コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

【おすすめ】一流企業による市場寡占の武器〜原田節雄『世界市場を制覇する国際標準化戦略』

こういう言葉がある。金をもうけたければゲームのルールを遵守せよ、さらにもうけたければルールを破壊せよ、誰よりももうけたければルールを創造せよ。

本書でいう〈技術標準〉はまさにゲームルールであり、ゲームマスターになるための熾烈な戦が日々行われている。これはそのための戦略書。

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は①。国際標準というものがあることは以前から知っていたけれど、これをビジネスの武器として使えると知ったのは、中国のファーウェイとアメリカの間で熾烈な5G競争が繰り広げられたとき。その後、電気自動車関連で欧州勢がトヨタを狙い撃ちにするようなガイドライン改定を仕掛けてきたという報道を耳にし、ますます国際標準というもののもつ力を実感した。けれど【国際標準】というものが実際にはどのように決められ、どのように武器として利用されるのかということを書いた本はほとんど見当たらなかった。この本に出会えたときはとても嬉しかった。

 

本書の位置付け

本書はソニーで数十年間にわたり国際標準化交渉にかかわってきた著者が贈る、国際標準化という方面から世界市場を制覇するための戦略書。孫子兵法に「敵を知り、己を知れば、百戦してあやうからず」という言葉があるけれど、敵(国際機関、標準化機関、海外企業、外国政府など)について、己(日本政府と日本企業)について知るために、もっておくべき最低限の知識と心構えについてまとめられている。

本書を読み終えたとき、この一文を理解できるようになる。

JR東日本で使われている非接触ICカードのスイカ (Suica) は、日本発の国際標準規格です。しかし、欧米企業が開発した非接触ICカード規格の国際標準化が先行し、日本発の提案は排除されていたことがあります。結果的には、非接触ICカードとしてではなくて、非接触型(近接型)通信方式として国際標準化されています。それができなければ、現在のスイカパスモの市場は存在していなかったと思われます。WTOの政府調達規定に抵触するからです。

 

本書で述べていること

「今日から、通化と寡占化という二つの言葉だけで標準化を理解しましょう。そうすると、物事が明確に見えてきます。」

この一文から本書は幕を開ける。

本書で述べていることを、著者自ら付録で簡潔にまとめてくれているが、ここではさらにその中からわたしの心をとらえたものを抜き書きする。

❹企業経営者の視点でとらえた国際標準化ビジネス

《肉を切らせて骨を断つ、感情を以って理性を制すーーそれが国際標準化ビジネスだ》

  • 人間インフラ標準化(共有化標準)=その標準は万人(国家)のためにある
  • 工業インフラ標準化(共通化標準)=その標準は万人(国家)のためにある
  • 工業ビジネス標準化(寡占化標準)=その標準は個人(企業)のためにある
  • 人間ビジネス標準化(画一化標準)=その標準は個人(企業)のためにある
標準の概念を工業標準というせまい範囲に置くかぎり、標準とビジネスの関係の真髄を理解することはできない。国際標準化機関というビジネスツールは、無料では使えないし、簡単には使えない。国際標準化の場に参加して、公共的な国際標準化活動に協力しながら、ライフスタイルにおける新しい国際標準を創造することが企業経営者の仕事だ。

 

❼国際標準化機関のビジネス面での理解不足

《ビジネスに関するかぎり、複数の国際標準化機関の活動や規則を同列に論じてはならない》

  • ITUの特徴=標準作成からビジネスへ
  • ISOの特徴=標準作成からビジネスへ、または、ビジネスから標準登録へ
  • IECの特徴=ビジネスから標準登録へ
  • ISO/IEC JTC1の特徴=標準作成とビジネスの同時進行
これらの国際標準化機関を同一視して比較してはならない。技術専門家は、規格作成プロセスのちがいで比較するが、企業経営者はビジネスへの影響面で比較するべきだ。標準に組み込まれる特許の問題に関しても同じ。ITUの標準化プロセスでは、特許問題が無視できない。IECの標準化プロセスでは、ほとんどの特許問題が解決している。

 

➓国際標準化における規格競争の勃発と原則

《工業標準の起源は軍隊にあり。利害一致の最大公約数をつねに追い求めること》

関係者すべての利害関係が一致しないかぎり、透明で公平なプロセスによる理想的な標準化はできない。理想的な標準は軍隊標準であり、それにもっとも遠いのが国際標準だ。国際標準化は、基本的に透明で公平なプロセスで作成されない。民間企業の国際標準化ビジネスとは、限りなく不透明で不公平なプロセスによる自社技術の国際標準化による市場寡占だととらえるべきだ。

 

感想いろいろ

標準化といわれて、大多数の日本企業人がイメージするのはおそらくマニュアル作成だと思う。マニュアル作業で新人の仕事品質を一定に保つ一方、マニュアル通りにいかない「当社のベテランにしかできないこと」を売りにするというやり方は、日本企業人にはなじみ深い。しかしながら「マニュアル人間」という言葉があるように、マニュアル作成自体にマイナスイメージをもつ人、必要悪だと考えている人もそれなりにいるのではないだろうか。

しかし、本書を読めばわかるように、そして中国とアメリカの5G戦争からも読み取れるように、国際社会において、標準化はれっきとしたビジネス武器である。なぜなのか。

極端な話、政府がなんらかの理由である国際標準に対応した製品を調達しなければならなくなり、その国際標準に対応可能な製品を売っている企業が地球上にひとつしかなければ、濡れ手に粟の大もうけができる。さすがにここまで極端な状況になることはないだろうけれど、自社が強みをもつ製品を国際的なスタンダードにしてしまうということ、また、他社が強みをもつ製品を国際的なスタンダードにさせないことは、強力な市場獲得戦略のひとつだ。

ゲームでいえば、囲碁スプラトゥーンにたとえればわかりやすいだろうか。スプラトゥーンでいえば「色を塗るためのブキはローラーだ!これを国際標準にする!メインプレーヤーは国際標準のあるローラーを使わなければならない!」とやるようなもの。メインプレーヤーとは各国政府やインフラ企業のことである。

WTO(世界貿易機構)に、国際標準のある製品を優先的に調達しなければならない、という規定があるのがキモだ。このためにSuicaの受注獲得競争で国際標準化が遅れたソニーは外されそうになったのである。先に国際標準化を終えていたアメリカ企業が、あらゆる手でソニー技術の国際標準化を阻もうとする一方、アメリカ大使を動かして政治的圧力をかけてきたことを、著者は本書の中で明かしている。そのやり方も「同様の提案を標準化機関に複数送りつけて審議を遅らせる」「投票日をわざと年明けに設定して、投票直前の時期がクリスマスやお正月とかぶるようにしてロビー活動を不可能にする」というような、ルール違反ではないうえでなかなか効果的なやり方。最終的に著者らはなんとか逆転勝ちできたけれど、かなり苦労したのはいうまでもない。

こういう事情から、国際標準のほとんどは、既存の企業標準などが国際標準化機関に持ちこまれ、さまざまなロビー活動を経てメンバーに賛同され、「国際標準」という名のもとに登録される。つまり、よほどすぐれた技術や特許があるか、よほど広く使用されて事実上の業界標準になっているのでもないかぎり、標準化登録は政治ベースの話しあい以外のなにものでもない。(すぐれた技術であっても政治的思惑のもとに封殺されることがあるのは、アメリカのファーウェイへの仕打ちを見れば明らか)

通化は「おらが村」と「よそ者」を分けるための活動であり、人間社会では本質的になくてはならないものだけれど、これを意図的に、属国を支配するために行ってきたのが欧米諸国である。

欧米において人種の分布差が希薄になってきた今日、国や地域のちがいの要素が、思想、文化、経済の三つに集約されてきました。これらの三要素を共通化するには、それぞれの要素に適したツールを使います。思想の共通化には宗教が、文化の共通化には言語が、そして経済の共通化には貨幣が、それぞれツールとして使われます。

自国の宗教、言語、貨幣を他国に押しつけることで支配する。古くは欧州大陸で繰り返されてきた宗教戦争が、現代ではウクライナ文化を否定し「ロシア化」しようとするロシアの試みが、欧米諸国のやり方を物語る。国際標準もまた支配のためのツールにすぎない。標準化という言葉からでてくる発想が、日本人とはまったく別物なのである。

日本人はお人好しなところがある。ビジネスの場において相手と親しくなろうとする姿勢を見せるのである。しかし相手は支配者の思想でこちらに迫る。通用するはずがない。相手が支配のためのツール(のひとつ)として利用しているのが国際標準である。企業経営者はこのことを知らなければならない。さもなければたたかれる一方である。本書はこのようなメッセージを、強烈な危機感とともに発信している。