コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】<英語読書チャレンジ 76 / 365> A. Shrier “Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters” (邦訳『トランスジェンダーになりたい少女たち』)

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。
最近物議をかもしているこの本を原文で読んだ。私は、生物としてのホモ・サピエンスにとっては子孫を残す能力が最重要であることは疑いの余地がなく(でなければ少子化の果てに生物種として絶滅するからね)、いわゆるLGBTQはこの対象外であるという大前提に立つならば、人間社会であとは好きに人生を楽しめばいいと思う。

当事者たちを迫害するのはもちろん言語道断だが(そのような歴史が長く続いた)、逆差別レベルで持ちあげるのもどうかと思うし、一部のカウンセラーや医療従事者のように、自分が批判されたくないためにいい加減な診察でまだ自己認識がはっきりしない思春期の少女たちを「あなたはトランスジェンダーだ」と決めつけるのは明らかにやりすぎ。どちらのやり方も本質は同じ、いわゆるポリコレの枠に当事者を無理やりあてはめて安心しているにすぎない。またこれは偏見かもしれないが、タフであることを求められ、のんびり休職することなど許されず、一日も早く復帰するために向精神薬など即効性のあるものが好まれるアメリカ社会ならではの問題点もあるであろう。

そういう考えをもってこの本を読んだ。

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は文句なしの①。

 

本書の位置付け

本書はアメリカでトランスジェンダーを自認する少女たちが急増するという不自然な現象に注目している。少女たちの現状、少女たちをとりまく家庭、学校、教育委員会などの環境、法の整備、学術研究とその反響などさまざまな観点から分析しつつ、彼女たちの全員がトランスジェンダーとは限らず、流行に乗せられ、本来適切でない治療や手術を受けたことで心身に傷を負う少女たちがいることを明らかにし、トランスジェンダー賛美一辺倒の風潮に警鐘を鳴らしている。

 

本書で述べていること

著者は、トランスジェンダーと自認する少女が増加しているのはーーもちろん中には本当に男性の心をもつ少女もいるであろうがーー少女が接するまわりの人々の影響、さらには「流行」という言葉で表されるものの影響を排除できないと書いている。

以下の一節がこの本の内容をよくまとめていると思う。

The Salem witch trials of the seventeenth century are closer to the mark. So are the nervous disorders of the eighteenth century and the neurasthenia epidemic of the nineteenth century. Anorexia nervosa, repressed memory, bulimia, and the cutting contagion in the twentieth. One protagonist has led them all, notorious for magnifying and spreading her own psychic pain: the adolescent girl.

Her distress is real. But her self-diagnosis, in each case, is flawed—more the result of encouragement and suggestion than psychological necessity.

この状況は十七世紀のセイラム魔女裁判に重ならなくもない。十八世紀の神経症や、十九世紀の神経衰弱症の大流行にも同じことが言える。二十世紀には、神経性無食欲症〔拒食症〕、抑圧された記憶、食欲異常亢進(過食症)、自傷行為の伝染が見られた。そこには自身の精神的苦痛を声高に広めたことで名を知らしめた先導者がいる。思春期の少女だ。

少女が苦悩しているのは事実だとしても、心理学的に必要不可欠なことより励ましや助言に左右されがちな自己診断はどうしても誤りやすい。

 

感想いろいろ

一言感想。

「一昔前ならおてんば娘や男まさりと呼ばれていた男の子寄りの趣味嗜好をもつ思春期の女の子たち、人間関係や身体的変化でさまざまな悩みを抱えるのがあたりまえな女の子たち、なんならレズビアンだけれど性自認は女性である女の子たちにいきなり『あなたたちはトランスジェンダーです、性自認は男性です、まわりにそれを受け入れられないからあなたたちが悩むのです、トランスジェンダーとして扱われれば万事解決します』と学校やカウンセラーがこぞって言い張り、それを信じこんだ女の子たちがあれよあれよという間にホルモン治療や乳房切除術まで行ってしまう風潮を疑問視しているだけでは?どこが差別的?」

……全然一言じゃないな。

この本には本物のトランスジェンダーレズビアン同性カップルなども登場するけれど、差別的な書き方などなく、他人の個性や選択にあるべき尊重をきちんと払う書き方になっている。

 

「抑圧された記憶」について読んだことがある。虐待を受けた子どもは、自分の心が壊れてしまうことを防ぐために辛い記憶を忘れてしまうが、抑圧された記憶のためにしばしば精神的に不安定となる。正しく誘導することで抑圧された記憶を思い出し、怒りや悲しみを解き放つことで前に進むことができるーーという考え方だ。

この考え方自体にはそれほど問題がないと思うけれど、「虐待を受けた子ども」が前提にあることが「抑圧された記憶」を神聖不可侵としてしまった。被虐待児を救わなければならない、一人も見逃してはならない、という情熱に燃えたカウンセラーがしばしば誘導尋問に近い質問をして、あやふやな記憶を「抑圧されている」と決めつけられた人々が混乱を起こしたり家族関係にひびが入ったりした。一方で心理学的観点から記憶を研究し、記憶は不変ではなく繰り返される質問や誘導により改変されうること、行きすぎた誘導尋問はありもしない虐待の記憶をあると思いこませている可能性があることを指摘した学者は「あなたは犯罪者の味方をするの!?」と批判の嵐にさらされた。

感情的になるのはよくわかる。私も記憶が不変ではなくしばしば混同したりありもしないものをあると信じたりするものだと読んだときは、足元の大地が崩れ去るような不安感を味わった。

だが自分の不安感を解消するために、自分以外の人々を利用し、無視し、歪めたり排除したりしようとするのは、業魔の所業だ。

【業魔】とは、私が大好きな小説『新世界より』にでてくる存在だ。『新世界より』の世界観では、人類は全員超能力(念力=PK)を使用でき、イメージを現実に重ねることで現実にさまざまなものを生み出すことができる。ほとんどの人間は訓練された精神力をもってPKを制御できるが、ある種の精神病を発症した人間はPK制御のリミッターが外れ、イメージが暴走するままにのべつまなく無差別に現実を変え続け、本人が死ぬまでまわりを奇怪きわまりない状況にしてしまう。それが【業魔】である。

このトランスジェンダー礼讃もそうではないだろうか? 思春期特有の精神的不安定さ、性同一性障害ーーはっきりいえば理解がむずかしいものだ。だが人は理解できないものに恐怖や不安感を覚えるもの。だから当事者以外(大多数の人間だ)が安心できるために、理解できたふりをして、『トランスジェンダーだと認めれば万事解決、さあ治療しよう』とレッテル貼りしているのではないだろうか?