コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

20世紀アラブ文学の最高傑作〜サーレフ《北へ遷りゆく時》

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。原題はSeason of Migration to the North。スーダン出身の作家サーレフの代表作で、20世紀アラブ文学の最高傑作ともいわれる。邦訳としては、河出文庫新社から刊行されている現代アラブ小説全集では《北へ遷りゆく時》というタイトルで収録されているが、現在は絶版。図書館で借りるほかない。

https://www.bokklubben.no/SamboWeb/side.do?dokId=65500

内容としては、植民地化前後のナイジェリアで西欧文化と土着文化がぶつかりあうさまを書いた《崩れゆく絆》と似ているが、《北へ遷りゆく時》は国家ではなく個人レベルでのアイデンティティの葛藤と崩壊をとりあげている。《崩れゆく絆》の読書感想は以下記事参照。

ナイジェリアとイギリスの価値観が出会うとき〜チアヌ・アチェべ《崩れゆく絆》 - コーヒータイム -Learning Optimism-

《北へ遷りゆく時》の時代設定は1930年代。主人公である「私」はスーダン出身で、郷里はナイル川にのぞむある小さな村。イギリスに7年間留学、英国詩研究で博士号取得後、帰国。故郷の村を離れ、都会である程度社会的地位を築いている。

「私」ははじめて帰郷したとき、新顔が増えていることに気づいた。ムスタファー・サイードというその男は5年前にやってきた他所者で、地元の娘を娶り、小さな農場を経営しているという。口数が少なく、礼儀正しいムスタファーを「私」は最初気にしていなかったが、ある集まりで、酒に酔ったムスタファーがいきなり正確な発音で英語の詩を朗詠したことに度肝を抜かれた。しかも英国詩の専門家であるはずの「私」でさえすぐには出典がわからなかった(のちにそれが第一次世界大戦の詩華集の一節であることが明かされる)。

強烈な興味にかられた「私」に、ムスタファーは過去を語り始める。彼は1898年産まれで父とは死別しており、「(シェイクスピアの悲劇に登場する)オセローと同じ、アラブ系アフリカ人」である。当時スーダンはイギリスに植民地化されており、植民地政策の一環として地元民の義務教育が推進されていたことから、読み書きを習うことができた。まもなく彼が天才的頭脳の持ち主であることが明らかになり、小学校を飛び級で卒業後、エジプトのカイロで学び、15歳でロンドンに留学。国際経済学を学び、植民地主義や経済学について何冊もの著書がある。留学中に既婚未婚問わずさまざまな女性と浮名を流し、28歳で恋愛結婚したが、短い結婚生活後にある事件で妻と死別し、ロンドンを離れたという。

ムスタファーが「私」にこのことを話したしばらく後、彼は自死とも事故ともつかない状況で死亡する。残されたのは未亡人フスナ・ビント・マフムードと10歳に満たない子どもたちであった。なぜか後見人に指名された「私」は「私」なりにムスタファーの未亡人と遺児の世話をするが、やがて彼女に40も年上のやもめ小金持ちとの再婚話がもちあがる。女性は男性の持ち物であるという伝統的考えが根付き、女子割礼の風俗があるこの村では、フスナの父親であるマフムード氏が再婚話に同意すれば、本人に断る権利はない。だが「私」はフスナに、村の女性にはない自意識の芽生えのようなものを感じていた。果たして事件は起きてしまうーー。

 

自己葛藤は幾重にも張り巡らされている。天才ともてはやされスーダンからイギリスに留学したムスタファー・サイード。明らかにムスタファーの影響を受けているその妻。同じくイギリスで博士号を取得し、地元で大々的に報道されて知らぬものはないほど有名になった「私」。とくにムスタファーは伝統的文化について手ほどきしてくれるはずの父親をもたず、ロンドンでちやほやされながらもアイデンティティ確立に至らず、ついには悲痛な独白をする。

「このムスタファー・サイードなどという男は存在しないのです。彼は幻覚、虚偽にすぎません。私は皆様にお願いいたします。この虚偽を死刑に処するようお取りはからいください」

さまざまな読み方があるようだけれど、私はここに、帰属するコミュニティ、いわゆる地縁を見出すことができない男の絶望的な叫びを読み取る。