コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】自己啓発書の手引きはこれ一冊〜アナ・カタリーナ・シャフナー『自己啓発の教科書』

2024年、新年1冊目の読書はこれ。

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。ある時期にビジネス書や自己啓発本を読みあさったことがあるが、読んでいる間はなんだか何者かになれそうな気がしても、本を閉じれば結局何も変わらないことに気づいて、しだいに読まなくなった。その自己啓発界隈をまとめている本として久々に手に取ったのが本書。

 

本書の位置付け

4.5兆円にものぼる自己啓発書の巨大市場を真面目に研究して、自己啓発を総括し、系統分類し、その限界を論じた、いわゆる「自己啓発」といわれるものの全体像を俯瞰するための一冊。

 

本書で述べていること

著者によれば、自己啓発書はすべて以下10系統のいずれかに分類できるという。

自分を知る: いわゆる自己分析、性格傾向、タイプ別診断など。古代ギリシャソクラテスヒポクラテスたちに源を発し、フロイトユングたちが発展させてきた。ただし著者によると、自己啓発やビジネスの世界ではもてはやされているユングの類型学的アプローチだが、実は心理学者たちには見向きもされていないという。

心をコントロールする: 最近流行りのアンガーマネジメントなど。極端例がセネカマルクス・アウレリウスなどが提唱するストア派哲学で、自分自身の外側にあるものはコントロール不可能だからすべてなりゆきまかせで意味をもたせない一方、内側に起こるものは100%自己責任であり、理性が感情をコントロールしなければならないと説く。

手放す: これについては東洋と西洋で解釈が分かれる。西洋では《アナと雪の女王》でエルサが歌う "Let It Go 〜ありのままで〜" が典型。不本意ながら社会から押しつけられたあらゆる戒めを手放してありのままの自分に戻れば、無限の可能性が開ける、というやつだ。一方東洋では老子の《道徳経》と仏教の教えが典型的で、欲望と執着を手放すことで心の平穏と自由を得られると説く。

善良になる: 善きものをどう定義するかで教えが変わるが、「善」とは本質的に自分以外の者が下す評価であるため、しぜんと利他的行動が推奨される。キリスト教では〈善きサマリア人〉が典型。儒教では自己より社会を優先させ、しきたりや上下関係に従うことでこれを示すのが善であり、仏教では不殺生が善であるように。

謙虚になる: 謙虚さとは「物事の秩序のなかの自分の位置を知ることで、自然にあふれてくる慎み深い気持ちのこと」で、謙虚になるということは、つまりは身の程をわきまえるということである。身の丈にあわないことを望み、それが得られないと悲しんだり怒ったりするのは本人には苦しいし、側からみれば滑稽だからだ。問題は、身の程とはどれほどのものかということで、ここをどう解釈するかは、人間とはどういう存在かという問いにたどり着く。

シンプルに生きる: いわゆるミニマリスト。こんまり流整理術は、風水や神道をとり入れ、本当に大切なものを見極めるようすすめることで己の価値観とも向かいあうことをすすめる。しかし一方、コロナ禍に伴うオンライン活動拡大が、情報氾濫を推し進め、シンプルに生きることを難しくさせている。

想像力を働かせる: いわゆる物語を語ることによりさまざまな教訓を身近でわかりやすいものにしたり、既存のものに挑戦したりする力。

やり抜く: イソップ寓話のウサギとカメのお話が典型であろうが、「堅忍であるために必要なのは、確固とした目標と勇気──もっと正確にいえば、逆境でも目標を諦めない勇気である」とある通り、やり抜くための資質を培うことが重要視される。

共感する: ロングセラーであるカーネギー自己啓発書《人を動かす》は、人に共感することを柱としている。逆にマキャベリの《君主論》は、リーダーは恐れられるものでなければならないとして共感や同情に重きを置いていない。共感するとは、すなわち人が好むものや苦手なものを把握し、ときにはそれで人の行動を操ることになりうる。

今を生きる: 現在起こっていることをありのままに受け入れ、ただ眺めなさいと諭すマインドフルネスや「置かれた場所で咲きなさい」という考え方。

 

感想いろいろ

序文に自己啓発書の存在意義がこれ以上ないほどシンプルに述べられているのがもう凄い。

自己改善は私にとって極めて個人的なテーマである一方で、哲学的、心理学的、社会学的にも重要な意味を持っている。というのも、人というものは学び、より良い方向へ変わることができるという信念、そして(一定の限度内で)自分を好きなように形作ることができるため、親と同じ運命が待っているわけではないといった信念に基づいているからだ。

アーサー王の「女性が真に欲するものはなにか?」という問いかけや、アウシュビッツ絶滅収容所においてさえ自己の在り方を選ぶことができると説く《夜と霧》に代表されるように、いかなる極限状態におかれても、自分自身の運命を変えられると信じるのが、人を支える根源的信念ではないだろうか?

人の運命を決めると信じられている神様でさえ、慈悲を与えたり、罰を下したりするのは、人が選びとる行動に対してである。結局すべては行動次第だ。

マザー・テレサの有名な言葉がある。

 思考に気をつけよう、それは言葉になるから。

 言葉に気をつけよう、それは行動になるから。

 行動に気をつけよう、それは習慣になるから。

 習慣に気をつけよう、それは性格になるから。

 性格に気をつけよう、それは運命になるから。

自己啓発は、この一番最初の「思考」を変えんとする試みであり、その先には自分の運命を変えんとする試みがあることが、ここからも明らかである。

本書は自己啓発本を分類してまとめたものだけれども、その根底にあるのは単なる研究ではなく、著者自身が抱く、内気な性格を自覚して、自分を変えるなんらかのヒントがほしいという願いだ。ゆえにこの本は自己啓発書の手引きにもなるし、著者から見た自己啓発書の長所と短所をまとめたものとしても読める。私は後者として読んだ。