コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

<英語読書チャレンジ 74 / 365> D. Grann “Killer of the Flowermoon: the Osage Murders and the Birth of FBI”

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。

この本を知ったきっかけは2023年に公開された映画。レオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロ主演の映画を(アメリカ行きのJALの中で)観たあと、原作となるノンフィクションを読んだ。

映画冒頭で、アメリカ先住民ーーかつてはインディアン、今はネイティブアメリカンと呼ばれる人々ーーの嘆きを聞く。われわれの子供達は「白人達」から教えられるだろう、彼らはわれわれのやり方を学ばないだろう、と。啜り泣きの中、荒野から黒い液体が噴き出し、先住民の伝統衣装を身につけた男達がそれを全身に浴びる。石油だ。

ここまでの短い数カットがもはや芸術的なできばえで、この映画ーー事実に基づくーーが悲嘆と喪失の物語であることを暗示する。

1921年。主人公Ernest Burkhartは、Osage Hillsに住む裕福なおじのWilliam Haleのもとにいた。原作では南部の貧乏綿花農家であった父親のところからとび出し、Osage Hillsで一旗上げようと夢見たため。映画版では第一次世界大戦終戦後の欧州前線からオクラホマ州に帰国し、炊事兵であったが、事故による負傷の後遺症で力仕事ができないという設定変更が加えられた。いずれにせよErnestは、おじの使い走りや雑務をこなすのが仕事の大部分であったが、おじが世話したタクシー運転手の仕事もときどきしていた。

なぜ人々がOsage Hillsに集まるか。石油だ。Osage Hillsは「黒い黄金」のゴールドラッシュに沸いていた。オクラホマ北東部の岩だらけの不毛な土地の下には、アメリカ有数の油田が眠っていたのだ。石油会社が次々に石油採掘に乗り出し、Osageたちは土地の賃借料などで期せずとも大金持ちになった。

富が集まるところには例外なく濃い影が落ちるものだが、Osageたちが先住民であること、不労所得であることが拍車をかける。Osageたちが強盗や殺人の被害にあってもろくに捜査されず、若い白人男性たちは「純血の」Osageを妻にして財産をせしめることばかり考えている。Ernestもタクシーの常連客であるMollieとつきあい始め、やがて2人は結婚した。

ErnestのおじであるWilliamは、原作ではOsageの言葉(同じく “Osage” )を話し、Osageたちを友人と呼び、心ない白人たちのふるまいに心を痛める誠実な態度を見せる。だが映画版では、彼は裏のある人物であることが早々に明らかになる。ErnestにOsageとの結婚をすすめ、それを「投資」と呼ぶのである。Osageの平均寿命は短いーー実際、棚ぼたの大金で贅沢三昧の果て、糖尿病などで生命を落とす人々もいたようだーー妻が死ねば「黒い黄金」が湧く彼女の土地、彼女のお金は合法的に夫と子供達のものになる、と。


1921年5月のある日、Mollieの姉Annaが他殺体となって発見された。その直前には別のOsageの男性、Charles Whitehornが殺された。

事態はどんどん薄暗い方向に、そしてついには闇の中に転がってゆく。母親のLizzieが病死し、だれかになんらかの毒物を盛られたのではないかと疑われた。Annaは生前に夫と離婚しており、全財産をLizzieに残したからだ。さらには妹Retaまでもが不審な死をとげる。もう一人の妹Minnieはすでに3年前に病死しており、Mollieはすべての姉妹を失った。

あまりにも続く死と悲嘆。さらにはMollie自身までもが糖尿病症状に冒されはじめる。自らの余命をさとったMollieは、つてをたどり、ワシントンの政治家に「オクラホマ州でOsageたちが殺されている」と訴えた。州をまたいだ調査権限を有する調査官が派遣されるーー。


映画ではMollieの母親が天に召されるシーンがいちばん印象的。先住民の伝統的な彩色をほどこした衣装に身を包んだ、おそらく亡き夫と亡き両親であろう人々が、母親が横たわる吹き抜けの小屋に現れ、手をさしのべる。彼女は微笑みを浮かべて小屋をでて、明るい野の道を歩く。死はある種の解放であると言葉なく語りながら。

Osageが受けた仕打ちは悲劇的である一方、アメリカの〈怠惰は罪である〉という価値観に照らしあわせれば、「赤い肌の先住民」が不労所得で一生遊んでも使いきれないお金をもつことは、白人たちにはただただ腹立たしいことであっただろう。映画でも「あいつらが働いてるのを見たことあるか!?」という台詞が登場する。

中国の言葉に「匹夫无罪,懐璧其罪」というものがある。「匹夫」は一般庶民、「璧」は宝玉などの貴重なものを指す。庶民が宝玉を懐にもっていたらたちまち強盗につけ狙われてしまうだろう。本人に過ちがあるわけではないけれど、本人が持つものが不幸を引きよせてしまう、くらいの意味だ。Osageが受けた仕打ちがまさにこれであった。Osage自身に罪はない。所有地で石油採掘をさせて土地使用料をもらうのも理にかなっている。だがお金が不幸を引き寄せた。連続殺人事件として。

本書の副題が「FBIの誕生」であるように、Osage連続殺害事件捜査は、FBIの黎明期にあたる。母親と姉妹全員を亡くしたMollieにとっては遅すぎたけれど。ワシントンから派遣された捜査官は真犯人捜査で成果をあげたけれど、死んだ人々はもどらないから。Osageが信じる大いなる力 "Wah’Kon-Tah"(スターウォーズシリーズのフォースのようなもの?)のもとに召されたから。

No record of how she felt when agents from the Bureau of Investigation—an obscure branch of the Justice Department that in 1935, would be renamed the Federal Bureau of Investigation—finally arrived in town.

捜査局ーー司法省の隠された下部組織であり、1935年に連邦捜査局FBIと名を改めることになるーーの捜査官がようやく町に来たとき、彼女(Mollie)がどう感じたのか、記録には残されていない。