コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

世紀末、中国長江沿いのある都市でのものがたり〜周梅森《中国製造》

2019年、中国政府が建国70周年を記念して、中華人民共和国最高の現代小説70作品を選出した。中国語を学ぶのによいし、政府がどのような価値観を推奨しているかを学ぶのにとてもよい。

この本はそのうちの1冊。未邦訳。

 

1998年6月23日。主人公の高長河(ガオ・チャンホー)が、900万人の人口を擁する平陽市の市委書記 (*1) に内定したところから物語が始まる。省委副秘書長 (*2)(*3) から市委書記への異動であった。前市委書記の秦超林(シン・チョウリン)は平陽市で二期10年を務めあげ、省内で一番の経済発展を誇る市に育てあげた功労者であったが、これをもって一線を退くことになった。

平陽市現役市長 (*3) の文春明はかねてより市委書記に昇格することをねらっていたが、高長河が異動してきたことで夢破れる。その文春明と犬猿の仲とうわさされるのが、平陽市委副書記 (*4) であり、かつて高長河の学友でもあった、正義感の強い孫亜東(ソン・ヤードン)であった。

孫亜東はさっそく高長河の自宅をたずね、平陽市の汚職疑惑について話しはじめる。まずは平陽市圧延工場。国営企業として設立されてはや10年、累計12億人民元もの国家予算を投入されながら、まだ生産体制が整わず、カネはいったいどこに消えたやら、従業員の給与さえまともに支払われていないという。また、平陽市烈山県 (*6) も、汚職疑惑の黒いうわさが絶えないという。あまりのことに信じがたい気持ちを抱えながら、高長河は実情調査のために動くことを約束する。

しかし、のちに省委書記から、平陽市圧延工場の投資資金を得るために「それなりにカネをかけているーーまさか、北京 (*7) の関連機関に贈ったものを、いまさら回収するわけにもいかないだろう?」と聞かされた高長河は、平陽市圧延工場の問題が一地方ではすまない根深いものであることをさとり、文春明一派がこれを利用してなにか仕掛けてくるのではないかと疑心暗鬼になってしまう。また、秦超林も自分が心血注いだ平陽市の経済発展を高長河がないがしろにし、それどころか腐敗問題を強調しすぎることに不満を抱き、自分の努力と功績を否定された気分になるのであった。

物語は高長河視点だけではなく、さまざまな登場人物の視点から多角的にすすめられる。平陽市圧延工場の汚職事件にかかわるとされる文春明だが、実は彼自身、なかなか生産開始できない圧延工場に頭を抱えていた。(文春明によればこの工場は、1989年の『政治動乱』(*8) に伴う経済制裁で予定していた生産機械調達ができなくなり、急遽調達先を変えるも不良品をつかまされ、今日に至るまで鋼板1枚生産できずにいる『計画経済の旧体制と縦割行政構造の矛盾の産物』)烈山県の共産党委員会常任委員の金華(ジン・ホア)は体調不良で平陽市内の病院に入院していたが、病院まで押しかけて彼女に賄賂を押しつけていく烈山県の有力者たちにうんざりしており、腐敗問題を告発したいという考えを抱いていた。

それぞれの思惑、疑惑、決意を抱えながら、高長河はついに平陽市に赴任するーー。

(*1) 市委書記は「〇〇市共産党委員会書記」の略称。なお、中国では「書記」は共産党委員会の委員長を意味することに注意。

(*2) 省は市の上の行政単位。たとえば湖南省武漢市などと表記される。省委は「〇〇省共産党委員会」の略称で、市委員会の上部組織。市委員会の人事権をもつ。実務経験を積ませるために省委員会から市委員会に数年間出向するのはよくあること。

(*3) 日本語の「書記」にあたるポジションは中国語では「秘書」。「秘書」はこまごまとしたスケジュール管理や業務手配など仕事内容が幅広く、市長クラスとなれば秘書団を率いる。

(*4)  中国では共産党一党独裁体制で、共産党委員会は共産党中央機関の下部組織。平陽市委書記は平陽市の党員を統括し、党中央の政治方針を伝達・周知させ、平陽市の政策を策定する。市長は実務部隊としての行政組織の長であり、市委書記の指示をうけてさまざまな政策を遂行する。すなわち市長は市委書記より立場が低い。一言でいうと「市委書記は執政担当、市長は行政担当」。

(*5) すなわち平陽市共産党委員会副委員長。

(*6) 日本とはちがい、中国では県は市の下部行政組織。日本では市区町村の町にあたる。

(*7) 北京はもちろん中華人民共和国の首都だが、政治的場面で「北京」といえば、中央官庁あるいは政府高官を意味する。ここでは平陽市圧延工場への投資は政府高官の認可を得たものであること、彼らの助力を得るためにそれなりの「心付け」はどうしても必要であったこと、圧延工場の失策は認可を与えた彼らのメンツにもかかわることを暗示している。

(*8) 「1989年」「政治動乱」「経済制裁」のキーワードで天安門事件を暗示。天安門事件という言葉自体は検閲対象であり、直接出すことはできない。

 

小説中に登場する史実や地理などを考えると、平陽市のモデルは江蘇省南京市かもしれない。南京市は上海市から長江を300kmほどさかのぼったところに位置しており、小説中でも描写されているように、古来、水害に悩まされることが多い。

物語開始時は国営企業地方自治体の汚職疑惑にからむ政治闘争がメインテーマかと考えたけれど、登場人物たちがどんどん疑心暗鬼になり、感情的にどなりちらすようになる。しかもそれを後押しするように、実はだれそれの母親が肺がん末期だけれど安月給で医療費が支払えないだとか、だれそれの妹が国営企業再編のあおりをくらって失職し、受験生の子どもを抱えて途方にくれているだとか、ますます感情的行動をあおるようなバックグラウンドがでてきて、最後には歴史的大洪水でいろいろうやむやにして、さまざまな問題が未解決のまま「俺たちの戦いはこれからだ!」的なラストになる。

本作はどちらかというと作者の初期作品にあたるけれど、のちのテレビドラマ化された政治闘争小説に比べればまだまだ荒削りに思える。ただ、正義側と悪党側がわりとはっきりしているのは、中国現代小説らしいと思う。

 

〈おまけその1〉

政治小説や公務員小説は人気ジャンルだが、このジャンルの代表作《候衛東官場筆記》の読書感想を。

中国公務員を知るための必読書《候衛東官場筆記》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

同一作者によるテレビドラマ化された《我主沉浮》の読書感想。

周梅森《我主沉浮》(テレビドラマ原作小説) - コーヒータイム -Learning Optimism-

同一作者によるテレビドラマ化された《人民的名義》の読書感想。

周梅森《人民的名义》(テレビドラマ原作小説) - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

〈おまけその2〉

本書は《中国製造》というタイトルながら、製造業は汚職疑惑の舞台としてしか登場していないのがなんとも物足りないので、中国国内製造業をテコ入れする小説として《遥遠的救世主》(未邦訳)をおすすめ。

重要登場人物のひとりである丁元英(ディン・ユェンイン)は金融界の鬼才。プライベートファンドの共同経営者として中国株式市場で数億元(数十億円)の利益をあげながら、突如ファンドから身を引き、代償として期間限定で資産を凍結され、貧乏生活を余儀なくされた変人。クラシック音楽鑑賞が趣味。宗教・哲学・歴史も造詣深いという、中国現代小説ではめずらしい内省型人物。

小説の中で丁元英がやったのは、貧しい農村の村民たちを束ねて木製の高級音響設備を生産する小さな株式会社を立ち上げ、国産音響設備の大手会社と業務提携をとりまとめ、大手の販売能力とブランド力を利用して村民たちのビジネスに持続性を持たせたこと。農村での起業物語という点では『限界集落株式会社』に少し似ている。いまならアメリカのシリコンバレーでスタートアップ企業が数年で身売りしたり提携したりすることも珍しくない。だがこれを1990年代の中国社会で実現させるというのはなかなか面白い。

しかも丁元英がやったことは、作中ではサクセスストーリーとはみなされていない。「中国国内音響設備会社の部品を仕入れ、農村の廉価な労働力を利用して組み立てただけの音響設備を、いきなり国際市場に出品する」ことで、それまでの価格設定にけちをつけた、国産ブランドの価値を毀損した、と、徹底的に批判されるのだ。

丁元英自身、実は貧困農村を助けようとしたわけではまったくない。彼は将棋やチェスのように駒を進めてゲームをしただけ。旧態依然とした農村社会にいきなり冷酷な金融投資の論理を持ちこみ、法制度の不備と社会制度の欠陥を最大限利用しながら、持株、共同経営、さらには法廷訴訟まで利用してしまう辣腕ぶりは、プライベートファンドで巨額の利益をあげた鬼才の名に恥じない。

この小説は『限界集落株式会社』みたいな農村起業物語に終わらない。丁元英の宗教・哲学的思考、現代社会についての深い考察、丁元英本人が「文化暗号」と呼ぶ、中国文化に特徴的な思考方式への洞察、それをとことん利用してのける冷徹ぶりが、ただの小説では終わらない奥行きをもたせている。丁元英とは対照的に、利権にあやかろうとする登場人物の浅ましい姿を通して、人間の救いのない愚かさをもあぶりだしている。一粒で何度も美味しい作品。