コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

アメリカで働きたいなら読んでみよう『エンジニアとして世界の最前線で働く選択肢』

アメリカでソフトウェアエンジニアとして15年働き、面接される側もする側も両方経験した著者が、アメリカで働くことを考えている日本人向けにまとめた渡米・面接・転職・キャリアアップ・レイオフ対策までの実践ガイド。

実践ガイドと銘打っているだけあって、無駄に煽るような文句はなく、アメリカで働くことのメリットとデメリットを淡々と双方公平に述べている。内容はめちゃくちゃ具体的で、ソフトウェアエンジニアではないわたしでさえ、面接状況や職場環境をまざまざと想像できるほど。これに加えて著者自身の面接体験やレイオフ体験のエピソードがこれまたくわしく書かれているから、読み物としても面白い。

時々著者自身の仕事やアメリカ転職に対する考え方もでてきて、参考になる。たとえば最初のこの記述にはハッとした。

「ソフトウェア開発の本場で働きたい」

ベンチャー企業のメッカで挑戦したい」

「一生、エンジニアとして働きたい」

「納得のいかない習慣が存在しない環境で働きたい」

それらの思いが言語の壁、習慣の壁、文化の壁を乗り越えてチャレンジするに値するものなのかと問われたら、迷わずYesと言える人もいれば、最終的にNoとなる人もいると思います。…自分がそれを体験しているところを想像しながら読んでみてください。そして、「自分もやってみたい」と思うか、それとも苦労してまでやりたいとは思わないか、考えてみてください。

年齢を重ねれば重ねるほど、持っているもの、守りたいものが増え、チャレンジするためにはそれらの一部なり全部なりを対価としてさし出さなければならないという事実の重みが増す。

著者のこの言葉には、「あなたにとって、アメリカへのチャレンジにはそれだけの重みがあるか?」と、一度足を止めて考えさせられる。

 

この心理的関門をすぎて、アメリカで働くことを本格的に考え始めるならば、次々待ち受けているのは現実問題だ。

労働ビザはどう取るのか。留学後に現地就職、日本で就職後に移籍、日本から直接雇用のどれを狙うのか、またどれが狙いやすいのか。電話面接と対面面接では、ソフトウェアエンジニアであればコーディングをさせられることが多いが、どのような環境を使うのか。コーディングの前提条件をどのように面接官から聞き出すべきなのか。どのように面接官に今考えていることをアピールすべきなのか(黙って考えこむだけなのはやめた方がいい)。

著者はひとつひとつ丁寧に、自分自身の経験をからめながら説明する。

運良く志望企業に入れたとしよう。同僚とはどうつきあうか(仕事後に飲みに行く文化はないが、同僚とはなるべくランチに行ったほうがよい)。人事評価の仕組みはどうか。反対意見はどう表明すべきで、それが通らなかったらプロフェッショナルとしてどうふるまうべきか。

「自分はその方針に反対であり、そういう話もした。しかし、チームとして決断が下されたので、チームの一員としてその方針にコミットする。その方針の実現に全力をつくす」

こういったことに自分は向いていそうか、それを自問自答しながら読み進めていく。

 

本に書かれていることで、わたしが難しいと感じたのは、同僚との問題や、マネージャーの管理の仕方、仕事の割り振りなどに不満がある場合に、

「わたしはこのことが問題だと思っている」

「わたしはこのような現状に満足していない、なぜならこうだからだ」

「自分でも改善するように努めるが、こういう問題があることだけわかってほしい」

「彼がどういう理由でそういうことをするのかわからない。マネージャーとして彼に聞いてほしい。こちらでできることがあれば喜んでする」

などと、人事権を握るマネージャーに直談判することだ。日系企業では、仕事の不満を論理立てて上司に説明し、改善を希望するなどという機会はそうそうないから、単純にこうしたことに経験値が足りないし、心理的にもやりづらい。

これをやらなければならないのなら、アメリカでうまくやっていくためにわたしは相当苦労しなければならなそうだ。これがわたしにとっての心理的関門になるだろう。案外すぐに慣れるかもしれないが。

 

アメリカでの就職を選んだ理由として、著者は「レイオフは避けられない、だったら次が見つけられる可能性が高いアメリカで働こう」と考えたそうだ。

この言葉は、日本社会にもあてはまりつつある。

つい最近、トヨタ社長が「終身雇用制度の維持は難しい」と発言して話題になった。NECでは45歳以上の正社員を対象としたリストラが始まった。今後、こういう経営姿勢を見せる大企業は増えてくるだろう。バブル崩壊から20年、景気回復を果たせない中で日本企業はさまざまな効率化をすすめてきたが、ついに「人件費」に手をつけてきたということだろう。

終身雇用制度崩壊は、数十年前にアメリカやイギリスがすでに通ってきた道であり、日本はその後追いにすぎないという意見があるけれど、わたしはこの意見に賛成だ。国としての文化的歴史はどうあれ、経済的歴史は、意外にどの国も似たような道をたどる気がしている。わたしは歴史学者ではないから本当になんとなくではあるが。

たとえば今の中国はしばしばバブル時代の日本と比べられるし、日本の終身雇用制度はアメリカの1970年代、大企業のホワイトカラーが終身雇用だったころと比べられる。少なくとも経済分野では、ある国は数十年遅れでほかの国がたどった道のりをたどっているように思う。

では日本もアメリカのような超格差社会、転職社会になるのかといえば、アメリカほどひどくならないのではないかと思う。アメリカは移民国家でそもそもお互いに自由で没干渉でも問題なし、一方日本は人間関係がウェットで協調圧力がかかるから多少は均質さが残るのではないか。それでも現在から見れば格差は広がるだろうし、安定したポジションにつける人数は確実にぐっと減るだろう。アメリカほど広がりも減りもしないだろうというだけの話だ。

その「安定したポジションにつける人」であり続けることができるかが、課題になる。