コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

家族のあり方が国家政策に定められるということ〜メイ・フォン『中国「絶望」家族』

中国の一人っ子政策は、文化大革命によって経済学者・社会学者・人口学者達が粛清され表舞台から排除されたのちに、国防部門のロケット科学者によって推しすすめられたーー。

ここまで聞いたらもう、この政策がいかなるものか想像付くであろう。

本書はそのタイトルのとおり、中国の一人っ子政策がもたらした社会的歪みを丹念に取材している。そのほとんどは社会問題として中国社会でもすでに認識されているが、その背後に潜む原因を掘り下げるひとはほとんどいない。なぜか。現政権の政策批判は刑事罰に問われるからだ。

中国の現代社会に生きる大多数の人々は、経済発展のうまみを享受し、少数派の嘆きを「自分でなくてよかった」と無視するか、心が痛んでもそれを表に出さないすべに長けている。

うっかり本音を口にしたらどうなるか。つい数十年前にこの大地で起きた文化大革命は、年老いた親たちから子どもたちへひそやかに伝えられ、余計なことを口にしないようにと囁かれる。いま子どもたちから産まれた孫たちは、失われようとしている歴史のことなどなにも知らず、経済発展がもたらした豊かさを存分に享受しながら、過酷な競争圧力にさらされながら生きている。

本書は中国社会で失われようとしている歴史、なかったことにされようとしているできごとを取材している。一人っ子政策を推しすすめるために妊婦狩りを行い、強制堕胎に付き添った当事者たちはいまや年金生活に入り、言葉少なながらみずからの体験を著者にむかって語る。ああするしかなかったのだーー呟きは重い。

この本を読んでいて、以前書いたことを思い出した。

 

中国ではなくカンボジアでの話だが、石井光太氏の著書『物乞う仏陀』に象徴的なエピソードがある。

カンボジアで障害者がどのように生きているのか知ろうとした著者は、ある先天性障害者に会った。その人は旅行者の案内などもする社交的な人だったが、昔のことや生い立ちは決して話さない。著者には理由がわからない。通訳がうんざりしたように、強い口調で言った。

「お前、何人殺して助かった?」

ポル・ポト政権下では、障害者はユートピア建設の足手まといとされて粛清対象だった。粛清とはすなわち虐殺である。先天性障害者が生き延びるすべはただ一つ。障害者の隠れ家を当局に密告し、その手柄と引きかえに見逃してもらうこと。

現地人の通訳はそのことを知っていた。だから脂汗を流すその先天性障害者に容赦なく問う。「障害のある人間が、密告しないでどうやって生き延びたっていうんだよ。カンボジア人を何人売ったんだ?」と。

生き延びたこと自体が、加害者側であった証。そうみなされる時代が、実際にある。

 

一人っ子政策は、数十年にわたって中国本土で施行されてきた。どんな政策でもそうだけれど、これほど長期にわたって存続する政策は、それ自体がすでに社会システムの一部分となってしまう。

本書でも実例があちこちに登場する。一人っ子政策管理のためにつくられた政府直属組織には全国で数千万人の公務員が従事し、二人目を出産した家庭に課せられる多額の罰金は地方政府の主な収入源のひとつとなる。男尊女卑の伝統ゆえにただひとりの子どもとして男児を選ぶ家庭が多数であったゆえに、成長した男性たちは嫁探しに大苦戦し、社会問題になるほど。たったひとりの子どもに親は惜しみなく教育費を注ぎこみ、教育産業の過熱と教育費の高騰は、親たちが二人目の子どもをもつことに二の足を踏むほどになっている。

すべて、中国現代社会のシステムの一部として、簡単には取りのぞけない事実だ。これらのことを中国人は、親戚、友人、隣人の体験として、生々しい現実として知っている。

著者は一人っ子政策に批判的であり、一人っ子政策がそれほど経済発展に役立たなかった一方、急速な高齢化という形で、将来にわたる火種をもたらしたと書いている。もしも一人っ子政策がなかったら、現代中国社会はどうなっていただろうかーーこうした問いに答えることは誰にもできない。わかっているのは、かつてない勢いで高齢化が進むであろうということ。それを支える福祉政策がまだまだ未熟であること。14億人という膨大な数の人間が、その影響をもろに被ること。そして中国との経済関係をますます強める近隣諸国にとっては、対岸の火事ではありえないということだ。