コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

<英語読書チャレンジ 77 / 365> P. Dix “When the Adults Change, Everything Changes: Seismic Shifts in School Behavior”

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。

本書は教育現場で教師のあるべきふるまいについて説いた本だけれど、子育てや家庭教育のヒントとしても良書。『子どもは罰から学ばない』というタイトルで邦訳されている。

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は②。教育困難校の子どもたちとの向き合い方についての実践的なやり方がたっぷり詰まった本。

 

本書の位置付け

著者はイギリスで数々の教育困難校を立て直してきた中で、子どもたちが処罰から正しい行動規範を学ぶことは期待できないと気づいた。心ある言動、一貫性のある行動をみずから率先して行い、根気よく子どもたちと向きあい、支援できる教師こそが必要とされる。変わるべきは子どもたちではなく大人側なのだ。本書は著者の経験に基づき、新しい教育支援のやり方を提案する。

本書で述べていること

本書ではいくつかキーワードが登場する。

"Pastral Care": pastor (牧師) care (世話、監督) という字面通り「牧師が信者に接するように、教師が生徒の勉学のみならず日常生活や人格面について教育する」意味。ハリー・ポッターシリーズのホグワーツ魔法魔術寄宿学校のイメージ。日本語のいわゆる【しつけ】に道徳教育がプラスされた感じか。

"Behavior Msnagement": 直訳は「行動管理」。ただし小手先の計画作りではなく、企業文化ならぬ学校文化を醸成することを目標とする ("In behaviour management, culture eats strategy for breakfast.")。教室での学校文化は、言うまでもなく、大人であり指導者である教師のふるまいにより決まる。

"Visible Consistency": 直訳は「目に見える一貫性」。教師の言動がころころ変われば、生徒は言うことを聞かなくなる。教師がシンプルな行動原則を打ち立て(覚えやすいものをせいぜい3つ程度)、一貫してそれを守る姿を見せるほうがよほどよい。

 

感想いろいろ

イギリスの教育困難校はいわゆる貧困地域にあることが多く、暴力や麻薬が蔓延し、中学生がナタをふりまわして殺傷事件を起こしたりする。このような地域で教育困難校を立てなおすのはなみたいていの困難さではないであろう。著者は凄い。しかも "It is when people can’t control their own emotions that they start trying to control the behaviour of others." (私訳: 人は感情を制御できなくなったときに、他人の行動をコントロールしようとしだすものだ)という名言の域にある記述をさらりと織り交ぜる。

本書にある「子どもにかける質問」を意識したい。

  1. What happened? (何が起こったの?)
  2. What were you thinking at the time? (その時あなたはどんなことを考えていたの?)
  3. What have you thought since? (あのあとどんなことを考えたの?)
  4. How did this make people feel? (まわりの人たちはどう感じたかな?)
  5. Who has been affected? (誰が影響されたかな?)
  6. How have they been affected? (どんな影響かな?)
  7. What should we do to put things right? (どうすれば修正できるかな?)
  8. How can we do things differently in the future? (今後はどうしようか、どうすれば違うやり方ができるかな?)

 

<英語読書チャレンジ 76 / 365> 【おすすめ】A. Shrier “Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters”

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。
最近物議をかもしているこの本を原文で読んだ。私は、生物としてのホモ・サピエンスにとっては子孫を残す能力が最重要であることは疑いの余地がなく(でなければ少子化の果てに生物種として絶滅するからね)、いわゆるLGBTQはこの対象外であるという大前提に立つならば、人間社会であとは好きに人生を楽しめばいいと思う。

当事者たちを迫害するのはもちろん言語道断だが(そのような歴史が長く続いた)、逆差別レベルで持ちあげるのもどうかと思うし、一部のカウンセラーや医療従事者のように、自分が批判されたくないためにいい加減な診察でまだ自己認識がはっきりしない思春期の少女たちを「あなたはトランスジェンダーだ」と決めつけるのは明らかにやりすぎ。どちらのやり方も本質は同じ、いわゆるポリコレの枠に当事者を無理やりあてはめて安心しているにすぎない。またこれは偏見かもしれないが、タフであることを求められ、のんびり休職することなど許されず、一日も早く復帰するために向精神薬など即効性のあるものが好まれるアメリカ社会ならではの問題点もあるであろう。

そういう考えをもってこの本を読んだ。

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は文句なしの①。

 

本書の位置付け

本書はアメリカでトランスジェンダーを自認する少女たちが急増するという不自然な現象に注目している。少女たちの現状、少女たちをとりまく家庭、学校、教育委員会などの環境、法の整備、学術研究とその反響などさまざまな観点から分析しつつ、彼女たちの全員がトランスジェンダーとは限らず、流行に乗せられ、本来適切でない治療や手術を受けたことで心身に傷を負う少女たちがいることを明らかにし、トランスジェンダー賛美一辺倒の風潮に警鐘を鳴らしている。

 

本書で述べていること

著者は、トランスジェンダーと自認する少女が増加しているのはーーもちろん中には本当に男性の心をもつ少女もいるであろうがーー少女が接するまわりの人々の影響、さらには「流行」という言葉で表されるものの影響を排除できないと書いている。

以下の一節がこの本の内容をよくまとめていると思う。

The Salem witch trials of the seventeenth century are closer to the mark. So are the nervous disorders of the eighteenth century and the neurasthenia epidemic of the nineteenth century. Anorexia nervosa, repressed memory, bulimia, and the cutting contagion in the twentieth. One protagonist has led them all, notorious for magnifying and spreading her own psychic pain: the adolescent girl.

Her distress is real. But her self-diagnosis, in each case, is flawed—more the result of encouragement and suggestion than psychological necessity.

この状況は十七世紀のセイラム魔女裁判に重ならなくもない。十八世紀の神経症や、十九世紀の神経衰弱症の大流行にも同じことが言える。二十世紀には、神経性無食欲症〔拒食症〕、抑圧された記憶、食欲異常亢進(過食症)、自傷行為の伝染が見られた。そこには自身の精神的苦痛を声高に広めたことで名を知らしめた先導者がいる。思春期の少女だ。

少女が苦悩しているのは事実だとしても、心理学的に必要不可欠なことより励ましや助言に左右されがちな自己診断はどうしても誤りやすい。

 

感想いろいろ

一言感想。

「一昔前ならおてんば娘や男まさりと呼ばれていた男の子寄りの趣味嗜好をもつ思春期の女の子たち、人間関係や身体的変化でさまざまな悩みを抱えるのがあたりまえな女の子たち、なんならレズビアンだけれど性自認は女性である女の子たちにいきなり『あなたたちはトランスジェンダーです、性自認は男性です、まわりにそれを受け入れられないからあなたたちが悩むのです、トランスジェンダーとして扱われれば万事解決します』と学校やカウンセラーがこぞって言い張り、それを信じこんだ女の子たちがあれよあれよという間にホルモン治療や乳房切除術まで行ってしまう風潮を疑問視しているだけでは?どこが差別的?」

……全然一言じゃないな。

この本には本物のトランスジェンダーレズビアン同性カップルなども登場するけれど、差別的な書き方などなく、他人の個性や選択にあるべき尊重をきちんと払う書き方になっている。

 

「抑圧された記憶」について読んだことがある。虐待を受けた子どもは、自分の心が壊れてしまうことを防ぐために辛い記憶を忘れてしまうが、抑圧された記憶のためにしばしば精神的に不安定となる。正しく誘導することで抑圧された記憶を思い出し、怒りや悲しみを解き放つことで前に進むことができるーーという考え方だ。

この考え方自体にはそれほど問題がないと思うけれど、「虐待を受けた子ども」が前提にあることが「抑圧された記憶」を神聖不可侵としてしまった。被虐待児を救わなければならない、一人も見逃してはならない、という情熱に燃えたカウンセラーがしばしば誘導尋問に近い質問をして、あやふやな記憶を「抑圧されている」と決めつけられた人々が混乱を起こしたり家族関係にひびが入ったりした。一方で心理学的観点から記憶を研究し、記憶は不変ではなく繰り返される質問や誘導により改変されうること、行きすぎた誘導尋問はありもしない虐待の記憶をあると思いこませている可能性があることを指摘した学者は「あなたは犯罪者の味方をするの!?」と批判の嵐にさらされた。

感情的になるのはよくわかる。私も記憶が不変ではなくしばしば混同したりありもしないものをあると信じたりするものだと読んだときは、足元の大地が崩れ去るような不安感を味わった。

だが自分の不安感を解消するために、自分以外の人々を利用し、無視し、歪めたり排除したりしようとするのは、業魔の所業だ。

【業魔】とは、私が大好きな小説『新世界より』にでてくる存在だ。『新世界より』の世界観では、人類は全員超能力(念力=PK)を使用でき、イメージを現実に重ねることで現実にさまざまなものを生み出すことができる。ほとんどの人間は訓練された精神力をもってPKを制御できるが、ある種の精神病を発症した人間はPK制御のリミッターが外れ、イメージが暴走するままにのべつまなく無差別に現実を変え続け、本人が死ぬまでまわりを奇怪きわまりない状況にしてしまう。それが【業魔】である。

このトランスジェンダー礼讃もそうではないだろうか? 思春期特有の精神的不安定さ、性同一性障害ーーはっきりいえば理解がむずかしいものだ。だが人は理解できないものに恐怖や不安感を覚えるもの。だから当事者以外(大多数の人間だ)が安心できるために、理解できたふりをして、『トランスジェンダーだと認めれば万事解決、さあ治療しよう』とレッテル貼りしているのではないだろうか?



<英語読書チャレンジ 75 / 365> 【おすすめ】 P. Phillipa “The Book You Wish Your Parents Had Read”

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。
この本はサブタイトルの通りマジでマジでマジで親になる全人類に読んでほしい。とくに子どもを親の所有物扱いする文化が根強いアジア圏。

 

なぜこの本を読むことにしたか

なぜわたしはこの本を読むために時間を使うのか。

①世界の見方を根底からひっくり返す書物、

②世界の見方の解像度をあげる書物、

③好きだから読む書物

この本は①。人の子であり、人の親となる以上、知らなければならないことは数あれど、この本はそのうちの一端を見せてくれる。

 

本書の位置付け

本書はいわゆる親向けの育児本にあたるのであろうが、内容はどのようにしつけをするかなどのいわゆるハウツー物ではなく「親側」がどうふるまうべきかを徹底的に問いかけて解説するもの。その意味では人の親となる人々に向けたカウンセリング本とも言えるかもしれない。豊富な「あるある」実例と学術的研究成果を盛りこむことで、説得力ある内容となっている。

 

本書で述べていること

最初の章でいきなり「親は子どものすることに反応しているのではなく、無意識のうちに『自分が子どもの頃にされたこと/されなかったこと/親にしてほしかったこと/親にしてほしくなかったこと』に反応している。子どものふるまいは、親の記憶や感情を呼び起こすトリガーにすぎない」という核心をついた話題が出てくる。

This feeling of wanting to push children away, of wanting them to sleep long and to play independently before they are ready so they don’t take up your time, can come about when you’re trying not to feel with your child because they’re such a painful reminder of your childhood. Because of this, you’re unable to surrender to their needs.

ーー子どもを遠ざけたい、親であるあなたの時間をとられないよう、子どもがふさわしい年頃になる前であっても一人で寝てほしいし一人で遊んでほしいという感情は、あなたが子どもに共感しないよう努めているときに生じるかもしれない。そう努めるのは、あなた自身の痛ましい子ども時代を思い起こすからだ。このためにあなたは子どもの要求に屈することができない。

子どもがどのような人間になるかは〈遺伝〉と〈環境〉で決まるけれど、親は〈環境〉の重要な構成要素である。本書は、親が感じることを明らかにし、言語化し、それを子どもに伝えることの重要性を強調する。子どものふるまいの良し悪しを批評するのではなく、あなたが子どものふるまいをどう感じるのか、一人称で話すほうが役立つと説明する。

How we feel about ourselves and how much responsibility we take for how we react to our children are key aspects of parenting that are too often overlooked because it’s much easier to focus instead on our children and their behaviours rather than examining how they affect us and then how we in turn affect them.

ーー私たちが自分自身についてどう感じるか、子どもに対する反応のうちどれくらいについて責任を負うか、これらは親としてふるまうにあたり鍵となる面であるが、見過ごされがちである。なぜなら、子どもが私たちにどのように影響を与え、私たちがお返しにどれほどの影響を子どもに及ぼすかを精査するより、子ども自身や子どものふるまいだけに注目した方がよほど簡単だからだ。

子は親の背中を見て育つというけれど、子のふるまいは親に影響されるーー良いところも悪いところも。親は子のやることにただ反応するのではなく(しかもそれが親自身のトラウマに根付く不適切な反応である可能性もあることはすでに述べた)、子のふるまいをコミュニケーションの一形式ととらえ、そのうちどれくらいが自分自身のコミュニケーション形式に影響されているかを考え、より適切なやり方を子に教える必要がある。

しかしそれは子のやることを無制限に許容することを意味しない。あなたにはあなたの「これ以上は我慢ならない」ラインがあるし、それは子も同じ。愛情と同じほどに限界線をはっきりさせることもまた必要なのだ。だが、それを子に求めるときには「あなたが我慢ならないから」とはっきりさせる必要がある。身体に悪いから、そんなことをするのは悪い子だから、などという言い訳は効果的なコミュニケーションを阻害する。正直に「あなたが親として子どもにこうしてほしくないから」だと話そう。

感想いろいろ

中国の孝行文化について子の視点から分析した秀逸な記事を読んだことがある。リンクはもうみつからないが、スクリーンショットで保存してある。かいつまむと以下のような内容。

  • 庶民に親孝行文化が根付いているのは、小規模農家にとっては生き残るための最善策だから。小規模農家が財産形成しようとするなら、息子と娘をたくさん産み育てるのがもっとも確実である。息子は無料労働者として経済的価値を生むし、娘は結婚を通じてよい姻族関係を結ぶ。
  • しかしもちろん前提は息子や娘が親のいうことを聞いてくれることだ。子どものときは殴ればよいが、成人すると力関係が逆転する。一番確実なのは幼い頃から「子は親の言うことを聞かなければならない」と洗脳しておくことだ。
  • これが親孝行文化の本質である。「子は親の言うことを聞かなければならない」ことを社会的な倫理規範とすることが。その本質は親による子の労働搾取、価値搾取にほかならない。
  • (このようなことがわかれば)親世代がなぜ親孝行にこだわるのか理解できる。この文章を書いたのはそのことに気づいてほしいからだ。子を利益をもたらしてくれる存在ではなく、愛する存在として見てほしいというのが、子としての(作者の)願いだ。そのためには親が伝統的親孝行文化の本質に気づき、親孝行文化のやり方で子を支配しようとすることをやめなければならない。 

この文章の作者は、本書を読めばきっと深く頷くだろう。子どもが幼いころは、子育てもしつけも結局のところ親の都合によるものがほとんどだから。

しかし難しい。

私自身が子どもをもってから数年後に、ようやく気づいたことがある。子育ての苦しみの根源は、自分が与えてもらえなかったものをどうにか我が子にあげたいところにある。自尊感情とか、認めてもらえる安心感とか、私が親世代から受けた〈叱りつけられる育児〉では感じられなかったものを。

それはとても苦しい作業だ。まずやり方がわからないから試行錯誤する。常に「慣れていない」やり方を意識しなければならないからストレスがたまる。うまくいけばいくほど「私もこうやって育てられていれば……」という考えをふり払うのが難しくなる。メンタル不安定になり子に八つ当たりしたことすらあり、本末転倒だと自己嫌悪に陥る。それでも歯を食いしばる価値はあると信じられる成果は、残念ながら目に見える形では現れない。それでもやるのならよほどの覚悟がいる。

<英語読書チャレンジ 74 / 365> D. Grann “Killer of the Flowermoon: the Osage Murders and the Birth of FBI”

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。

この本を知ったきっかけは2023年に公開された映画。レオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロ主演の映画を(アメリカ行きのJALの中で)観たあと、原作となるノンフィクションを読んだ。

映画冒頭で、アメリカ先住民ーーかつてはインディアン、今はネイティブアメリカンと呼ばれる人々ーーの嘆きを聞く。われわれの子供達は「白人達」から教えられるだろう、彼らはわれわれのやり方を学ばないだろう、と。啜り泣きの中、荒野から黒い液体が噴き出し、先住民の伝統衣装を身につけた男達がそれを全身に浴びる。石油だ。

ここまでの短い数カットがもはや芸術的なできばえで、この映画ーー事実に基づくーーが悲嘆と喪失の物語であることを暗示する。

1921年。主人公Ernest Burkhartは、Osage Hillsに住む裕福なおじのWilliam Haleのもとにいた。原作では南部の貧乏綿花農家であった父親のところからとび出し、Osage Hillsで一旗上げようと夢見たため。映画版では第一次世界大戦終戦後の欧州前線からオクラホマ州に帰国し、炊事兵であったが、事故による負傷の後遺症で力仕事ができないという設定変更が加えられた。いずれにせよErnestは、おじの使い走りや雑務をこなすのが仕事の大部分であったが、おじが世話したタクシー運転手の仕事もときどきしていた。

なぜ人々がOsage Hillsに集まるか。石油だ。Osage Hillsは「黒い黄金」のゴールドラッシュに沸いていた。オクラホマ北東部の岩だらけの不毛な土地の下には、アメリカ有数の油田が眠っていたのだ。石油会社が次々に石油採掘に乗り出し、Osageたちは土地の賃借料などで期せずとも大金持ちになった。

富が集まるところには例外なく濃い影が落ちるものだが、Osageたちが先住民であること、不労所得であることが拍車をかける。Osageたちが強盗や殺人の被害にあってもろくに捜査されず、若い白人男性たちは「純血の」Osageを妻にして財産をせしめることばかり考えている。Ernestもタクシーの常連客であるMollieとつきあい始め、やがて2人は結婚した。

ErnestのおじであるWilliamは、原作ではOsageの言葉(同じく “Osage” )を話し、Osageたちを友人と呼び、心ない白人たちのふるまいに心を痛める誠実な態度を見せる。だが映画版では、彼は裏のある人物であることが早々に明らかになる。ErnestにOsageとの結婚をすすめ、それを「投資」と呼ぶのである。Osageの平均寿命は短いーー実際、棚ぼたの大金で贅沢三昧の果て、糖尿病などで生命を落とす人々もいたようだーー妻が死ねば「黒い黄金」が湧く彼女の土地、彼女のお金は合法的に夫と子供達のものになる、と。


1921年5月のある日、Mollieの姉Annaが他殺体となって発見された。その直前には別のOsageの男性、Charles Whitehornが殺された。

事態はどんどん薄暗い方向に、そしてついには闇の中に転がってゆく。母親のLizzieが病死し、だれかになんらかの毒物を盛られたのではないかと疑われた。Annaは生前に夫と離婚しており、全財産をLizzieに残したからだ。さらには妹Retaまでもが不審な死をとげる。もう一人の妹Minnieはすでに3年前に病死しており、Mollieはすべての姉妹を失った。

あまりにも続く死と悲嘆。さらにはMollie自身までもが糖尿病症状に冒されはじめる。自らの余命をさとったMollieは、つてをたどり、ワシントンの政治家に「オクラホマ州でOsageたちが殺されている」と訴えた。州をまたいだ調査権限を有する調査官が派遣されるーー。


映画ではMollieの母親が天に召されるシーンがいちばん印象的。先住民の伝統的な彩色をほどこした衣装に身を包んだ、おそらく亡き夫と亡き両親であろう人々が、母親が横たわる吹き抜けの小屋に現れ、手をさしのべる。彼女は微笑みを浮かべて小屋をでて、明るい野の道を歩く。死はある種の解放であると言葉なく語りながら。

Osageが受けた仕打ちは悲劇的である一方、アメリカの〈怠惰は罪である〉という価値観に照らしあわせれば、「赤い肌の先住民」が不労所得で一生遊んでも使いきれないお金をもつことは、白人たちにはただただ腹立たしいことであっただろう。映画でも「あいつらが働いてるのを見たことあるか!?」という台詞が登場する。

中国の言葉に「匹夫无罪,懐璧其罪」というものがある。「匹夫」は一般庶民、「璧」は宝玉などの貴重なものを指す。庶民が宝玉を懐にもっていたらたちまち強盗につけ狙われてしまうだろう。本人に過ちがあるわけではないけれど、本人が持つものが不幸を引きよせてしまう、くらいの意味だ。Osageが受けた仕打ちがまさにこれであった。Osage自身に罪はない。所有地で石油採掘をさせて土地使用料をもらうのも理にかなっている。だがお金が不幸を引き寄せた。連続殺人事件として。

本書の副題が「FBIの誕生」であるように、Osage連続殺害事件捜査は、FBIの黎明期にあたる。母親と姉妹全員を亡くしたMollieにとっては遅すぎたけれど。ワシントンから派遣された捜査官は真犯人捜査で成果をあげたけれど、死んだ人々はもどらないから。Osageが信じる大いなる力 "Wah’Kon-Tah"(スターウォーズシリーズのフォースのようなもの?)のもとに召されたから。

No record of how she felt when agents from the Bureau of Investigation—an obscure branch of the Justice Department that in 1935, would be renamed the Federal Bureau of Investigation—finally arrived in town.

捜査局ーー司法省の隠された下部組織であり、1935年に連邦捜査局FBIと名を改めることになるーーの捜査官がようやく町に来たとき、彼女(Mollie)がどう感じたのか、記録には残されていない。

<英語読書チャレンジ 73 / 365> 【おすすめ】説明不要のSF傑作《プロジェクト・ヘイル・メアリー》

英語の本365冊読破にチャレンジ。原則としてページ数は最低50頁程度、ジャンルはなんでもOK、最後まできちんと読み通すのがルール。期限は2027年10月。20,000単語以上(現地大卒程度)の語彙獲得と文章力獲得をめざします。

映画《火星の人》の原作者アンディ・ウィアーの大人気SF小説を原文で読んだ。難しい単語や口語表現がそれほどないためとても読みやすい。

今回は読みながらそのとき感じたことをX (Twitter) 風にまとめてみた。

~~~~~第1章~~~~~

[P.1 / 478] お、わけわからん部屋で目覚める記憶喪失主人公の一人称か〜。イイネ。映画冒頭みたい。

[P.11 / 478] めちゃ笑う。なにが "--aaaand they're dead." や。すごいコメディタッチ。

[P.17 / 478] 実験室にあるものを数えあげてから「ちょっと待て、なぜ俺はこんなことを知っている?俺は科学者だったのか?」とセルフツッコミするのがめちゃ秀逸。たしかに一般人はオートクレーブ(高圧蒸気滅菌器)とか8000倍顕微鏡とか見ただけでほいほい認識できんわな。一人称が生きる。

[P.18 / 478] うへぇ物理公式なんてもう見たくもないわ……はあ!?!?!?

~~~~~第2章~~~~~

[P.24 / 478] うわあこう来るかー……ここで日本が出てくるのは嬉しいね。よりによって【アマテラス】ーー天照大御神の御名を冠した宇宙探査機がこの発見の主役になるのがなんとも皮肉。

~~~~~第4章~~~~~

[P.70 / 478] 二転三転する展開にジェットコースターのごとく翻弄されまくるけどそれが気持ち良くなってきたぞぉ。自分のエゴのためなんかじゃない、子どもたちのためだ!と怒鳴る主人公も、それで説得されちゃう姐御(と呼びたくなる)もイイネ……アメリカ人こういう展開好きそう。

[P.73 / 478] Beatlesでクスッと笑えたところを唐突に奈落の底に突き落とすのひどい(泣)そこに気づいちゃう主人公の鋭さと冷酷なまでの冷静さがもうこのプロジェクト・ヘイル・メアリーのクルーにふさわしいよ……。

~~~~~第5章~~~~~

[P.88 / 478] Moe and Shemp (the sun-seekers) とLarry and Curly (the Venus-seekers) の元ネタを探しまくる。アメリカの大人気コメディグループThe Three Stooges(邦訳『三バカ大将』)のメンバーなのね。おぉ……と唸るような大発見をした主人公のあつかいが地味にひどい(笑)まあ特殊訓練を受けていない人間を戦闘機に乗せたらどうなるかはNASAが出てくる映画で履修済みだけど。

~~~~~第6章~~~~~

[P.120 / 478] おぉっ?おぅ……うん?こう来る?(絶句)

~~~~~第10章~~~~~

[P.192 / 478] あまりに衝撃的すぎてここまでノンストップでとばし読みしてきたけれど、ここであまりにもアホらしい場面転換がありべつの意味で絶句。「これまでにない意思疎通手段」を模索して四苦八苦する主人公側と、「これまでなされてきた意思疎通記録」のために審判にかけられる地球側責任者。対比が残酷すぎる。(とばし読みのせいで誤読しているのかもしれないけれど)

~~~~~第14章~~~~~

[P.244 / 478] 何度も読みなおした。姐御や。泣く。

"Me?" she said. "Doesn't matter. Once the Hail Mary launches, my authority ends. I'll probably be put on jail by a bunch of pissed-off governments for abuse of power. Might spend the rest of my life in jail."

"I'll be in the cell next to you." said Leclerc.

進化論仮説宇宙バージョンにはくすりと微笑んだ。

~~~~~第17章~~~~~

[P.291 / 478] そう来るか!!!生物学万歳!!!Astrophage (Astro- "宇宙の" + Phage "ファージ=細菌や古細菌に感染するウイルスの一種) という命名から考えればこれはある意味自然宿主探しにあたるのかな?現実でもウイルス研究に自然宿主探しは欠かせない。エボラウイルスを宿すオオコウモリとか。

~~~~~第26章~~~~~

[P.429 / 478] 姐御の学生時代の専攻は歴史。これまでで一番納得した。そしてこれから地球上でなにが起こるかを完璧に予測していることも。去るも地獄、残るも地獄。私たちにはヘイル・メアリーしかない。私は人類が生き残る可能性をわずかでもあげられるならどんなことでもする。とても静かな場面なのにとても空気が重苦しい。このやりとりがうんと好き。

~~~~~最終章~~~~~

[P.478 / 478] もうここまで一気読みですよ。最終章の数字表記、バグかと思ったけどそういうことね(笑)うーんこれでよかった……のかなあ……数十光年離れたところにあるものを観測するわけだから、たぶん50年かそこら経過しないと最終的結果はわからないわけで。生あるうちに自分が成し遂げたことを確認できたのは幸いであろうし、そもそもプロジェクト・ヘイル・メアリーはほぼ生還不可能のミッションであったし(神風特攻隊でも参考にしたんか? そもそものきっかけとなった発見を日本の宇宙探査機【アマテラス】にさせるあたり、この作者はマニアックな日本知識がありそうな感じ)、子どもたちに教えつづけている年老いた主人公の姿は感動的だけど。うーん……こうなるしかなかったかなあ……。

 

 

現代サラリーマンあるある!?〜フランツ・カフカ《城》

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。《審判》(または光文社古典新訳文庫によれば《訴訟》)と同じくフランツ・カフカの小説で、晩年に書かれた未完長編。

ある城を囲む雪深い寒村に、測量士ヨーゼフ・Kがやって来る。よそ者を警戒する村民たちに、Kは城の城主ヴェストヴェスト公爵に要請されてきた測量士だと説明する。しかし城からは城に来なくていいと電話で言い渡され、村の長官クラムからは村長を上司として仕事するようにとの伝言があり、仕事内容も報酬条件も明らかにされない。Kはなんとか城に行こうとするが、城からのお墨付きがはっきりせず、来たばかりで村長ら有力者とのつながりもうまく構築できていないKに、村民たちは協力的とはいえない。Kは村を歩きまわるうちに、村に張り巡らされた見えない蜘蛛の糸のような人間関係のもつれに絡みとられていく。

《訴訟》と同じく《城》も、主人公には理解できず明らかにされることもないなんらかのロジックで動く人々を相手にむなしく右往左往する物語。なぜか地位と名声がある男性の助けはディスりまくるのに(プライドのためか?)酒場の給仕女など社会的地位が低い女性の助力を必要以上にありがたがるのも同様。

しかし読めば読むほど、ど田舎あるある、それどころか現代のサラリーマンあるあるに思えてならない。内輪に閉じてよそ者に冷たい組織、だれが上司でだれが怒らせてはならない実力者なのかわからない状況、よそ者が有力者(クラム)の機嫌を損ねることをしでかしたと言いがかりをつけてくる腰巾着、意味不明な地元ルールを守らなかったとキレてののしる下っぱ(酒場主人とおかみ)、逆によそ者に色目をつかいトラブルに巻きこむ水商売女(某有力者のお気に入りであるとの噂までがお約束)。カフカの心情描写と情景描写が見事過ぎて、あたかも読者自身が追体験しているかのよう。

小説自体は未完だけれど、一説によれば、カフカはKが死ぬ結末を考えていたという。死ぬまでには至らずとも、失意のうちに村を去ることになるのは確かだろう。Kには城とその城下村のロジックがまったく理解できていないのだから。

 

カフカの描く認知の歪み〜フランツ・カフカ《訴訟》

 

ノルウェー・ブック・クラブが選出した「世界最高の文学100冊」(原題:Bokkulubben World Library)の一冊。フランツ・カフカの未完の中編小説。一般的には《審判》のタイトルで知られているけれど、訳者は堅苦しすぎると思い、内容的にも喜劇のにおいがするとして、カフカの原題をふまえて《訴訟》にしたという。

この《訴訟》に有名な《掟の門》というエピソードが登場する。《掟の門》は私が大学で第二外国語として選んだドイツ語で、最初に読んだ物語である。教師に感想を問われたとき、私は素直に「ドイツ語としてはわかりますが、カフカがなにを言いたいのかわかりません」と答えた。《訴訟》の中ではこの物語にある程度説明をつけているが、うん、やっぱりよくわからない。

 

《訴訟》の話の筋自体はシンプル。銀行員で重要なポジションにつきつつあるヨーゼフ・Kは、ある日、目が覚めたら部屋の中に見知らぬ男がいて、「あなたは逮捕された」と宣告されるという異様極まりない状況に投げ込まれる。しかも男とその同僚はただ言われたからKのところに来ただけで逮捕の理由など知らないといい、毎週日曜日に行われる審理に出席する以外は、仕事に出てもいいし、飲みに行ってもいいという。

Kは身に覚えがない訴訟に腹を立てながらも、さっさと無罪を勝ち取ろうとするが、あまりに不透明でいい加減な訴訟進行(裁判所専用の建物すらなく、ごちゃごちゃした住宅街の一角に間借りした部屋で審理が開かれるほど)、役立つのかどうかわからない弁護士(今日とは違い、弁護士は法廷に入ることは許されず、書類仕事やら検事とのコネ作りやらで暗躍するのみ)、銀行での競争相手の嫌がらせといったことにしだいにメンタルを削られ、精神的に追い詰められていく。

不条理な状況に腹を立てるKの心理描写は実に巧み。まるで21世紀の新橋の高架下でサラリーマンが焼き鳥で一杯やりながらくだを巻いているように、数ページも改行なしで心の声が垂れ流しされているのに、読みやすく、共感しやすい。最初の頃は筋道が立っており、無駄なくすっきり、困惑と腹立たしさがありありと共感できる。しかししだいにKの心理状況が混乱し始める。叔父が苦労して引き合わせた弁護士と裁判所事務局長はいい加減にあしらうのに、仕事で知りあった工場長から紹介された「裁判官の肖像画をよく描く」画家やら、裁判所の廷吏の女房やらのうさんくさい人々を、まるで自分の訴訟に影響力を及ぼすことができると信じているかのようにやたら持ち上げはじめ、弁護士を解任し、多忙な銀行支配人という仕事をおざなりにして自分で請願書や弁論をしようとする。まるで裁判所連中も弁護士も無能揃いで、そこに有能で法をわきまえた自分が出向くことで無能連中を啓蒙し、腐った司法制度に風穴をあけることができるといわんばかり。結果はもちろんそうならず、ますますKは追い詰められていく一方。古典文学とは思えないほど身近で、よくある、共感しやすいやり方だ(そしてもちろんたいていうまくいかない)。