コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

<英語読書チャレンジ 5/100> Glendy Vanderah “Where the Forest Meets the Stars”

思いつきで英語の本100冊読破にチャレンジ。ページ数100以上、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2023年3月末まで。

表紙も内容もとても素敵な小説。英語表現が平易ですらすら読めるし、日常会話がウィットに富んでいるためとても楽しい。

私の一番のお気に入りはジョーの親友タビー。ジョーが乳がんのため乳房切除術を受けた2日後に生きた子羊(!!)を病室に差し入れ(!?)、ジョーに哺乳瓶を手渡して「おっぱいなんている? ミルクをやりたきゃほかにもやり方はあるわよ(意訳)」と言い放ったエピソード、最高にクレイジーで好き。

 

ジョー(ジョアンナ)は野鳥を研究している博士課程学生。2年前にがんで母親を亡くし、自身もがんにむしばまれて乳房切除術と卵巣摘出術を受けた。まわりのなんともいえない視線に傷ついたジョーはがむしゃらに研究に打ちこみ、人のまばらな田舎町や人里離れたところでの野鳥観察に勤しんでいた。

ある夏、研究のため夏の間借りているコテージに、9歳くらいの裸足の女の子が現れる。女の子は自分をおおぐま座の風車銀河(※ M101のこと。おおぐま座にある大きな渦巻銀河)から来た地球外生命体であると名乗り、教育訓練の一環として、地球上で5つの奇跡を目撃するまで帰れないと話す。

ジョーは女の子の訴えを妄想と片付け、裸足であることから近隣住民だろうとあたりをつけて家を聞き出そうとしたり、女の子を知る人を見つけようとしたり、保安官に連絡したりと悪戦苦闘するが、どうしても女の子の家を見つけられない。仕方なく同行させた野鳥観察のフィールドワークで、卵から孵ったばかりのひな鳥を見た女の子は大興奮して「これは奇跡よ!」と言う。田舎町に住んでいてひな鳥を見たことがないなどありえるのだろうか? ジョーはどうしても納得出来ないまま、しかし女の子をほうっておくことはもうできなかったーー

 

自分をイレギュラーな存在だと主人公に名乗る女の子は、『魔女ジェニファとわたし』のシチュエーションに似ているし、偏屈な性格の人と一緒に星空をながめながら人間関係をあたためるのは、『真夜中のピクニック』で少年ゲントがおじいちゃんとともに経験したことそのもの。どちらも児童文学ながらなかなかの傑作。

"Where the Forest Meets the Stars" は、もっと緩やかに、時間をかけて、心のまわりを幾重にも覆った秘密のベールを一枚一枚脱がせていき、素直な気持ちを明らかにしていく。ジョーは「おおぐまちゃん」と呼ぶようになった女の子のことをコテージの隣人(といってもアメリカの田舎町のことだから車で移動する距離である)であるガブ(ガブリエル)に相談する。交流を深めるにつれて、彼女のがんと乳房切除術のことがガブに知られてしまい、さらにガブがうつ病で大学を中退したこと、彼の精神疾患の根本的原因が家族にあることを知る。

おぐまちゃんのことで協力関係になったりすれ違ったりしながら、ジョーとガブはお互いの孤独にこわごわとふれてゆく。あたかも二匹のハリネズミが暖を取るために身を寄せあおうとしながら、相手を針で傷つけないよう慎重に距離を測るように。

ふたりのすぐそばにはいつも、人間社会から身を隠すことができる自然風景が広がる。野鳥観察。森林の中での水浴び。夏の嵐。花咲き乱れる庭のある一軒家。満天の星空。コテージのそばの焚き火。人間社会に疲れたふたりは、人間がほとんどいないところでお互いの孤独を抱きしめるようにすごす。いつか人間社会に戻らなければならないことをーーいつまでも逃げ続けるわけにはいかないことをーー心のどこかで知りながら、この時間がこのまま続けば良いと願い、現実逃避をつづける。

 

いずれジョーとガブは現実にもどらざるをえない。本人たちも読者側もよくわかっている。夢には終わりがあるのだから。

ジョーがガブとともにイリノイ大学を訪れる場面は痛みをともなうけれど、みごとな場面でもある。ジョーはガブを叱咤激励して現実に目を向けさせようとしながら、自分自身には愛情の名のもとに筋の通らないふるまいを許し、それをがん患者であるからと言いわけするさまは、悲しくもあるし、コメディのようでもある。結局「愛があれば無理が通る」式のハッピーエンドにおさまるのがやや不満だけれど、それ以外はとても面白い。