コーヒータイム

日々読んだ本の感想。時々日常。

『悪の論理: 地政学とは何か』(倉前盛通著)を読んだ

著者によれば、地政学とはおおよそ次のような学問である。

(1) 国家を主要要素とする国際経営の理論

(2) 国家の望むものを獲得するための行動原理

(3) 世界的勢力を確保するための活動の科学

著者は地政学を「悪党の論理」と呼んではばからない。その意味するところは、意図的に戦争や殺戮を起こそうとする邪悪さではない。狡猾で冷酷非情な国際感覚をもち、国家の望むものを獲得するためであれば戦争や殺戮を選ぶことにも迷いがない、クールで抜け目がない悪どさだ。

たとえば漁夫の利という言葉がある。二者が争っているすきに第三者が利益を横取りすることだ。地政学の一つのテーゼにまさにこれがある。二国を争わせ、両国消耗しているところをうち負かすことで、敗戦国である両国から利益を得るという方法だ。このためには二国間の戦争と人道的犯罪を黙認し、なおかつ自国の軍隊にもある程度犠牲が必要になるが、それを承知でこの方法を選ぶことができるのが、著者言うところの「悪党」であり、強国のトップというものだ。

以前読んだ『勝つための状況判断学』でも述べられていたことだが、その地理的位置から海洋国家と大陸国家に区別することができ、前者は制海権を、後者は領地拡大を最も重視する。時には国家が自分たちの本来属する方とは逆の戦略をとり、敗北することもある。

海洋をもたぬ国家が海洋への出口を求めること、海洋国家が海軍基地や空軍基地を設置するよい場所を求めること、大陸国家が陸軍基地を設置するよい場所を求めること(また逆に敵国のそういう場所を攻撃すること)、こういった理由で国際紛争の多くを説明できる。最初の実例はソ連アフガニスタン侵攻や湾岸戦争、次の実例は第二次世界大戦中のサイパン海戦や真珠湾攻撃、最後の実例はつい最近起こった中国とインドの国境紛争だ。

また、海洋国家と大陸国家がぶつかりあう場所として常に軍事上重要になったのが半島であり、海峡であると著者はいう。分断された朝鮮半島はいうに及ばず、ロシアが北方領土返還に応じる気がないのも海洋への出口確保のためだ。

こうした一連の事情を知るための学問が地政学であり、必要な軍事拠点を得るために、地政学にのっとった冷酷非情な判断ができるのが国際社会であり、そのような国際力学を知らずして、複雑な社会を生き抜くことはできない。それが、著者がこの本全体を通して伝えたかったことだ。

『ビジネス・インテリジェンス-未来を予想するシナリオ分析の技法』(北岡元著)を読んだ

昨日は原因不明のだるさで早々と寝たので、本を一冊読めなかった。貧血症状に近い気がする。今日は幾分良くなった。

 

この本は以前読んだ『シナリオ・プランニング』に似た内容かと思っていたが、似ている点とそうではない点があるようだ。共通点は、どちらの本も「行動」を支援する方法を紹介していること。異なる点は、『シナリオ・プランニング』では、未来は現在の延長線上にあるわけではなく、 今ある情報だけから未来を予測してはならないと強調していたが、この本では、現在ある情報を集め、そこから未来を予測しようとしている点だ。主張が真逆である。

この本で紹介されるのは「競合インテリジェンス (Competitive Intelligence, CI) の手法だ。インテリジェンスとは「判断・行動のために必要な知識」である。まずマネジメントにインタビューして、経営判断に必要な情報を引き出す。次に情報(インフォメーション) を収集、分析、体系化して、ある傾向が見られるのはなぜなのか仮説(シナリオ)をつくる。最後にそれを整理して、マネジメントの判断・行動を可能とするまでの情報に仕上げる。

これだけ見ると、マネジメントを相手にする人びとに限らず、誰もが日常的にこなしていることだと思う。上司が必要な情報を把握し、上司が判断・行動できるように情報整理し、報告・連絡・相談するのは部下の基本だ。

面白いのは、「早期警戒」という考え方だ。CIはマネジメントが必要だと感じている情報をインタビューで聞き出すところから始まるが、自社の市場地位に影響するにもかかわらず、マネジメントが必要性自体に気づいていない情報がある。当然インタビューでは出てこない。これをどう作り出すか。

出発点は孫子兵法の「彼を知りて己を知れば百戦して危うからず」の「己を知る」の部分だ。自社を徹底的に分析することで、自社の有利な点と不利な点を見極めるのが、早期警戒につながる。

 

この本を読んでいくと、さまざまなインテリジェンス手法が一冊の文庫にまとめられている。著者がインテリジェンスの創始者達が提示しているやり方に心酔しているのが伝わってくる。一方、それをどう日本社会に応用するのかとういう点がやや弱い印象を受けた。より詳細なことについては、参考文献(もちろん文庫では済まない分量だ)をあわせてあたるべきだろう。

『統計学の7原則-人びとが築いた知恵の支柱』(スティーブン・M・スティグラー著)を読んだ

統計解析がむかしから苦手な私は最初の10ページですでにくじけそうになったが、とばしつつ読みすすめた。

だが専門的にすぎて、後半ではなにを言っていたのかほとんどわからなかった。かろうじて以下に書きとめたことが分かった。一番良く分かったのは、私はもっと初心者向けの本から始めなければならないことだ。

 

この本で著者は統計的推論の中心的、論理的な核を7つの柱によって明確に表現することを目指している。統計学とはなにか、統計学を統一した学問分野としてとらえられるのか、そのような疑問が常にあるためだ。

第一の柱は【集計】。いわゆる平均だ。今日では広く使われているが、この考え方が生まれた時には批判の嵐にさらされたという。なぜなら、平均を取ることは、個々のデータの特性を捨て去ることだからだ。テストの平均点をどれくらい眺めてみても、生徒個別の点数、得意不得意はわからない。テストの平均点がクラス全体の傾向を示すという考え方が受け入れられるまで、随分時間がかかった。計算方法も、単純平均、加重平均、最小二乗法などを使い分ける必要がある。

第二の柱は【情報の測定】。ここで問題になるのは測定値の数である。どのくらい必要なのか?  多ければ多いほど精度良い効果が得られるか? 答えは「2倍の精度を得たければ4倍の測定値が、3倍の精度を得たければ9倍の測定値が必要になる」だ。

第三の柱は【尤度】。いわゆるもっともらしさ。あるデータ群がある傾向を示すのは偶然そうなっただけか、それともなにかしらの規則が働いているのかを分析する。例えば中国の男女比は男性113人に対して女性100人だが、偶然男女比がこうなる確率を計算し、それがあまりにも低ければ、他に原因があると考えるべきだ(もちろん、一人っ子政策によって、唯一の子どもが男児であることを望んだ夫婦が大勢居たのが原因である)。

第四の柱は【相互比較】。データ内部にある変動の観点から統計的比較を行うという考え方だ。これは分かりやすい。Studentのt検定がこれに該当する。

第五の柱は【回帰】。多変量解析、ベイズ推定、因果推定(かろうじて聞いたことがある単語である)。これらは変動や測定的誤差をもつ限られた実験結果から、まだ行っていない実験結果を推定するために使われる方法だ。

第六の柱は【計画】。実験計画法だ。

第七の柱は【残差】。すべての既知の原因の効果を正確に見積もり、それを除いたとき、残った事実はまったく新しい現象として現れる。それを分析するのが残差だ。

 

『シナリオ・プランニング-未来を描き、創造する』(ウッディー・ウェイド著)を読んだ

シナリオ・プランニングの最大の特徴は計画作成ではない。「行動」を支援することだ。

シナリオ・プランニングによって、起きうる複数の未来を探り出し、それらの未来がもたらすチャンスと脅威に柔軟に対応するための施策を戦略に取り入れることができる。複数の未来シナリオ、それらをもたらす重要な変化要因が頭にあれば、感度が高まり、入ってくる情報が変わり、自ずと行動が変わる。 それを示すのが著者の目的だ。

著者が特に強調するのは、今ある条件だけを考えて未来を予測してはならないということだ。たとえば1980年代に小売業を始めた人がいるとしよう。彼は市場状況、需要、供給、グローバル化まで考えて十年二十年後の商売規模予測を作るかもしれない。しかし、私達はそれが机上の空論で終わることを知っている。なぜなら、その当時普及していなかったインターネットとオンラインショッピングの影響を考慮していないからだ。昨日米企業のトイザラスが破産申請したと報道されたが、破産の主な理由の一つはAmazonなどネット販売に価格競争で押されたからだ。ちなみに、こうした不測な事態は「ブラックスワン」と呼ばれ、シナリオ・プランニングでも別途扱う必要がある。

シナリオ・プランニングはだいたい次の6つのステップに従う。
  1. 課題を設定する。
  2. 情報を収集する。
  3. 未来を動かす「ドライビングフォース」を特定する
  4. 未来を左右する「分かれ道」になるような要因を見つける
  5. シナリオを考える
  6. 骨組みに肉付けし、ストーリーを描く

ここで紹介しているのは、4.で未来を左右する「分かれ道」になるような独立した要因を二つ見つけたら、それらをそれぞれ横軸と縦軸に取り、四つの象限についてそれぞれシナリオやストーリーを考える方法だ。最後にフィクション物語風に仕上げるとよりいっそう面白くなる。組織がその環境下でどのような影響を受けることになるのか具体的に描くのだ。想像力をたくましくすることで、あたかもその未来が本当にやってくるかのように擬似体験できる。

 

一つの例。これからの人生について「会社勤めをするor独立起業する」「子どもをもつorもたない」を組み合わせて、四つのシナリオをつくり、それぞれが家庭という組織に与えるインパクトを描き出すことができる。「独立起業する」&「子どもをもつ」であれば、例えばこんな風になるかもしれないーー

 

"2025年、私はオンラインマッチングサービスを提供する小さな会社を経営していた。ウーバーの人間版といおうか、数時間から数日の空き時間を売りたい人々と、手助けをほしがっている人々とをマッチングさせ、お互いに満足すれば労力提供契約を結ぶ。事務所は自宅の一室にある。在宅勤務だ。子育てしながらできる仕事だ。だが、私の方針は「自宅に招いてもいいと思える人でなければ紹介対象にはしない」だ。希望者を紹介対象として新規登録するかどうかは、自宅事務所で面接してから決める。その間子どもの面倒を見ることはできないので、近距離別居の両親や義両親に頼むか、会社勤めから戻ってきたパートナーに頼む。両親や義両親はこの仕事に理解があるが、パートナーは仕事帰りで疲れている時には負担に感じており、私に仕事をセーブしてほしいと思っているようだ。こまめに話しあい、休日の子育てや家事分担割合を調整することでバランスをとっている。"

 

こうしてストーリーをつくると、未来状況が生き生きと思い浮かぶ。もちろんこれは数ある可能な未来の一つにすぎない。実際には四つのシナリオすべてへの準備が必要になり、そのために現在取るべき行動を考えるのに役立つ。

 

この本にはシナリオ・プランニングの方法とケーススタディが載っている。実際のビジネスシーンに使われるシナリオ・プランニングは数ヶ月の時間と数十人の参加者によるワークショップが必要になるが、例えば人生におけるシナリオ・プランニングを頭の体操がてらやることもできる。物語書きが好きならばやってみるのも面白いだろう。

『病いと癒しの人間史ーペストからエボラウイルスまで』(岡田晴恵著)を読んだ

『銃・病原菌・鉄』では旧大陸から新大陸に持ちこまれた病原菌が新大陸の先住民を文字通り壊滅状態に追いこんだことが書かれているが、この本では旧大陸で人びとが病原菌へのある程度の耐性を獲得するまでに起こったことを主につづったエッセイがまとめられている。

著者は出張や乗り継ぎなどでヨーロッパの都市を訪れながら、写真を交えてそこでの歴史を紹介する。パリのノートルダムのそばには、ヨーロッパ最古の近代病院とされるパリ市立病院がある。ベルギーの観光都ブリュージュには、修道院であり、ヨーロッパで最も古い医療機関の一つである聖ヨハネ施療院がある。モーツァルトシューベルトといった天才達は感染症により世を去り、彼らの墓地を著者は訪れている。ベネチアの美しいレデントーレ教会は、ペストの終焉を願って建築された。決して病原菌の恐ろしさばかりを語ることなく、その中で生きようとした人びとへの尊敬をこめた丁寧な文章で、ヨーロッパの街並み、天才達の逸話が記される。

病原菌といえば、14世紀にヨーロッパ人口の三分の一の生命を奪ったペスト、1918年に推定4000万ー8000万人を死に至らしめたスペインインフルエンザなどがよく知られている。『銃・病原菌・鉄』の著者に言わせれば「家畜から伝染し、農耕文化によって生まれた人口密集地帯で急速に拡大していった」病原菌だ。かつて患者たちが押し寄せたであろう修道院や病院を、現代を生きる著者が見つめる静謐なまなざしは、医療従事者としての原点を見つめるかのようだ。

 

公衆衛生や病原菌、ウイルスの仕組みを解明するために生涯をささげた人びとの努力には頭が下がる。これらの人びとの努力によって、現在は子どものころに三種混合ワクチンを接種できるし、大人になってから抗体有無を検査して再検査できる。女性であれば風疹抗体検査と再接種をすすめてくれる。ワクチンは決して安くはないが、お金で生命を致命的疾患から守れると考えれば安いものだ。私は以前抗体検査をする機会があったが、年齢とともに抗体が弱くなる傾向があるから、再接種も考えた方がいいとアドバイスをもらった。この本にもあるが、少なくとも胎児先天異常を引き起こしかねない風疹接種は済ませておこうと思う。

 

この本はエッセイや雑誌寄稿を一冊にまとめているため、一つの文章は読みやすい長さだ。著者はヨーロッパの街並みに残る公衆衛生上の記念物や、感染病と向き合った文芸作品を紹介している。ちょっとした旅行記や歴史読み物としても楽しめる一冊だ。

 

 

「銃・病原菌・鉄(下)」(ジャレド・ダイアモンド著)を読んだ

どっしりとした名著の下巻。話は次第に技術発展に入っていく。

技術発展に対する著者の見解はこうだーー「技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、累積的に進歩し完成するものである。また、技術は、必要に応じて発明されるのではなく、発明されたあとに用途が見出されることが多い」。自動車が登場する以前の社会では、人びとは馬と馬車、汽車で特段不便を感じていなかった。ゆえに自動車が発明されてからも、長らく高価なおもちゃ程度にしか認識されていなかった。しかし戦争でより大量に物質輸送する必要性が生じ、徐々に自動車に注目が集まるようになっていった。

ではそうした技術はどこで進展したか?  ここでも著者は食糧生産の重要性を説いている。食糧生産による余剰食料の確保は、農民に生活を支えられた非生産者の技術者が生存することを可能にした。また定住することによって、持ち運べないほどにかさばる機織り機やら焼き物窯やらを作っても困らないようになった。こうして食糧生産が早くに始まった地域での技術発展も早くなった。

 

話はいよいよ旧世界と新世界の衝突に入る。なぜスペイン征服者はインカ帝国を滅ぼし、逆にはならなかったか?

著者はこれまで述べてきたことに基づき、いくつか要因を取り上げている。ユーラシア大陸の方が食糧生産開始時期が早く、金属加工や軍事技術などの技術発展が進んでいたこと。ユーラシア大陸には家畜飼育に適した動物(特に軍用動物としての馬)がいた一方、南北アメリカ大陸にはそれがなかったこと。ユーラシア大陸の住民には家畜飼育で生じた伝染病、天然痘、麻疹、インフルエンザ、ペスト、結核チフスコレラマラリア、黄熱病(リストアップするだけで鳥肌が立つ)への免疫があったが、南北アメリカ大陸にはなかったこと。すなわち人種上の差異よりも、その時たまたま住んでいた環境からもたらされる影響の方が大きいと、著者は考察している。

「銃・病原菌・鉄(上)」(ジャレド・ダイアモンド著)を読んだ

どっしりとした名著を読みたくなって選んだ本。「東大の教師が新入生にオススメする100冊」などのリストの常連である名著だ。

一日で読了するにはあまりにも濃い内容だが、週末をかけて読み切ることに挑戦した。

 

本書で問われているのは「なぜ、人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展したのだろうか?」ということだ。著者はそれにこう答えようとしているーー「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」

ヨーロッパによる植民地政策の歴史は今更繰り返すまでもないが、そこには前提がある。征服される側が征服者よりも弱く、土地争奪戦に勝てなかったことだ。弱さには理由がある。ニューギニアは未だ石器しか持たず、ヨーロッパの鋼鉄製の武器に歯が立たなかった。インカ帝国はスペインから持ちこまれた天然痘に耐性がなく、王族の病死により混乱状態に陥り、スペイン征服者につけ入る隙を与えた。

だが、なぜ? 

最終氷河期が終わった紀元前一万一千年前の時点では、各大陸に分散していた人類はみな狩猟採取生活を送っていた。そこから同じ時間が平等にすぎていたのに、なぜヨーロッパは鋼鉄製の銃火器を手にし、ニューギニアは単純な石器しか手にしなかったのだろう? なぜスペイン征服者は天然痘に対する耐性を身につけ、インカ帝国にはまったくなかったのだろう?

 

著者は世界のさまざまな地域の人類発展史を縦横無尽に俯瞰し、これらの疑問に答えようと試みた。植物栽培と家畜飼育ができたユーラシア大陸は、「定住的で、集権的で、社会的に階層化された複雑な経済的構造を有する技術革新的な社会」の誕生の前提条件を満たしていたと著者は言う。余剰食糧があることで、食糧生産に従事しない王族、職業軍人、技術者、歴史家などが存在できるようになった。家畜伝染病の突然変異種が人間に伝染することで新たな伝染病が生まれ、やがて家畜飼育者たちはそれに対する耐性を獲得していった。食糧生産を先んじて始めた人びとが、他の地域の人びとより一歩先にそれ以外の技術を発展させ、やがてそれが大きな差になった。

だが、なぜある地域では食糧生産が始まったのか? 環境要因だけではない。事実、現在世界で最も肥沃な穀倉地帯とされている地域のいくつかは、近年農耕技術が持ちこまれるまで、農耕文化を発展させてこなかった。これに対して著者は、気候・土壌・植物相分布・狩猟採取で得られる獲物との対比などにおいて、ある地域がたまたま他地域より優れていたため、農耕文化発展が早かったのだと説明する。農耕文化が発展しなかった地域でも、今後数千年の時間をかければ農耕文化の発展が見られたかもしれない。だがその前に「農耕文化発展において一歩先んじた」他民族により征服されたことで、歩みが中断されてしまった。栽培されている植物の遺伝子解析から、この流れがある程度読み取れる。

上巻最後に書かれているのは病原菌の話題だ。なぜ、ヨーロッパは天然痘などの病原菌の耐性をある程度獲得でき、それがなかったインカ帝国の人びとを天然痘で殺すことができたのか。おぞましい話題だが、病原菌が人類史で果たしてきた役割は、避けては通れない。