コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

アフガニスタンの人々に寄り添ったひとりの医師の死を考える〜中村哲『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』

 

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

  • 作者:中村 哲
  • 発売日: 2013/10/24
  • メディア: 単行本
 

現地三十年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです。

(「はじめに」より)

 

中村哲さんのことを知ったのは、彼が凶弾に斃れたあとのことだった。アフガニスタンで長年水利事業を行ってきた人らしい、というのが最初に残った印象だった。

中村哲さんの死を地元住民が嘆き、無言の帰国に先立ったアフガニスタン国内での追悼式では、棺はアフガニスタン国旗で覆われ、ガニ大統領自らが棺を担いだことを知った。国家として最高級の敬意と哀悼をもって送り出された中村哲さんが、かの地でどんなことを行ってきたのか、知りたいと思った。

そこにタイミングよく、中村哲さんの活動を取材したNHKスペシャルが再放送された。中村哲さんをはじめとするペシャワール会の人々が指揮をとって砂漠に用水路を引き、生命の気配絶えた砂漠が、数年後に見渡す限りの緑地帯になっていく映像は強烈なショックを与えた。中村哲さんがアフガニスタンの地に残したものが一瞬で理解できた。

 

一方で、彼が殺されたのはまさに、彼が心血注いだ水利事業によって引き起こされた水利権争い、それに端を発する村落間対立に原因があったというニュースも耳にした。

中村哲さんたちの水利事業の根幹は、現地を流れるクナール川から水を引き、十数キロ離れた乾いた大地に導くことである。用水路が完成したことで、一部の地元住民から、クナール川の流れの変化、流水量減少について不満の声が上がったという報道がなされている。

注意すべきは、流水量が減少した証拠はなく、「そんな気がする」程度であった可能性が高いということだ。だが、アフガニスタンを襲った大旱魃により、数十万人もの農民が村を捨てなければならなかった。この状況で、生命よりも大事な農業用水の源となるクナール川から水が「横取り」されたと感じる地元住民がいたならばーー、殺意を抱く理由としては充分だ。

ひと昔の農業地帯では、水をめぐって村同士の争いが勃発するのは珍しいことではなかった。知識としては知っていたが、そのために用水路を拓いた張本人が逆恨みで殺されるというのはやはりショックだった。なぜ殺されねばならなかったのだ、という気持ちが拭えなかった。

 

さまざまな思いがあったから、この本を書店で見かけたとき、迷わず買った。中村哲さんがなにを考えて、いつ殺されるともわからないアフガニスタンの地でこれほどの水利事業をなし遂げたのか、その思いに触れたかったからだ。

 

本書では、中村哲さんがなぜアフガニスタンに行くことになり、そこでどんな医療活動をして、なぜ医療活動を離れて井戸掘りや用水路建設を始めることになったのか、淡々と、客観的に書かれている。

もともと中村哲さんはキリスト教徒で、日本キリスト教海外医療協力会の派遣でパキスタン、さらにはアフガニスタンに入り、無医地域でハンセン病をはじめとする医療援助をしていたという。だが、病気を治すのは対症療法にすぎず、根本的な問題の解決法ではないことに、そのうち中村哲さんは気づいた。

根本的な問題とは、食糧不足による栄養失調と抵抗力低下、飲み水の不足や汚染による伝染病流行である。ことに子どもの患者が多かった。きちんと食べて、きれいな飲み水を飲んでいれば、そもそも病気にならなかったはずの患者があまりにも多かった。

中村哲さんたちは意を決してこの問題に取り組み始めた。まずは井戸掘りによる飲み水確保。これはある程度うまくいった。だが食糧確保には農業を再開しなければならず、どうしても灌漑用水がいる。中村哲さんは水利工事について一から学び、乾いた大地に用水路を張り巡らすための第一歩を踏み出した。

 

一から水利工事を学ぶ労力。日本の古い治水工事を参考にしながらアフガニスタンの現地に適切な用水路を設計する苦労。用地接収。現地スタッフの育成。利害関係がからむ地元軍閥や村民たちとの折りあい。気温50度を越える灼熱の砂漠での施工。武装勢力ーー米軍を含むーーによる妨害。

その気になればいくらでも苦労話や美談に仕立てあげられる内容にもかかわらず、まるでそれこそを拒むかのように、本書はあくまで客観的に語る。

アフガニスタンがこのような状況になった歴史的・政治的背景。尊重すべき現地の生活習慣。灌漑すべき地域の地勢。用水路建設時の設計課題。用水路設計時に参考にした日本の治水技術。こういったことを、本書は重点的に紹介している。ほとんど治水技術記録か作業記録に近い。NHKスペシャルで強調されていた米軍による建設現場への機銃掃射にいたっては、ほんの数行触れるだけだ。

もともとNHKテキストとして書いたものをベースに加筆修正しているためか、あるいは、中村哲さんご自身の性格によるものなのか。もし後者だとしたら、なんと芯の強いひとだろう。よくあるお涙頂戴の苦労話になどするものか、という意思が貫徹されている。

一方で中村哲さんは本書で、失敗すれば生きては帰れまい、という思いをあっさりすぎるほどあっさりと書いている。死ぬのが怖くないわけではないと思う。複雑極まる現地情勢の中で、感情的になりすぎることなく、すべてをありのままに受け容れているように思えた。

(用水路の建設は)まるで精神と気力だけが生きていた七年間であった。数百年ぶりの大洪水、集中豪雨などの天災だけでなく、米軍による誤射事件、地方軍閥の妨害、反米暴動、技師たちの脱走、裏切り、盗難、職員の汚職と不正、内部対立、対岸住民との角逐、用地接収をめぐる地主との対立、人災を挙げれば枚挙に暇がない。個人的にもこの間、多くの肉親と友人を失い、家族を置き去りにし、あちこちに不義理をして、気がめげることがないでもなかった。絶望的と思えた状況で水路と心中する心境になったこともある。

列挙するひとつひとつの言葉の背景には、想像を絶する苦労があったことだろう。

 

アフガニスタンという国は、日本にいればあまり報道されることがないように思う。

歴史の授業でソ連アフガニスタン侵攻と続く西側諸国のオリンピックボイコットを勉強し、タリバンが9.11を引き起こしたアルカイダと関係深いらしいとなんとなく知り、乾いた砂漠のイメージや、家族や住む家を空襲でうばわれて怒りをあらわにする髭面の住民たちの断片的なイメージがなんとなく浮かんでくる。その程度だ。この本を読むまで、アフガニスタンが自給自足できる農業国であることも、大旱魃に悩まされていることも知らなかった。

アフガニスタンはさまざまな民族・部族が入り乱れ、複雑な地域社会を生き抜くために「縁がある者」、すなわち地縁・血縁をなによりも大切にする習慣が深く根付いているという。逆にいうと、地縁・血縁をもたないよそ者、とくに外国人(しかもキリスト教徒)はなかなか信用しようとせず、むしろ国際協力団体を見れば、どうやって金や武器や食糧を引き出してやろうかと策をはりめぐらせる。厳しい旱魃で土地を捨てて放浪し、国際政治情勢の風向きが変われば容赦なく空爆される状況では、生き抜くためにそうせざるを得ない。

中村哲さんたちもそのことを覚悟していることが読み取れる。本文中に、現地スタッフとの対立、スタッフ大量解雇の話がちらりと顔を出す。

一方でそれよりずっと多くの紙幅を割いて語られるのは、中村哲さんたちの活動を理解して支えてくれた地元住民たちのことだ。故郷に帰れることを信じ、灼熱の砂漠で用水路を切り開いていった地元村民たち。重機をレンタルしてくれた地元会社の社長。政府高官との橋渡し役を果たしてくれた地元の有力者。彼らとのつながりを通して、夢物語と思われていた用水路は開通した。これにより数千ヘクタールの荒地が緑をとり戻した。

 

ペシャワール会のホームページによれば、中村哲さん亡きあと、事業は一旦中断しているらしい。

現地のPMS事業は、12月4日からガンベリ農場の水やり以外は停止されました。現在、各事業再開のためナンガラハル州知事の認可を得るために手続き中です。
今後のPMSの事業の展開につきましては、しばらくトピックスに掲載してお知らせ致します。

(2020年3月11日時点)

建設された用水路はそのままはたらきつづけるわけではなく、補修工事、改修工事が欠かせない。中村哲さんの遺志を継ぎ、1日も早い事業再開を願ってやまない。