コーヒータイム

日々読んだ本を紹介しています。英語や中国語書も時々。面白そうだと感じる本があれば、ぜひあなたも読んでみてください!

ブッツァーティ《タタール人の砂漠》

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

いつも参考にさせていただいているブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の中の人が選ぶ、経験を買うための本《タタール人の砂漠》を読んでみた。

40超えたら突き刺さる『タタール人の砂漠』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

おっさんから若者に贈る「経験を買う」6冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

 

刺さった。まだそんな年齢じゃないのに。台風12号が荒れ狂う風音の中で一気読みすると、肺を刺されたかのように息ができなくなった。

自分はこんなところで終わる人間じゃない、まだチャンスがないだけ、本気出してないだけ、あいつのように幸運や機会にめぐまれれば自分だって。

そういいわけして一生を終える人々がどれくらい居るだろう?  彼らは読まなかったのだ。《タタール人の砂漠》を。

 

物語は、主人公が辺境の砦に配属されたところから始まる。

砦の北側には石だらけの広大な砂漠が広がり、地平線はいつも霧がかっている。その先にタタール人が支配する北の王国があり、彼らに備えるために砦がある。砦での日々は単調極まり、主人公は数ヶ月で配置換えを願い出ようと考えていたが、気を変えて砦にとどまった。北からタタール人が攻めてくる。自分は国境を守るために戦う。それは手が届くところにある、英雄になれるチャンスのように思えた。タタール人が最後に攻めてきたのは数百年前だというが、北からやってくるであろう〈運命〉は抗いがたい魅力があった。

こうして主人公の待つ日々は始まった。時に地平線に動くものが見えたような気がしながら。たった一日の距離にある町に戻れば友人とともに素晴らしい日々を送れるのに、砦の生活に慣れるにつれて、町の話題についていけなくなるにつれて、砦にとどまる時間が長くなる。素晴らしいものや欲しかったものを逃してしまったことに気づくきっかけさえ、単調極まりない日々の中ではなかなかない。

そして、やがて気づく。最も貴重な資源である時間はすでに容赦なく流れ、素晴らしいものや欲しいものを手に入れる力さえも奪い去ろうとしていることを。

 

最後の一文字まで読み終えた時、こうはなりたくないという恐怖に取り憑かれた。

これこそが本を読むことの最大の効用だ。人の行動を変えるのに最も効果的なのは恐怖だ。こうはなりたくないという恐怖を前もって予防注射のごとく心に芽生えさせることで、違う道を探ることができる。

 

もうひとついい方法がある。自分のやりたいことをリストアップする、そしてそれを何度も読んで覚えてしまうことだ。そのリストはその後の人生の羅針盤になってくれる。自分はなにをやりたいのか、忘れないようにしてくれる。

大学生だったある日、私は短い雑誌記事を読んだ。ガンで余命宣告を受けたある男が、死ぬまでにやりたいことのリストをつくり、ひとつひとつかなえていった結果、余命をはるかに越えて生き延び、どんどん元気になり、人生に希望をもつようになったという内容だった。

ふと気が向いて、私は手元にオレンジ色のルーズリーフを引き寄せ、自分のやりたいことを書き始めた。大英博物館に行きたい、フルマラソンを走りたいという他愛もないことから、五つ以上の国家でそれぞれ一年以上働きたいというかなりの努力が必要なことまで。その日だけでは終わらず、思いつけば項目をつけたし、リストを読み直した。100項目以上になった。

リスト自体はまだどこかにあるはずだが、どこにあるかは忘れてしまった。だが、たとえば同僚にフルマラソンに誘われた時に、イギリス出張の機会に恵まれた時に、「そうだ、私はこれがやりたかった」と、火花が散るように脳の中でひらめく。オレンジ色のルーズリーフのイメージが鮮やかに蘇り、そこに書きつけた言葉を思い出す。そして「やります」と答える。なお良いことに、やりたいことをかなえればそれで終わりではなく、必ず次のやりたいことが見つかる。たとえば次はウルトラマラソンに挑戦したいとか、ピーターラビットの故郷に行ってみたいとか。

その時私は、やりたいことを言葉として書き残したこと、それを覚えていることに深く感謝する。日常生活に紛れて忘れてしまっても、言葉にしたことは脳の奥深くに記憶されていて、必要な時に浮かびあがる。

やりたいことを忘れずにいるって、ほんとうに重要だ。自分以外に覚えてくれる人もいなければ気にしてくれる人もいないから。自分自身が忘れないようにしなければならないから。

大学時代のあの日の思いつきに、今でも感謝している。やりたいかどうかすら忘れかけてしまう時、無為に時間をすごしそうになる時、やるかどうか判断に迷う時は、いつでもあのオレンジ色の書きつけに戻ることができる。北の王国から来るであろうタタール人を待ちながら、砦で立ち止まり続ける可能性が小さくなる。