コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

病めるときはそばにいたのに、健やかなるときはそばにいられなくなる〜周大新《湖光山色》

2019年、中国政府が建国70周年を記念して、中華人民共和国最高の現代小説70作品を選出した。中国語を学ぶのによいし、政府がどのような価値観を推奨しているかを学ぶのにとてもよい。

この本はそのうちの1冊。未邦訳。

 

舞台は山地にかこまれた風光明媚な湖のほとり。「湖光山色」のタイトルはこのすばらしい景色のこと。この小説に登場する湖は、実在する丹江口貯水池(河南省西川県と湖北省丹江口市にまたがる多目的貯水池)をモデルとしており、作者の故郷でもある。

紀元前から湖のほとりに暮らす人々がいる。この地方はかつて楚国 (*1) の一部であり、村は楚王荘と呼ばれる。かつて楚王がこの地を訪れたゆえに名付けられたというあいまいないい伝えがあり、郊外の山地には荒れ果てた古い石造りの遺跡があるが、学のない村民たちはその由来をよく知らない。

楚王荘で生まれた暖暖(ナンナン)は、高校卒業後、北京に出稼ぎに行っていたが、ふるさとの母親が病に倒れたことを知り、取るものもとりあえず帰郷する。母親は乳腺がんと診断された。暖暖は北京にもどることをあきらめ、村に残り家事手伝いをする。田舎ならではの迷信、冥婚、農作業、湖での漁業に明けくれる日々。

結婚適齢期で顔立ちがよく、働き者の暖暖に、裕福な村主任 (*2) から弟との縁談が持ちこまれる。しかし、暖暖は幼なじみの開田(カイテン)に恋心を抱いていた。北京で都会経験を積んだ暖暖は、法治社会、自由恋愛、事実婚などの都会的考え方を耳にしていた。彼女は意を決して開田と事実婚関係を結び、貧しいながらも愛情に満ちた新婚生活を始めるが、このことで村主任との間に怨恨が残る。

ある日、暖暖と開田は詐欺師に偽農薬を売りつけられ、自分たちのみならず近隣住民の畑作物まで被害にあわせたどころか、詐欺の片棒をかついだとして開田が逮捕される。暖暖は屈辱感をこらえて村主任にとりなしを頼み、弱みにつけこまれて手篭めにされてしまう。どうにか開田は釈放されたが、損害賠償のため二人は莫大な借金を背負う。

借金返済に明け暮れるある日、暖暖は北京から来た考古学者を村の裏山に案内する。そこには村民たちにはなんてことないものに見える倒壊寸前の古い石壁がある。考古学者によれば、これは楚国時代に建立された長城で、きわめて歴史的価値が高いという。噂が広まり、歴史専攻の学生たちが三々五々訪れる。学生たちを案内してガイド料と宿泊費を得ることで、暖暖夫妻はとりあえずの収入を確保しようとするが、村主任が明に暗に邪魔をする。

暖暖は開田を説得して次期村主任に立候補し、みごと当選する。しかし、新村主任に着任し、宿泊施設運営で利益をあげ、投資資金を得て楚王荘の観光業を拡大させるうちに、開田はしだいにカネと権力にとりつかれたように性格をゆがめてゆくーー。

(*1) 紀元前11世紀 - 前223年に存在した王国。湖北省湖南省を中心とした広い地域を領土としたが、秦の始皇帝に滅ぼされた。

(*2) 村の自治組織である村民委員会の主任。日本語でいう村長に近い。原則として民主選挙により選出される。なお、中国では「村長」という言葉は封建時代のものであるとして公式には使用されない。

 

作者にとって思い入れのある故郷風景や、登場人物の心情描写がとてもこまやかで、読んでいてそのまま情景が目に浮かぶ。暖暖の目から見た湖は波がおだやかで、青くかがやく湖面に白い水鳥があそぶように飛び、小魚が水面に跳ねる。物語は暖暖が帰郷するために湖を渡るところから始まり、観光客たちを案内して湖に漕ぎ出すところで終わる。

暖暖はいわゆる伝統的な田舎女性であるが、頭の回転が速く、北京での出稼ぎ経験があるため、田舎村にないものの考え方ができる。とはいえ若さゆえに世間知らずで無鉄砲なところがあり、地元有力者との縁談をことわるためにいきなり幼なじみと事実婚に持ちこむのは、さすがにやりすぎ感が否めない。そのまま出稼ぎなどで村を離れるのならともかく、結婚後も村に残るものだから、案の定、メンツを丸潰れにされた村主任に手厳しい報復を受けている。法治社会とはいってもすべてが法律に明記されているわけもなく、地元有力者の裁量で決定されることはたくさんあるのだから。

しかしもっとすさまじいのが暖暖の夫である開田。貧乏な新婚時代はただの気の小さい男であったが、新村主任に着任した開田は、人が鬼に変わるがごとく変貌してゆき、カネのためならかつて苦楽をともにした村民たちの暮らしさえ踏みにじるようになる。貧困暮らしで前村主任に虐げられてきたことで人格がゆがんだのはたしかだが、もともと開田にはサディスティックな性格的素質があることも、物語冒頭で暗示される。酒が人の本性をあばくように、カネと権力が開田の邪悪な一面を引き出してゆくくだりはもはやホラー。

因果応報、勧善懲悪の面がある小説だけれど、読後感はあまりよくない。病めるときはともにいることができた暖暖と開田夫婦なのに、健やかなるときに、開田の金銭欲と権力欲がすべてをぶちこわしていくさまは、もの悲しく、カネが人を狂わせるという恐怖感を呼び覚ます。

 

〈おまけ〉

本書は女性活躍がひとつの主題。

中華人民共和国では建国理念として、女性にも男性とおなじように社会進出することが理想とされる。家事育児面で女性負担が多いのは万国共通であるが、多忙な母親に代わって祖父母世代が家事育児をし、さらにベビーシッターやファミリーサポートなどを利用するのがふつう。この小説でも暖暖が農作業や観光業などで留守にしているときは、姑が子どものめんどうを見ている。

暖暖は田舎女性でありながら実業家として才能を開花させていくが、都会女性の活躍場所はやはりオフィスがメインで、《杜拉拉昇職記》を草分けとする〈職場系小説〉という一大ジャンルを築きあげている。外資系企業を舞台にすることが多く、歴史的重厚さもあまりないため、今回選出された70作品には含まれていないのが残念。

以前私が読んだ職場系小説のリンクをおいておく。

《杜拉拉昇職記》

李可《杜拉拉升职记》(テレビドラマ原作小説) - コーヒータイム -Learning Optimism-

《朝九晩五》

沈鱼《朝九晚五》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

《浮沈》

エリートキャリアウーマンの騙し合い《浮沈》(テレビドラマ原作小説) - コーヒータイム -Learning Optimism-