コーヒータイム

日々読んだ本の感想。時々日常。

魯迅『祝福』を読んだ

魯迅の小説二作目。『阿Q正传』よりは分かりやすいのだが…読了後の正直な感想は「なぜよりによってこのタイトルにした?」だ。

 

小説の主人公は旧正月を控えて故郷に戻り、親戚宅に居候している。村全体で旧正月のお祝いに特別なごちそうを用意し、爆竹を鳴らし、新年に福の神を迎えるために浮き足立ってお祭りさわぎだ。

大晦日の日、主人公は女物乞いーーまだ40代だが老婆のような見た目だーーの祥林嫂にばったり会う。祥林嫂は主人公に「人が死んだあと、魂は残るのかい?」「地獄はあるのかい?」「死んだ家族に会えるのかい?」と質問して、主人公は答えられず曖昧にごまかした。その夜主人公は、祥林嫂が死んだことを聞き、彼女の過去に思いを馳せる。

祥林嫂はもともと女中として親戚宅にやってきた。夫を亡くして出稼ぎにきたという。働き者で評判の彼女だったが、ある日拉致同然に前夫の親戚に連れ戻される。彼女は前夫の母が持ちこんできた結納金目当ての再婚話を拒んで、故郷を逃げ出してきたのだ。

連れ戻された祥林嫂は強制的にど田舎で暮らす男のもとに嫁がされる。働き者の夫と息子に恵まれてしばらく平穏に暮らしていたが、夫を病気でまたもや失い、さらに息子を狼に喰われ、精神的におかしくなってしまった。かつて女中をしていた主人公の親戚宅を頼ってきた祥林嫂だったが、かつてのように働くことはできず、居場所をなくしていった。

「あたしがバカだったんだよ。雪が降る頃には狼が飢えて村に降りてくると知っていたのに、春先にもくるとは思わなかったんだ。…」

この言葉で始まる、息子が狼に喰われた話を、祥林嫂は繰り返した。人々は最初同情をもって聞いたが、あまりに何度も繰り返し、しかもまったく同じ言葉だったためしまいには暗記してしまい、誰も彼女の話を聞かなくなり、あからさまに疎むようにもなった。そうして祥林嫂は女中もクビになり、物乞いに落ちぶれ果て、大晦日に主人公と出会った。…

そんなことを思いながら外に出た主人公は、新年を祝福する爆竹の音に包まれ、お祝い一色となった村の雰囲気を感じとる。故郷の村に祝福をもたらすよう祈りを感じとっていた。

 

…これのどこが「祝福」なのか、魯迅の考えることはよくわからない。

魯迅の描写は淡々としている。主人公は久々に里帰りしたため祥林嫂の近況に詳しくなく、避けようとはするものの村人達のようにあからさまに疎むほどではない。かといって同情しているわけでもない。不幸で役立たずとなったよそ者、という程度の認識だ。そんな主人公が語る祥林嫂の半生も、必要以上に同情をさそうものではなく、淡々と噂話を繰り返すように述べられている。困窮のうちに死んだ祥林嫂のことなど忘れ果て、主人公は爆竹が鳴らされ、新年祝いが始まるのを楽しむ。

『阿Q正传』のように、魯迅はあえて淡々と書くことで当時の村社会の冷酷さ、女性の地位の低さを鋭く表現しようとしたのだろうか。