コーヒータイム

日々読んだ本を紹介しています。英語や中国語書も時々。面白そうだと感じる本があれば、ぜひあなたも読んでみてください!

キャリアポルノは人生の無駄(谷本真由美著)

ビジネス書を何冊か読むと、大体の特徴が見えてくる。

センセーショナルな題名のものはたいてい字数のわりに内容がたいしたことなく、読んだら忘れる。時にはあからさまに著者のセミナーを紹介していたりして、ますます読む気が失せる。成功者の自伝はかなり良いものがあるが、もちろんスティーブ・ジョブズの自伝を読んだからといってアップルのようなIT時代の寵児となる国際的企業を立ち上げられるわけではない。科学的根拠に基づいて企業のあるべき姿や経済発展の行く先を推察しているような、読み応えのあるビジネス書は数少なく、当たるのは運任せだ。これまで手にとってきた中では、読み応えがあったものは10冊に1冊あればいい方。

わたしは自分の読書経験からなんとなくこんなことを思っていたが、本書『キャリアポルノは人生の無駄』を読んだとき、もやもやしていた思いを言葉にしてまとめてくれていると感じた。

わたしは子どものころから本を読む方だったと思う。図書室や図書館に通うのが大好きだったし、まだ読んでいない本が手元に常にあった。おもしろそうだと思えば、分厚い本でも抵抗なく読んだ。その頃読んでいたのは児童文学や世界名作集といったものだが、知らず知らずのうちに、内容が薄い本を子どもなりに「つまらない」「物足りない」と感じる感覚が身についたのだと思う。

だが、読書習慣がなく、就職前後に初めて著者言うところのキャリアポルノを読み始めるような読者層であれば、おそらくこういった感覚が育っていないのだろう。「成功法則が書かれた本を読んだだけで自分も成功したつもりになる」罠に落ちるのだろう。

【おすすめ】”Big Debt Crisis” (by Ray Dalio)

 

Big Debt Crises (English Edition)

Big Debt Crises (English Edition)

 

 

本書はいわゆる景気サイクルの解説書。好景気と不景気は循環するといわれるけれど、なぜ循環するのか、不景気が来たらどんなことが起こるのか、不景気の影響を抑えるための政府介入にはどんな効果が期待できるのか、そういったことを解説し、ケーススタディとしてここ100年の経済史上の大事件を分析した専門書。

著者のRay Dalioはみずからも16兆円という世界最大規模のヘッジファンドを率いる投資家であり、彼のヘッジファンドは2008年の金融危機でも底堅さをみせ、プラスの運用利益を出している。

著者の基本的考え方は「不景気や金融危機は政府が介入することにより影響を抑えられる。それはつねに一部国民の痛みと犠牲を伴うが、政府介入の方法とタイミングによって痛みは大きくも小さくもなる。だから政府は国民の痛みと犠牲を小さくするため、適切なタイミングで適切な手を打たなければならない」。

まあ経済の動きをどうにかコントロールしようと人類は数百年試行錯誤しながらハイパーインフレだの世界恐慌だのの失敗を繰り返してきて、「経済政策によるコントロールは無理」と悲観的になる人も出てきたわけだけれど、著者はそれでも「コントロールできる」と信じているわけやね。それで、適切な手とはなにか、手を打たなければならないことを知らせる兆しとはなにかを、歴史的出来事をからめながら分析するために、分厚い本を書き上げた。

経済専門家たちが絶賛するこの大作をkindle unlimitedで手軽に読めるという事実が、これまでとまったく違う情報化時代が訪れていることを雄弁に語る。一方で、国家経済政策はここ100年のやり方から、実はそんなに変わらない。国家経済政策を取り上げた本書は、歴史的出来事を扱いながら、未来予想図を目の前に広げてくれる。

知らないというのは恐ろしいもの。たとえば銀行が投資商品の損失補填をすることで、あたかも投資商品によい利回りが保障されているかのように見せかけるやり方。これは実際の収益評価がやりにくくなる上、不景気時には銀行本体の収益をも悪化させ、最悪の場合金融システムそのものにダメージを食らう。先進国ではバブル崩壊や金融恐慌の経験からこうしたことを学び、銀行が直接投資商品の利回りを保証することを禁じ手とした。しかし、発展途上国ではこうした仕組みを平気で使っているうえに、先進国にそうした仕組みがないことだけを見て「我が国独特だ」と胸を張る人もいるのである。なぜ先進国がそういう仕組みを取り入れないのかを知らず、嬉々として損失補填付商品を買いあさっているうちに、不良債権をつかまされた銀行の体力はじわじわと削られてゆく。

こうしたことを招かないためにも、これまでどんな経済政策がとられてきたか、うまく行ったものはなぜうまくいったのか、失敗したものはなぜそうなったか、考察することが大事になり、本書はまさに格好の教材になる。

わたしとしては英語表現はなんとなく読みにくいが、基本原則から入ってくれるから、初心者でもそこそこ理解しやすい。

 

まずは基本から。

Credit is the giving of buying power. This buying power is granted in exchange for a promise to pay it back, which is debt.

ーー信用 (credit) とは、購買力を与えることである。購買力は支払い約束と引きかえに与えられるものであり、支払い約束がすなわち債務 (debt) である。

クレジットカードでの買いものがまさにこれ。クレジットカードのショッピング枠(これが “credit”)内であればほしいものを買える。だが、いずれ返済しなければならない(これが “debt” )。

この債務残高が健全に伸びていきながら、債務償還してなお余るほどの利益をもたらしてくれるのが好景気。ただし債務残高が伸びすぎる、すなわち人々が身の丈に合わない消費や投資をしはじめる兆しが現れたら、バブルの足音が聞こえる。債務残高が伸びすぎて焦げついたとき、バブルが弾ける。

バブルの特徴としては「高利子融資に頼った買いものをする」「価格上昇を予想し、防御策として必要以上にたくさんものを買う」「新しい買手が市場に参加する」などを挙げている。どれも庶民感覚ではごく自然に起こりうることばかりに思えるが、それをバブルの前兆と捉えよという著者からの警告だろう。

日本では1980年代のバブル崩壊と、それに続く失われた20年と呼ばれる不況のために、投資にとても慎重になっており、いまのところ好景気がすぐにやってくる気配はない。けれど数十年経てばどんな大事件でもしだいに忘れられるのが世の常で、いずれもう一度バブルがやってくるかもしれない。

 

本書はあまりに重厚で、政府の経済政策決定者に向けられており、経済専門家ではないわたしには、内容全部を吸収するのは難しかった。

だが、以下の文章から未来予想図を見るのは、わたしの取り越し苦労だろうか。ここは著者は「本題ではない」と断ったうえで一章を割いてさらりと述べている内容である。

When 1) within countries there are economic conflicts between the rich/ capitalist/ political right and the poor/ proletariat/ political left that lead to conflicts that result in populist, autocratic, nationalistic, and militaristic leaders coming to power, while at the same time, 2) between countries there are conflicts arising among comparably strong economic and military powers, the relationships between economics and politics become especially intertwined—and the probabilities of disruptive conflicts (e.g., wars) become much higher than normal.

ーー1)国内で富裕層/資産家階級/右派と貧困層/労働者階級/左派との間にあつれきが生じたために、ポピュリスト、独裁主義者、国家主義者、軍事主義者たちが力をもつようになる;  同時に2)同じくらい強い経済力と軍事力をもつ国家間で紛争が生じ、とくに経済と政治関係が絡みあうようになったらーー破壊的紛争(たとえば戦争)の可能性が通常時よりもずっと高くなる。

 

週末介護(岸本葉子著)

 

週末介護

週末介護

 

岸本葉子さんは「やわらかく知的なエッセイを書くひと」といわれるけれど、大賛成である。彼女の本を最初に読んだのは、『はたらくわたし』というエッセイストの仕事日記だったが、肩肘張らない、無駄に力が入っていない、やわらかい雰囲気の文章がとても好きになった。ひだまりという言葉が、しっくりくる。

そんな岸本葉子さんが書いた、五年間にわたる父親の介護経験が本書。母親はすでに亡くなっている。父親の身体能力が衰え始め、認知症がすすみ始めたころ、兄と姉に加えて在宅仕事の自分自身が介護をすることに決めた。自宅付近に三十年ローンでオートロックマンションを購入し、そこに父親を移してから最期を看取るまでを、やわらかい雰囲気を失わない文章で綴る。

わたしにとって親の介護はいつかはやってくることであり、そのためにも今から、何が起こるのかを知っておきたいと思った。そのために選んだ本だったが、内容は期待以上だった。

身体的機能が衰え、トイレに入ってからズボンを下ろすのに手間取るうちに間に合わなくなったり、ベッドから身を起こすためにお腹に力を入れるだけで排泄することがあること。時間的感覚がなくなり、夜中起きることがないよう就寝前にトイレに行っておくなどの発想ができなくなること。その前に夜は就寝するものという考えがなくなること。本人はわけがわからないなりにも役に立ちたい、迷惑をかけたくない、もしかしたらおかしなことを言っているかもしれないという考えや感情があって、手伝いたがること。介護者の感情活動に鏡のように反応すること。洗濯物とゴミがおそろしい量になり、匂いがとれにくくなること。言葉がどんどん短くなり、ついには不明瞭なうめき声や鸚鵡返しばかりになること。

介護とはどんなものか、学ぶにはとてもよい経験談だ。エッセイストという仕事柄、よくまとまっていてまるで情景が浮かぶようだし、それでいて、夕暮れのやわらかい陽光のような文章の雰囲気は変わらず、深刻になりすぎない筆運びに救われてもいる。

いつかわたしの両親も要介護になるだろう。そのときわたしは親の変化に戸惑い、なかなか受け入れられないかもしれない。なにが待ち受けているかを知り、覚悟を決めるためにも、よい本だ。

 

さくら日和(さくらももこ著)

昨年永眠されたさくらももこさんは、代表作『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』のほかに、自身が「成長したまる子のお話」という位置付けでエッセイを多数発表している。

『さくら日和』は、さくらももこさんの離婚後初めて発表したエッセイ集で、冒頭に離婚報告が載せられている。「所詮、まる子の人生なんて、一回ぐらいこんな失敗もあるさと思ってもらえると有難い」とさらりと書いているけれど、実際には離婚成立まで相当大変だったようだ。

重い話から始まったかと思えば、親友の兄をさくらプロダクションに転職させようとするだの、集英社の担当編集者の新福さんのお疲れさま会での「新福さんをほめたたえよう大作戦」だの、ブラックさが一抹拭えないながらも全力疾走でくだらなく笑える日々を書きつらねる。突然真剣に寝相を研究しだすなど、一体なにをしたいのやらわからない企画を持ちあげる。離婚した一児の母でもまる子はまる子だなと、ため息をつきつつ、しょうがないねェと笑いたくなる。

わたしにとって、エッセイはなんだか漫画のまる子の将来を覗き見ているような、不可思議な気恥ずかしさを生じさせる。まる子がさくらももこさんの子供時代で、さくらももこさんがまる子の未来像ということが、どうもうまく呑みこめない。小生意気な漫画のまる子が成長して落ち着くところを見たくないような、どこか苦い気分にさせられた。

ももこの宝石物語(さくらももこ著)

さくらももこさんが去年永眠された。

ちびまる子ちゃん』を読んだのは小学生の頃。まる子が給食の塩もみ野菜をきらって「バッタだってもうすこしいいもの食べてるよ」と言いながら残したところがかわいくてほのぼのしていた。

さくらももこさんはエッセイ集も数多く残している。これはそのうちの一冊。ある日偶然見つけた『宝石の常識』を見つけたさくらももこさんは、そこに載っていたパライバ・トルマリンの「海の青とも空の青とも言えないけれどもどこかで見たことあるような、青に少しだけ緑を混ぜた透明にした美しい青色」に一目惚れしてしまう。こうして彼女の宝石物語が始まった。

さまざまな宝石との出会いやあこがれを書いたエッセイを読むうちに、自分自身の宝石物語を思い出していた。

わたしが初めて手に入れた宝石はオパール。父のオーストラリア土産だった。小さいながら輝きが美しく、今でも大切にしまっている。

その次はアメジスト。中国旅行中にとあるお土産屋でペンダントトップに加工された小さなアメジストを見て、上品な美しい紫色がとても気に入り、親に頼みこんで買ってもらった。日本円で5000円位だったと思う。ペンダントトップだからチェーンを合わせなければならないのだが、そんなお小遣いはなく、身につけたのは片手で足りるくらいだった。二十年以上しまいっぱなしだったが、しまいには売り払ってしまった。

わたしが縁のあった宝石はこのくらい。わたしのアクセサリーは、宝石よりも、貴金属を繊細に加工したものが多い。

母は小さなダイヤモンドがついたペンダントを持っていたが、チェーンだけが本物の黄金で、ダイヤモンドは偽物だと聞いた。一万円位のものだからまあ当然ではある。ほかには冠婚葬祭用の真珠のネックレスがあるくらいで、我が家は宝石とはそれほど縁がない。

最近惚れこんだのは『宝石の国』の主人公、フォスフォフィライト。透き通るような緑色が美しい宝石だが、希少性が高いうえ、脆すぎて装身具向きではないためほとんどお目にかかれない。『宝石の国』とTASAKIのコラボで出品した首飾りは324万円ととんでもない値段。ほんとうに一期一会であるが、手にする日は来るのだろうか。

日本に殺されず幸せに生きる方法(谷本真由美著)

独裁国家でもあるまいし、日本に殺されるとはなんぞや?

首をかしげる一方、「保育園落ちた日本死ね」に代表されるように、少子化が叫ばれながら、特に共働き子育て家庭にとって日本社会は決して生きやすくはない。なんだか真綿で首が締められている気もするけど、まだ窒息していない…そんな日本社会のことを書きたいのかなと思いながら読み始めた。

読んでみたところ、日本に物理的に殺されるのは大げさだとしても、可能性を殺されるという意味で警鐘を鳴らしているのは、なるほどと思えた。

 

本書の著者はめいろま(めいろま@May_Roma)の名前でツイッターご意見番として名を馳せ、バックパッカー、国連職員、国際結婚などの豊富な海外体験をもとに「ここが変わらなければならないよ日本人」についてインターネットで発信し続けている。彼女の本を読むのは二冊目。

二冊とも、さまざまなデータを駆使しながら「日本社会の仕組みは時代遅れでうまくいかないところが多々出てきている」「日本のやり方以外にも選択肢はある」「だからそれに目を向けよう」と主張するものだった。

 

日本では言語障壁があるから海外の英語情報は行き渡りにくいし、翻訳されたものはその時点で訳者の考えに影響される。つい最近起こった大坂なおみ選手のコメント誤訳報道などがそうだ。

【検証】なぜ大坂なおみ選手の誤訳報道が起こってしまったのか?(菊地慶剛) - 個人 - Yahoo!ニュース

大坂なおみ選手については、ハイチ系アメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、英語を母語としているという意味では従来の日本人像に合うとはいえないけれど、彼女の偉業ゆえに「日本人はスゴイんだぞ!」と言いたい人々が、なんとか彼女に日本人的な振る舞いをさせようとあれこれ誘導しては失笑を買っているという印象。

このように日本人は日本のやり方に固執し、日本にやってきた外国人たちにもそれを強要するけれど、同調圧力が強すぎるところにイノベーションが起こりにくいことはすでに散々指摘されているし、わたし自身の体感としても実感できる。これこそ日本の宿痾ではないだろうか。

著者始め、海外に出た人々はそのことを知っているから「そうではない社会もあるんだよ」「今の仕組みだとそろそろうまくいかないのがわかってきたでしょう」「新しい考え方を入れないと社会は発展しないよ」と発信し続けている。

著者の指摘は鋭い。

日本で、特に女性に強くあるのが「同調圧力」です。何か新しいことを始めると言うと 「やめなよ。うまくいきっこないから」と言ってくる人が9割です。それは、本気で心配して言っているのではありません。 「自分と同じと思っている人がうまくいって上のレベルに行くのは面白くないから、足を引っ張ろうとしているだけ」なのです。

(中略)

みんな自分が大事で、他人にはさして興味もありませんから、あなたに言ってくることのほぼすべてが自分のために言っているか、適当に思いついたことを言っています。

同じようなネット記事をこのところよく見かける。それだけ、同調圧力に違和感を覚える人々が増えてきたのかもしれない。

帰国子女の娘がクラスで浮いた存在に… 鴻上尚史が答えた戦略とは? (1/7) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

 

同調圧力は両刃の剣だと、わたしは思う。

みんなが同じであればみんな仲良くしていられるし、東日本大震災時に見られたような壊滅的天災のなかでなお保たれる秩序が生まれる。だがそこから外れた瞬間に「自分たちとは違う」という理由で激しい差別を受けるリスクがある(これが怖いゆえにみんなと同調しているともいえる)。この環境からイノベーションが生まれにくいことは言わずもがな。また、判断基準が「みんなやっている」「言われたからやる」になると、たとえば検査数値偽造や統計調査偽造などの犯罪行為にも平気で手を染める。
同調圧力の強い社会に生きる」ことは、「自分独自の判断基準を放棄させられる」ことと同義だ。

社会が経済成長を続けて豊かであれば、それでも生きていくことはできよう。だが、経済が衰退して社会福祉が面倒を見てくれなくなり、自分自身で食べていかなければならないとなると、独自の判断基準のなさが最大の弱点になる。

幸いなことに、独自の判断基準は自分の中に育てることができる。「みんながやっているから」を理由にせずになぜそうするのかを考え続ける、思考停止をしないという決意と、さまざまな本を読むなり多国籍の友人と交流するなりして、多様な考え方にふれるための少しの時間、そして自分自身と異なる価値観でも否定せず「そういう考え方もあるのか」と受け入れる寛容さがあればいい。

これらはみんな、時間をかければ、長くても数年で身につけることができる。身につけることが、できた。

 

日本人の働き方の9割がヤバい件について(谷本真由美)

本書の著者はめいろま(めいろま@May_Roma)の名前でツイッターご意見番として名を馳せ、バックパッカー、国連職員、国際結婚などの豊富な海外体験をもとに「ここが変わらなければならないよ日本人」についてインターネットで発信し続けている。

わたしが初めてめいろま氏のツイートに触れたきっかけは忘れてしまったが、意見に説得力があり、気になったのでフォローした。最近あふれかえっている日本人スゴイ系の記事や本やテレビ番組に違和感を覚えていたところだったので、めいろま氏の「世界からは日本人はこう見られている」ツイートが面白く感じられた。彼女のツイートは、英国事情、英語学習、世界から見た日本を知るためによく参考にしている。

めいろま氏は谷本真由美名義で多くの本を書いており、これはそのうちの一冊。

 

電通の高橋まつりさん過労自殺事件をはじめとする度重なる過労死や過労自殺報道、労働時間は長いのに生産性は先進国の中でも低い件など、日本の働き方がおかしいことはとうに明らかになっていると思う。それについて問題提起している識者も数多い。なのに一方で高度プロフェッショナル制度が成立したように、政府・経済界はむしろ労働時間延長を推進している。

著者はそれを問題視した。

日本が直面する経済環境や、世界の情勢は大きく変化しているのにもかかわらず、日本人の働き方は、高度成長期の頃とほとんど変わっていません。

すでに時代が変化しているにもかかわらず、過去の栄光や成功体験にしがみついて、自分自身が変化することを拒むというのは、個人レベルでは実によくある心理活動だけれど、それを国レベルでやっているのが日本ではないだろうか、と、わたしは考えることがある。

日本は「仕組み」よりも「人」のせいにすることが多いとよく言われる。しかし、ビジネスの世界では、もうけるための仕組み=ビジネスモデルをつくった時点で会社組織はかなりの部分が決まる。なぜならビジネスモデルを遂行するのに最も適した組織形態にしなければならないから、という意見もある。わたしはこちらに賛成だ。

上司に評価されることばかりを熱心にやり、そうでないことは事実上無視する人をさんざん見聞きした。なにをしたいかが決まれば仕組みが決まり、仕組みが決まれば評価制度が決まり、その中にいる人間に求められることが決まる。逆に言えば、この時点で人間にできることには制限がつく。求められることはどんどんやるし、求められないことは得にならないからやらない。「求められること」がおかしければ、その中にいる人間もまたおかしくなるのはあたりまえ。

働き方はそのひとつ。高度経済成長期に終身雇用制度や長時間労働があったから、それを【成功体験】だと勘違いしてしまった。同じやり方をすればいまの経済衰退も良くなるに違いない、と、誰もが思いこんでしまった。けれどゲームルールはすでに変化していて、これまでのやり方では通用しない。歴史上、鉄砲伝来が戦のやり方を根本的に変えてしまったように、飛び道具相手にどんなに日本刀の一騎討ち技術を磨いても、もう役にはたたない。

そもそも長時間労働だって、高度経済成長期に役立ったかもしれないけれど、それだけで経済成長できたわけではない。著者は明快に言い切る。

日本の成功は、当時の資源価格や国際政治、金融政策、特許技術の購入のしやすさ、新技術の導入、海外の最新技術や知識の導入、地道な品質改善活動、教育改革、さらに歴史的なタイミングなど、様々な要素が絡み合っていたから可能だっただけであり、「日本人の働き方」は成功要因の一つにすぎなかったのです。

 

これからは正社員雇用でさえ安定しているとはいえない、それは世界的な流れであり、日本ももちろん例外ではない。自分のスキルが労働市場でいくらで売れるかが重要。著者はこれを「働く人の自分商店化」と呼ぶ。

今後仕事を選ぶ際に重要になることに 「市場で評価されるかどうか」があります。...仕事の報酬というのは、基本的に、需要と供給で決まります。

働く人の自分商店化は、 50年前の状態に回帰しただけであり、そもそも、終身雇用や働く人の多くが、正社員として、新卒で一括採用される仕組みの方が異常であった、ということがいえるでしょう。たかだか50年程度しか歴史のない仕組みが、「日本固有の雇用体系」といえるかどうかは疑わしいですし、戦後の高度成長期の産業構造に合わせて、最適化された雇用体系にすぎなかったというわけです。

それはとりもなおさず、能力が低くても正社員にしがみついていればそれなりの収入が保証されてきた層が、今後、貧困層に転落するかもしれないことを意味する。実力主義の行き着く先は貧富格差拡大だから。

貧富格差是正のためにこれまで人類はさんざん努力してきたではないか、その努力が無駄になるというのか、と反論されそうだけれど、結局資本主義とはそういうものであり、対価に見合うサービスを提供できなければ淘汰される弱肉強食の世界なのだ。慣れあいだの分け合いだの(生活保護などのセーフティネット)で落ちこぼれた人が餓死しないようにすることはできるし、その取組み自体は素晴らしいけれど、社会全体でみれば残念ながら少数派。経済的余裕がなくなればまっさきにセーフティネットが「仕分け」対象になるのが、イギリスであり、日本なのだと思う。

結局のところ、みずからの力で生き残れ、という真理に立ち戻っている。読み終えたとき、そんな気がした。