コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

『UXの時代 - IOTとシェアリングは産業をどう変えるのか』(松島聡著)

 

読書三昧ですごす週末のなんと幸せなことか。

 

著者はひとことでビジネスの新潮流をまとめている。

今起きつつある変化で注目すべき点は、消費者・ユーザー自らが主権者として、製造・消費という経済活動の様式を変えようとしているということだ。

UXとは「ユーザーエクスペリエンス」だ。これからはモノを売るのではなく経験を売る。そして売り手は企業だけではなく、これまで消費者側にいた人々も製造・販売ができるようになる、という意味である。著者の言葉は明快だ。

UXを基準にビジネスを考えた場合、こうした産業の分類は意味をなさない。ユーザーがモノを使うのも、サービスを利用するのも、自分が求める体験をするためであり、それを提供する企業の業種が何なのかは関係ないからだ。

シェアリングエコノミーとは「必要なときに必要な分だけ利用する共有型経済」。配車サービスのUberや部屋貸しのAirbnbのように、車や家の持ち主が余剰時間をゲストとシェアすることでお金をかせぐことができる。

UXやシェアリングサービスのポイントは、アマゾンなどが提供するクラウドサービスをプラットフォームとして安価に使用できるということだ。サービスには膨大なデータを保管するストレージからAIまでそろっており、これを利用すれば数人の新興企業でも幅広いサービスを提供できる。

これまでの垂直統合型の企業はもはやこれからを生き延びることはできず、これからは水平協働ネットワーク型へと転換していく、というのが著者の主張だ。そこではユーザーの考えや行動を積極的にサポートできる企業が生き残り、量産型製品を一方的に提供するだけの企業は淘汰される。

 

「現代の若者は消費意欲が低い」などという見出しの雑誌記事が増えたのは、いつからだったろうか。21世紀に入ってからよく見るようになった気がする。だが、それは少し違うと思う。消費意欲が低くなったというより、これまでの方法では若者が消費しているものを測りづらくなっただけだろう。

雑誌が「消費意欲が低い」というとき、たいていは不動産・高級車・時計・ブランド品などが売れなくなった、という意味だ。だが若者はそれらにお金をかけなくなっただけで、たとえばウェブコンテンツなど、別のことにお金をかけている。そしてこれまでお金をかけて所有していた車などは、シェアリングで充分、と考える人が増え始めている。軽井沢に別荘がなくても、Airbnbを利用して別荘の部屋を一部屋借りればよい。余ったお金を自分が興味をもてる活動・経験にまわせれば、人生はもっと豊かになる。著者の表現を借りればこうだ。

ユーザーにとってモノは手段であって目的ではない。手段に対価を払うのは目的である価値を得るためであって、モノを買って所有するためではない。製造物中心主義の日本ではこの点が理解されない。

手段であるモノを所有するのは、使用頻度が高く、持っていたほうが都合がいい場合であり、決して所有すること自体に価値があるからではない。しかも、所有したほうが得か、他人とシェアし、必要なときにアクセスして利用したほうが得かの境界線は、徐々にシェア・アクセスのほうへ移動しつつある。

 

さまざま示唆に富んだことが書かれているが、この本の一番読み応えがあるのは、後半部分にある「シェアリングサービスを提供しようとするときにぶつかる現行政との交渉の難しさ」である。著者は倉庫が使われていない夜間に、空いているスペースをフットサルに活用できないかと思い、行政に相談にいったところ、答えは「一時的な利用でも、建物の用途が変わるなら申請が必要です。一度申請してから確認済証が出るまで1ヶ月以上かかりますので、毎日用途変更を繰返すのは無理です」であった。

縦割りの権化である行政とうまく交渉するのは相当難しく、シェアリングサービスが広がりづらい一因となっている。これに既得権益がからむとさらにややこしくなる(タクシー業界の猛反対でUber導入が進まないのは有名な話だ)。海外から見ると、日本のこういう旧態依然とした縦割りのやり方は不思議に映るらしい。実にもったいないことだ。

 

本文中に、ピーター・ドラッカーによるこれからのまとめが引用されている。これを書きとめておこう。

1.企業の従業員支配からプロフェッショナル主導へ

2.画一的フルタイム労働から勤務の多様化へ

3.統合的経営から分業・アウトソーシング

4.メーカー主導から市場主導へ

5.産業ごとの独自技術からクロスボーダー技術へ