コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

人工知能の可能性について、世界最大手のIT企業のトップが考えていること〜リ・ゲンコウ『智能革命』

本書は中国最大の検索エンジンであるBaidu(百度)創業者、会長兼最高経営責任者である李彦宏/リ・ゲンコウ、ロビン・リーが、みずからが考える人工知能の来し方行く末についてまとめた本。

共同執筆者に陸奇/ルー・チー(執筆当時のBaidu最高執行責任者、現在はスタートアップインキュベーターMiraclePlus代表)、劉慈欣/リュウ・ジキン(SF小作家。ベストセラー『三体』シリーズの著者)を迎え、さらにはBaiduが開発した人工知能百度大脳」まで執筆に加わるという試みがなされているのが面白い。邦訳は出ていないから、中国語原文で読んだけれど、クラウドファンディングで邦訳を出そうとする動きもあるらしい。

中国・百度 創業者が描くAI・自動運転の未来、書籍「AI革命」を翻訳出版 | レスポンス(Response.jp)

 

一読したところ、まるで著者とさし向かいになって、月明かりを肴に美味なお酒(またはお茶)をちびちび味わいながら、古今東西人工知能についての歴史、進展、今後の展望について、ほろ酔いかげん、つれづれなるままに縦横無尽に語りあかしたものをそのまま一冊の本にしたよう。

著者のロビン・リーはインターネット黎明期からIT産業にかかわり、また、かなり早いうちから人工知能に注目していたというから、話題も多彩だ。画像認識技術から無人運転機械学習からディープブルー(チェスの世界チャンピオンを破った人工知能)、投資コンサルタントのAI版までなんでもござれ。

著者自ら、大学時代からコンピュータハードウェアにはあまり興味をもてなかったと言っており、本書でも量子コンピュータなどのハードウェアの話題は少なめ。逆に人工知能機械学習ビッグデータなどについては話題が尽きない。

ときには著者の愛国心が顔を出す。中国がインターネットや人工知能に政府の威信をかけて取り組むことを自慢げに語り、かならずや素晴らしい成果を得られるだろうと満足げにうなずく。競争相手のGAFAGoogle, Apple, Facebook, Amazon)があげた成果を称賛しながら「わが百度もこの領域ではどんどん前進している」とつけたすのを忘れない。GAFAの成果は具体的製品名まであげるのに対して、百度の前進については、奥歯にものがはさまったようなあいまいな言い方をしているのが物足りないが、企業秘密もあるだろうから仕方ないところ。この辺り、著者の人間味が感じられて面白い。

良くも悪くもロビン・リー個人の考え方が濃厚に出ているので、

人工知能がもつ能力を判断する、あるいはシステムが『本物の』人工知能かどうかを判別する基準は変わっていない。人類がより多くを知り、成し、体験するのに役立つかである」(私訳、一部意訳)

という、深く納得できることも書いてあれば、

たとえば、医療分野と教育分野は人工知能を応用できるポテンシャルが非常に大きい。いずれも本質的にはデータの問題だからだ。レベルの高い教師も、長年医療にかかわってきた老医師も、その能力は経験(データ)の蓄積によるものである。将来的に我々は、機械にデータを自動分析させ、医師をサポートして個別最適の治療をしたり、教師をサポートして個性化教育を行うことができるようになるだろう。(私訳、一部意訳)

という、首を傾げたくなることも書いてある。医師や教師の場合、データだけではなく、ふれあい、思いやり、共感力といった「数値化できない」人間としての力も大切だと思うのだが。中国の医師の社会的地位は日本とは比べものにならないほど低く(ほぼ低収入の代名詞扱い)、教師の質低下(宿題丸付けなどを保護者に丸投げしている教師も多い)も問題視されるようになってきたので、ある意味国情に沿っているのかもしれない。

似たような話題は投資コンサルタントのAI版(著者によると、投資者個人のSNS含むあらゆるデータをAIが解析して、最適な投資計画を出力するサービス)でもでてくる。ロビン・リーは、個々人のSNSなどのビッグデータを解析することで、人間の投資コンサルタントによる聞きとり調査よりもよほど投資家本人にふさわしい投資計画を立てることができ、「コンサルタントの聞きとりのために時間と手数料をかけることが少なくなる」という。医師、教師、投資コンサルタント。彼にとって、これら人々とのコミュニケーションは、ビッグデータ解析で代替可能なのだ。

 

本書を読んでいると、面白いテーマが浮かぶ。

医師、教師、投資家などの専門家は、きめ細かく聞き取りをすることで顧客の要望を見極め、顧客個人にもっともふさわしいサービスを提供することで信頼を得ているわけだが、これはAIで代替可能だろうか? いますでに金持ちは専任投資顧問、専属医師、専属家庭教師を雇えるわけだが、それだけの人間を雇う金がない中流家庭は、同様のオンラインサービスを受けることができるだろうか?

もしイエスなら、歴史を通して繰り返されてきたことーーもとは一部特権階級専用だったものが庶民にも手がとどくようになり、爆発的に広がるーーが、これまでにないほどの大規模で起こることになるだろう。だが特権階級専用だったものが庶民にも広まるとき、質が落ちるのがふつうだ。たとえばイギリス貴族御用達のナニー(子守)の能力は、そこらの大学生がバイトでやるベビーシッターとは比べものにならない。人工知能はこの差をどこまで縮めることができるだろうか?

 

もう一つ面白いテーマも思い浮かぶ。

映画『ターミネーター』や東野圭吾の小説『プラチナデータ』ですでに描かれてきたように、情報時代の特権階級は【他人(国民)のデータを支配する】と同時に、【自身のデータはにぎらせない】ことを特権とするだろう。

情報時代では、【他人(国民)のデータを支配する】、すなわち支払いを含むオンラインサービスへのアクセスを許可したり遮断したり、個人情報を取得したり行動を追跡したりすることが、スターリンあたりがうらやましさのあまり墓地から黄泉返りそうな規模で実現出来る。すでに中国では刑事罰に「WeChatペイアカウント停止」を取り入れているという。キャッシュレス大国で日常生活のほぼすべてをWeChatペイなどの決済サービスですます中国では、現金決済のみの生活を強制されることそのものが刑罰となりうる。同じく中国で、顔認識機能を搭載した人工知能「天網」が道路交通監視のために実用化され、指名手配犯の逮捕、徘徊老人の身元特定、誘拐被害者の捜索に役立てられている。(「天網」の名前は「天網恢恢疎にして漏らさず」の故事成語から名付けたのだろう)

ターミネーター』ではスカイネットが自我に目覚めて人類を抹殺にかかったが、現実世界では、スカイネットのログイン権限をもつ者が、かつてないほどの強固な支配力をもつだろう。プラットフォーム構築分野で熾烈な競争が繰り広げられているのはこのため。データが集まるプラットフォームを制した者が、21世紀の覇権を制する。

 

これらはいずれも本書ではふれられていないが、ロビン・リーにかぎらず、GAFAからスタートアップ企業まで、危うさには気づいているだろう。

だがそれでも、ロビン・リーが本書で語る未来は魅力的だ。この魅力的な未来を実現し、享受するために、人々はさまざまなデータを対価としてさしだし、日常生活をさまざまなオンラインサービスに依存する。

わたしは性善説を信じない。どんなに人類発展のためを思って開発された技術でも、必ず、最悪の使い方をする人間が現れるだろうと思っている。人類の歴史を通して実例は腐るほどある。ダイナマイトはもともと土木工事用に開発されたもの、爆薬製造法はもともと化学肥料生産のために開発されたもの、という具合。原子力は言うに及ばず。AIだけが例外ではありえないだろう。だが、オンラインサービスが便利すぎ、逆にオンラインサービスを利用しないと日常生活が不便になりすぎるのもまた確か。

このようなことをつらつら考えると、無力感を覚えるから、わたしは今日も四六時中iPhoneを手にAmazonで買いものをし、GoogleやBaiduで検索をし、LINEやWeChatでメッセージをやりとりし、FacebookTwitterにアクセスして友達の投稿を読む。

法治社会ははるか遠くに〜張平『凶犯』

本書も米原万里さん『打ちのめされるようなすごい本』で紹介されたもの。絶賛されているので読んでみた。

小説自体はとても面白い。中村医師が『アフガニスタンの診療所柄』で、アフガニスタンの内情について、古くからの部族法や慣習法に従うのがふつうであり、国家は取ってつけたような存在で、国家権力も法律もあまり気にされていない、というふうに書いていたけれど、このような事情は中国の田舎でも変わらないことがよくわかる。

ベトナム戦争で片足を失った退役軍人である狗子(ゴウズ)は、国有林監視員として、妻子とともにある山村に派遣される。そこでは地元のゴロツキ四兄弟が歴代監視員をワイロ漬けにして国有林の木材を盗んで売りさばき、村ぐるみで分け前にありついていた。正義感に燃える狗子は盗伐の実態を告発しようとするが、報告書は村役所や区役所に握りつぶされる。狗子が言うことをきかないことに業を煮やした四兄弟は狗子を村八分にし、さらに容赦なく電気と水のインフラを止める。飲料水と生活用水がなくなることは狗子一家に大打撃を与えるが、村人たちは国有林盗伐からあがる金がなくなることを恐れ、見て見ぬふりをするか、狗子を積極的に排除にかかる。ある午後、ささいなことをきっかけに狗子は村人から凄惨なリンチを受ける。動けることが不思議なほどの大怪我を負った狗子は這って自宅に戻った。愛用の旧式軍用銃を手にするために…!

閉鎖的な自治体、地元有力者と役所の癒着、金をばらまかれて加担する村人達。中国の山村が舞台とはいえ、内容自体は案外日本の読者にもわかりやすいのではないかと思う。物語は殺人事件後と事件前を行き来して、狗子=殺人犯の独白と、事件を捜査する老刑事視点からの状況を交互に語り、しだいに事件の背景、真相、その裏にある官民癒着にせまっていくスタイルは映像向き。

米原万里さんの書評はいささか褒めすぎ、おおげさすぎ、文学の力に期待しすぎた感がある。

驚きなのは、自身のことを「実地の取材をしなければ書けない作家だ」と語る張平は、もちろん、本書も実際に起きた殺人事件を丹念に取材して書いていること。つまり、本書の内容はほとんどノンフィクションということで、中国国内でよくぞここまで国の恥部というか気の遠くなるような都市と農村の落差、権力の救いようのない腐敗と犯罪をえぐり出す作品が刊行されたことに新鮮な衝撃を受けた。言語統制をも突き破る文学の力があることに、心強い思いをした。

この小説が「言語統制をも突き破」ってなどいないことは、著者の張平が政府から中国国家一級作家に認定され、山西省人民政府副省長、山西省作家協会主席までのぼりつめたことを見るとよくわかる。小説でとりあげた「権力の救いようのない腐敗」はしょせん貧しい山村のゴロツキが監視員と村役所を抱きこんで国有林の木材をコソドロしていただけのこと。村役所ごときを切り捨てたところで中央政府には痛くも痒くもないし、当事者はすでに殺人事件の加害者や被害者となって事態は沈静化しているから、小説に書かれることにも寛容になれただけだろう。

ちなみに小説のベースとなったのは呂梁山(リョリョウザン)という山のふもとにある寒村で実際に起こった殺人事件。狗子のモデルとなった国有林監視員は、村八分に耐えかねて地元有力者(四兄弟ではなく三兄弟だったらしい)を射殺、殺人犯として死刑判決が下ったという。現実は小説よりもさらに残酷。

 

想像力を求められる読書〜中村哲『アフガニスタンの診療所から』

米原万里さんの書評集『打ちのめされるようなすごい本』の中でとりあげられていた中村哲医師の著者『アフガニスタンの診療所から』は、ずいぶん前に買ってそのまま積読状態だったが、この機会にとうとう読んだ。

本書は中村医師の十数年にわたるパキスタンアフガニスタンにまたがる現地活動について書かれたノンフィクション。中村医師がアフガニスタンで兇弾に倒れたあと、ちくま文庫から緊急発刊されたのを購入した。

 

一読して思ったのは、決して読みやすくはないということ。

ソ連侵攻下のアフガニスタンに隣接するパキスタン、難民が押しよせるペシャワール。物資が欠乏し、欧米諸国の思惑とわたりあい、患者や現地スタッフ間の対立の中に身を置きながら、癩(らい)病患者に立ち向かう中村哲医師。

日々困難の中で十数年をすごした記録だというのに、本書は意外なほどに薄い。ちくま文庫版で224ページ。苦労など売るほどしているし、「ドラマチックな」体験にはこと欠かず、書こうと思えば数百ページのハードカバーだって書けるはずなのに、中村医師はむしろ読者がそれを望むことをけしからんと思っているようだ。

筆舌に絶する苦労も、理不尽なできごとへの怒りも、爆弾テロや砲弾にさらされる危険も、そっけないほどに終始淡々とした一人語りにくるみこんでいる。言葉の背後にあるものをつかむためには、読者の方で想像力をかきたてなくてはならない。

 

らい。医学的正式名称はこれだが、日本ではその差別的歴史からハンセン病と呼ばれることが多い。ただし中村医師はらいと呼び、その理由を本文中で明かしている。

らいは感染症だが、治療法はすでにある。ただパキスタンアフガニスタンのような地域では、長期間にわたる投薬はなかなかできない、足を傷つけないための履物もいろいろ事情があって難しい、そもそも専門家がほとんどいない、という状況であり、中村医師はじめ支援団体が現地活動をしている。

終始淡々とした一人語りだが、本文中にただ1箇所、現地スタッフとの対話を長々と書いているところがある。深夜にニュースを聞く場面。

「日本の国会は国連軍に軍隊を参加させることを決定し、兵士に発砲できる許可をあたえました。これにたいして韓国が強硬な反対声明を出し…」

そこに集まっていたJAMSのスタッフも皆、私を気にしてだまっていた。だれもコメントはしなかった。私は気まずい場をとりつくろうために大声でいった。

「ばかな!こいつはアングレーズの陰謀だ。日本の国是は平和だ。国民が納得するものか。納得したとすれば、やつらはここアフガニスタンで、ペシャワールで、何がおきているかごそじないんだ。平和はメシのタネではないぞ。平和で食えなきゃ、アングレーズの仲間に落ちぶれて食ってゆくのか。それほど日本人はばかでもないし、くさっとらんぞ」

アングレーズは地元語で英米のこと。現地人の憎しみの対象だ。スタッフと中村医師の対話がつづく。やりきれない心情ながら、中村医師への尊敬の念から、なんとか日本をかばおうとするのが痛々しい。

だが、これこそが国際協力だ。中村医師は書く。

少なくともペシャワールでは、もっともよく現地を理解できる者は、もっともよく日本の心を知る者である。自分を尊重するように相手を尊重しようとするところに国際性の真髄がある。

米原万里さんも著書『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の中で書いているが、さまざまな国家、民族、地域出身者が入り乱れるところでは、みずからの出身や信念に誇りを抱く者が尊敬され、そうでない者は流されやすい軟弱者と軽蔑される。みずからに誇りを抱く者は、他人の誇りを理解し、尊重することもできる。現地スタッフとやりとりするにあたっては、現地のやり方を尊敬することがなにより重要だ。外国人はしょせんよそものなのだから。

中村医師もまた、確固たる信念をもって活動し、アフガニスタンで尊敬を集めた。兇弾に倒れたあと、棺にはアフガニスタン国旗をかけられ、大統領自らが棺をかつぎ、中村医師へのこの上ない尊敬の念を示した。

日々ニュースやワイドショーでショッキングな映像をただ見て満足している人々には、本書の内容は刺さらないだろう。反対に、本書の淡々とした語りの背後に、現地の壮絶さ、誰も悪くないのに状況が悪化することへのやるせなさ、燃えたぎる怒り、確固たる信念を感じ取り、想像できる読者であれば、この本は手放しがたいものになると思う。

ロシア、東欧、中央アジアのことを知るために読む本を探す〜米原万里『打ちのめされるようなすごい本』

著者の米原万里さんは、日本共産党常任幹部会委員の娘として生まれ、1959年、父親のチェコスロバキア赴任に伴って渡欧、9歳から14歳まで、外国共産党幹部子弟専用のソビエト大使館付属学校に通ったというめずらしい経歴の持ち主。ロシア語同時通訳の仕事柄、ロシアのVIPをはじめ、現代ロシアに暮らすさまざまな人々のを直接見聞きすることができる。その一方で大変な読書家であり速読が得意、日に7冊も本を読むことができた。

そんな米原万里さんの書評や、週刊文春に連載されていた読書日記をまとめたのが本書。読書日記の連載時期が米原万里さん自身のがん闘病と重なっていたこともあり、ところどころにがん関連の書籍が顔を出す。

米原万里さんが紹介する、ソビエトをはじめとする共産圏についての本はどれもいますぐにでも手に取りたいほど魅力的で、読みながらとった書名メモがあっというまにどんどん長くなっていった。

たとえばラジンスキー『赤いツァーリ』『真説ラスプーチン』。前者は数千万人ともいわれる大量粛清を実行しながら国民に支持されて生涯を閉じ、その死も病死なのか謀殺なのか謎めいているスターリンの、後者は無教養で絶倫、皇后始め数々の貴婦人を魅了してついには皇帝まで影響下においた怪僧ラスプーチンの生涯を綿密に解き明かすとして絶賛している。ムラギルディン『ロシア建築案内』は、建築物とそこに暮らす人々の文化、習慣を結びつけて活写する「建築史や都市計画のみならず、歴史や宗教、文学についてもやたら蘊蓄と毒がある文章」。塚田孝雄『ソクラテスの最後の晩餐』のように、古代ギリシャ語を読みこなす著者による、当時のアテネの人々の暮らしがそのまま見えるかのような本も紹介されていて、野次馬根性からすぐに読みたくなる。

一方でがん闘病過程ででてくる民間療法関連本のタイトルや内容が、あまりにもひどく、その落差にショックを受ける。

たとえば活性化自己リンパ球療法。米原万里さん自身が試すも結局がんは転移し、のちに、がん細胞は正常細胞が変異したもので「非自己」ではなく、リンパ球療法でがん細胞を攻撃させる考え方はそれ自体に無理がある、と知って落胆している。それでもあきらめられない米原万里さんは、その後も温熱療法などに手を出している。彼女が参考とした本が読書日記に出てくるが、民間療法紹介ばかりであることを奇妙に感じた。三大療法(放射線治療、外科手術、抗がん剤)を使わずにすむ道をさぐっていたのだからあたり前かもしれないが。

複雑怪奇きわまりないロシアについて、さまざまな読み応えある本を紹介する聡明な著者が、がん闘病では怪しいうえに高価な民間療法に手を出さずにいられない、矛盾。書評集なのに書評を書く本人の人間としての苦悶、葛藤、歓喜がいちばん印象に残る。

未来はどういう社会になるかを想像して金儲け〜S.ヘック&M.ロジャーズ『リソース・レボリューションの衝撃』

現在進んでいるIT主導の産業革命は、わたしが身をおくエネルギー業界のゲームルールを根本からひっくり返そうとしている。エネルギー業界にこの先何が起こりそうか、その中でわたしはどのようにキャリアを築けばいいか、ヒントを得るためにさまざまな本を手当たり次第に読んでいく中で、この本に出会った。

アダム・スミスが定義するビジネスへの3つの投入要素、労働力、資本、土地のうち、労働力と資本は機械化や金融制度整備によって効率化が進められてきた。一方、土地ーーとそこから産出される農産物や鉱物などの天然資源ーーの生産性はこれまで効率化が不十分だった。しかしついにそれが始まった。これはビジネスチャンスだ。

ということが本書の核心的メッセージ。この本によれば、MaaS(Mobility as a Service :「マース」)も資源生産性向上の一環にすぎない。本書で掲げるポイントは3つ。マッキンゼーコンサルタントらしく、ところどころで主張をいくつかのポイントに簡潔にまとめていることが本書の特徴。

  • 情報技術、ナノスケールの専門科学、生物学の専門知識を、工業技術やインフラストラクチャと組み合わせることで、大幅な生産性の向上が実現する
  • 新興国で生まれつつある25億の新たな中流層人口の生活を支えるような、高い生産性を背景とした経済成長は、100年に一度の富の創造のチャンスである。
  • このチャンスをものにするには、新たな経営へのアプローチが必要である。

本書によれば、あらゆる領域にはまだまだ無駄がたくさんひそんでいる。身近なところでは駐車場に停めっぱなしのマイカー、渋滞時間よりも空いている時間の方がはるかに長い高速道路、LEDではなく旧来型の白熱電球を使った照明などなど。ITを使ってこれら「遊んでいる」資源を、それを必要とする人々にシェアしたり、テクノロジーの進歩によって無駄を削減することができれば、人口増加によって天然資源が枯渇することなど当分心配しなくてもよいし、それどころか、莫大な富を手にすることができるビジネスチャンスがごろごろしているという。

具体的にどういうビジネスチャンスがあるか、例にはふれているものの細かく書かれてはいない(それはマッキンゼーがお金をとって分析書を出すところだ)。

ビジネス書として、いま世界中で起こっているさまざまな変革を紹介して、将来の可能性を見せてくれるけれど、実際にどうすればよいかは抽象的なポイントにまとめるにとどめるのは、いかにもコンサルタントらしい。1日でさくさく読めるから、将来像を想像してワクワクするには大変良い本。

すぐそこまできている未来〜日高洋祐他『MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ』

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。現在進んでいる「全産業のゲームチェンジ」は既定路線であり、なにが起きているのか、自分が身を置く業界はどんな影響を受けるのか、それを見越してどのような準備をするべきなのか、それを知るためにこの本を読む。

MaaS(Mobility as a Service :「マース」)とは、国土交通政策研究所が出している資料によるとこう。

MaaS は、ICTを活用して交通をクラウド化し、公共交通か否か、またその運営主体にかかわらず、マイカー以外のすべての交通手段によるモビリティ(移動)を1つのサービスとしてとらえ、シームレスにつなぐ新たな「移動」の概念である。

ひらたく言えば、マイカー以外の航空機、鉄道、バス、タクシー、レンタルカー、レンタルサイクリング、さらにカーシェアリング、駐車場等まで含めて、一つのプラットフォーム(たとえば専用アプリ)でルート検索、予約、決済、利用をすべて済ませてしまおうという考え方だ。利用者は自宅玄関で送迎車を待つ(あるいはレンタカーで家を出る)だけでよい。鉄道駅や空港に着いたら予約済駐車場で車を降りて駅に入り、アプリ画面を見せて乗車・チェックイン。到着後はタクシーカウンターに並ぶ必要などなく、そのまま配車されたタクシーに乗りこんで目的地に行けばよい。すばらしい。

利用者側としては満足できるサービスだが、サービス提供側とすればビジネスチャンスでありながらビジネスリスクでもある。たとえば本書で紹介されている例を見てみよう。

スイス国鉄のチャレンジングな試みは、マイカーを"所有"せず、環境にも優しい全く新しいライフスタイルを提示したものである。日々の快適な鉄道による移動が約束され、なおかつ、最新のEVが維持管理費を負担せずに利用でき、鉄道駅の駐車場利用も保証されている。これらの利用や決済もネットですべて完了してしまう。スイスにおけるMaaSの取り組みは、先端を走る欧州の中でも1歩も2歩も先を行ったものである。

たったこれだけの説明でも、ビジネスチャンスとビジネスリスクがごろごろしている。

  • イカーを所有しない(車販売台数が減少すれば自動車業界、鉄鋼業界、エネルギー業界などに打撃)
  • 環境に優しい(電気自動車や無人操縦車の利用。自動車業界やIT業界にとっては技術開発面でチャレンジ。エネルギー業界にはチャンス)
  • 全く新しいライフスタイル(外出が増えればあらゆる業界にとってチャンス)
  • 利用や決済もネットですべて完了(プラットフォームをめぐって熾烈な競争)
  • もちろん裏では保険、投資資金、債務証券化などをめぐってさまざまな金融機関がマネーゲームを繰り広げる

いますぐ思いつくのはざっとこんなところか。

本書ではさまざまな国家でのMaaS導入試験が紹介されている。政府主導もあれば民間企業主導もある。「所有から利用へ」をキーワードに、統合・効率化でさまざまな利点があり、都市自体がMaaSをベースにデザインされるようになるかもしれないと結ぶ。

便利になる一方、そういえば、と気になった。

システムの分野では冗長性という言葉がある。必要最低限に加えて余分なもの、重複するものをあえてもっておくことで、万が一事故があったときにすぐに復旧できるようにすることだ。たとえば普段夫しか車を運転しないのに、夫婦それぞれがマイカーをもっている家庭。夫の車が故障したときに急用があれば(なぜかそういうことはよく起こる)、妻のマイカーを使うことができる。あるいは有名どころでは首都圏のJRと京浜急行。JRが遅延すれば振替輸送京浜急行を使用できる。

MaaSでは効率化や統合化が強調されているけれど、効率化とはつまり無駄が削られることであり、それは、いざというときのバックアップである余分なものや重複するものまで捨ててしまうということだ。つまり、MaaSシステムがダウンすれば、復旧までに時間がかかる。そこまで考えてMaaSと都市を設計する必要があるのではと思う。

東日本大震災のとき、交通機関が壊滅して、歩いて帰宅しなければならない人がたくさんいた。MaaSシステムがダウンした都市でもそうならないように、ある程度のバックアップは必要。そんなことを思った。

読者の声〜有川浩〈シアター!〉〈もう一つのシアター!〉

 

 

シアター! (メディアワークス文庫)

シアター! (メディアワークス文庫)

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2009/12/16
  • メディア: 文庫
 
シアター!〈2〉 (メディアワークス文庫)

シアター!〈2〉 (メディアワークス文庫)

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2011/01/25
  • メディア: 文庫
 

有川浩さんの『シアター!』がとても好きだ。

どうして好きなのかいろいろ考えてみたけど、たぶん、わたし自身、こういう仲間がほしいという理想像がそのまま書かれているからだと思う。

わたしは(自分では)作中の主要登場人物のひとりである羽田千歳に近い立ち位置だと思う。同年代との人付きあいが苦手で、仲間に入ることがなかなかできない子供時代だった。大人になってからも社交辞令だけは上手くなったが性格はあまり変わっていないと思う。

この作品で、羽田千歳が劇団〈シアターフラッグ〉に入団し、主人公のひとりである春川巧と劇団員たちと切磋琢磨し、時には本気でぶつかりながら、しだいに仲間になっていく。それが羨ましくもあり、わたしもこうなれるかもしれないと励まされもする。

シリーズは2巻まで出ている。3巻で完結するはずで、とても楽しみにしていた。

長い間完結編が出なかったけれど、ほかの作品は出版されているから執筆活動自体止めたわけじゃないし、そのうち気が向いたら書くのだろう、まあのんびり待とうとあまり気にしていなかった。

 

まさか、作者が続編執筆をあきらめていたとは知らなかった。

それも、たぶん読者からの声に心折れて。

数値ではなく人 | 有川ひろと覚しき人の『読書は未来だ!』

このことを知ったのはつい数日前。

どう消化したらいいのかまだわからないけれど、作者がそう決めたのなら、どんなに悔しくてもあきらめきれなくても、あきらめるしかないのだと思う。

 

このことを知ってから、書店をまわり、まだ持っていなかった有川浩さんの本を何冊も買った。書店で有川浩さんの作品が並んでいるのをながめるうちに、少しだけ慰められた。

 

インターネット公開記事はいつ削除されるかわからないから、自戒をこめて引用する。わたしもきっと、そのつもりがなくても人を傷つけたことがあると思うから。どう受け取られるか、深く考えないままに発した言葉がたくさんあるから。

私は心無い言い方で求められることが多かった『シアター!』を完結させることを現状で断念しました。
読者さんの声は、一つの作品を殺すことができるのです。
クリエイターの心を殺すことができるのです。

追記
シアター!』については、新刊を出す度に「こんなもの書いてる暇があったら『シアター!』を出せ!」と仰る方が少なからずおられ、心が折れました。
優しい読者さんも待ってくださっていると懸命に自分を励ましてきましたが、気持ちを立て直すことができませんでした。
どの作品も大事に書いています。それを「こんなもの」と言われ続けて、『シアター!』を書くことはできません。
私は人間なので、心が折れたら自分ではどうしようもないのです。
いつか私が回復できることを私自身も祈っています。

追記2
もう立て直せないと思います。すみません。
シアター!』を書かない私に価値がないと思われる方は私のことは死んだと思って忘れてください。