コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

パレード (吉田修一著)

 

パレード (幻冬舎文庫)

パレード (幻冬舎文庫)

 

 

この小説は解説から読み始めたのだが、「こわい小説だった」と繰り返されていたのが気になって買うことにした。どんな風にこわいのか読み取ろうとして集中するあまり、大げさでなく二回電車を乗り過ごした。

だけど、最後まで読んでも、こわさを感じなかった。

吉田修一の小説は『さよなら渓谷』『怒り』と読み進めてきたが、いずれもテーゼが迫り来るほどにはっきりしていた。『さよなら渓谷』は「許されざることをした場合にどうふるまうか」、『怒り』は「ひとを信じること」がテーゼだった。だけどこの『パレード』は、テーゼがあまりはっきりしていない。あえていうならば「人づきあいとそれぞれが抱えるさまざまな闇」だろうか。だけど誰だって一つ二つ、誰にも内緒にしている秘密、後ろめたい闇と呼べる部分があるだろう。それが暴かれればその人を見る目が変わってしまうような秘密を抱えているだろう。それを小説の中で繰り返されても、正直印象は薄い。

物語は同居する五人の男女が、一章ずつ一人称で独白する形式で進む。H大学経済学部3年生の良介は先輩の彼女への横恋慕を。若手人気俳優の彼氏を追って上京してきた琴美は彼氏からの電話を待ってはセフレ扱いされる日々を。イラストレーター兼雑貨店店主の未来は自身の押入れに隠したちょっとした秘密を。途中で加わった男娼のサトルは同居人達をこき下ろしながらもなぜか感じている居心地良さを。映画配給会社に勤める直輝は自身のエゴと趣味のジョギングを。まるでツイッターにつぶやくように淡々と語り、同居生活を「本当の自分ではなく同居用の自分で暮らしている。笑えなくなったら出て行くだけ」と割り切っている。そのうちちょっとした事件が起こり、少し空気が不穏になる。だけど結局色んな秘密を飲みこみながら共同生活は続く。

……こわいかなあ?  私にはわからない。

抱えるさまざまな闇も、ちょっとした事件も、現実に起こるのならばこわいだろうけれど、小説ではそこまで迫真感が出なかった気がする。五人での共同生活という舞台設定そのものが、共同生活嫌いの私に馴染みがうすく、そのせいで感情移入しづらいのかもしれない。

 

怒り(下) (吉田修一著)

 

怒り(下) (中公文庫)

怒り(下) (中公文庫)

 

 

下巻を一気に読みきった。読後感は少しの救いと、少しの絶望がまざっている。

山神一也はいた。だが「さよなら渓谷」でもそうだったように、山神一也が誰なのか、なぜ八王子殺人事件を起こしたかは作品の中心ではない。山神かもしれない田代、直人、田中の三人に共通する「素性の知れなさ」に、「相手に好意をもつ」愛子、優馬、泉が見せた三者三様の反応こそが、深い印象を残す小説だった。

 

ある夏の日、一人の男が生活の中に入ってきた。

彼に好意をもつ。

彼の素性をなにも知らない。

公開捜査番組を見た。彼のいくつかの特徴が指名手配中の八王子殺人事件の容疑者に一致するような気がする。

 

その時どうするかで違えた。問うか、問わないか。状況証拠から探るか、会話から手掛かりを得ようとするか。

彼を信じるか。

愛子、優馬、泉、それぞれの反応に、彼ら彼女らの人生、家族や友人が彼ら彼女らに向ける視線が間接的にうつしだされているのが、作者の力量だろう。見事すぎて舌を巻く。

好意をもち、好意を返してくれる彼に、冗談半分にせよ「あなたは殺人犯か?」と問うかどうかは、彼と彼の好意を信じること、彼に好意をもった自分自身を信じることと結びつけられている。だから口にできない。だが、疑いをもってしまった以上、これまでと同じふるまいはどうしてもできない。

作者はとても丁寧に状況を積み上げている。彼を疑う言葉を口にすれば関係そのものが終わるように。それだけに三者三様の事情に感情移入し、それぞれの選択がますます救いと後悔と衝動と慟哭をもたらす。

 

「信じてくれって言われたのに」

「なんで信じるんだよ」

「信じていたから許せなかった」

 

それぞれの言葉はちょっと違うだけだけれど、こめられた意味も、その後の結末も、全然違うものになった。

怒り(上) (吉田修一著)

 

怒り(上) (中公文庫)

怒り(上) (中公文庫)

 

 

物語はある夏、八王子のある民家での夫妻殺人事件から幕を開ける。容疑者の山神一也は、被害者宅に「怒」と血文字で書き残していた。

それから一年、山神一也は未だ逃亡中である。一年後の夏、まったく違う場所で、まったく違う人々の前に素性の知れない三人の男が現れる。浜崎の漁港に暮らす、家出を繰り返した愛子とその父親洋平の前には田代が。東京の大手企業に勤め、母親が余命幾ばくもないゲイの優馬の前には直人が。母子家庭で、母親の不倫騒動のために度々引越しを余儀なくされ、沖縄の波留間の民宿に住み込みで働く泉の前には田中が。

「怒り」というタイトルとは裏腹に、物語は三つの場所を行き来しながら淡々と進んでいく。愛子、優馬、泉はそれぞれの事情と苦悶と諦めを夏の暑さの中で舐めながら、それぞれ出会った男に目が離せないものを感じとってゆく。一方で筆は淡々と、三人はいずれも山神一也と共通の身体的特徴をもっていると記してゆく。果たしてこの中の誰かが山神一也なのか、それとも三人ともそうではないのか。

 

時々思うのだけど、長い物語を分冊出版するとき、上下冊にするか、上中下冊にするかはどのように決めるのだろう。

分冊にするなら巻末に続きが気になるような仕掛けを作るはずで、そのため上下冊と上中下冊とでは物語の組み立てが違ってくるはず。もしかしたら文庫化したときに多少手直しをして、それぞれの巻末に気になる記述が来るようにしているのかもしれない。

実際には枚数とか予測売れ行きとかで作家と出版社が相談して決めるのだろうが、吉田修一「怒り」の単行本は、上下冊に分かれているものの、一冊にまとめられなくもない分量に思える。あえて上下冊にしたのが作者の意向なら、上冊終わりに差しこめれた記述は、とても効果的だと思う。続きが気になって仕方ない。

 

さよなら渓谷 (吉田修一著)

 

さよなら渓谷 (新潮文庫)

さよなら渓谷 (新潮文庫)

 

 

吉田修一は、尊敬する友人が大絶賛している作家だ。これまではあまり手に取らなかったが、ふとしたきっかけでこの「さよなら渓谷」を読んでみることにした。

舞台は美しい渓谷からしばらく山側に入ったところにあるかなり老朽化が進んだ市営団地。古く審査が厳しくないこともあり、年金暮らしの夫婦、独居老人、母子家庭、さまざまな人が流れつくように住み着いており、住民同士の交流もほとんどない。

朝起きたときに背中から汗が流れ落ちるような暑い夏の日に、母子家庭の4歳の子供、立花萌が失踪し、渓谷上流で遺体が発見された。容疑者として母親の立花里美が逮捕され、事件は収束に向かうと思われたが、立花里美が「となりに住む夫婦の夫と男女関係にあった」と言い出したことで隣人の尾崎俊介・かなこ夫婦に注目が集まる。

記者の渡辺一彦は立花里美宅に張りこんでいた流れで尾崎夫婦にも注目し始めるが、不可解な点が次々出てくる。尾崎俊介とかなこは籍を入れておらず内縁関係であること、住民票が移されていないこと、尾崎俊介が大学時代のある夏、野球部のチームメイト数人と女子高生を集団レイプし、有罪判決が下されていたことーー。物語は尾崎俊介、渡辺一彦、そしてかなこの視点を交えながら語られる。それぞれの視点から見えるものが異なり、三者三様の視点をもって徐々にさまざまな状況、心理、選択が浮かび上がる。

許されざることをしたとき、人はどのようにその後の人生をすごすのか?  尾崎俊介の答えは「過去に囚われる以外生きる道を見出せなくなること」だった。汗ばむ夏の日の中に、うだる夏の闇の向こうから、どんなに逃げようとしても逃げられないかつての夏の夜が迫ってくる。そんな小説だった。

貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記 (柳美里著)

初めて柳美里の作品を読んだのはベストセラー「命」を母親が買ってきたときだ。最初の方に、ガンを患った東由多加のためにいわゆる民間療法で高額な食品類を山のように買いこんでいること、常に原稿書きに追われまったく余裕がないこと、妊娠初期なのに妊娠中毒症を心配されるような生活をしていることが赤裸々につづられていた。一言で言えば「むちゃくちゃ」で、この人は狂気の沙汰の中で生きて書いているのかと衝撃を受けた。

あれから10年以上。この本を読んだところ、柳美里はあまり変わっていないようだ。しょっちゅうお金繰りに行き詰まり、さまざまな料金を滞納し、飼っている猫が病気になればお金がないのにといいながら大金払って治療を受けさせ、時には原稿料未払問題で直接出版社と交渉し、時には鬱状態で何もできなくなりながらなんとか書こうと悪戦苦闘している。日々綱渡りの生活をする一方、文章には前向きさも後ろ向きさもあるわけではなく、ただ柳美里の目から見た現実を文字にし、生きるために血のにじむような思いで文字を書きとめている。

柳美里の文章には不思議な迫力がある。現実を自分が認識したままに書いているから主観的文章そのものなのだが、不思議に、「読者に耳触りがいいようにつけ加えた」文章がただの一文もない気がする。どの文字も柳美里が書く必要があると心底思うから書いているのであって、読者受けがいいとか、印象に残るとか、そういう視点から書くべきかどうか判断することはない。そう感じる。

プロアクティブ仕事術 コンサルタントが3年目までに身につける仕事をデザインする方法 (石井和幸著)

一言でいえば本書は、プロジェクトマネジメントのための指導書だ。

まずは私自身に、この本の冒頭でとりあげられている5つの質問をしてみよう。

(Q1) 仕事の目標、目的はなんでしょうか?

(A1) 今取り組んでいる仕事では明らかにされている。

(Q2) 仕事の手順は明確でしょうか?

(A2) 試行錯誤だが明確になってきた。

(Q3) 上司だけでなく、協力をしてくれる周りの人にきちんと報告したり、連絡したり、相談したりしているでしょうか?

(A3) 抜け漏れがないとはいえないし、自分が報告している内容が上司の知りたいことからずれているとしばしば感じる。また、口頭報告ばかりで、きちんと書面化、記録化されていないのも改善点。

(Q4) 仕事で起きそうな問題やリスクは、事前に分かって対処しているでしょうか?

(A4) これができていないのがチーム及び私自身の最大の問題点だ。頭の中にさまざまな問題点を思い浮かべることはできるが、問題点整理すらちゃんとできていないことが多い。

(Q5) 仕事上のスキルは今後も安泰でしょうか?

(A5) この分野の仕事自体は需要があるが、私のスキルが期待されているレベルに届いているかというと、まだまだ修行が足りない。

総じて5段階評価で2〜3といったところだろう。

 

著者はプロアクティブ仕事術を「仕事をデザインし、未来を作ること」と定義する。右肩上がりの経済成長の時代は終わり、今までとこれからが連続しない時代では、これまでと同じ仕事をただ繰り返すだけでは成長の見込みはうすく、自分から能動的に仕事とキャリアをデザインしなければならないと説く。

著者がプロアクティブ仕事術の要素としてあげたのは以下。

  ① スコーピング: 仕事の目的、範囲、達成目標を明確に区切ること。区切られたスコープ内を自分の責任範囲として仕事する一方、スコープ外との連携も忘れない。

  ② 手順展開: やるべきことの明確化、優先順位付け、無駄作業を減らすための効率化。手順書作成も有効。

  ③ 割付: 適切な人に仕事を依頼する。その作業でどんなことをアウトプットしてほしいのか明確に決める必要がある。ただし、自分が成長できる仕事、主導権に関わる仕事は自分が確保する。

  ④ 見える化: スケジュール、コストを用いた進捗管理。とくにこれが重要なのは「見える化」のために作った資料をそのままコミュニケーションに使えるからだ。どこまで出来たか、課題はなにか、今後想定できるリスクはなにか。客観的に整理されていれば見直しできる。

  ⑤ コミュニケーションプラン: 上司とまわりの協力を得るためのホウレンソウ。「知らなかった」という状況は相手を重視していないというメッセージとなり、相手を怒らせて協力を得られなくなる。

  ⑥ リスク対応: 想定外事態を潰す。また事前に「こういうことが今後起こるかもしれません」と注意喚起しておくと心構えができる。

  ⑦ スキル計画: 生き残るための学習。スキルは繰り返し、繰り返し間違いなく同じ品質で仕事ができるという「再現性」が身について初めてスキルと認められることに留意。

 

私が最も大切だと思うのは④⑤だ。上司や同僚を動かし、協力を得るために絶対必要だからだ。

よほどのワンマンでもない限り、予算追加してほしい、人を増やしてほしい、などと言っても上司の一存で決められることではない。関係者が納得できる理由が必要だ。その理由作りのためにも、自分の仕事を「見える化」し、具体的にどこがどう大変だから協力してほしいと説明すると、強力な理由になる。

また、そうすることで仕事が早く進み、仕事を管理する立場にある上司のメリットになる、と説明できればなおよい。責任感が強く、最終的に仕事成果の責任を取るのは自分、とわきまえている上司であればあるほど有効だ。

「どうすれば(上司)が決断できる?」

「どうすれば(上司)を支えられる?」

私が常に自分自身に問いかけていることだ。

 

一方で私が不思議に思うのは、7項目はみなプロジェクトマネジメントに必須にも関わらず、なぜかきちんとできていることが少ないことだ。

どの項目もそれなりに時間がかかるため、とにかく成果をはやく出したいと焦る人は、腰を落ち着けてこれらの作業をやるのではなく、見切り発車でプロジェクトを走らせ始めることもあるのだろう。プロジェクト規模が大きすぎ、あるいは人手が足りなすぎて、手がまわらないこともあるのだろう。

そういうプロジェクトで大切な事項が取りこぼされたり、やり直しになったりしたのを山のように見てきた。これらの仕事術を身につければ必ず成功するわけではないだろうが、成功したプロジェクトは、これらの項目が必ずある程度出来ていたように思う。

30歳から読む論語 「自分磨き」のヒントが必ず見つかる!(中島孝志著)

論語本文を読むのもいいけれど、他人が論語をどう読んでいるのか知るのも面白いと思って選んだ本。著者は孔子のことを「この人と話をしていると、ものすごく得をした感じがする人」と言っており、論語を愛読している。

著者はビジネスマン、それもサラリーマンから独立起業まで経験した視点から、論語のうちいくつか言葉をピックアップし、それにあてはまる自分のビジネスマン経験を紹介している。言葉をたどるうちに、しだいに「確かにあの上司はこういうふうに振る舞うな」「あの時あの人が言ったのはこういうことか」と、自分の身近な人にあてはまることが見つかってきて、どんどん面白くなる。

たとえば著者は論語・子罕篇の「人間の真価というものは好調時にはわからない。苦境に立たされたときにどんな行動をとるか。それがわかるのだ」という言葉を引き、試練を嫌だと思わず絶好の修行のチャンスと考えれば、試練に取り組む姿勢が変わってくると書いている。姿勢が変わると行動が変わる。行動が変わる状況が少しずつ変わる。すると、いつのまにか風向きがいい方向に変わっている。

これを地で行っているのが、私が知るあるプロジェクトチームのリーダーであるSさんだ。苦しい交渉を強いられても、顧客が腹立たしいほどに身勝手でも、Sさんは皆の前では自制が行き届いた、前向きな姿勢で取り組んでいた。たまに自制に失敗していたから本来の気性はおそらくもっと激しいものだっただろうが、己を律し、試練を顧客の信頼と協力を得るチャンスと捉え、取り組む姿勢はみなが見ていた。そして、Sさんはやがて顧客の理解と協力を得ることに成功していった。