毎月5万、年間で60万円の家賃収入が見込めるアパートがあるとする。債券金利が1%であるとシンプルに仮定すれば、6000万円をこのアパートに投資すれば、表面利回りは債券投資と同じ1%。逆にいえば、6000万円が資産価格上限であると解釈出来る。このアパートが6000万円より高いなら、お金を債券投資にまわしたほうが良い、と投資家は判断する。(実際には不動産維持費やら固定資産税やらかかるため、実質利回りはさらに低くなり、市場価格が6000万円になることはまずない)

さて、金利が2%になったと仮定して同様の計算をすると、毎月5万、年間で60万円の家賃収入が見込めるという条件が変わらない場合、表面利回りが2%になる投資額は3000万円になることがわかる。

これが「資産価格が下落する」ことの意味だ。ちなみに「不動産が将来生み出す利益を予測して、それに基づいて現在価格を推定する」という考え方は収益還元法と呼ばれ、さきほどの金利にあたる数字は不動産鑑定士が言う「還元利回り」にあたる。

なるほど。

となればよく言われるような「低金利で、銀行からお金が借りやすいから、今が不動産の買い時」という説明は不完全で、金利低下による不動産価格上昇、金利上昇による資産価格下落も考えなければならず、不動産投資金利関連の政策には常に目を配らなければならないというわけだ。

 

実際の不動産価格については、国土交通省が提供する不動産取引価格情報や、キャップレート(=還元利回り)マップがあるため活用したい。

国土交通省 土地総合情報システム Land General Information System

CaprateMap

 

歴史に人々が流されるか、人々が歴史をつくるか〜トルストイ《戦争と平和》

 

戦争と平和(一)(新潮文庫)

戦争と平和(一)(新潮文庫)

 
戦争と平和(二)(新潮文庫)

戦争と平和(二)(新潮文庫)

 

戦争と平和》ほどの大作であれば、あらゆる書評が書き尽くされているし、あらゆる内容が徹底的に研究され尽くしているだろうから、わたしの読書感想はきっと新しいものをつけ加えるものではない。それでも書きたいから、《戦争と平和》を読んだ感想を書く。

 

まず登場人物500人以上の中でも、主人公といえる三人、ピエール、アンドレイ、ナターシャについて。
大富豪ベズウーホフ伯爵の庶子として生まれた主人公のひとりピエールは、典型的な世間知らずとして登場する。死の床につきつつあるベズウーホフ伯爵のいるペテルブルクを訪れたピエールは、空気読め圧力に満ちみちた息苦しい上流社会になじめず笑いものになり、棚ぼた的にころがりこんだ莫大な遺産におどおどし、美しいけれどピエールを小馬鹿にして火遊びを繰り返す公爵令嬢エレンと(社交界の空気読め圧力によって)結婚させられ、エレンの浮気騒動後にたまたま駅で出会った老人に誘われてすんなり秘密結社フリーメーソンに入る。

遺産、結婚、妻の浮気、秘密結社、ついでに親友をその秘密結社に引きこむ試みと、ピエールの前半生は現代から見てもやばいキーワードがわんさか出てくる。まわりには、親友のアンドレイ公爵を除けばろくな奴がいないし、ピエール自身も何をしたいのかよくわからず、おまけに流されやすく自分に酔いやすい性格もあって、金には困ってないだけにひたすら迷走している。

そのアンドレイ公爵がもうひとりの主人公だ。彼は貴族出身らしくプライドが高く、ピエールとは反対にものごとの目的をよく考え、哲学的で、お高くとどまっている理屈屋という印象。アンドレイ公爵は名誉を求めて軍隊に従事するが、おりしもロシアはナポレオン・ボナパルト率いるフランスと戦争の真っ最中で、フランス軍との交戦を身をもって体験することになる。

アウステルリッツの戦いでロシアは敗北し、アンドレイ公爵は重傷の身で捕虜になる。死の淵を見た彼はもはや軍隊にも名誉にも未練はなく、ただ自身の平穏な暮らしを望むようになっていた。それでも月日がたてば、アンドレイ公爵は幼い息子(妻は出産時に生命を落とした)を妹のマリアに預けて軍務に戻り、やがて愛する少女ナターシャに出会う。

ロストフ伯爵令嬢ナターシャが、三人目の主人公だ。財政状況がよくないとはいえ貴族出身で、天真爛漫で明るく、みんなに愛されてきた、多少わがままだけれど嫌味なところがない典型的なお嬢さまタイプ。ナターシャは社交界デビューをきっかけにアンドレイ公爵と婚約を交わすも、彼の父親の反対にあって公にはできず、アンドレイ公爵が父親を説得するためにナターシャのそばを離れている間に、若さゆえの過ちを犯してしまう。

 

この三人はそれぞれ、混迷の時代でどのように生きるべきかを考えている(ピエールとナターシャは時々刻々変わる状況に流されてぶれまくっているが)。しかし彼らはあの時代ーーナポレオンがロシアに侵攻した時代ーーを生きた人々のうちのほんの三人にすぎず、三人をとりまくさらに多くの人々が、さらに複雑な個人の思惑を抱え、あらゆる思惑がやがて寄せ集まって「ひとつの時代」をつくりあげる様を、《戦争と平和》は描写する。

トルストイは意図的に〈神の思し召〉と〈人々の意識の集合がもたらす結果〉をきっちり区別している。登場人物たちの人生を変えるような偶然の出会いや体験は〈神の思し召〉を思わずにはいられない運命的なものであり、一方で、戦争をはじめとする人類社会そのものの大きな流れは〈人々の意識の集合がもたらす結果〉である。

戦争と平和》の戦争の描写はとても秀逸で、わたしは軍の動きのメカニズムを時計のメカニズムにたとえた部分がとても好きだ。一つの歯車(たとえばロシアのアレクサンドル皇帝)が動き出すと、第二、第三の歯車(皇帝側近や軍総司令官)が動き出し、大小さまざまな歯車や動輪や滑車(司令官たちや兵たち)が動き出して、ついに時計の針が動く。

ここに現れているように、ロシアのアレクサンドル皇帝やフランスのナポレオンは歴史の歯車のひとつにすぎず、彼らが戦争開始を決意したのは個人的意図ではなく歴史的必然にしたがったにすぎない、というのが《戦争と平和》を貫くトルストイの思想である。

トルストイはナポレオンを「無性格で歴史の道具にすぎぬ」と評し、しつこいほどに、戦争というのはアレクサンドル皇帝やナポレオンのような歴史上の人物のみによってつくられたわけではなく、それどころか彼らがどれだけの自由意志を実現できたかも怪しいと繰り返す。彼らが開戦を決意したのはある日突然思いたったことではなく、彼らを取り巻く無数の人々の影響抜きに語ることはできない。そうである以上、戦争になだれこむしかない状況をつくったのは、彼らを取り巻く人々の意識すべてであるともいえる、というのがトルストイの主張だ。

もろもろの現象の原因の総和は、人間の知恵では把握できない。しかし原因をさぐりだしたいという欲求は人間の心の中にこめられている。そこで人間の知恵は、どのひとつも単独で原因と思われるような、現象の無数の条件の複雑きわまるからみあいを見きわめることをせずに、手近な、しかももっともわかりやすい因子をつかまえて、これが原因だ、と唱えるのである。歴史上の事件で(ここでは観察の対象は人々の行動であるが)、もっとも幼稚な因子は、神々の意志と、もっとも目立つ歴史上の位置に立っている人々、ーー歴史上の英雄たちの意志である。しかし、各々の歴史上の事件の本質、つまりその事件に参加した人々の全集団の行動に目を注ぎさえすれば、歴史上の英雄の意志が集団の行動を指導しているのでないばかりか、逆に、常にひきまわされていることがわかるはずである。

後半になればなるほど、小説の登場人物たちから離れて、なぜロシア軍はモスクワを放棄してフランス軍に明け渡したのか、なぜフランス軍はモスクワを占領して、豊かな食糧を得ておきながら、そこにとどまって冬を越さずに自滅したのか、ということについて、トルストイの考えを述べている論説文めいたパートが多くなるが、それはひどく因果関係があいまいで(トルストイ自身が「もろもろの現象の原因の総和は、人間の知恵では把握できない」と書いているのだから当然だが)、一言でいえば、結局はなるようになった、と言いたいように思える。

 

それでも、個々人がそれぞれの立場で感じたことは、その人固有の自由思考をとりもどしてくれる。アンドレイ公爵はかの有名なアウステルリッツの戦いで重傷を負う。あおむけに倒れているアンドレイ公爵を、戦場を見てまわっていたナポレオンが発見した場面。アンドレイ公爵はそれがナポレオンだと気づいていた、けれどもはや関心を持たなかった。アンドレイ公爵がナポレオンについて、「天才」「怪物」などの世間的観点に流されない、彼独自の観点をもつに至った瞬間である。

彼はその声に関心を持たなかったばかりか、心に止めもしないうちに、すぐに忘れてしまった。彼は頭が焼かれるように痛かった。彼は全身の血が失われてゆくのを感じた。そして自分の上に遠い、高い、永遠の蒼穹を見ていた。彼は、それが自分の憧れの英雄ナポレオンであることを、知っていた。しかしいまは、自分の魂と、はるかに流れる雲を浮かべたこの高い無限の蒼穹との間に生まれたものに比べて、ナポレオンがあまりにも小さい、無に等しい人間に思われたのだった。いまは、だれが彼のかたわらに立とうが、彼のことをどう言おうが、彼にはまったくどうでもよかった。彼はただ自分のそばにだれかが足を止めてくれたことだけがうれしかった、そしてその人々が自分を助けて、自分を生活へ――いまこそその解釈をすっかり変えたので、限りなく美しいものに思われた生活へ――戻してくれることだけを渇望していた。

ピエールも、ナターシャも、アンドレイ公爵ほど劇的な形ではないにせよ、さまざまな出来事の中で、神とはなにか、信仰とはなにか、人生とはなにか、なんらかの見解をつかんでいくことになる。この辺りはロシア正教の背景知識がうすいと正直理解しづらい。

トルストイのもうひとつの主張、すなわち、歴史は英雄たちによってつくられるものではなく、無数の人々の無数の行動によってつくられる、という点にはおおいに賛成するけれど、この論点を小説という形で書いたのはなぜだろう? というか《戦争と平和》はほんとうに小説なのか? と首をかしげたくなる。後半部分など、ほとんど歴史論文を読んでいるような気分になる。

尊敬するブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」でも《戦争と平和》をとりあげているけれど、トルストイ同様、これは長編小説ではないと断じる。

人生が捗るトルストイ『戦争と平和』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

 

なんというか、中国には政権を担う者を舟、民衆を水にたとえて「載舟覆舟」、「水は舟を載せることができるが、舟を転覆させることもできる」という意味の言葉があるが、《戦争と平和》は舟、すなわちナポレオンやアレクサンドル皇帝やクトゥーゾフ総司令官といった歴史上名を残した人物たちだけではなく、舟を浮かべる水、水をつくるひとつひとつの分子、流体粒子、流束などを、500人以上の登場人物がひしめきあう大長編で表現しようとしたのだ。しかし流体力学のみならず物理学分野でよくあることだが、ほんとうにすべての因子とその相互作用を解析することはできず(そんなことができるのはラプラスの悪魔だけだ)、ある程度代表性をもたせた人物たちの物語にならざるを得なかったのだろう。それぞれの流体因子は流れそのものに大きく影響するとは限らないが、間違いなく流れを構成する一部分だ。

トルストイの《戦争と平和》は、おそらく小説ではない。歴史論文でもない。トルストイみずからが「人間の知恵では把握できない」と認めたもろもろの現象の原因の総和、ナポレオンのロシア侵攻や敗走というロシア近代史上稀にみる重要な出来事を引き起こしたものを、人間の身でどこまで把握できるかという壮大な試みであり、その中に身を置いた個々人が、どこまで真理に近づくことができるかという挑戦である。読者であるわたしはトルストイが到達出来た地点に連れて行ってもらうことになるわけだけれど、五里霧中を手を引かれて歩いているようなもので、霧を晴らすためには、まだ人生経験がすくなすぎる。

抱腹絶倒のロシアエッセイ〜米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』

幼少時代をチェコスロバキアソビエト大使館付属学校で学び、長じてベテランロシア語通訳となった著者は、母語である日本語と同じくらい流暢にロシア語を操り、エッセイで描き出されるロシアのエピソードはまさに抱腹絶倒ながら暖かい視線を感じさせる。

ロシア人といえば大のウォトカ(ウォッカ)好きだが、第一章「酒を飲むにもほどがある」では、これでもかとウォトカ関連のエピソードが語られる。アルコール度数40のウォトカが一番美味いことを発見したのがかの大化学者メンデレーエフであるとか、エリツィンが酔っ払って川に落ちたことを部下が回顧録で暴露したとか、張本人のエリツィンは日本訪問時に泥酔しながら地域特色のあるウォトカの開発に苦労した思い出を披露したとか、微笑ましいエピソードから、ロシア人が「血管にウォトカが流れている」とまでいわれるほどウォトカをソウルドリンクと思っていることが心底納得できる。

そうかと思えば、ソ連崩壊前後、不穏な空気が街をおおっていたころのことを、タクシードライバー、映画監督、文学者、炭鉱夫など、さまざまな人の口から語らせている章がある。著者の本業は通訳であって歴史家ではないし、インタビューされる側も政治家ではないから、彼らの言葉は素朴で、彼らの目から見たソ連崩壊前夜のできごとは、ひとつひとつが日常の延長線上でありながら、穏やかならざる黒雲が地平線の上にわきあがりつつあることをひしひしと感じさせて、じつに見事。ソ連崩壊前後、食料品店の棚がカラッポでも暴動が起きなかったのは、一億五千万総兼業農家とばかりに家庭菜園に精を出していたから、という裏話もてんこもり。

最後に超実用的な「ロシア人との交渉術」までついてくる本書、読んで損はない。ひまつぶしにも、ロシアとロシア人に興味があって調べるためにも、ビジネスでの交渉術の参考にも、ぜひどうぞ。

 

資産形成を始めるにあたって〜日本証券業協会『NISA概論』

NISA (Nippon Individual Savings Account) =少額投資非課税制度は、イギリスのISA (Individual Savings Account) 制度を模範としている。上場株式・公募株式投資信託等への一定額の投資から得られる配当金や譲渡益(すなわち株式や信託を売却したときの利益)が一定期間非課税となる制度で、「一般NISA」「つみたてNISA」「ジュニアNISA」の3種類がある。

NISAのメリットデメリット、投資する金融商品の選び方は、金融庁をはじめ、NISAを販売する金融機関や証券会社のWebサイト、さらには個人投資家のブログやYouTubeチャンネルなどでさんざん解説されているが、本書はそのようなことにはほとんど触れていない。日本証券業協会の立場から、NISAを支持する立場をとりながら、なぜNISAという制度を日本でも取り入れたのか、どのような制度なのか、どのように推進されたのか、を説明する、いわばNISAの歴史書である。

どんな公的制度でも、そもそもその制度を設計した目的がなにかは超重要だが、日本政府がNISAという制度を設計した目的ははっきりしている。

この2つがメイン。「少額」投資非課税制度として設計したのは、少額からスタートできれば心理的ハードルが低くなり、これまで投資に興味をもたなかった人々にもすすめられるためである。実際、本書によれば2018年12月末時点で一般NISA口座数に占める20歳代から40歳代の割合は3割、つみたてNISAは7割である(とはいえ実際に買い付けをしている口座は一般NISAで約7割、つみたてNISAで約5割だから、口座を開くだけ開いててほうっておいている人も少なくないことになる)。たしかにYouTubeでNISA解説動画をあげている人々の年齢層は低めで、本業を別に持ち、副業としてNISA投資をしている人が多いことからも、この目的はそこそこ果たされている。

NISAの制度解説そのものは、金融庁や金融機関、証券会社が提供している以上のものはないけれど、2013年度にNISA制度、2018年度につみたてNISA制度が創設されてから、どんな制度更新があったのかは面白く読んだ。具体的には、投資可能期間延長、口座開設手続きをシンプルにすること、開設にかかる時間を短縮すること、「居住者」を対象とするゆえに海外駐在する人々にとっては使い勝手が悪かったところを改善するなど、NISA制度を使いやすくするための工夫の数々である。

本書をざっと読むと、NISAの政策の中における位置づけや、移り変わり、今後目指すべき方向(とくに期間制限の撤退)がわかって興味深い。NISA初心者にはあまりやさしいとはいえないが、NISAの基礎知識がひととおり身についたところで、知識の整理として読むにはうってつけの本だ。

司馬光《資治通鑑》巻百八十四: 隋紀八/巻百八十五: 唐紀一

久しぶりに《資治通鑑》を読むのは、「国が滅ぶ」のはどんなときだと考える機会があったためだ。

中国の歴史書ほどこの問いにふさわしい参考資料はない。数千年もの間、幾多の王朝が栄え、滅びていったことを、漢字という一種類の文字、《史記》に始まる一貫した文章構成で、記録しつづけてきた土地は他にない。

資治通鑑》は以前、隋朝の成立を読み、ブログにも記事を書いた。今回は隋朝の滅亡を読んでいく。

司馬光《資治通鑑》卷百七十七: 隋紀一 - コーヒータイム -Learning Optimism-

司馬光《資治通鑑》巻百八十一: 隋紀五 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

またこの文章から始めよう。

資治通鑑》。全294卷、約1300年にわたる中国の歴史を記録したものであり、権謀術数渦巻く宮廷権力闘争を学ぶには最適だと毛沢東も愛読していた。

あまりにも長編ゆえ、気がむいたときに少しずつ読んでいく。順不同で興味が向いたところを読んでいくつもり。権謀術数、人間模様、抱腹絶倒がキーワードだ。

卷百八十四は《隋紀》の八、中国史上トップクラスのダメダメ皇帝とされる隋煬帝の治世末期のお話。巻百八十五は《唐紀》の一、中国史上最高の繁栄を誇る唐の治世初期のお話。

 

まず《隋紀》が《唐紀》に革められたことについて。

《隋紀》の八は唐の初代皇帝・李淵(高祖皇帝)が当時隋の首都だった長安を占領し、隋煬帝の息子を傀儡皇帝として帝位につけ、自分は宰相として実権をにぎったところで終わる。

李淵はもとをたどれば中央アジア遊牧民族鮮卑族の血をひくといわれるが、父親は隋王朝の一つまえの王朝・北周の大将軍であり、北周建国に貢献したために「唐国公」の称号を与えられ、李淵もこの称号を受けついでいる。また、李淵の母親と隋煬帝の母親は姉妹であり、李淵と隋煬帝は従兄弟同士にあたる。しかし、李淵はあくまで隋王朝の臣下であり、彼が宰相となった時点では、正式な国号はまだ《隋》のままである。

《隋》が《唐》に革められるのは、隋煬帝の息子が李淵禅譲したとき。これをもって隋王朝は滅亡し、《唐紀》の一が開始した。

こうしてみると、中国史上では前王朝の皇帝がなんらかの形で次期王朝の皇帝に禅譲して、新皇帝が元号を改めたとき、前王朝が終焉を迎えたと厳密に定めているのだろう。日本では天皇家がずっと存続しているから、都を移した年か、その時代の為政者が幕府を開いた年をもって時代名を変えているのだろう。納得。

また、隋と唐の場合にはあてはまらないが、皇帝が国号を変えたときも、前王朝は終焉を迎えたということになるらしい。この場合は「国が滅ぶ」にはあてはまらなさそう。ちなみにかの有名な則天武后は在位中に国号を唐から武周に変えたが、彼女の死後に帝位についた息子によって唐に戻されている。

 

さて「国が滅ぶ」のがどんなときかなんとなくわかったので、内容の方。

今回は王朝交代時の混乱のまっただ中なので、権謀術数と人間模様多め。とはいえ李淵がしらじらしく「私は隋王朝に忠実な臣下でございます。ただ今上陛下が残虐非道で民を虐げているので、仕方なく挙兵し、太子殿下に帝位についていただくべく努力しているのです」などという姿勢をとっているのは大変可笑しい(古代中国ではどんなにダメダメだろうと皇帝と当代王朝への忠誠は大変重要視されており、反乱勢力だろうとそこをアピールすることは政治上肝要であった)。実際にはこの李淵長安入りしてからさくっと実権奪取して、機が熟したのを見はからって禅譲させて唐王朝を開いている。中国歴史書には数多くの忖度とお約束事があるが、この辺の前王朝へのリスペクト(のふり)と遠慮深さ(のポーズ)もお約束事のひとつらしい。

資治通鑑に記された李淵本人はさほどやる気がない印象だが、権謀術数にすぐれた息子の李世民ーー後の太宗皇帝ーーと策略に長けた部下たちの助言を受け入れ、隋煬帝打倒に立ち上がることになる。李淵は当時モンゴル一帯で力をもっていた騎馬民族突厥(テュルク)の王と友好関係を結び、隋王朝討伐のための兵馬と兵士を借りている。とはいえ北方騎馬民族を中国に引き入れれば後々問題になることもわかっていたので(なにしろ秦の始皇帝の時代から中国侵略を繰り返してきた相手だ)、借り受けるのは兵馬がメイン、兵士の人数は抑えていた。一方、同じく隋王朝を討伐せんと名乗りあげた李密という人物には低姿勢で手紙を送り、同じ李という姓を戴いているのもなにかのご縁だ、あなたこそ盟主にふさわしいとおだてている。実際には李密が隋王朝の主力軍とほかの諸侯を洛陽にひきつけているうちに、李淵自身は息子たちとともにさっさと長安入りしているが、李淵は味方だと信じ切っていた李密はさほど気にしていなかった印象を受ける。

李淵の陣営はそこそこまとまっていたが、李密をはじめ、我こそ隋煬帝を討ちとらんとする野心家たちの陣営の人間模様は、ひとことでいえば「足の引っぱりあい」であった。なにしろ革命に成功すれば次期王朝での地位は約束されている。自分を取り立ててくれた大恩人を、自分より高い地位につきそうだからという理由で暗殺した者までいた(李密である)。

結局隋煬帝は謀反を起こした臣下・宇文化及に討たれる。血に濡れた剣を向けてくる臣下たちに「天子には天子の死に方がある。天子に剣を向けるとは何事か。毒酒を持ってまいれ」と一喝したのは、皇帝としての最後の誇りか。だがそのカッコいいセリフもあえなく無視され、隋煬帝は絞殺され、宇文化及は李密との戦争に力を注ぐようになる。

 

ちなみに李淵唐王朝の初代皇帝になったが、治世は長く続かなかった。李淵の息子たちが皇太子の座をめぐって険悪な関係になり、李世民が「玄武門の変」を起こして皇太子であった長兄と弟を殺害したのである。李淵もまた退位を余儀なくされ、李世民が即位した。中国史上屈指の名君とされる太宗皇帝である。

滅亡した隋王朝の残党は太宗皇帝の時代に一掃され、本格的に唐王朝が始まることとなる。