コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

人間関係の泥沼、シリコンバレーへようこそ『サルたちの狂宴』

 

Chaos Monkeys: Obscene Fortune and Random Failure in Silicon Valley

Chaos Monkeys: Obscene Fortune and Random Failure in Silicon Valley

 
サルたちの狂宴 上 ーーシリコンバレー修業篇

サルたちの狂宴 上 ーーシリコンバレー修業篇

 
サルたちの狂宴 下 ――フェイスブック乱闘篇

サルたちの狂宴 下 ――フェイスブック乱闘篇

 

これはカンとしか言えないのだけど、翻訳書を読むとき、「日本作家が書いたように読みやすい」と感じるものと「なんだか文章の流れに違和感がある」と感じるものとがある。

「違和感がある」と感じたものはたいてい、著者の住んでいる国でしかわからないような表現が山ほどある、まさに翻訳者泣かせの文章であることが多く、決して翻訳者がやっつけ仕事をしたわけではない。だがともかくそういう違和感に気づいたときには、私の乏しい英語力と語彙力をフル発揮して、原書にあたることにしている。

 

本書『サルたちの狂宴』も、途中で英語原書に切り替えた。なんというか、吉本新喜劇を無理矢理英語で聞かされているような違和感があって、なじめなかったからだ。

原書を読んでみたところ、カリフォルニア大学大学院での物理学博士課程を経て、ゴールドマンサックス、シリコンバレーでの起業、フェイスブック勤務まで経験している著者が書いているだけある、という感想。

ビジネス向けの堅めの英語に、さらりとラテン語やフランス語の決まり文句が混ぜられていたり(教養あるエリートの証)、現代風のイケてる表現やユーモアたっぷりの比喩表現もあったり(クスリと笑わせて場を和ませるため)、欧米なら誰でも知っているであろう『不思議の国のアリス』をはじめとする引用(”a marketing Twiddledee to the product Twiddledum”)、果てにはスペイン語までとび出す(アメリカ南部はスペイン系移民の影響が強く、著者もラテン系血統)という具合。こちらも読みやすいとはいえないが、あえて原書にチャレンジするのが面白いと思う。

 

本書は「秘密保持契約違反にならない範囲で」著者が渡り歩いてきた金融業界と広告業界について書き下ろしたノンフィクション。

金融や広告については基本用語紹介程度で、広告はどのように表示されるのか、表示元にはどのようにお金が入るのか、とくにFacebookのように個人情報を大量に扱うようなところではプライバシー保護はどうしているのか、かなり分かりやすく書かれており、インターネット広告に興味があればとてもいい読み物になる。

それに加えて、これでもかと書きこまれているのは、生々しい起業の実態、創業者同士のいさかい、投資家とベンチャーの駆引き、買収騒動を伴う腹のさぐりあい、訴訟という名の企業間戦争、さらにFacebookという超有名企業での仕事のすすめ方である。

法律にふれなければなにをしても良い、とにかく大金をつかんでやろうと目をぎらつかせたシリコンバレーの若きゲームプレイヤーたちが、人間関係をもがきながら泳ぎぬくさまがよくわかる。ゲームの裏ルールにいちはやく精通するのが生き残るコツだ。

大勢の人を動かし巨額の売り上げを左右するような大きな決定というのは、結局次の要素で決まる。すなわち、直感的感覚、そこにいたるまでに受け継がれた政治的な影響力、そして多忙かせっかちか無関心な(あるいはその全部があてはまる)相手を納得させられるメッセージを発信する力、である。

 

シリコンバレーでは、スタートアップは往々にしてどこか別のIT会社に入るための足がかりになるもので、買収話がもちかけられた場合、買収額にはスタートアップの優秀な従業員を雇用するための料金も入っている。

著者はシリコンバレー起業時代、ひたすら二種類の人間を探していた。著者自身がCEOをつとめるスタートアップに金を出す人間。または、そういった人間を紹介してくれる人間。

日本企業が投資決定権のない社員をシリコンバレーに送りこんで情報収集させたところで、うまくいかない原因がこのあたりによく現れている。シリコンバレーの起業家にとっては、その場で、あるいは数日以内に、数十万ドル単位の小切手を書ける立場にある者でなければ、会うのは時間の無駄になるからだ。

 

この流れにしたがって、著者は会社をTwitterに売却した一方で、起業仲間と別れてFacebookにもぐりこんだ。そのときの腹の探りあいはちょっとしたスパイ映画並み。

「買収話をターゲットにもちかけながらなかなか進めずにいるなら、ターゲットを宙ぶらりんの状態にしておき、競合他社との買収話を進めにくくさせる戦略かもしれない」

「最初に出してくる買収額はたいてい買い叩いているから、気を持たせつつ断れ」

「ほかの会社とも買収交渉をしているとハッタリをかませろ。なに、どうせ将来的には本当になることだ。Twitterから声がかかったと知れば、ほかの会社も放ってはおかない」

「ほかの会社に売りこんでいることをTwitterに知られてはならない。Twitterにはその会社の出身者がいるが、あのポジションの人間が引き抜かれる際には元の会社との人間関係が悪化しているものだ、そいつに情報が流れる恐れは低い」

とまあこんな調子である。

海千山千の投資家連中にアドバイスを受けながら、ときにはアドバイスをくれる投資家本人を「信用出来るのか?」と疑いながら、著者は最終的にスタートアップ売却を決め、起業仲間ごと切り離して売り払う。この辺り、自分のキャリアを優先させた著者の判断は容赦ない。

 

本書のところどころに、容赦なさがにじみ出ているのは、本書の最大の魅力のひとつだろう。著者は起業仲間と袂を分かつところで、必要以上に感傷的になったりはしなかったし、Facebookを退職すると決めたときも、ビジネスライクを徹していた。シリコンバレーは食うか食われるかの競争であり、著者は誰かに蹴落とされることもある一方、確実に誰かを蹴落としてきてもいる。

そういう点も包み隠さず書いて「これがシリコンバレーのゲームルールだ」とさらけているところに、「こういう人間がシリコンバレーで生き残るのだ」という迫力がある。……まあ日本人にはちょっと馴染みづらいところだが、要するに勝てば官軍なのだ。

シリコンバレーでの成功というのはこういうことなのだ。基本的には思いつきベースで、多少のプロダクト構想と会社が信じる価値観をもとに、一〇のアイデアを試してみる。……そして最後の一つが、変革を起こすほどの大きな成功を収める。成功の理由は後になってみないとわからない。忘れやすいITメディアは講釈の誤りをおかし、冷徹な目でプロダクトのコンセプトを考えるところから完璧かつためらわずに技術面を実行に移すところまで、一連のできごとを仕立てあげる。

実力勝負、成果主義とはこういうことだ。

文章の向こうから、そんな凄みが伝わってくる。