コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

あなたの知らない平安時代へようこそ〜山本淳子『平安人の心で「源氏物語」を読む』

私が初めて『源氏物語』にふれたのは、記憶もおぼろげなむかしのこと、おそらく小学校低学年頃。たまたま手にとった本にあった、よくわからない言葉(おそらく古文原文)につづく一節。古文にふれたのもこの時が最初だった。当時は「なにこれ呪文?日本語?」という状態だったため、原文の方はまったく覚えていない。現代語訳に「紫の上」「明石」「亡くなられた」という言葉があったから、『御法』巻の紫の上逝去の場面だったのだろう。

次に『源氏物語』に出会ったのは、中学の図書館にある『あさきゆめみし』を手にとった時。そのときはあまり興味を引かれることなく、「なにこの主人公?次々と恋しすぎじゃない?」という感想で終わった。

その次が高校のころ、地元図書館にあった『源氏物語の鑑賞と基礎知識』須磨巻を手にとった時。なぜか須磨巻と明石巻しかなかったのを覚えている。ここで初めて、源氏物語のすばらしい解説にふれ、その文章を美しいと感じた。

源氏物語を読むようになったのはそれから。瀬戸内寂聴さんの現代語訳や、あさきゆめみしなど、読みやすいものを気紛れに手にとった。読み通したことはないけれどあらすじは一通り知っている。そんな程度だった。

私にとって本書『平安人の心で「源氏物語」を読む』は、久々に手にとった源氏物語関連書だが、きっかけは藤原定家卿の青表紙本『若紫』が発見されたことにTwitterの古典クラスタたちが荒ぶったこと。そこですすめられていた本書が気になり、読んでみて、読んでよかったと心から思った。

源氏物語最古の写本「定家本」の『若紫』が発見。古典クラスタであるたらればさんやシン・ハルコさんが荒ぶる展開へ - Togetter

 

本書は『源氏物語』全五十四帖のあらすじと、『源氏物語』が成立した平安時代の貴族たちが常識としていたこと、見聞きしていたこととを一緒に紹介し、「平安時代の読者たちはこのような考えから『源氏物語』をこう読んでいたと思われる」と、読者の想像をかきたててくれる。

たとえば『桐壺』巻の有名な冒頭。

いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなききわにはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。

(どの時代であったでしょうか、女御や更衣がたくさん帝にお仕え申しあげていらっしゃった中に、それほど高貴な身分ではない方で、際だってご寵愛を受けていらっしゃる方がいました)

現代人が読めばなんてことない文章だけれど、平安時代の貴族階級の読者が読めば目を剥いたにちがいない、という解説がこれに続く。(ちなみに平安時代は義務教育もなにもないので庶民はそもそも文字が読めない)

当時、天皇は一夫多妻制であったが、後宮に入る女性たちはほとんどが有力貴族の娘であった。娘が産んだ男子が皇太子や天皇に立ち、自分がその後見人となって権力をにぎることが、貴族たちの悲願であった。天皇もよく心得ており、政治的配慮から、有力貴族の娘を優遇するのがふつうであった。それゆえ常識とは真逆の始まり方をした『源氏物語』は、当時の読者たちの度肝を抜いたにちがいない。読者の中には勢力争いの当事者たちもいただろう。自分自身の立場に重ね合わせてどきりとしたかもしれない。

さらに、『源氏物語』が書かれる直前、まさに「それほど強い後盾があるわけでもないけれど、帝に寵愛された」女性がいた。誰あろう、一条天皇中宮(きさき)であった藤原定子である。定子は一時期栄華をきわめた藤原道隆の娘であったが、道隆の死、兄弟の逮捕の果てに実家は没落し、出産により生命を落とした。まさに『源氏物語』の桐壺更衣に重なる境遇。定子が産んだ第一皇子・敦康親王一条天皇に望まれながら皇太子になれなかったことも、『源氏物語』中で、母親の身分の低さゆえに親王にすらなれず、源姓を賜って臣下にくだった「身分社会の敗者」光源氏を思わせる。平安時代の読者たちはこれらのことを思い浮かべ、『桐壺』を二重にも三重にも読み解いていただろう、と、本書は解説する。『源氏物語』の解説書としても、平安時代当時の常識解説書としても読みやすくておもしろい。