コーヒータイム

日々読んだ本の感想。時々日常。

『採用側のホンネを見抜く 超転職術』(田畑晃子著)を読んだ

  本書のメッセージはこの一言に集約される。

重要なのは、企業とあなたの「価値観・マインドの一致」に加えて、求人背景である「課題」を解決できる「ビジネス筋力」があるかどうかなのです。

ビジネス筋力とは、これまでビジネスの実践を通して積み上げてきたビジネスのチカラのこと。本書ではさまざまな実践的なフォーマット、リスト、インタビューシートなどを示し、転職希望者がみずからワークすることで、転職エージェントに会う前にすべきこと、企業選考過程で考えるべきこと、面接前に考えるべきことなどを明らかにできるように工夫されている。ただ、転職希望者が「本当はなにを達成したいのか」「そのためには転職含めてどんな手段があるか」ということを明らかにするためのワークは少し浅いように感じた。

【おすすめ】"Leadership and Self-Deception: Getting out of the Box" (by The Arbinger Institute)

まさかの事態。前の投稿(2018/01/08)から5日も経過してしまった。3日で一冊読んで投稿するというルールを守れなかったことを猛反省。

なお「あれこれの事情があるから仕方なかった」という自己欺瞞の言いわけを粉砕してくるのが、以下の本である。

 

Leadership and Self-Deception: Getting Out of the Box

Leadership and Self-Deception: Getting Out of the Box

 

この書籍は『箱 -Getting out of the Box』のタイトルで日本語訳が出ているが、原文も、多少言いまわしが難しいが、使われている単語は平易で読みやすい。全米ベストセラーとなった自己啓発書で、ビジネスパーソンに限らずあらゆる人々が手に取るべき良書。

本書は物語形式で進む。ある日主人公は上司から呼ばれ、会議室の中で彼と対話する。主人公は上司との対話、さらには自分自身との対話を通して、上司が言いたいことをしだいに理解していく。

対話内容は本書のテーマである”self-deception”。日本語直訳は「自己欺瞞」だ。著者はさらにわかりやすい表現として “being in the box”、箱の中にいることと説明している。

in the boxの状態では、人はまわりの人々をありのままにーー意志をもち、感情があり、ものごとに対する個別の考えをもつ人々としてーー見ていない。ゆえに平気で怒鳴りつけたり自分勝手なふるまいをして、まわりに嫌われて協力を得られず、しだいに仕事でも成果を出しにくくなる。怒鳴っている本人は「こんなにしてやってるのにあいつらは応えてくれない」と愚痴をこぼし、うまくいかない原因をすべてまわりの人々に押しつける。自分自身こそが士気を低下させている最大の理由だとは気づかない。

著者はself-deceptionについてこう述べる。(日本語訳は私による意訳)

It blinds us to the true causes of problems, and once we’re blind, all the “solutions” we can think of will actually make matters worse.

ーーそれ(自己欺瞞)は、問題の真の原因がわれわれの目に映らないようにしてしまう。一度そうなれば、われわれが思いつくすべての「解決策」は事態を悪くするだけになる。

Of all the problems in organizations, self-deception is the most common, and the most damaging.

ーー組織が抱える問題のうち、自己欺瞞は最も広く見られるもので、最も悪影響が大きい。

 

ではなぜin the boxの状態になってしまうのか。著者は“Self-betrayal”、自分自身への裏切りが原因だという。思いやりのある行動をしようと思い立っても、実際には行動を起こさないときがある。その時人は自分自身を裏切っているのだ。

さらに悪いことに、行動を起こさない自分自身を正当化しはじめる。自分が行動しないのはこれこれの理由があるのだから正しいと思おうとする。一方で、他人が行動しないのは怠惰だと決めつける。そうして自分を、他人よりも優れていると考え始める。しだいに”in the box”ーー他人を思いやらない状態になる。

本書では主人公が自己正当化のさなかに考えていることを独白するが、「俺のせいじゃない、妻が悪いんだ」と繰り返すさまは痛々しい。

さらに痛々しいことに、そうした自己正当化はしだいに「間違っているのは他人である」ということを既成事実化し、他人が期待通りにふるまわないことを期待するようにさえなる。なぜならそうすれば自分方が優れていることを確認できるからだ。こうなればお互いにin the boxの状態をどんどん強化するだけである。

 

原因が自分自身にある、ということについて、著者は秀逸な例を挙げている。

19世紀半ば、ウィーン総合病院でのこと。Ignaz Semmelweis (イグナーツ・センメルヴェイス) という医師が、病院での産褥熱による死亡率が、自宅出産に比べて際立って高いことに気づいた。こまめな換気など、産褥熱を防ぐためにあらゆる手立てがなされたが効きめはなかった。

ある時、たまたまセンメルヴェイスが4カ月病院を留守にしたが、その間産褥熱による死亡率が劇的に改善された。そのことがきっかけになってセンメルヴェイスは気づいた。産褥熱の原因は医師自身にあるのだと。医師が死体解剖などの医学的研究の後、手を消毒せずに出産にかかっていたから、妊婦が産褥熱になったのだと。

センメルヴェイスは消毒法を広めて「院内感染予防の父」として後世に名前を残したが、重要なのは、痛ましいことに、産褥熱の原因がまさにそれを防ごうとしていた医師自身の手にあったことだ。

 

本書で述べていることはこの例に代表される。うまくいかない原因は自分自身にある。そのことに気づくためのきっかけが本書だ。

だけど、そう認めるのはとても痛い。

センメルヴェイスの例では、産褥熱による死亡率という客観的根拠があってさえ、医師の手こそが産褥熱を伝播して産婦を殺していたという結論を受け入れられず、自ら生命を絶った医師もいたという。

これほどまでに、自分が正しいと信じていたことを否定されることは痛くて辛い。必死に反論せずにはいられないほどに。本書の主人公のように「俺は違う、相手が悪いんだ」と繰り返さずにはいられないほどに。自死してまで、あるいは他人を傷つけてまでも逃れようとするほどに。(宗教戦争がいい例だ)

そして一定数の人は本書を読んでも他人事に思えるだろう。自分自身こそがあてはまることがわからないのだ、本当に。意識した程度ですぐに変えられるものはその人の根幹的価値観ではない。よほどのことがない限り、そして膨大な時間をかけて自省しない限り、変わらないものこそが、その人が脱出すべき「箱」だ。(誰でもいいので知りあいの頑固ジジババを思い浮かべよう。たかだか数時間の会話で彼ら彼女らがこれまでのやり方を変えるか、想像してみるといい)

 

この本では豊富な具体例をもって、どんな状態が”in the box”で、どんな状態が"out of the box”かを示す。「どうすればout of the boxの状態をキープできるか」ということが後半に書かれているが、行動ではなく心構えや意識改革である、ということになってしまうため実践が難しい。それでも努力して「箱」から出る価値がある。

参考までに私の場合を書いておこうと思う。意識改革には段階があることに最近気づいた。

  (1) 惚れこむレベルで尊敬する人をつくる

  (2) その人が見ている光景を見たいと思う

  (3) その人に近づくために努力を始める

  (4) いつのまにか考え方が変わっている

つまりは自分が「変わらなきゃ」と思うくらいでは意識改革できなくて(そもそもin the boxの状態ではその必要性にすら気づけないのは身をもって実感済み)、誰かのようになりたいと思うことが変化の第一歩だ。

ちなみに(1)にあてはまる人を見つけるのがそもそも難しいし、(2)の段階にたどり着くまでにたいてい一年程度かかるけれど、効果は抜群だ。

周梅森《我主沉浮》(テレビドラマ原作小説)

同じ作者の小説をもう一冊。こちらも原作は人気政治小説で、全35話でテレビドラマ化されている。

このドラマは2005年6月放映開始とやや古い。

ドラマ企画前の2004年4月、中国国家広播電影電視総局(中国大陸でのすべてのメディア放送内容を審査し、不適切な内容だと認められれば、放送停止を命じる権限をもつ)が、汚職をテーマとするテレビドラマ枠を従来の60%まで減らすこと、ゴールデンアワーでの放送を認めないことをテレビ局に通達した。

このドラマは汚職をメインテーマに、経済政策実施時のさまざまな官民闘争をサブテーマにしていた上、フィクションだけではなく実際に起きた事件を思わせる内容も含まれていたため、脚本・撮影・許認可にはかなり苦労したそうだ。この辺は業界裏話である。

 

物語は漢江省省長趙安邦(チョウ・アンバン)と漢江省省委書記裴一弘(ペ・イーホン)、副書記于華北(イー・ホアベイ) の政治闘争を縦軸、漢江省の三つの都市の経済発展を横軸としている。

  1. 寧川市。漢江省南部に位置する。近年の経済発展がめざましく、政府も力を入れている。趙安邦はここの市長出身であり、未だ深くつながっている。
  2. 平州市。環境整備が素晴らしく、観光地として売り出せるが、経済発展では寧川市に遅れをとっている。裴一弘はここの市委員会出身でパイプが太い。
  3. 文山市。漢江省北部に位置する。経済発展から取り残され、失業率は高止まり。ここを足がかりに北部の経済発展を後押しする構想がある。于華北はこの都市からキャリアをスタートさせており、思い入れがある。

なお地名はすべて架空のものである。また、省委書記は省の共産党組織のまとめ役で、役職としては省長より高い。

 

物語開幕ですでに寧川市と平州市の間では火花どころか火炎放射が起きつつあった。

平州市は物流拠点としての地位を確立すべく、念願の平州港拡大プロジェクトをすすめていた。ところが、プロジェクトに28億元(約320億円)の投資を約束していた偉業国際投資集団の資金が、寧川市派閥のボスである趙安邦の認可のもと凍結されたのである。

抗議にいった平州市長に趙安邦は明かした。資本金320億元の偉業国際投資集団は、創業時に国家資金の注入を受けているため国有企業とされていた。だが偉業集団のトップである白原崴(バイ・エンウェイ)が「偉業集団は国有企業ではない。資本注入は受けたがとっくのむかしに返済した。民間企業だ」と強硬に主張しはじめた。このため、漢江省政府と白原崴の間で熾烈な資産権争奪戦が始まっており、この件が決着するまではすべての資金を凍結せざるを得ないと。

まるで険悪な状況を反映するかのように、偉業集団傘下企業の社長がパリで不審死を遂げる。彼は死の直前、偉業集団の持ち株をすべて売却していた。

 

(ここまで読んで目が点になった。企業が国有企業かそうでないか、すなわち企業利益が国家のものか投資家達のものかーーこの点をめぐって政府機関と企業トップが対立する、という発想はなかなか出てこない)

 

政治闘争もさることながら、経済小説としてのこの小説の主人公は、白原崴ともう一人、趙安邦の古くからの腹心部下である寧川市長銭恵人(チェン・ホイレン)だ。

白原崴は恐ろしいまでのやり手で、情勢不利と見るや傘下のファンドに命じて偉業集団の持ち株を売却させ、市場に資産権争奪戦の情報を流し、偉業集団の株価を底値までたたき落とした。国有企業にするならば企業価値をとことん落としてやるという意思表示である。彼の口からは辛辣な言葉が飛び出る。政府が企業を経営することはゲームのルール策定者が同時にプレイヤーになるということだと。

一方銭恵人は善なるか悪なるか曖昧のままで物語が進む。寧川市の経済発展を不動のものとすべく、無理に空港建設計画をすすめて趙安邦にこっぴどく叱られたかと思えば、過去、キャリアを危機にさらし、すでに妊娠していた婚約者と別れさせられてまで、大胆な政策を行って経済発展の基礎を築いたことが描かれる。だが物語後半、ある刑事事件(それも性犯罪!)を内部処理したことが明らかになり、再び疑問符がつく。

銭恵人は果たして信用出来る人間なのか?  趙安邦はなんども自問し、これほど長いつきあいにもかかわらず、部下を完全には理解していないと独白する。物語最後にはすべてが明らかになるが、後味は決してよくない。

 

作者の周梅森は作家だけでは満足に収入を得られず、株式投資などに手を出した経験がある。株式投資の複雑さ、中国株式市場の特殊性などを実感しており、小説の中でも株価変動の仕組みにかなり踏みこんでいる。おかげでドラマに出演した俳優たちも株式市場について相当勉強させられたらしい。

一方でこの小説は、政策策定と経済が互いにどのように影響しあっているか、政策実施がどんな困難を伴ったかについてもかなり踏みこんでいる。

例えば銭恵人がキャリアの危機にさらされた一件は、もともと銭恵人が1980年代に「土地は国有地のまま、五年間の期間限定で農民に耕させているのが現在の政策だ。だが期限が近づくにつれて明らかに農民のやる気が下がり、生産量が落ちている。いっそのこと土地自体を農民に所有させれば、農民はモチベーションが上がり、もっと力を入れるのではないか」と言い出したばかりでなく、実施までこぎつけようとしたのがきっかけだった。

中華人民共和国憲法に「土地はすべて国家が所有する」と書いてあるのに、たかが一県知事(なお中国の行政単位では県は市よりも小さいため、県知事は日本でいうところの区長か町長にあたる)がこんなことをすればどうなるかは火を見るよりも明らかだった。共産党から除名処分が下りかねない事態となり、婿候補は前途なしと見限った婚約者の父親の猛反対により、婚約者とも別れさせられた。

物語は登場人物の記憶として過去と現在を行き来して、かつての政策と実態のぶつかりあい、現在の政策と経済の相互関係を描こうとしている。経済的内容がかなり難しいためやはり視聴者を選ぶが、奥の深い小説だ。

周梅森《人民的名义》(テレビドラマ原作小説)

 

人民的名?

人民的名?

 

 

中国の人気連続テレビドラマをオンラインで見ており、時には原作小説を読んでいる(どちらも原文)。面白いものをこのブログでも紹介したいと思う。

私は現代中国書籍ではビジネス小説、テレビドラマ原作、テクノロジー関連を読む。それ以外のジャンルにはあまり手を出さない。中国のビジネス小説はいわゆるホワイトカラー、特に営業や人材開発を主人公にしたものが多いが、現代社会をかなりうまく反映している。

 

今回読んだのはテレビドラマになった小説。2017年3月から全55回にわたって放送された『人民の名義』だ。

テーマは現代中国社会でとてもタイムリーな汚職汚職事件捜査を任務とする最高人民検査院反腐敗総局偵察部部長の候亮平(ホウ・リャンピン)が、巨額の汚職事件を摘発した。容疑者の自白をきっかけに、漢東省京州市(なおこの名前の省及び市は実在しない)の副市長、丁義珍(ディン・イージン)が、担当している光明湖再開発プロジェクトにからんで、巨額の収賄を行っていることが明らかになった。

検査院の手が及ぶ前に、何者かの密告を受けて丁副市長はカナダに逃亡してしまう。そのやり方はあまりにも手馴れていた。パーティ中のホテルの裏口から脱出し、GPS追跡されている携帯電話を車の後部座席に置き去りにして途中下車し、タクシーで空港に向かい、違う名義のパスポートで堂々と国際線に搭乗したのだ。

さらにこの件を直接担当していた候亮平の同期で漢東省検査院反腐敗局局長の陳海(チン・ハイ)が交通事故で意識不明になり、植物人間になるかもしれないと診断された。交通事故には謎が多く、何者かが陳海の汚職事件捜査を阻止するために仕掛けた可能性があった。

一連の流れから、強大な黒幕が背後にいることは明らかだった。正義を貫くために、陳海の仇を討つために、候亮平は自ら乗りこみ、黒幕を探っていくーー。

 

開発・建設プロジェクト、ことに公的資金がからむものが贈収賄や談合の対象になりやすいのは、どこの国でも一緒だ。

このドラマでも例外ではなく、480億元(約8400億円) の公的資金による再開発プロジェクトが汚職事件の舞台だ。

丁副市長はプロジェクトを直接担当している。彼が収賄罪で捕まれば、投資会社は火の粉を恐れて手を引き、プロジェクトは頓挫するだろう。そうなれば市委書記(市長よりも上の役職で、地区の共産党員を総合的に管理する)である李達康(リ・ダーカン)の政治実績に消えない汚点がつく。つまり李達康には汚職事件を隠す動機がある。まずいことに、夫婦仲が冷え切っているとはいえ李達康の妻は銀行の投資部門責任者だ。たたけばほこりが出てもおかしくない。

一方、政敵であり、候亮平と陳海の恩師でもある高育良(ガオ・イーリャン)は汚職事件をオープンにして李達康を追い落とすことを狙う。このあたりの政治闘争、情報戦、読み合いだまし合いの心理戦が面白い。

 

ドラマの最大の見どころは、候亮平がいかにわずかな手がかりから一歩ずつ着実に進み、真の黒幕を見つけだしていくかだ。

黒幕を探す過程は地道な聞きこみ、証人探し、新事実の発覚など、どちらかというとミステリードラマ仕立てに近い。しかし、登場人物の肩書きとして政府機関の名称が山ほど出てくるわ、政治的関係も複雑にからみあっているわで、予備知識がなければ一度見ただけではわかりづらく、視聴者をある程度選ぶ。この辺りの組織上の違いは私もよくわかっていないため割愛。

もちろん細かいことを気にしなければ「正義は勝つ」という水戸黄門的なすっきりさを感じることはできる。だが多少のわざとらしさがあったのは残念。追いつめられた容疑者が急に昔馴染みの寒村を訪ねて、そこで最終決戦となるシーンなどは、かなり無理矢理に山場を作った感がある。ただの逮捕では盛り上がりに欠けると判断されたのかもしれない。(まあ二時間サスペンスの最後で必ず真犯人が波砕け散る崖を背に追いつめられるのに似ているか)

ちなみに日本では贈収賄は警察の刑事部捜査二課担当で、警察の捜査結果を受けて検査が立案するが、中国では検査院内の反腐敗局が直接捜査する。公安(日本の警察にあたる)とは別組織だから、ドラマの中ではしばしば検査院と公安が対立する。この辺りも勉強になって面白い。

 

『楽しいプロパガンダ』(辻田真佐憲著)を読んだ

プロパガンダ」という単語を見ると思わず身構える。

著者がこの本の一番最初で述べているように、プロパガンダは 「政治的な意図に基づき、相手の思考や行動に(しばしば相手の意向を尊重せずして)影響を与えようとする組織的な宣伝活動」のことだ。それゆえプロパガンダという言葉は、たとえば洗脳という言葉と結びついて、とても嫌な、本能的な拒否反応を呼び起こす。

だが洗脳は本人に拒否感があればうまくいかないもので、うまくいくプロパガンダはむしろ本人が楽しみ、喜んで受け入れるものが多い。それがこの本のテーマである「楽しいプロパガンダ」、エンターテイメントである映画、音楽、芸術などにちょっとずつ紛れこませるプロパガンダだ。観客はこれらを楽しむうちに、いつのまにかある特定の価値観を刷りこまれる。

 

この本では主に戦時中のプロパガンダや、現代のオウム真理教イスラム国などの狂信的組織が展開するプロパガンダを紹介している。しかし、国家的プロパガンダはもっと巧妙だと思う。

私が一番良く覚えているのは、ハリソン・フォード主演の映画「エアフォース・ワン」。舞台はソ連崩壊後の世界。ソ連復活を目論むテロリストがアメリカ大統領専用機エアフォースワンを占領し、投獄された独裁者の解放を要求する。要求を呑まなければ30分ごとに人質を殺害すると脅す冷酷無比なテロリストたちに、ハリソン演じるアメリカ大統領がさまざまな策略をもって勝利し、無事生還する物語だ。

この映画では正義=アメリカ大統領、悪=テロリスト(なおテロリストらはロシア政権とは区別されている)の図式がはっきり描かれる。悪側は「(投獄された)独裁者を釈放すれば中央アジアは火の海だ」という表現をされ、熱狂的な共産主義者であることをにおわせる演出がなされる。ソ連復活を夢見る独裁者にアメリカ大統領が勝利することで、共産主義者を打倒する正義のアメリカ大統領を強く印象付ける。

当時私達はこの映画を「アメリカ大統領強すぎだろ〜」と茶化しながら観ていた。それでもストーリーはしっかり記憶に残るし、印象的な場面で使われる社会主義の歌曲「インターナショナル」を悪役のテーマだと受け取った観客もきっといただろう。そうして楽しみながらアメリカの価値観に染まっていく。これが「楽しいプロパガンダ」であり、何より警戒すべきものだ。

著者は最後にこう述べている。

「我々は未来の「楽しいプロパガンダ」を防ぐために、過去の「楽しいプロパガンダ」を学び、その構造を熟知しなければならない。そのためには、思考実験こそ最大の武器となるだろう。これが本書の結論である。」

【おすすめ】ビジョナリー・カンパニー③ 衰退の五段階(ジェームズ・C・コリンズ著)を読んだ

 

ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階

ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階

 

ビジョナリー・カンパニーシリーズの第三冊。

タイトルにある通り、著者は企業衰退の枠組みを五段階に整理している。それぞれの段階でどのくらいの期間留まるかは企業によって違う。企業は第四段階までいっても引き返せるが、第五段階に転落したら衰退を止めることはもはやできない。

  第一段階  成功から生まれる傲慢

  第二段階  規律なき拡大路線

  第三段階  リスクと問題の否認

  第四段階  一発逆転策の追求

  第五段階  屈服と凡庸な企業への転落か消滅

 

本書の本題からは少し外れるが、著者は本書の中で非常に耳が痛い見解を述べている。

警戒信号として何よりも重要な現象を一つだけ選ぶとするなら、主要なポストのうち、適切な人材が配置されているものの比率の低下をわたしは選ぶ。

不適切な人材と適切な人材の違いでとくに目立つ点の一つは、不適切な人材が自分はこれこれの「肩書き」をもっていると考えるのに対して、適切な人材が自分はこれこれに「責任」を負っていると考えることである。

ここまで読んで、有名な笑い話を思い出した。転職面接で何ができるか聞かれて「部長ができます」と答えた人がいた、というものだ。

この現象に対する著者の解釈はさらに容赦がない。不適切な人材が配置されるにあたり、能力不足を補うために官僚的制度が取り入れられるという。適切な人材が配置されていればそもそも煩雑な官僚的制度ーーたとえば決済に十人もの承認を必要とするような責任分散状態ーーは必要ない。適切な人材は、自分が負うべき最終責任をはっきり知っているからだ。

この解釈は、官僚的制度がなぜこれほど多くの組織、とりわけ公的組織で取り入れられているのか、ひとつの(かなり絶望感漂う)答えだと思う。

【おすすめ】『イノベーションへの解 利益ある成長に向けて』(クレイトン・クリステンセン/マイケル・レイナー著)を読んだ

 

イノベーションへの解 利益ある成長に向けて (Harvard business school press)

イノベーションへの解 利益ある成長に向けて (Harvard business school press)

 

かなり難解だが読む価値は十二分にある本。

本書の狙いは新成長事業の成功や失敗にかかわるプロセスを考察することだ。イノベーションの成功と失敗は一見ランダムで運任せだが、本書ではそこになんらかの予測可能なプロセスを見いだそうと試み、成長についてマネージャーが下さなければならない9つの意思決定に焦点を絞っている。

 

意思決定に入る前に、本書ではさまざまな考え方を整理している。

まず著者らは、問題はアイデアではなく、アイデアを形成するプロセスにあるという。アイデアが革新的であっても、中間管理職により事業計画にまとめられる過程で、「これまでの成功事例に似て」「魅力的な既存顧客を満足させる」「市場が大きい」「自分の在職期間中に成果が出そうな」形に容赦なく作り変えられる。だがイノベーションはえてして「これまでの成功事例に似てない」「新規顧客や魅力の少ない顧客を相手とする」「市場が小さい」「いつ成果が出るかわからない」ものだ。

もう一つ大切なのは、イノベーションには「持続的イノベーション」と「破壊的イノベーション」があることだ。持続的イノベーションは従来製品よりも優れた性能をもつ製品を、より要求の厳しい顧客に売り出す。一方で破壊的イノベーションは必ずしもより良い製品ではないが、新しい顧客やそれほど要求が厳しくない顧客に売り出す。大手企業にはこのような新規顧客やローエンド顧客を防御する意欲がほとんどなく、むしろ価格競争が激しいローエンド市場から撤退できてせいせいするとさえ感じる。

ここに破壊的イノベーターが足がかりとするべき市場があると著者らは主張する。破壊的イノベーターは大手企業が相手にしなかった新規市場から入り、ローエンド市場に徐々に進出する。その間大手企業はより上位の市場で一時的に利益を上げる。やがて力をつけた破壊的イノベーターは上位市場から顧客を引っぱり始める。その時、大手企業が顧客を取り戻そうとしてもすでに手遅れだ。

 

では大手企業が破壊的イノベーションを起こすことは不可能なのか?

著者らの答えは「可能」だ。ただしーー大手企業の従来型組織から独立した組織であれば。

著者らが繰り返し述べているのは、大手企業が合理的だと思ってすすめるものはえてして持続的イノベーション、ないしは破壊的イノベーションを無理矢理持続型に作りかえたものにすぎない。そういうふうに社内的力学が働くのだ。だから破壊的イノベーションを進めようと思うならば、大手企業の判断基準からできるだけ遠ざけておく必要がある。マネージャーにはその覚悟が求められる。

 

こう書いてみると、大手企業で破壊的イノベーションが起こりにくい理由がよくわかる。これまでうまくいったやり方に合うように社内プロセスができあがっているから急には変えられない。そのやり方が企業文化にまで高められていればなおさら。人間は慣れ親しんだやり方をすぐには変えないものだ。よほどのことがない限り。

逆に言うと、経営者以下従業員まで、このことを知ることこそが変化の第一歩だと思う。

大手企業の業務プロセスや企業文化は従来の市場でうまくやっていけるように作られている。だが市場ではいずれコモディティ化による価格競争が始まり、利益率がどんどん圧縮されていく。生き残るためには新市場に参入しなければならず、そこでは意図的にこれまでのやり方、組織、プロセスを変えなければならない、と。

 

興味深い内容の本だが、最も魅力があるのは、この本を読み終わったあと、自分なりに続きを頭の中で組み立てることができる点だと思う。

なぜならこの本が出版されたのは2003年だ。(もしかしたらすでに改訂版が出ているかもしれないが) この本では市場の覇者とされている企業が、その後革新的製品により市場シェアを奪われたケースもある。そのプロセスを、この本で取りあげられている破壊的イノベーションのプロセスに照らし合わせることで、続きとなるべき内容を空想できる。

一つ例を挙げると、この本ではブラックベリーを市場の寵児のように書き、アップルなどの企業がブラックベリーに勝てずにいることを述べている。ーー2017年末現在、まさにアップルのiPhoneを始めとするスマートフォンが、ブラックベリーを市場から一掃した。

なぜアップルの破壊的イノベーションが成功したのか。この本のプロセスと照らしあわせて、考えながら読むのが一番楽しい。