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本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

[テーマ読書](未完 34 / 100)世界最高の文学100冊を読んでみた

2023年総集編。

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)というものがあることを知り、全作読んでみることにした。

https://www.bokklubben.no/SamboWeb/side.do?dokId=65500

目標は2030年までに全作読破。英語原著はできるだけ原文で読みたいけれど英語以外でも可。ルールはこれだけ。さらにせっかく読むのだから、読む前と読んだあとで自分の思考がどう変わったかをメモしておくと最高。

以下、選出された100タイトル。「ドン・キホーテ」が最高傑作であることを除けばとくに順番は定めていないらしいので、ウェブサイトで公開された順番そのまま。メモがないものは未読。

 

Chinua Achebe (b. 1930)
Things Fall Apart (Nigeria)(邦題《崩れゆく絆》)
ブログ記事参照。わたしたちが生まれ育ち、あたりまえだと信じている地域社会のありかたが、いかに簡単に崩れゆくか、なぜ崩れゆくか、植民地化前後のナイジェリアでの出来事を通して、考えさせずにはいられない傑作。わたしたちのやり方を、ほかの社会との相対的視点から見る必要があることを、いつでも思い起こさせてくれる名著。
ナイジェリアとイギリスの価値観が出会うとき〜チアヌ・アチェべ《崩れゆく絆》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

Hans Christian Andersen (1805-1875)
Fairy Tales and Stories (Denmark)(邦題《アンデルセン童話集》)
子供の頃、最初に買ってもらったシリーズものがアンデルセン童話全集。全16冊。有名な人魚姫などの物語は1冊目にまとめてあったため、1冊目だけよく読んでボロボロになった。2冊目以降は大人向けの話が増えてきて、『雪の女王』『パンを踏んだ娘』『世界一の美しいバラの花』『食料品屋の小人の妖精』は何度も読み返した。子供の頃は意味がよくわからなかった。けれどいまならわかる。ある程度人生経験を積んでからわかるようになるのが、アンデルセン童話の魅力だと思う。

Jane Austen (1775-1817)
Pride and Prejudice (England) (邦題《高慢と偏見》)
ジェーン・オースティンの傑作恋愛小説。学生時代に読んだときには、娘たちに金持ちの夫をあてがってやろうと目の色変える主人公エリザベスの母親のあさましさにドン引きしたが、主人公一家が所属するジェントリ階級の女性は働くことができず、ほとんど財産も相続できず、裕福な男性に嫁がなければ生活が立ちゆかなくなる時代背景を知るにつれ、逆に資産家であるダーシーを拒むエリザベスこそがある意味変人だったのかもしれないと考えるようになった。頭の回転が速く、はっきりと物を言い、己の間違いから目をそむけないエリザベスは、わたしが想像する「いい女」のイメージにかなり影響を与えている。

Honoré de Balzac (1799-1850)
Old Goriot (France)(邦題《ゴリオ爺さん》)
初読時は主人公である没落貴族の末裔ラスティニャックが、ゴリオ爺さんの娘のひとり、ニュシンゲン夫人にあからさまに取り入るさまにドン引きした。しかし、当時のパリでは貴婦人たちがお気に入りの若者ーー美貌で聡明、野心あふれる者達ーーを恋人扱いし、見返りに出世を支援することがよくあったと知り、カルチャーショックを受けた。病死したゴリオ爺さんの墓前でラスティニャックが「成り上がってやる、勝負だ」などと独白したその足で、ニュシンゲン夫人との晩餐会に出かけるというラストシーンがなんとも気味悪く、貧乏で才気煥発な若者が、父親を金蔓としか思わず、金が尽きれば病死するにまかせるような女におべっかを使わなければ出世できない皮肉が忘れられなかった。社会の現実というものを考えるいいきっかけになったと思う。

Samuel Beckett (1906-1989)
Trilogy: Molloy, Malone Dies, The Unnamable (Ireland) (邦題: 三部作《モロイ》《マロウンは死ぬ》《名付けえぬもの》)

 

Giovanni Boccaccio (1313-1375)
Decameron (Italy)(邦題《デカメロン》)
 

Jorge Luis Borges (1899-1986)
Collected Fictions (Argentina)(邦題《伝奇集》)
 

Emily Brontë (1818-1848)
Wuthering Heights (England) (邦題《嵐が丘》)
エミリー・ブロンテの《嵐が丘》は英国文学史上最高傑作だと名高いけれど、初読時は異様にねちっこい性格の主人公ヒースクリフも、彼が執着する(あれを愛情とは思えなかった)キャサリンも狂気じみているとしか思えなかった。姉のシャーロット・ブロンテの名著《ジェイン・エア》初読時も、自分を世話する大人にいい顔すれば食べものをもらえるのにそうせず、変なプライドで意地張っているようにしか見えないジェインが好きになれなかった。ブロンテ姉妹の作品は、わたしにとって、喉に刺さった小骨のように不快感を残すけれど、なぜか忘れられない。ジェインやキャサリンのようになりたくないという意味で、思考に影響しているとは思う。

Albert Camus (1913-1960)
The Stranger (France)(邦題《異邦人》)
 

Paul Celan (1920-1970)
Poems (Romania/France)
 

Louis-Ferdinand Céline (1894-1961)
Journey to the End of the Night (France)(邦題《夜の果てへの旅》)
 

Miguel de Cervantes Saavedra (1547-1616)
Don Quixote (Spain)(邦題《ドン・キホーテ》)
 

Geoffrey Chaucer (1340-1400)
Canterbury Tales (England) (邦題《カンタベリー物語》)
 

Joseph Conrad (1857-1924)
Nostromo (England)(邦題《ノストローモ》)
 

Dante Alighieri (1265-1321)
The Divine Comedy (Italy)(邦題《神曲》)
 

Charles Dickens (1812-1870)
Great Expectations (England)(邦題《大いなる遺産》)

ブログ記事参照。ある程度人生経験を重ねてから読めばどんどん先に進まずにはいられなくなる。若いころに大切にしていたもの、軽んじていたものが、実は真逆であったと気づいたときには、たいていすでに取返しがつかない。《大いなる遺産》はこのことをこれ以上なく鮮烈に見せつける悲喜劇である。

<英語読書チャレンジ 3/100> Charles Dickens “Great Expectations”(邦題《大いなる遺産》) - コーヒータイム -Learning Optimism-

Denis Diderot (1713-1784)
Jacques the Fatalist and His Master (France)(邦題《運命論者ジャックとその主人》)
 

Alfred Döblin (1878-1957)
Berlin Alexanderplatz (Germany)(邦題《ベルリン・アレクサンダー広場》)
 

Fyodor M. Dostoyevsky (1821-1881)
Crime and Punishment (Russia) (邦題《罪と罰》)

 

The Idiot (Russia)(邦題《白痴》)

 

The Possesed (Russia) 邦題《悪霊》)

 

The Brothers Karamazov (Russia) (邦題《カラマーゾフの兄弟》)
ブログ記事参照。第一部でこれなのだから、作者の死により書かれなかった、アレクセイが主人公だという第二部はどれほどの傑作になりえただろう。

【おすすめ】読まずに死ねない〜ドストエフスキー《カラマーゾフの兄弟》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

George Eliot (1819-1880)
Middlemarch (England)(邦題《ミドルマーチ》)
ブログ記事参照。副題のとおり、小説というより研究文献というべき作品。

<英語読書チャレンジ 44 / 365> G.Eliot “Middlemarch”(邦題《ミドルマーチ》) - コーヒータイム -Learning Optimism-

Ralph Ellison (1914-1994)
Invisible Man (USA)(邦題《見えない人間》)
 

Euripides(ca. 480-406 BC)
Medea (Greece)(邦題《メディア》)
中野京子著「怖い絵」シリーズでメディアの絵が紹介されたことをきっかけに知った。夫であるイアーソーンに裏切られたメディアが、滾る怒りのままにイアーソーンが結婚しようとしていた王女とその父親である国王を焼き殺し、さらにイアーソーンとの間にもうけた子供二人までみずからの手で殺して、駆けつけたイアーソーンを「おまえのせいだ!」と痛罵して去る、という物語は、いざとなればここまでする女の怖さを凝縮して顔面めがけてたたきつけられるようで、鳥肌が立った。

William Faulkner (1897-1962)
Absalom, Absalom! (USA)(邦題《アブサロム、アブサロム!》)
 
The Sound and the Fury  (USA)(邦題《響きと怒り》)
 

Gustave Flaubert (1821-1880)
Madame Bovary (France)(邦題《ボヴァリー夫人》)

A sentimental Education (France)(邦題《感情教育》)
 

Federico García Lorca (1898-1936)
Gypsy Ballads (Spain)(邦題《ジプシー歌集》)
 

Gabriel García Márquez (b. 1928)
One Hundred Years of Solitude (Colombia)(邦題《百年の孤独》)
ブログ記事参照。要約不可能、全文読むべし。

要約はできない。全文読むべし《百年の孤独》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Love in the Time of Cholera (Colombia)(邦題《コレラの時代の愛》)
 

Gilgamesh (ca. 1800 BC)
Mesopotamia(邦題《ギルガメシュ叙事詩》)
 

Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832)
Faust (Germany) (邦題《ファウスト》)
ブログ記事参照。初読時はグレートヒェンを妊娠させて不幸のどん底に落としておきながらのうのうと魔女の夜会に参加するファウストのことを最低野郎だと思っていたが、彼が選んだ「時よ止まれ、お前は美しい」という場面があまりに衝撃的で、ファウストが生きることをどう思っていたのか考えずにはいられなかったが、わたしにはまだわからない。

ゲーテ《ファウスト 第1部》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

ゲーテ《ファウスト 第2部》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Nikolaj Gogol (1809-1852)

Dead Souls (Russia)(邦題《死せる魂》)
 

Günter Grass (b. 1927)
The Tin Drum (Germany)(邦題《ブリキの太鼓》)
 

João Guimarães Rosa (1880-1967)
The Devil to Pay in the Backlands (Brasil)
 

Knut Hamsun (1859-1952)
Hunger (Norway)(邦題《飢え》)
 

Ernest Hemingway (1899-1961)
The Old Man and the Sea (USA)(邦題《老人と海》)
老漁師の目に映る海の描写がすばらしくて、海に近いところで生まれ育った思い出がよみがえって泣きそうになる。貧困にあえぐ老漁師はある日、これまでにないほど大きい、漁船よりもまだ体長があるカジキに餌を食わせることに成功するが、なお体力衰えないカジキを相手に、老漁師の孤独な闘いが始まる。少年は涙を流し、疲労の極致にいたった老漁師は眠る。人は自然の摂理のなかにあり、老いること、力弱ること、奮いたつこともまた自然の摂理であるということを思い出させ、恐れることではないという気持ちにさせてくれる作品。

Homer (ca. 700 BC)
The Iliad (Greece)(邦題《イーリアス》)
大学時代にひまをもてあまして図書館で読んだ。トロイア戦争終盤、ある事件をきっかけにギリシャ勢の勇士アキレウス(アキレス腱の語源)と総大将アガメムノーンが喧嘩し、アキレウスが戦場放棄してテントにこもってしまうという、3000年近く前に書かれたとは思えないほど人間臭く共感しやすい物語。ギリシアの神々が各陣営にわかれて人間の戦争に肩入れするのが面白い。アガメムノーンとアキレウスの喧嘩場面は現代にもそのままありそうで、何千年経過しても人間変わらねーなーと心底思ったことを覚えている。

The Odyssey (Greece)(邦題《オデュッセイア》)
子どもの頃、児童向け文学全集で読んだ。オデュッセウスが航海中、部下6人を怪物に食わせるか、船ごと破壊されるかという残酷な二択を迫られ、嘆きながらも部下6人の犠牲を選んだところ。ここが一番衝撃的だった。子どもの頃は、オデュッセウスが下した選択のせいで部下が死ななければならないのかと理不尽に思ったものの、大人になってからは、「効率良く味方を殺す」ことができなければ全滅するしかないときもあるのだと知った。早々に現実の冷酷さを思い知らされたといえる。

Henrik Ibsen (1828-1906)
A Doll's House (Norway)(邦題《人形の家》)
 

The Book of Job (600-400 BC) (Israel)(邦題《ヨブ記》)
 

James Joyce (1882-1941)
Ulysses (Ireland)(邦題《ユリシーズ》)
 

Franz Kafka (1883-1924)
The Complete Stories (Bohemia)

 

The Trial (Bohemia)(邦題《審判》)

 

The Castle (Bohemia)(邦題《城》)
 

Kalidasa (ca. 400)
The Recognition of Sakuntala (India)(邦題《シャクンタラー》)
 

Yasunari Kawabata (1899-1972)
The Sound of the Mountain (Japan)(《山の音》)
ブログ記事参照。日本人読者の心に沁みるおだやかな短編小説連作集。

流れゆく時からふと汲みあげた小説〜川端康成《山の音》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Nikos Kazantzakis (1883-1957)

Zorba the Greek (Greece)(邦題《その男ゾルバ》)
 

D.H. Lawrence (1885-1930)
Sons and Lovers (England)(邦題《息子と恋人》)
 

Halldór K. Laxness (1902-1998)
Independent People (Iceland)
 

Giacomo Leopardi (1798-1837)
Complete Poems (Italy)
 

Doris Lessing (b. 1919)
The Golden Notebook (England)(邦題《黄金のノート》)
 

Astrid Lindgren (1907-2002)
Pippi Longstocking (Sweden)(邦題《長くつしたのピッピ》)
 

Lu Xun (1881-1936)
Diary of a Madman and Other Stories (China)(邦題《狂人日記》他)
ブログ記事参照。激動の時代に放たれた怒りと告発の叫びは、さまざまに政治利用されながら、今なお力強い。
家畜の安寧に甘んじるなという叫び〜魯迅《小説集・呐喊》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Mahabharata (ca. 500 BC) (India)(邦題《マハーバーラタ》)

 

Naguib Mahfouz (b. 1911)
Children of Gebelawi (Egypt)
 

Thomas Mann (1875-1955)
Buddenbrooks (Germany)(邦題《ブッデンブローク家の人々》)


The Magic Mountain (Germany)(邦題《魔の山》)

 

Herman Melville (1819-1891)
Moby Dick (USA)(邦題《白鯨》)
 

Michel de Montaigne (1533-1592)
Essays (France)
 

Elsa Morante (1918-1985)
History (Italy)(邦題《イーダの長い夜 ― ラ・ストーリア》)
 

Toni Morrison (b. 1931)
Beloved (USA)(邦題《ビラヴド》)
 

Shikibu Murasaki
The Tale of Genji (Japan)(《源氏物語》)
日本人なら説明不要の超有名古典だけれど、通読できた人はそれほどいないと思う。わたしもあらすじはわかるけれど読み通せたのはほんのわずか。けれど、《源氏物語》をきっかけに王朝文化に興味をもつようになったのだから、影響ははかりしれない。

あなたの知らない平安時代へようこそ〜山本淳子『平安人の心で「源氏物語」を読む』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Robert Musil (1880-1942)

The Man without Qualities (Austria)(邦題《特性のない男》)
 

Vladimir Nabokov (1899-1977)
Lolita (Russia/USA)(邦題《ロリータ》)
 

Njals saga (ca. 1300)  (Iceland)
 

George Orwell (1903-1950)
1984 (England)
ブログ記事参照。不快極まりないディストピア。これ以上説明する気にもなれない。けれど私はこの本を忘れることができないだろう。目を背けたい真実を突きつけられるからこそ不快極まりないのだから。

身震いするほどの不快感〜ジョージ・オーウェル《1984》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Ovid (43 BC-17 e.Kr.)

Metamorfoses (Italy)(邦題《変身物語》)

ブログ記事参照。

ギリシャ神話の元ネタはこの一冊〜オウィディウス《変身物語》 - コーヒータイム -Learning Optimism-
 

Fernando Pessoa (1888-1935)
The Book of Disquiet (Portugal)
 

Edgar Allan Poe (1809-1849)
The Complete Tales (USA)
ブログ記事参照。現代探偵小説の基礎を築いた点ではどれほど感謝してもしきれない。

さまざまなジャンルの小説の原型を打ち立てた傑作たち〜エドガー・アラン・ポー《全集》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Marcel Proust (1871-1922)

Remembrance of Things Past (France)(邦題《失われた時を求めて》)
 

François Rabelais (1495-1553)
Gargantua and Pantagruel (France)(邦題《ガルガンチュワとパンタグリュエル》)
 

Juan Rulfo (1918-1986)
Pedro Páramo (Mexico)(邦題《ペドロ・パラモ》)
 

Jalal ad-din Rumi (1207-1273)
Mathnawi (Iran)
 

Salman Rushdie (b. 1947)
Midnight's Children (India/England)(邦題《真夜中の子供たち》)
 

Sheikh Musharrif ud-din Sadi (ca. 1200-1292)
The Orchard (Iran)
 

Tayeb Salih (b. 1929)
Season of Migration to the North (Sudan)(邦題《北へ還りゆく時》)
ブログ記事参照。

20世紀アラブ文学の最高傑作〜サーレフ《北へ遷りゆく時》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

José Saramago (b. 1922)
Blindness (Portugal)(邦題《白の闇》)
 

William Shakespeare (1564-1616)
Hamlet (England)(邦題《ハムレット》)
"Frailty, thy name is woman." "To be or not to be, that is the question."などの名台詞がとても多い、シェークスピア最高傑作のひとつ。復讐者ハムレットが、結局は自分自身が殺したポローニアスの娘、愛するオフィーリアを自殺で失い、息子レアティーズの復讐によって死亡するという連鎖的結末がひどく皮肉。なんともいえない後味悪さ。

King Lear (England)(邦題《リア王》)
あどけない子供時代にはじめて触れた「善人が報われない」お話が《リア王》だった。読んだ当時は言葉にできなかったけれど、「理不尽」「不条理」ということを感じたのは《リア王》が人生最初だった。とはいえ、たかだか末娘コーディリアが父親リア王への愛情を美辞麗句で飾り立てなかったくらいのことで、激怒して絶縁宣言するリア王がその後受ける仕打ちは、自業自得だといまでも思う。

Othello (England)(邦題《オセロー》)
恐怖。オセローが狡賢いイアーゴーの作り話に騙されて、新妻デズデモーナが浮気したのではないかと疑い始める瞬間がとてつもなく怖い。オセローがムーア人(北西アフリカのイスラム教徒のこと。とはいえオセロー自身はキリスト教に改宗している)で肌黒く、年配であることから、ヴェネツィア出身の若く美しい白人女性であるデズデモーナが本気で愛してくれているのか自信をもてなかったことが、彼女の浮気を疑った根本的原因である。そこを容赦無くえぐる悪魔のごときイアーゴーのやり口は、人間に疑いの心を起こさせ、操り、間違いをおかさせるのがいかに簡単かを見せつけているよう。恐怖にわななきながら一気読みした。

Sofokles (496-406 BC)
Oedipus the King (Greece)(邦題《オイディプス王》)
父親を殺し、母親を娶り、そのことが発覚してみずからの両眼を突いて失明したオイディプス王の衝撃もさることながら、フロイトが「父殺しは人がもつ根源的欲望である」などと説明したおかげで、空恐ろしいほどの影響をもつようになってしまった。スター・ウォーズからエヴァンゲリオンシリーズまで、息子が父親を越えようと悪戦苦闘する物語は星の数ほどあるけれど、オイディプス王はこれらの物語に〈核〉を与えたのだろう。

Stendhal (1783-1842)
The Red and the Black (France)(邦題《赤と黒》)
 

Laurence Sterne (1713-1768)
The Life and Opinions of Tristram Shandy (Ireland)(邦題《トリストラム・シャンディ》)
 

Italo Svevo (1861-1928)
Confessions of Zeno (Italy)
 

Jonathan Swift (1667-1745)
Gulliver's Travels (Ireland)(邦題《ガリヴァー旅行記》)
子どもの頃、児童向け文学全集で読んだ。「一本の麦、一本の草しか生えぬ荒れた地に、二本の麦、二本の草を生やすことができる人物……そういう人物こそ、つまらぬ政治の書物を何十冊も読んだ者よりも王にふさわしい」という巨人国の国王の言葉がひどく印象的で、それがわたしの読書経験の根底にあると思う。読書は必要だ、だが実践に勝てるものではない、と。

Lev Tolstoj (1828-1910)
War and Peace (Russia)(邦題《戦争と平和》)
ブログ記事参照。これは長編小説ではなく、ナポレオンのロシア侵攻という歴史事件を、分解し、解析し、歴史をつくるのは英雄ではなく無数の意志をもつ無数の人々であるという視点から再構築するという挑戦そのもの。主人公のひとりピエールがヘタレすぎるが、流されやすく、思いこみが激しく、常に自分の代わりにものごとを決めてくれる人を探しているようなピエールのふるまいは、わたしにも身に覚えがあることばかりでいたたまれなくなる。

歴史に人々が流されるか、人々が歴史をつくるか〜トルストイ《戦争と平和》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Anna Karenina (Russia)(邦題《アンナ・カレーニナ》)
ブログ記事参照。愚かな女の悲劇と切り捨てるのはたやすいけれど、アンナがこれほど魅力的なのは、彼女が苦悩しながら、女性に課せられたさまざまなしがらみを身にまといながら、望むままに生きようとしたためかもしれない。

男と女の視線がからみあうとき《アンナ・カレーニナ》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

The Death of Ivan Ilyich and Other Stories (Russia)(邦題《イワン・イリイチの死》)

ブログ記事参照。中年以降ではめちゃくちゃ刺さる。この点では《タタール人の砂漠》も必読。

【おすすめ】最後まで読むには勇気がいる〜トルストイ《イワン・イリイチの死》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Anton P. Tsjekhov (1860-1904)

Selected Stories (Russia)
ブログ記事参照。さまざまな短編小説と戯曲の多くは「ここではないどこか」「いまの生活ではないなにか」を求める人々の苦難と葛藤を描写している。中年過ぎればめちゃくちゃ刺さる。「いま、ここを離れればきっとなにもかもうまくいく」という夢が、家庭、子供、仕事……などにとりこまれてしだいに消え失せ、ついには何者にもなれないまま、いまの境遇を受け入れざるを得なくなるから。
ここではないどこか、いまの生活ではないなにか〜アントン・チェーホフ《チェーホフ全集》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Thousand and One Nights (700-1500) (India/Iran/Iraq/Egypt) (邦題《千夜一夜物語》または《アラビアン・ナイト》)

子どもの頃、「イスラム教」という言葉すら知らないときに児童向け文学全集で読んだ。私がはっきり覚えているのは海の信心深い人魚アブドーラと陸の信心深い人間アブドーラの物語。人魚アブドーラは、人間アブドーラの信心深さを好ましく思い、友情を育むが、人間アブドーラが、人間たちは葬式で泣くのだと語ることで人魚は激怒する。うろ覚えだがこんな言い分だったと思う。

「死ぬことは神さまに生命をお返しすることですよ!海ではみんな死ぬことを喜ぶのです。お葬式は、お祭りですよ!神さまに生命をお返しすることを悲しむなんて、それでよく信心深いと言えたものですね!おおいやだ!おまえさんとは、もう、これっきり!」

かんかんに怒って海に帰ってしまう人魚の言い分が、子どものころの私には全然理解出来なかった。いまでも理解出来るとは言いがたい。ただ、〈千夜一夜物語〉に繰返し出てきて、あこかれをもって語られる繁栄都市バグダッドを、幼い日の私は記憶にとどめた。

Mark Twain (1835-1910) 

The Adventures of Huckleberry Finn (USA)(邦題《ハックルベリー・フィンの冒険》)
ブログ記事参照。黒人奴隷と交流すること自体が恥ずべきことだと考えられていた南北戦争前後、白人少年ハックルベリー・フィンが逃亡奴隷のジムとしだいに心を通わせながらも宗教的良心に苦しむところは、いかにその時代の価値観から逃れることが困難であるのかをわたしたちに見せつける。無自覚にすりこまれる価値観だからこそ恐ろしい。そのことを自覚させてくれるすばらしい物語。

黒人として、友達として〜マーク・トウェイン《ハックルベリー・フィンの冒険》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

Valmiki (ca. 300 BC)
Ramayana (India)(邦題《ラーマーヤナ》)
 

Vergil (70-19 BC)
The Aeneid (Italy)(邦題《アエネーイス》)

ブログ記事参照。ローマ帝国建国神話〜ウェルギリウス《アエネーイス》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

 Walt Whitman (1819-1892)
Leaves of Grass (USA)(邦題《草の葉》)
 

Virginia Woolf (1882-1941)
Mrs. Dalloway (England)(邦題《ダロウェイ夫人》)
ブログ記事参照。「意識の流れ」という新手法〜ヴァージニア・ウルフ《ダロウェイ夫人》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

To the Lighthouse (England)(邦題《灯台へ》)
 

Marguerite Yourcenar (1903-1987)
Memoirs of Hadrian (France)(邦題《ハドリアヌス帝の回想》)

ギリシャ神話の元ネタはこの一冊〜オウィディウス《変身物語》

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。ギリシャローマ神話集大成とされる数万行にのぼる叙事詩であり、およそ250もの〈変身〉物語が集められ、お互いに絡まり縒り合わさりながら、この世の始まりとされる混沌時代、陸海空に分かちて神々が誕生する神話時代から、詩人が生きた時代であるローマ帝国皇帝アウグストゥスの御代までの歴史物語りをうたう。西洋古典絵画はほとんど、日本で知られるギリシャ神話物語の多くはこの《変身物語》を典拠とするというからすごい。

https://www.bokklubben.no/SamboWeb/side.do?dokId=65500

 

〈変身〉と言われれば脳内にフリーザ様が降臨して「このフリーザは変身をするたびにパワーがはるかに増す…その変身をあと2回もオレは残している…その意味がわかるな?」とニヤるのだけど(笑)、オウィディウスの〈変身 (Metamorphoses)〉はパワーアップが目的ではなく、神々が人間の美女とおつきあいするために人間その他に化けたり、逆に神罰として人間を動植物などに変えたりするお話が多い。

内容としては、登場人物や神々が多すぎて家系図がほしくなるくらいだが (*1) 、21世紀現在にテレビドラマ化してもちっとも色褪せないであろう、魅力的なエピソードが山盛り。主神ユピテル(ゼウス)は登場のたびにアホな人間にキレて雷電をふりまわすか(*2) 、人間やニンフの美女に恋して追いかけまわすか (*3) 、美女に手を出してできた子どもを正妻ユノー(ヘラ)の嫉妬から守ろうとするかしている。ユノーはユピテルの浮気に毎回嫉妬するわ激怒するわ、相手の女に容赦ない神罰を下すか、ユピテルと女の間にできた子どもをいじめ通す (*4)。ユピテルとユノーをとりまく神々も以下同文。いつの時代にも愛憎劇やゴシックネタは大人気だが、作者はそれをわかっていて、あえてギリシャ神話を(当時のローマ帝国の)市民向きに面白おかしく語るため、このようなネタをふんだんに取り入れたのではないかと疑うほど。

(*1) おそらく神代から続くローマ皇帝家と諸貴族の系譜の正統性を説明し、賛美するのも目的のひとつなのだろう。美男美女が神々に惚れこまれて子をなし、本人はたいてい嫉妬にさらされてろくでもない目にあわされるのだが、子どもは神の血族として偉大な戦士に成長し、なんちゃら国家やなんとかの一族の開祖となった、というのが典型的なパターン。ローマ帝国の開祖とされるアエネーアースは、女神ウェヌス(ヴィーナス)が人間の男性との間にもうけた子とされる。ウェヌスは系譜上ユピテル(ゼウス)の直系血族なので、ローマ帝国開祖は主神ユピテルの血をひく存在であるぞ、というわけ。

(*2) アポロンの息子パエトンが太陽神の馬車を暴走させたときに仕方なくとはいえパエトンを雷電で打ち殺し、激怒したアポロンが仕事=毎日太陽を昇らせ沈ませることを放棄しかけ、神々がなだめすかすエピソードがでてくる。日本神話で天照大御神が天の岩戸に閉じこもったエピソードに少し似ている。

(*3) ヨーロッパの語源となったエウロペ、のちにエジプトに渡りイシス女神と同一視されるイーオー、のちにトロイア戦争のきっかけとなるヘレネを産むスパルタ王妃レダ、英雄ペルセウスを産む王女ダナエ、ほか多数。

(*4) 代表例がユピテルミュケナイ王女アルクメネの間にできた英雄ヘラクレスヘラクレスがらみでは、ユピテルアルクメネの婚約者に化けて彼女をものにし、産まれてきたヘラクレスを寝ているユノーに押しつけて乳を吸わせる、というクズさ。そりゃユノーもマジギレするよ。

 

面白いのは、《変身物語》の中にさまざまな物語と類似したエピソードが見出せること。主神ユピテル(ゼウス)が人間のあまりのだらしなさにキレて大洪水を起こし、地上から人間をほぼ一掃したあと、ただ二人生き残った信心深い夫婦が神託を受けてふたたび人間を生み出す話はどう見ても《旧約聖書》のノアの方舟にそっくり。ちなみに信心深い夫の方はデウカリオンという名前で、父親は人類に火をもたらしたプロメテウス (*5) 。妻はピュラという名前で、父親はプロメテウスの弟エピメテウス、母親は人類最初の女性パンドラ (*6) 。ようするに神の末裔である。

(*5)プロメテウスは、混沌から天地が分かれたばかりのころ、清浄な天から分離した土を雨水と混ぜあわせ、神の似姿として人間をつくったとされ、自分の創造物である人間によく肩入れする。しかし火を盗んで人間に与えたことでプロメテウスはユピテルの怒りにふれ、岩場に鎖でつながれて大鷲に肝臓をつつかれ喰われる罰を受ける。ひどい。

(*6) プロメテウスが火を盗んだあと、ユピテルは人間がこれ以上強くならないよう、鍛治神ヘパイストスに命じて人類に災いをもたらすものをつくらせた。ヘパイストスが人間の女性パンドラをつくると、ユピテルはパンドラがエピメテウスの妻となるよう仕向けた。後にパンドラは有名な〈パンドラの箱〉を開け、地上に災厄を振りまく。ちなみにこのエピソードは《変身物語》ではなくヘシオドス《神統記》に登場し、これをもってヘシオドスが大の女嫌いとする説もあるとか。

20世紀アラブ文学の最高傑作〜サーレフ《北へ遷りゆく時》

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。原題はSeason of Migration to the North。スーダン出身の作家サーレフの代表作で、20世紀アラブ文学の最高傑作ともいわれる。邦訳としては、河出文庫新社から刊行されている現代アラブ小説全集では《北へ遷りゆく時》というタイトルで収録されているが、現在は絶版。図書館で借りるほかない。

https://www.bokklubben.no/SamboWeb/side.do?dokId=65500

内容としては、植民地化前後のナイジェリアで西欧文化と土着文化がぶつかりあうさまを書いた《崩れゆく絆》と似ているが、《北へ遷りゆく時》は国家ではなく個人レベルでのアイデンティティの葛藤と崩壊をとりあげている。《崩れゆく絆》の読書感想は以下記事参照。

ナイジェリアとイギリスの価値観が出会うとき〜チアヌ・アチェべ《崩れゆく絆》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

《北へ遷りゆく時》の時代設定は1930年代。主人公である「私」はスーダン出身で、郷里はナイル川にのぞむある小さな村。イギリスに7年間留学、英国詩研究で博士号取得後、帰国。故郷の村を離れ、都会である程度社会的地位を築いている。

「私」ははじめて帰郷したとき、新顔が増えていることに気づいた。ムスタファー・サイードというその男は5年前にやってきた他所者で、地元の娘を娶り、小さな農場を経営しているという。口数が少なく、礼儀正しいムスタファーを「私」は最初気にしていなかったが、ある集まりで、酒に酔ったムスタファーがいきなり正確な発音で英語の詩を朗詠したことに度肝を抜かれた。しかも英国詩の専門家であるはずの「私」でさえすぐには出典がわからなかった(のちにそれが第一次世界大戦の詩華集の一節であることが明かされる)。

強烈な興味にかられた「私」に、ムスタファーは過去を語り始める。彼は1898年産まれで父とは死別しており、「(シェイクスピアの悲劇に登場する)オセローと同じ、アラブ系アフリカ人」である。当時スーダンはイギリスに植民地化されており、植民地政策の一環として地元民の義務教育が推進されていたことから、読み書きを習うことができた。まもなく彼が天才的頭脳の持ち主であることが明らかになり、小学校を飛び級で卒業後、エジプトのカイロで学び、15歳でロンドンに留学。国際経済学を学び、植民地主義や経済学について何冊もの著書がある。留学中に既婚未婚問わずさまざまな女性と浮名を流し、28歳で恋愛結婚したが、短い結婚生活後にある事件で妻と死別し、ロンドンを離れたという。

ムスタファーが「私」にこのことを話したしばらく後、彼は自死とも事故ともつかない状況で死亡する。残されたのは未亡人フスナ・ビント・マフムードと10歳に満たない子どもたちであった。なぜか後見人に指名された「私」は「私」なりにムスタファーの未亡人と遺児の世話をするが、やがて彼女に40も年上のやもめ小金持ちとの再婚話がもちあがる。女性は男性の持ち物であるという伝統的考えが根付き、女子割礼の風俗があるこの村では、フスナの父親であるマフムード氏が再婚話に同意すれば、本人に断る権利はない。だが「私」はフスナに、村の女性にはない自意識の芽生えのようなものを感じていた。果たして事件は起きてしまうーー。

 

自己葛藤は幾重にも張り巡らされている。天才ともてはやされスーダンからイギリスに留学したムスタファー・サイード。明らかにムスタファーの影響を受けているその妻。同じくイギリスで博士号を取得し、地元で大々的に報道されて知らぬものはないほど有名になった「私」。とくにムスタファーは伝統的文化について手ほどきしてくれるはずの父親をもたず、ロンドンでちやほやされながらもアイデンティティ確立に至らず、ついには悲痛な独白をする。

「このムスタファー・サイードなどという男は存在しないのです。彼は幻覚、虚偽にすぎません。私は皆様にお願いいたします。この虚偽を死刑に処するようお取りはからいください」

さまざまな読み方があるようだけれど、私はここに、帰属するコミュニティ、いわゆる地縁を見出すことができない男の絶望的な叫びを読み取る。

<英語読書チャレンジ 72 / 365> 留学生 (International Student) の現状と就職事情 (2)

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。
今回は海外留学についてのテーマ読書のつづき。かねてより興味がある海外留学事情について関連書を読み、まとめてみた。前回記事はこちら。
<英語読書チャレンジ 69-71 / 365> 留学生 (International Student) の現状と就職事情 (1) - コーヒータイム -Learning Optimism-

 

イギリス

イギリスで高等教育を受けたあとの卒業生の進路を調査したものが以下のレポート。

What do graduates do? (WDGD)

What do graduates do? 2023/24 | Luminate

Longitudinal Educational Outcomes (LEO)

LEO Graduate and Postgraduate Outcomes, Tax year 2020-21 – Explore education statistics – GOV.UK

Destinations of Leavers from Higher Education Longitudinal survey | HESA

 

参考文献

イギリス留学事情と留学生の就職事情をまとめた本。2019年1月出版とやや古いのが難点。コロナ禍後はさまざまな変化があったことだろう。

内容としてはタテマエ寄り。留学生の中でも、ビザ要件が比較的緩いEU出身者や旧植民地出身者を意識しているのか、ビザ取得についての記述はかなり少ない。卒業後、企業に就労ビザをスポンサーしてもらう必要があるため就職活動が難航しがちであることを率直に認め、学生起業も一つの選択肢だとばかりにあれこれ紹介しているのが面白い。

本書によれば、イギリスの大学は4種類に大別される。

  1. 12世紀から16世紀にかけて創設された "Ancient universities" (オックスフォードなど)
  2. 19〜20世紀冒頭に産業発展とともに創設された "Red brick universities"
  3. 20世紀半ばから1992年頃にかけて創設された(一部は職業訓練校としての性格が強い) "Plate glass universities"
  4. 1992年の教育制度改革後に設立された "New universities" 

大学選びにあたり、評判(イギリスだとオックスフォードとケンブリッジアメリカだとアイビーリーグが最高峰とされるのはご存じのとおり)、世界的大学ランキングでのランク、教育水準、就職実績が大切になるのは日本国内の大学出願と同じ。

QS World University Rankings, Events & Careers Advice | Top Universities

World University Rankings | Times Higher Education (THE)

就職についてはワークショップ (employability workshops) 、採用説明会 (recruitment fairs) 、専攻関連企業が企画するイベント (employer sponsored events) などがある。在学期間中にインターンシップなどでとにかく仕事経験と呼べるものを積み、狙う企業のコネを獲得しなければならないため、大学を選ぶ段階で、企業とのコネクション(共同研究や寄附講座など)を調べあげなければならない。この辺は日本よりもさらにシビアで熾烈だといえよう。

X (旧Twitter) 上で見かけた「弱い立場にいても、工夫次第で逆境を乗り越える事がテーマ」「留学生としての立場で異国の地で挑戦する姿」という紹介が刺さってKindleで即買い。著者はイギリス出身、カナダのトロント大学留学経験をもつ。

弥次さん喜多さんならぬ北さん喜多さん〜宮部みゆきが本所深川を舞台に贈るシリーズ物『きたきた捕物帖』他

日本語で読むなら歴史小説が好き。

中国語で読むなら社会派小説や企業小説が好き。

英語で読むならミステリーやファンタジーやSF。

差を生むのは予備知識の量である。小説は気軽に読みたいのにいちいち「当然のように名前が出てきたけど誰これ?」「誰と誰がどういう親戚だって?」とひっかかっているようなら楽しめない。中国清王朝の有力大臣や政治事情やら、ヨーロッパの王室間婚姻事情やら、そんなものが頭に入っていないものだから、自然と予備知識なしでも想像力である程度補えるジャンルを手にとることが増える。この点恋愛小説などは王道中の王道であるが、若い頃に読みすぎて少々飽きた。

こういうわけで歴史小説は日本語で読むことがほんどだが、この〈きたきたシリーズ〉は最近読んだものの中でダントツで面白い。シリーズ一作目は図書館で借りたが、翌日には書店に走って続編まで買いそろえるくらいにはハマった。

江戸時代、浅草御門の東にある大川(隅田川)にかかる両国橋を渡れば、そこは本所深川である。

本所深川は元町に住み、深川一帯をあずかる岡っ引きの文庫屋(文庫は本などを入れる厚紙製の箱)・千吉親分が、正月をすぎたある小雪がちらつく日にふぐをさばき、ふぐ鍋にあたって急死した。千吉親分のもとで絵入り文庫〈朱房の文庫〉を売って生計をたてていた北一は窮地に立たされる。北一自身は親なし同然で頼れる人もおらず、小柄で痩せっぱち、性格もどこか頼りない。千吉親分の跡をついで文庫屋を営む万作・おたま夫婦と折り合いが悪く、いつ文庫を卸してもらえなくなるかわからないその日暮らしの日々が続く。

そんな北さんが巻きこまれる珍騒動は眉唾すぎて笑えるものばかり。祟る福笑いだの、神隠しにあう双六だの、死んだ前妻の生まれ変わりだの、怪談話のド定番すぎて読む方はついつい笑いたくなるネタばかり。しかし北さんたちは大まじめ。なんといっても実際に被害者がでる。福笑いを所有する家では次々病人がでるし、双六で遊んだ子どもが行方不明になり町中総出でさがす。頼れる親分であった千吉の名を汚したくない。万作・おたま夫婦の店から出て深川元町の南側にある冬木町に移り住んだ、盲目だけれどとてつもなく鋭く頭が回る千吉親分の未亡人・松葉に相談しながら、北一はどうにか助けにならないかと走りまわる。

そんなある日、北さんが出会ったのが、もう一人の〈きたさん〉。本所深川の東端、扇橋町の湯屋「長命湯」の裏庭で行き倒れていたのを拾われ、そのまま雇われたという喜多次である。これが明らかに謎多き人物で、どうやら家紋(のようなもの)持ちの一族出身らしい。厳然たる身分制度がある江戸時代において、家紋持ちはそれだけで庶民ではありえない。しかも本人は無口ながら恐ろしく頭がまわり、腕が立つ。そんな喜多次はある出来事をきっかけに北一に恩義を感じ、助けるようになる。ここに〈きたきた捕物帖〉の舞台が完成する。

事件というものは、解決した後にも、何かしらすっきりしないものを残す。

小説末尾にこうある。水戸黄門のようにスッキリ解決というふうには決していかないのが、この本にでてくる事件である。それでも北さんは文庫の振り売りをしなければ食べていけないし、亡き千吉親分が残した名声と〈朱房の文庫〉を大事に守っていきたいと日々奮闘している。泥臭く足掻いている。その泥臭さになにかしら共感を覚えるのは、生きてゆくことは大変だけれどそれでも、という、生きる力のようなものを北さんに、小説に感じるからだ。

宮部みゆきさんの作品で私を魅了するのはいつもこの「生きている」という感覚だ。小説は終わっても登場人物たちの人生は続く。腹も減る。やりきれない日々もある。身も世もなく慟哭する時さえある。でも生きてゆく。そのような言葉にならない力を感じるからだ。

〈きたきた〉シリーズの前日譚というか、〈きたきた〉がこの続きにあたるというか。千吉親分の先々代である岡っ引き、本所深川は回向院の茂七親分が活躍するのが『本所深川ふしぎ草紙』。七つの怪談話にのせてその裏に交錯する人情を描く短編集である。

(『ふしぎ草紙』には登場しないが、茂七の若き日の手下・政五郎が、〈きたきた〉では千吉親分の先代にして本所一帯を束ねる大親分、本所回向院裏の政五郎となり、北一をなにかと気にかける。だけどそれはまた別のお話。)

〈きたきた〉の北一がまだ何者でもなく、何でも屋のようにいろいろなことに首をつっこみつつ駆けまわるのに対し、茂七は正真正銘の十手持ち岡っ引き。殺人事件や通り魔事件を捜査するのも仕事のうち。ミステリーの謎解きはもちろん見どころだけれど、その背後にある人の心の動きを抉り出すような話の運びこそが真髄。話の随所にでてくる麦とろ飯やら栗飯やら大福やら、江戸ならではのごはんも美味しそう。

私が一番好きなお話は「送り提灯」。最後の2行の切なさは格別。登場人物では「消えずの行灯」にでてくるおゆうがいっとう好き。分をわきまえたうえでの気っ風の良さはまさに江戸娘。

稲荷寿司、蕪の味噌汁、ぴちぴち白魚の二杯酢ぶっかけ、鰹の刺身、菜の花飯、七草粥、桜餅。旬の江戸ものをちりばめ、味わいながら、回向院の茂七親分が本所深川一帯に起こる大小の事件を解決してゆく短編集。この本で初登場する、富岡橋のたもとに稲荷寿司屋台を出す謎の親父が〈きたきた〉シリーズの喜多次となにやら繋がりがあるとほのめかされておもしろい。

この本に収録された短編ではダントツで「白魚の目」が好きで何度も読み返した。物語終盤で、あることをきっかけに茂七はぴちぴち白魚の二杯酢かけが苦手になったことが語られるが、茂七の手下である糸吉は最初からぴちぴち白魚が苦手である。もしかして?……と推量したくなる。ところでこのお話で重要な場所となるお稲荷さんは、もしかすると〈きたきた〉で北一の住まいとなる富勘長屋の近所にあるという「小さいお稲荷さん」と同じだったりするのだろうか。

ぼんくら同心・井筒平四郎が本所深川北町の鉄瓶長屋で起こる一連のいざこざに巻きこまれるお話。この頃回向院の茂七大親分は米寿、さすがに足腰が弱ってきており、一の手下である政五郎がいろいろなことを実質引き継いでいる。

たまねぎを剥くように一層ずつ、表面にあるできごとが剥かれ、裏側にある人情と怨念と嫉妬のひだが丹念にほぐされ、さらされ、幾重にも隠された真相がしだいに明らかになるストーリーテリングは絶品。個人的には平四郎と煮物屋おかみのお徳さんのかけあいが好き。

本所深川の由来や現状のようなものは、この本でよく語られている。〈きたきた捕物帖〉の北一たちが生きるころはさらに数十年経ち、事情も多少変わってきているかもしれないけれど、根本的なところはそう変わらないであろう。

御府内に組み入れられてまだ数十年しか経っていない本所深川は、万事において開幕以来の朱引きのうちである市中とは別勘定で、町火消しの組織も自分たちで願い出て作り上げ、擁しているほどだ。新開地だから活気はあるが、名主や地主の歴史も浅い。そうなると必然的に、奉行所の本所深川方は、この土地内で起こる事柄に対しては大きな力を持つことになり、時には役職の垣根を越えて、何でも屋のように万事を仕切る。だから、この役職は多忙であると同時にたいへん実入りが多い。

 

日常の中にひそむ非日常〜宮部みゆき『ぼんぼん彩句』

宮部みゆきさんは『模倣犯』を読んで以来のファン。ご本人は「よく知らないものは書けない」と話しているらしいけれど、芸能人とか政治家とかはそれほど書かない一方、ふつうの人々のふつうの日常にひそむものを抉り出すのが戦慄するほど上手い。以前読んだ〈杉村三郎シリーズ〉もまさにこれ。

日常生活にまぎれた悪夢がむき出しにされる瞬間〜宮部みゆき『希望荘』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

日常生活の中に立ちこめる黒雲〜宮部みゆき『昨日がなければ明日もない』 - コーヒータイム -Learning Optimism-

この『ぼんぼん彩句』には面白い仕掛けがあり、宮部みゆきさんの俳句仲間がつくった俳句をお題に短編小説を書く、というやり方で十二の短編小説を仕立てている。

私のお気に入りの句は〈月隠るついさっきまで人だった〉とそれに添えられている短編小説。じわじわ怖くなる系の俳句に、これまたじんわりと月を隠すように暗雲立ち込めてくる小説。誰でも一つ二つ聞いたことがあるような、けれど身内や自分自身に起きると鳥肌が立つような。そんな極上の読書体験は秋の夜長にふさわしい。(怖がりの読者は日の出ているうちに読みましょう。はい、私のことです)

ローマ帝国建国神話〜ウェルギリウス《アエネーイス》

 

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。

https://www.bokklubben.no/SamboWeb/side.do?dokId=65500

 

めっっちゃ面白い!!

ジャンルとしては《古事記》と同じく建国神話。かのホメーロスが《イーリアス》で詠いあげたギリシャトロイアの戦争物語の続きともいえる作品。作者のウェルギリウスギリシア文学に絶大な影響を受けながらローマ文学を打ち立てる試みを障害かけて行い、それがこの《アエネーイス》に結実したという。

物語の世界観は《イーリアス》《オデュッセイアー》と同じ。《イーリアス》で語られるトロイア戦争末期からわずかに後、オデュッセウスが提案した有名な木馬の計(*1) によりトロイアの都は陥落した。トロイア王の娘婿であり女神ウェヌス (*2) の子であるアエネーアースは、炎上する都で妻を失いながら、わずかな部下とともに落ち延び、地中海沿岸を彷徨い、艱難辛苦の果てについにイタリアに居住の地を見出す。これが《アエネーイス》の物語である。

数百年後、アエネーアースの血を引く一族から双生児が産まれるーーローマの建国の英雄であるロームルスとレムス (*3) である。このようにローマ帝国トロイアの流れを汲み、アエネーアースを祖とする大帝国であり、ユーピテル (*2) はローマに「終局も、期限も与えない」永遠の繁栄を約束する。

(*1) 中が空洞になった巨大な木馬にギリシャ兵を隠し、残りの兵はわざと敗退したふりをして撤退した。トロイア人は騙されて木馬を都に引き入れた。深夜、隠れていたギリシャ兵が木馬から出てきて街を襲い、門を開けて味方を引き入れ、トロイアを焼き討ちにして王を殺し、ここにトロイアは滅亡した。

(*2) ギリシャ神話ではヴィーナス。《アエネーイス》では諸神の王である主神ユーピテル(ジュピター、またはギリシャ神話ではゼウス)の娘とされているため、アエネーアースはユーピテルの血統に連なる存在とされる。

(*3) この二人もまた軍神マルスの血を引くとされる。マルスはユーピテルとその妻ユーノーの子であるから、二人はユーピテルの血統に連なる存在とされる。

要するにアエネーアースの物語はローマがギリシアを支配することを正当化するものであり、ローマの繁栄は神に嘉された永遠のものと宣伝している。

こう書くとなんだか読む気が薄れるのだが、そういう政治的意図とはまったく別次元で《アエネーイス》は面白い。神話、伝説、戦記、恋愛(悲恋)の全部盛り。読み手をまるでその場に居るような、あるいは大スクリーンで映画を見せられているような感じにさせる臨場感たっぷりの語り口は見事。当時の貴人たちの生活、信仰作法、家族関係まで垣間見ることができるのも面白い。

古代ローマでどのような暮らしが営まれていたかについては『古代ローマの24時間』という本を合わせて読むのがいい。《アエネーイス》の理解が格段に広がることまちがいなし。この本は西暦115年、トラヤヌス帝の治世下におけるローマを想定しており、詩人が生きた時代より100年以上後であるため、さまざまな生活習慣や社会制度はより洗練されたものとなっていたことだろう。

おもしろいことに、ローマの裕福な人々は「古美術品」収集を好んでいたという。ローマ時代から見て古美術といえるものは、エジプト王朝美術やエトルリア芸術など。エジプト王朝で最も有名な覇王の一人であるラムセス2世が生きたのは、トラヤヌス帝からおおよそ1400年昔(一説では紀元前1303年頃〜紀元前1213年頃)という。われわれの現代から1400年昔といえばちょうど聖徳太子が生きた頃である。まだ奈良時代も始まっていない頃だ。古代ローマ人にとっては、古代エジプトがまさにその感覚だ。