コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】専門技術よ、大衆のためにあれ『プロフェッショナルの未来』

 

プロフェッショナルの未来 AI、IoT時代に専門家が生き残る方法

プロフェッショナルの未来 AI、IoT時代に専門家が生き残る方法

 

【読む前と読んだあとで変わったこと】

  • 一般大衆が求めているのは高品質のサービスであって、それを提供するのが人間の専門家であろうとAIだろうと実はどうでもいい、という耳に痛い事実を無視できなくなった。
  • 専門家と同等のサービスを提供できるテクノロジー、たとえばソフトウェアやAIなどについて調査を始めた。

 

本書の日本語版には「AI・IoT時代に専門家が生き残る方法」という副題がついているけれど、誤りである。原著は”The Future of the Professions - How Technology Will Transform the Work of Human Experts” であり、人間の専門家がこれまでこなしてきた仕事が、テクノロジーによって変化を余儀なくされることに焦点をあてているが、それは専門家が生き残るための方策を探るためではない。それとは逆だ。

著者らの言いたいことは以下にまとめられる。

「専門家のあり方はテクノロジーによって変化しつつある。進化し続ける機械が、専門家の仕事の一部なりを代行したり、専門家でない人々が、テクノロジーの力を借りて専門家と同等の仕事をこなせるようになったりする未来はすぐそこまで来ている」

「一部の伝統的専門家は仕事を失うかもしれない。一方で、非専門家が仕事をこなせるようになることで値段が安くなり、これまで高額な専門家報酬を支払えなかった人々も、高品質のサービスを受けられるようになるのであれば、それは明らかに価値があることだ」

「伝統的な専門家のやり方にこだわって、より多くの人々がテクノロジーの恩恵を受けて専門的サービスを受けられることを阻止するのであれば、それを未来の人々に説明できなければならない(だがそんな理由があるとは著者らには思えない)」

こうしてまとめてみると、実は、人類の歴史上繰り返されてきたことが、いま、弁護士や医師などの専門家たちの身の上に起ころうとしているのだとわかる。

 

たとえば画家。

かつて画家は紛れもない専門職であった。鉱物等を研磨することでしか得られない色彩は高価で量が少なく、一部の画家が王侯貴族庇護のもと、高価な絵具をふんだんに使い、王侯貴族のための宗教画や肖像画を製作しつづけていた。庶民が絵を家に飾ろうとするなど夢のまた夢だった。

だが、やがて王政が崩壊し、チューブ入絵具が安価で販売されるようになり、市井画家が次々現れるようになると、庶民もまた絵を買い、家に飾ることができるようになった。これにより絵画を手に入れることができる人々の数は爆発的に増えた。印刷術やデジタルコピーがこの動きをますます加速させた。王政崩壊から数百年経った今日、リビングにお気に入りの絵を飾ることはごく普通に行われている一方で、絵画だけで食っていける人間はほとんどいなくなった。

だが一方で画家関連の仕事は増えた。画家の絵を売る画商。大勢の画家の卵相手に商売する画材屋。絵画の飾り方をアドバイスするインテリアコーディネーター。絵画制作そのものの専門職は高い報酬を得ることができなくなったが、絵画制作のまわりで「準専門家」たちの仕事が生み出されたのだ。

同じことが、現在のところ専門職の仕事とされている弁護士、医師、教師、税理士などにも起こりつつあるのだろう。今回震源地になるのはチューブ入絵具ではなく、インターネットであり、人工知能であり、コンピュータシステムである。それがこの本の言いたいことだ。

 

ある世界的な電動工具メーカーが、経営幹部のための教育コースを開催したときのお話。

講師がスライドを使い、同社の電動ドリルを紹介した。そして集められた経営幹部たちに対して、そのドリルは自分たちの商品かどうかという質問を投げかけたのである。参加者は驚いた表情を見せるが、最終的には自社の商品であると答えた。講師は満足した表情を見せ、次のスライドを見せる。するとそこには、壁にきれいにくりぬかれた穴が映っている。そしてこれが、私たちの商品だと告げるーーなぜならそれこそが、顧客が本当に望んでいるものだからだ。

顧客が本当に望んでいることは、正しい病気診断だったり、税務申告のための書類作りだったり、紛争解決だったりであり、「人間の専門家にそれを解決してもらうこと」ではない。手頃な値段でよい解決策が得られれば、それを行うのが人間の専門家かどうか、気にならない人は大勢いるだろう。(気になる人々はこれまで通り人間の専門家に依頼すればよいわけだ)

専門家が生き残る方法を考えることはなんら間違っていないが、伝統的方法を守ることで、より多くの人々がサービスを受けられる機会を奪ってはならない、というのが本書のメッセージだ。それはかつて画家の身に起こったように、未来において、ある分野の専門家たちが食べていけなくなる事態を引き起こすかもしれない。ゆえに専門家は変化を余儀なくされるーー保身のために変化を拒絶するのではなく。

 

今後の身の振り方を考えることが、これからの専門家に必要になる。

この本を読み終わったそのときから、わたしは考え始めている。どうすればこれからも価値を提供し続けて、収入を得ることができるのか。

たとえば、わたしの業界に必要な機械や用具などのものづくりにかかわる方法がある。もし万が一、今後、医者の病気診断がことごとく人工知能に置き換えられたとしても、血液検査装置や、医療器具、薬品類の需要は決してなくならないだろう。必要なものをつくる業界に転職するのは、悪くない方法に思える。

専門家の仕事の一部がテクノロジーに置き換えられることがもはや避けられないならば、いっそのこと流れに乗って、専門家の仕事をシステム化する手助けをするのもよさそうだ。入力すべき情報、組むべきアルゴリズム、成果物のあるべき姿を、テクノロジーを開発する人々に助言する仕事は、確実に需要がある。こういうシステムは日々最新情報を取り入れなければならないから、アップデートや保守点検の仕事も生まれるだろう。おまけではあるが、こうし仕事をこなす中で身につけたコンピュータ関連の専門知識は、わたしが新たにコンピュータ分野で専門家として働くのに役立つかもしれない。

ベテランの方々の経験談を聞いてまわり、どのようにテクノロジーに組みこむかを考える仕事もいいかもしれない。最高の経験知はたいてい、この道一筋数十年という熟練した専門家の頭の中にしまいこまれているきりで、本人の引退とともに失われてしまう。これらの知識をうまく聞き出し、整理して、テクノロジーの一部として残すのはとてもやりがいがある仕事だろう。

システム化したテクノロジーを、技術営業として売ったり、どのように使えばいいのか助言する仕事も出てくるだろう。たとえコンピュータが専門家の仕事を肩代わりできるようになっても、少なくとも最初の頃は必ず人間の専門家によるチェックは必要になるから、チェックのための仕事に就くのもいい選択肢だ。

 

こういう風に、さまざまな可能性が頭の中に浮かんでくる。もちろんすぐに答えが出るものてはないけれど、選択肢をいまから検討しておくのは必ず役立つ。

そう遠くない将来、専門家の仕事をテクノロジーに奪われたらどうなるか、考え続けるために、これから専門家を目指す若者にこそ、ぜひ読んでほしい一冊だ。