コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

カフカの描く認知の歪み〜フランツ・カフカ《訴訟》

 

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。フランツ・カフカの未完の中編小説。一般的には《審判》のタイトルで知られているけれど、訳者は堅苦しすぎると思い、内容的にも喜劇のにおいがするとして、カフカの原題をふまえて《訴訟》にしたという。

この《訴訟》に有名な《掟の門》というエピソードが登場する。《掟の門》は私が大学で第二外国語として選んだドイツ語で、最初に読んだ物語である。教師に感想を問われたとき、私は素直に「ドイツ語としてはわかりますが、カフカがなにを言いたいのかわかりません」と答えた。《訴訟》の中ではこの物語にある程度説明をつけているが、うん、やっぱりよくわからない。

 

《訴訟》の話の筋自体はシンプル。銀行員で重要なポジションにつきつつあるヨーゼフ・Kは、ある日、目が覚めたら部屋の中に見知らぬ男がいて、「あなたは逮捕された」と宣告されるという異様極まりない状況に投げ込まれる。しかも男とその同僚はただ言われたからKのところに来ただけで逮捕の理由など知らないといい、毎週日曜日に行われる審理に出席する以外は、仕事に出てもいいし、飲みに行ってもいいという。

Kは身に覚えがない訴訟に腹を立てながらも、さっさと無罪を勝ち取ろうとするが、あまりに不透明でいい加減な訴訟進行(裁判所専用の建物すらなく、ごちゃごちゃした住宅街の一角に間借りした部屋で審理が開かれるほど)、役立つのかどうかわからない弁護士(今日とは違い、弁護士は法廷に入ることは許されず、書類仕事やら検事とのコネ作りやらで暗躍するのみ)、銀行での競争相手の嫌がらせといったことにしだいにメンタルを削られ、精神的に追い詰められていく。

不条理な状況に腹を立てるKの心理描写は実に巧み。まるで21世紀の新橋の高架下でサラリーマンが焼き鳥で一杯やりながらくだを巻いているように、数ページも改行なしで心の声が垂れ流しされているのに、読みやすく、共感しやすい。最初の頃は筋道が立っており、無駄なくすっきり、困惑と腹立たしさがありありと共感できる。しかししだいにKの心理状況が混乱し始める。叔父が苦労して引き合わせた弁護士と裁判所事務局長はいい加減にあしらうのに、仕事で知りあった工場長から紹介された「裁判官の肖像画をよく描く」画家やら、裁判所の廷吏の女房やらのうさんくさい人々を、まるで自分の訴訟に影響力を及ぼすことができると信じているかのようにやたら持ち上げはじめ、弁護士を解任し、多忙な銀行支配人という仕事をおざなりにして自分で請願書や弁論をしようとする。まるで裁判所連中も弁護士も無能揃いで、そこに有能で法をわきまえた自分が出向くことで無能連中を啓蒙し、腐った司法制度に風穴をあけることができるといわんばかり。結果はもちろんそうならず、ますますKは追い詰められていく一方。古典文学とは思えないほど身近で、よくある、共感しやすいやり方だ(そしてもちろんたいていうまくいかない)。