コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

司馬光《資治通鑑》巻百八十一: 隋紀五

資治通鑑》。全294卷、約1300年にわたる中国の歴史を記録したものであり、権謀術数渦巻く宮廷権力闘争を学ぶには最適だと毛沢東も愛読していた。

あまりにも長編ゆえ、気がむいたときに少しずつ読んでいく。順不同で興味が向いたところを読んでいくつもり。権謀術数、人間模様、抱腹絶倒がキーワードだ。

 

卷百八十一は《隋紀》の五。中国史上トップクラスのダメダメ皇帝扱いされる隋煬帝の治世初期のお話。

この巻の最初に、北京からの運河建設をするべく、百万の大軍を動員してなお足りず(建設機械なんぞ影も形もない時代である)、女性までも土木工事に駆り出したエピソードがある。京杭大運河の開通工事。隋煬帝が民を虐げる暴君である根拠のひとつである。

この大運河、建設当時こそ民にとんでもない苦労を強いたが、やがて「広大な中国の行き来がすごく便利になった」と喜ばれ、現在も物流の大動脈として使用されている。なのにそれを完成させた隋煬帝の評価は最低最悪のまま。派手好きで南方好きだった隋煬帝がよく大運河を龍船(皇帝専用船)で中国南部まで行ったため、「船遊びのために大運河造ったのかコイツは。建設工事で何人死んだと思ってるんだ」と恨まれたためらしい。成果を出してもアピールが下手くそだったというべきか、そもそもアピールする気が端からなかったのか。

この巻から隋煬帝の派手好き仕事サボりイエスマン大好きがだんだん明らかになってくる。隋煬帝がお気に入りだという臣下はことごとく忖度のエキスパートで、巧みに法解釈をして隋煬帝の望むままに重罪判決にも軽犯罪にもできる者、朝廷を毎日開くのは激務だから5日に一回でいいのではという者がいたという。

煬帝と臣下の間にこんな対話があった。

「長江南側の王は多くが色好みで、宮殿深くにいて民と顔を合わせないのはなぜだろう」

「だから彼らの王朝は長続きしないのですよ」

お前が言うな、である。

 

日本から遣隋使小野妹子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という手紙をもたらし、隋煬帝をたいそう不機嫌にさせたエピソードもこの巻。

煬帝の返書がこれまた失礼なものだったため、小野妹子がわざと返書を失くしたという歴史小話まであるが、こちらはどこまで本当かわからない。まあどの時代もトップ同士のやりとりは部下の神経を削るものである。

また、隋が「流求国」を攻め負かしたこともこの巻で登場するが、これが台湾に沖縄までふくめた地域なのか、台湾だけを指すのかは歴史学者の間でも意見が分かれるらしい。

 

この巻のハイライトは高麗国討伐開始である。隋煬帝はその治世で三度にわたって高麗国討伐を試みたが、この巻で語られるのはその第一回。高麗軍は人数では隋軍に遠く及ばなかったが、守りが堅固であり、時間稼ぎがうまく、チャンスをものにするのがうまかったことが、数々のエピソードとともに語られている。