コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

ギリシャ神話の元ネタはこの一冊〜オウィディウス《変身物語》

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。ギリシャローマ神話集大成とされる数万行にのぼる叙事詩であり、およそ250もの〈変身〉物語が集められ、お互いに絡まり縒り合わさりながら、この世の始まりとされる混沌時代、陸海空に分かちて神々が誕生する神話時代から、詩人が生きた時代であるローマ帝国皇帝アウグストゥスの御代までの歴史物語りをうたう。西洋古典絵画はほとんど、日本で知られるギリシャ神話物語の多くはこの《変身物語》を典拠とするというからすごい。

https://www.bokklubben.no/SamboWeb/side.do?dokId=65500

 

〈変身〉と言われれば脳内にフリーザ様が降臨して「このフリーザは変身をするたびにパワーがはるかに増す…その変身をあと2回もオレは残している…その意味がわかるな?」とニヤるのだけど(笑)、オウィディウスの〈変身 (Metamorphoses)〉はパワーアップが目的ではなく、神々が人間の美女とおつきあいするために人間その他に化けたり、逆に神罰として人間を動植物などに変えたりするお話が多い。

内容としては、登場人物や神々が多すぎて家系図がほしくなるくらいだが (*1) 、21世紀現在にテレビドラマ化してもちっとも色褪せないであろう、魅力的なエピソードが山盛り。主神ユピテル(ゼウス)は登場のたびにアホな人間にキレて雷電をふりまわすか(*2) 、人間やニンフの美女に恋して追いかけまわすか (*3) 、美女に手を出してできた子どもを正妻ユノー(ヘラ)の嫉妬から守ろうとするかしている。ユノーはユピテルの浮気に毎回嫉妬するわ激怒するわ、相手の女に容赦ない神罰を下すか、ユピテルと女の間にできた子どもをいじめ通す (*4)。ユピテルとユノーをとりまく神々も以下同文。いつの時代にも愛憎劇やゴシックネタは大人気だが、作者はそれをわかっていて、あえてギリシャ神話を(当時のローマ帝国の)市民向きに面白おかしく語るため、このようなネタをふんだんに取り入れたのではないかと疑うほど。

(*1) おそらく神代から続くローマ皇帝家と諸貴族の系譜の正統性を説明し、賛美するのも目的のひとつなのだろう。美男美女が神々に惚れこまれて子をなし、本人はたいてい嫉妬にさらされてろくでもない目にあわされるのだが、子どもは神の血族として偉大な戦士に成長し、なんちゃら国家やなんとかの一族の開祖となった、というのが典型的なパターン。ローマ帝国の開祖とされるアエネーアースは、女神ウェヌス(ヴィーナス)が人間の男性との間にもうけた子とされる。ウェヌスは系譜上ユピテル(ゼウス)の直系血族なので、ローマ帝国開祖は主神ユピテルの血をひく存在であるぞ、というわけ。

(*2) アポロンの息子パエトンが太陽神の馬車を暴走させたときに仕方なくとはいえパエトンを雷電で打ち殺し、激怒したアポロンが仕事=毎日太陽を昇らせ沈ませることを放棄しかけ、神々がなだめすかすエピソードがでてくる。日本神話で天照大御神が天の岩戸に閉じこもったエピソードに少し似ている。

(*3) ヨーロッパの語源となったエウロペ、のちにエジプトに渡りイシス女神と同一視されるイーオー、のちにトロイア戦争のきっかけとなるヘレネを産むスパルタ王妃レダ、英雄ペルセウスを産む王女ダナエ、ほか多数。

(*4) 代表例がユピテルミュケナイ王女アルクメネの間にできた英雄ヘラクレスヘラクレスがらみでは、ユピテルアルクメネの婚約者に化けて彼女をものにし、産まれてきたヘラクレスを寝ているユノーに押しつけて乳を吸わせる、というクズさ。そりゃユノーもマジギレするよ。

 

面白いのは、《変身物語》の中にさまざまな物語と類似したエピソードが見出せること。主神ユピテル(ゼウス)が人間のあまりのだらしなさにキレて大洪水を起こし、地上から人間をほぼ一掃したあと、ただ二人生き残った信心深い夫婦が神託を受けてふたたび人間を生み出す話はどう見ても《旧約聖書》のノアの方舟にそっくり。ちなみに信心深い夫の方はデウカリオンという名前で、父親は人類に火をもたらしたプロメテウス (*5) 。妻はピュラという名前で、父親はプロメテウスの弟エピメテウス、母親は人類最初の女性パンドラ (*6) 。ようするに神の末裔である。

(*5)プロメテウスは、混沌から天地が分かれたばかりのころ、清浄な天から分離した土を雨水と混ぜあわせ、神の似姿として人間をつくったとされ、自分の創造物である人間によく肩入れする。しかし火を盗んで人間に与えたことでプロメテウスはユピテルの怒りにふれ、岩場に鎖でつながれて大鷲に肝臓をつつかれ喰われる罰を受ける。ひどい。

(*6) プロメテウスが火を盗んだあと、ユピテルは人間がこれ以上強くならないよう、鍛治神ヘパイストスに命じて人類に災いをもたらすものをつくらせた。ヘパイストスが人間の女性パンドラをつくると、ユピテルはパンドラがエピメテウスの妻となるよう仕向けた。後にパンドラは有名な〈パンドラの箱〉を開け、地上に災厄を振りまく。ちなみにこのエピソードは《変身物語》ではなくヘシオドス《神統記》に登場し、これをもってヘシオドスが大の女嫌いとする説もあるとか。