コーヒータイム

日々読んだ本を紹介しています。面白そうだと感じる本があれば、ぜひあなたも読んでみてください!

倒れるときは前のめり (有川浩著)

 

 

倒れるときは前のめり

倒れるときは前のめり

 

有川浩はとても好きな作家のひとりだ。どう紹介したら有川浩ファンじゃない方がこのエッセイ集を読みたくなってくれるのか、頭をひねらせるのもまた楽しい。

このブログは私の読書記録をつけるために立ち上げたが、面白い本にどんどん出会うにつれて、またほかのブロガー様が絶賛していた本を読んでみたらめちゃ好みだったという経験が重なるにつれて、私がこのブログで紹介した本を、誰かが読んでくれればいいなと思うようになった。本屋で見かけたらふと手に取りたくなるような紹介を書きたいと思った。

そんな試み第一弾に、好きな作家のエッセイ集をもってくるのは悪くない。

 

この本単体で「面白いから読んで!」とすすめるのはちょっと難しい。なぜならこのエッセイ集は、新作発売時に雑誌に書いた作品紹介だったり、好きな本や映画を紹介しようという企画だったり、東日本大震災時の呼びかけだったり、はたまた郷土愛満載だったり、文字通り「その時々になんらかの目的で書いた短文のよせ集め」なのだ。最初からテーマを決めてまとめて書き下ろすエッセイ集とは違い、この本は作者がこれまですごして来た作家人生の折々の一瞬を気ままに切り取ったような感覚で、作品を読んだことがあるファンであれば「ああ、あの作品のあの登場人物ね」と膝を打つだろうけれど、読んだことのない方はこの楽しみ方ができない。

だけど、読んだことのない方は、エッセイ集でふれている有川浩の作品のうち、気になるものを頭の片隅にメモするという楽しみがある。たとえば「有川浩的植物図鑑」でいきなり野草、それも食べられるものをやたら紹介するエッセイがあるけれど、なんだこれ?  と思ったら有川浩著『植物図鑑』を読んでみるとか。タイトルはこれだけれど中身はベタ甘恋愛小説兼一風変わったグルメ紹介です。

私のおすすめは、故児玉清さんも一読者として楽しんでいた『図書館戦争』シリーズ。児玉清さんとの思い出はエッセイ集冒頭に、思い入れの深い文章で書かれている。

もし有川浩さんの小説に興味を覚えた方がいれば、なにもエッセイ集を置いて探しにいかなくてもいい。エッセイ集の最後に短編小説が二編収められている。「ゆず、香る」はバンダイから発売されたゆず入浴剤とセットの「ホット文庫」に有川浩さんが書き下ろした短編小説で、現在入手困難。それがエッセイ集で復活したのは嬉しいかぎり。有川浩さんが書く恋愛小説がどういうふうなのか、ちょっとつまんでみるのにぴったりだ。

 

こんな感じかな?  読みたくなるような本の紹介って、好きな作家さんでも難しい。

 

[昔読んだ本たち]少年漫画編

昔読んだ本たちを思い出す試みその3。高校時代から少女漫画を卒業し、少年漫画にシフトチェンジして現在にいたる。未完結作品も多々あり。思い出したころにつけたすかも。

 

冨樫義博幽☆遊☆白書』『HUNTER×HUNTER

HUNTER×HUNTER 35 (ジャンプコミックス)

HUNTER×HUNTER 35 (ジャンプコミックス)

 

人生最初にハマった少年漫画。冨樫神と呼ばせていただきたい。一方であからさまにぶん投げて終わったラストやら休載の嵐やらで、私の知らない漫画家裏事情がわかってきたきっかけでもある。これを読んだ時期から、徐々に大人の事情なるものを知り始めた気がする。

 

青山剛昌名探偵コナン

名探偵コナン 94 (94) (少年サンデーコミックス)
 

元祖・探偵漫画。劇場版第1作『時計じかけの摩天楼』はテレビ放送されたのを録画して、セリフを暗記するほどくりかえし見た。初期の頃は謎解きスカッと感を、今は黒の組織・FBI・CIA・公安入り乱れた複雑な局面と人間関係を楽しんでいる。劇場版最新作『ゼロの執行人』は安室さんの決めゼリフに惚れた。

 

荒川弘鋼の錬金術師』『銀の匙

銀の匙 Silver Spoon 14 (少年サンデーコミックス)

銀の匙 Silver Spoon 14 (少年サンデーコミックス)

 
鋼の錬金術師 1巻 (デジタル版ガンガンコミックス)

鋼の錬金術師 1巻 (デジタル版ガンガンコミックス)

 

等価交換という言葉が強烈にしみた。なにかを得るためにはなにかを犠牲にしなければならない、なにかを選ぶことはほかのなにかを諦めること。それを突きつけてくれた素晴らしい作品。

 

諌山創『進撃の巨人

進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)

進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)

 

諌山神と呼ばせていただきたい。「既存のシステムを疑え」「考えつづけろ」「行動を起こせ」という一貫したメッセージを、残酷な物語で描きだしている。

これはフィクションだと思わせてくれないところが一番凄いと思う。自分達を囲む壁、外には巨人がうろつきつかまれば食われるという恐怖、それでも壁の外に出て自由になりたいという渇望は、誰もが心の中に抱えているものを浮き彫りにしていて、目をそらさせてくれない。

 

[昔読んだ本たち]少女漫画編

昔読んだ本たちを思い出す試みその2。

児童書の次は少女漫画を結構読み、徐々に少年漫画にシフトしていった。とくに恋愛やら男女関係は少女漫画がファーストコンタクトだったことが多い。どんなお初があったのか思い出しながら書いてみる。思い出したころにつけたすかも。

 

いがらしゆみこキャンディ・キャンディ

ひだたっぷりのお姫様ドレスがページいっぱいに広がったかと思えば、「志願兵」という当時の私には意味がわからない単語が登場したり、黒服集団が泣きながら歩くよくわからないシーンがあったり(ステアの葬式)、この漫画で初めて知った概念として、ざっと思いつくだけでも「孤児」「身分制度」「いじめ」「ワルぶった少年」「死と葬式」「当主」などがある。版権問題で絶版中なのはずっとあとで知ったが、この意味でも学びになった。


北川みゆき『ぷりんせすARMY』『あのこに1000%』

ぶっちゃけ性教育のテキスト。程度でいえば『あの子に1000%』の方が濃いかも。

知識皆無の私が、初めてキスというものを知ったのがこの漫画。当時はその辺りが限界で、それ以上は「道場で半裸になってなにやってるんだ⁇」「してしまったってナニを⁇」という感想になっていた。男女主人公が最終巻でナニをしていたのか、正確に理解したのはだいぶ後になってからである。シリーズ物も『あのこに1000%』がお初で、タイトルが違うのに中身が続いているのに混乱した。

 

野村あきこ『すてきにディッシュアップ』

すてきにディッシュアップ! (講談社コミックスなかよし (878巻))
 

こちらは学校恋愛物のテキスト。天然ぼけタイプについてもお初(かおちゃん)。これを読んで、クラスメイトとの恋愛にあこがれた思い出がある。

 

赤石路代『天よりも星よりも』

源義経を始めとする戦国武将、日舞、生まれ変わりはこの本で知った。男の娘もこれがお初。内容は結構血なまぐさくて初読はどん引き。1巻目から主人公によるバラバラ殺人現場を描いた少女漫画はこの作品くらいじゃなかろうか。

 

篠原千絵『闇のパープル・アイ』

この作品は初めて読んだホラー少女漫画だった。まずドラマから入り、ノベライズ版を読んだからそれほどショックは大きくなかったが、人間の少女が紫色の瞳を輝かせてしなやかな豹に変身するという設定に、恐怖と背徳感じみた魅力があった。

 

武内直子美少女戦士セーラームーン

元祖・戦う女の子。テレビアニメと原作とのあまりの違いにショックを受けたのはこの作品が初。タキシード仮面が毎回人質にとられたり敵に無力化されたりで、結局セーラームーンが仲間の力を得て敵を倒すという流れがほとんどなので、無意識に「女は戦える」とすりこまれた気がしなくもない。

 

CLAMP魔法騎士レイアース

主人公の一人、風の「私は私が大切ですわ」というセリフに衝撃を受けた漫画。私が傷つくと私を大切に思ってくれている人達が心配するから、自分が一番大切。風の考え方がとても新しかった。それまで「愛してくれる人達を心配させないために自分を大切にする」という発想がまるでなかったので、こういう考え方もあるのかと、感電したような感覚がした。

 

CLAMPカードキャプターさくら

カードキャプターさくら(1) (KCデラックス なかよし)

カードキャプターさくら(1) (KCデラックス なかよし)

 

男の子同士の恋愛にふれたのはこの作品がお初。年の差恋愛、先生と生徒、男の子同士のときめき、女の子同士の絆、と、よく考えたらなかなか濃い内容。

主人公のさくらちゃんが母親と死別、友達は桁違いの大金持ち、本人とお兄ちゃんは魔力持ちという設定ながら、変なひがみやコンプレックスが一切ないのが素敵すぎる。ふんわり可愛い絵柄と、愛されて幸せに育ってきたことがよくわかるさくらちゃんは心のオアシス。

 

由貴香織里天使禁猟区』『ゴッド・チャイルド』

天使禁猟区 (1) (花とゆめCOMICS)

天使禁猟区 (1) (花とゆめCOMICS)

 
ゴッドチャイルド (1) (花とゆめCOMICS―伯爵カインシリーズ)

ゴッドチャイルド (1) (花とゆめCOMICS―伯爵カインシリーズ)

 

高校時代、イラストの腕前が「アニメイトに売れるレベル」の友達が熱烈ファンだった漫画。物語に加えて、絵そのものを鑑賞することを知ったのは由貴香織里の作品がお初。透明感あふれる最終巻表紙が美しい。ガチの兄妹恋と近親相姦も『天使禁猟区』がお初。

 

 

崔曼莉《浮沈》(テレビドラマ原作小説)

 

浮沉(套装全2册)
 

久しぶりに中国語原文でビジネス小説を読んだ。これまで読んできた中では恋愛要素控えめでなかなか私好み。

 

物語は主人公喬莉(チョウ・リー) が朝に目覚めるところから始まる。

25歳の喬莉は大手外資系IT企業で受付嬢をしていたが、中国地区総裁が彼女のビジネスパーソンとしての素質に気づき、総裁付秘書に昇格させた。さらに、しばらく社内経験を積めば、花形である営業部門に配置換えするとの口約束も与えた。

(ちゃんと人事部があっても、トップマネジメントの一存で人事配置を決められるのはいかにもそれらしい。)

その朝、喬莉は、自分を引き立ててくれた総裁が電撃辞職したニュースを見て愕然となった。中国では、総裁が辞めれば彼が取りたてた部下達も辞めるのがふつうだ。残っても旨みのある仕事はもう期待できないためだ。だが喬莉は残った。せっかく手にした営業部門配属のチャンスをふいにしたくなかった。

喬莉が担当したのは、国営企業最大手の晶通電子だったが、これは前総裁とともに前営業部門長が会社を去ったごたごたで、棚ぼた的に落ちてきた案件だった。晶通電子は社内システム大改造をひかえ、中国政府から7億人民元もの資本注入を受けることになっていた。高額受注やたっぷりのボーナスが期待できるだけに、本来ならば営業経験ゼロの新人には荷が重すぎる。古株営業をはじめ、まわりは喬莉から晶通電子の案件を奪い、自分が主担当になろうと虎視眈々と狙っていた。だが、見たところ、ほかの営業担当者から何度直訴されても、新しい営業部門長に就任した陸帆(ルー・ファン) は、喬莉を担当者から外すつもりはないようだった。

喬莉にはその魂胆が見てとれた。陸帆は自分自身の手でこのプロジェクトを動かしたいのだ。海千山千の猛者である古株営業よりも新人営業の方が言うことを聞かせやすいのは当然だし、成功すれば上司の指導がよかったとして陸帆の功績になり、失敗すれば新人の力量不足のせいにできる。どちらに転んでも陸帆にはメリットがある。

もちろん喬莉は、むざむざと使い捨てにされるつもりはなかった。誰もが味方ではない環境下で、喬莉の奮闘が始まる。

彼女は晶通電子側の技術担当者とロシア文学という共通の趣味から親しくなり、陸帆とともに晶通電子の経営陣に近づく。そこでしだいに複雑な内部事情が明らかになる。国営企業によくあるように、晶通電子もまた設備・システムの老朽化、非効率、慢性的な赤字体質に悩まされており、根本的に大改造したければもはや生き残れないのは、誰の目にも明らかだった。すでにライバル会社もそれを嗅ぎつけており、二社が晶通電子の経営陣にアプローチを始めていた。

だが一方で、ナンバーワンとナンバーツーの間で密かにに生きるか死ぬかの主導権争いが起こっていることがしだいにはっきりする。やり手のナンバーツー有利にも思えるが、ナンバーワンである王貴林(ワン・グイリン) には底知れぬところがあると陸帆は感じ取っていた。誰を味方に引き入れるべきか?  チェスゲームのごとく、先々まで読んだ受注争いが始まるーー。

 

人間関係が複雑で、権謀術数読みあい騙しあいがこれでもかというほど詰めこまれた小説だ。一方、それぞれの登場人物の腹の内や裏事情、さらには家庭事情や恋愛事情は、独白や地の文としてはっきり書かれることがほとんどなので、どうしてこの人物が一見意味の通らない行動をしているかなどの謎解き要素はうすい。

 

主人公の喬莉は、25歳という若さにもかかわらず、ベテランもかくやの洞察力をもち、わずかな表情変化やちょっとした言葉遣いから相手の真意をさぐり出し、奇策を打つことができる。そうかと思うと若い女性らしく父親との電話で怒りをぶちまけ、時にはおしゃれを楽しむ。キャラクターとしてはアンバランスで、リアリティが比較的薄いように感じるが、このビジネス小説の主目的は、主人公に模範的なふるまいをさせて「このように世渡りすべき」という教えを残すことで、登場人物にリアリティをもたせたり共感させることではないから、これで良いのかもしれない。

一方、男性陣は仕事面で有能きわまりないのはもちろんだが、意外と人間臭い一面がある。喬莉の営業部門でのサポート役である北京出身、北京大学卒業の劉明達(リュウ・ミンダー) は、喬莉の気をひこうとあれこれ世話を焼きながら、エリートコースが約束されたこの自分にふさわしい女性かどうか見極めたいという思い、まだつきあってもいないのに彼氏気取りの言動で、喬莉を苛立たせている。陸帆はバツイチであり、ヒステリックな前妻は再婚したにもかかわらず陸帆のアパートメントに押しかけ、再婚した夫に暴力をふるわれた、あんな奴離婚してやると大暴れするが、陸帆はどうしても彼女には強く出られない。これらの場面が、登場人物に人間味を与えている。

 

権謀術数渦巻く状況が好きならば面白く読める。ヒューマンドラマを期待すればがっかりする。そんな小説だ。この意味で好みは分かれるかもしれないが、私は権謀術数渦が好きだから気に入っている。

ブッツァーティ《タタール人の砂漠》

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

いつも参考にさせていただいているブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の中の人が選ぶ、経験を買うための本の一冊である《タタール人の砂漠》を読んでみた。

40超えたら突き刺さる『タタール人の砂漠』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

おっさんから若者に贈る「経験を買う」6冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

 

刺さった。まだそんな年齢じゃないのに。台風12号が来ているために荒れ狂う雨音と風音に耳を傾けながら一気読みすると、肺を刺されたかのように息ができなくなった。

自分はこんなところで終わる人間じゃない、まだチャンスがないだけ、本気出してないだけ、あいつのように幸運や機会にめぐまれれば自分だって。

そういいわけして一生を終える人々がどれくらいたくさん居るだろう?  彼らは読まなかったのだ。《タタール人の砂漠》を。

 

物語は、主人公が辺境の砦に配属されたときから始まる。砦の北側には石だらけの広大な砂漠が広がり、地平線はいつも霧がかっている。その先にタタール人が支配する北の王国があり、彼らに備えるために砦があるという。砦のあるところは荒涼としており、日々は単調極まり、主人公は最初数ヶ月で配置換えを願い出ようと考えていたが、気を変えて砦にとどまった。北からタタール人が攻めてくる。自分は国境を守るために戦う。それは手が届くところにある、英雄になれるチャンスのように思えた。タタール人が最後に攻めてきたのは数百年前だというが、北からやってくるであろう〈運命〉は抗いがたい魅力があった。

こうして主人公の待つ日々は始まった。時に地平線に動くものが見えたような気がしたりしながら。たった一日の距離にある町にもどれば親兄弟や友人やガールフレンドとともに素晴らしい日々が送れるのに、砦の単調な生活に慣れるにつれて、町を離れる時間が長くなり話題についていけなくなるにつれて、砦にとどまる時間が長くなる。素晴らしいものや欲しかったものを逃してしまったことに気づくきっかけさえ、単調極まりない日々の中ではなかなかない。

そして、やがて気づく。最も貴重な資源である時間はすでに容赦なく流れ、素晴らしいものや欲しいものを手に入れる力さえも奪い去ろうとしていることを。

 

最後の一文字まで読み終えた時、こうはなりたくないという恐怖に取り憑かれた。

これこそが本を読むことの最大の効用だ。人の行動を変えるのに最も効果的なのは恐怖だ。こうはなりたくないという恐怖を前もって予防注射のごとく心に芽生えさせることで、違う道を探ることができる。

 

もうひとついい方法がある。自分のやりたいことをリストアップする、そしてそれを何度も読んで覚えてしまうことだ。そのリストはその後の人生の羅針盤になってくれる。自分はなにをやりたいのか、忘れないようにしてくれる。

大学生だったある日、私は短い雑誌記事を読んだ。ガンで余命宣告を受けたある男が、死ぬまでにやりたいことのリストをつくり、ひとつひとつかなえていった結果、余命をはるかに越えて生き延び、どんどん元気になり、人生に希望をもつようになったという内容だった。

ふと気が向いて、私は手元にオレンジ色のルーズリーフを引き寄せ、自分のやりたいことを書き始めた。大英博物館に行きたい、フルマラソンを走りたいという他愛もないことから、五つ以上の国家でそれぞれ一年以上働きたいというかなりの努力が必要なことまで。その日だけでは終わらず、思いつけば項目をつけたし、リストを読み直した。100項目以上になった。

リスト自体はまだどこかにしまっているが、どこにあるかは忘れてしまった。だが、たとえば同僚にフルマラソンに誘われた時に、イギリス出張の機会に恵まれた時に、「そうだ、私はこれがやりたかった」と、火花が散るように脳の中でひらめく。オレンジ色のルーズリーフのイメージが鮮やかに蘇り、そこに書きつけた言葉を思い出す。そして「やります」と答える。なお良いことに、やりたいことをかなえればそれで終わりではなく、必ず次のやりたいことが見つかる。たとえばフルマラソンの次はウルトラマラソンに挑戦したいとか、大英博物館以外にもピーターラビットの故郷である湖水地方に行ってみたいとか。

その時私は、自分がやりたいことを言葉として書き残したこと、それを覚えていることに深く感謝する。日常生活に紛れていつのまにか忘れてしまっても、言葉にしたことは脳の奥深くに記憶されていて、必要な時に浮かびあがるから。やりたいことを忘れずにいるって、ほんとうに重要だ。自分自身以外に覚えてくれる人もいなければ気にしてくれる人もいないから。自分自身が忘れないようにしなければならないから。

大学時代のあの日の思いつきに、今でも感謝している。やりたいかどうかすら忘れかけてしまう時、無為に時間をすごしそうになる時、やるかどうか判断に迷う時は、いつでもあのオレンジ色の書きつけに戻ることができる。北の王国から来るであろうタタール人を待ちながら、砦で立ち止まり続ける可能性が小さくなる。

ユン・チアン《ワイルド・スワン》(下)

 

ワイルド・スワン(下) (講談社文庫)

ワイルド・スワン(下) (講談社文庫)

 

関東直撃を恐れられた台風12号が連れてきた暴雨の音を聞きながら、深夜までかけて一気に読みきった。

これは中国に生を受けた著者とその母親、祖母の人生を書いた真実の物語。中国現代社会に興味があるすべての人が手に取るべき本だ。

下巻では、中巻までに書かれたこの世の地獄そのものの光景から、徐々に上向いていく。

 

少女時代からおとなにならざるを得なかった著者は、都会から農村に送られる。両親も同様で、家族はバラバラになった。祖母は苦しみの中で世を去り、父親の狂気はなんとか再発しなかったものの、重労働を課せられて健康状態が悪化した。

だがこのころから政治状況がしだいに改善する。毛沢東が死去し、文化大革命を煽動した江青一派(もちろん背後には毛沢東の容認があった) が投獄され、中国はしだいに改革解放にむかう。

それでも著者の文章には一抹の陰が消えない。文化大革命の十年で、中国は美しいものをことごとくなくしてしまったと言葉少なに語る。今日、残念ながら中国人観光客はほとんどマナー知らずの代名詞になっているように思う。自己中心的なふるまいは、あるいはこの時期に種まかれたのかもしれない。時には実の肉親を告発し、また縁を切らなければ生きてゆけなかった時代に、思いやりの心が育つはずもない。

 

祖母、母、著者の三代にわたる自伝は、とほうもなく強いエネルギーをもっている。狂乱の時代に翻弄されるさまを書ききることで当時の状況をみごとに描き出しているし、その時代に流されずに己の信念を貫こうとした人々の気高さが映し出されている。読むほどにこちらにまで迸るエネルギーが迫ってきそうな、傑作だ。

 

ユン・チアン《ワイルド・スワン》(中)

 

ワイルド・スワン(中) (講談社文庫)

ワイルド・スワン(中) (講談社文庫)

 

これは中国に生を受けた著者とその母親、祖母の人生を書いた真実の物語。中国現代社会に興味があるすべての人が手に取るべき本だ。

中巻では著者の少女時代に物語がうつる。1950年代から1960年代にかけて。この本は中国本土では出版禁止だが、この中巻を読めば理由の一端にふれられる。

 

1959年からの三年間を生きた年老いた中国人に、当時のことを聞くと、一様に顔色を変えて口が重くなるという。

中国には「三年自然災害」という言葉がある。1959-1961、三年間続いた大飢饉のことだ。正確な統計数字は存在しないが、数千万人が餓死したといわれる。その時代を生きた人々は例外なく、家族が、親戚が飢餓にあえぐのを見た。衰弱しきった人々が口に入るものを求めて幽鬼のごとくさまようのを見た。ついには人肉食に手をそめてまで餓死から逃れようとした人々の話を聞いた。

この悲劇は言葉通り自然災害のためというのが公式見解だが、中国国外の歴史家たちは、毛沢東の経済政策の失敗による人災と見るむきも少なくない。実際、この時代は「大躍進」と呼ばれる西側諸国に追いつけ追い越せの大運動が毛沢東主導で全国的に巻き起こっていたが、ノウハウも近代的な農業機械すらない状態でうまくいくはずもなく、むしろ農地を荒れさせた。一方で非現実的な「成果報告」(もちろん虚偽)をして、大躍進の成功を大々的にアピールすることが奨励、いや、事実上強制された。著者の言葉を借りればこういうことだ。

とほうもない作り話を他人にも自分自身にも吹きこみ、それを信じこむ、という愚行が国じゅうで行われた時期であった。

著者は当時まだ10歳にもならない少女で、父母が共産党高級幹部だったために飢餓から守られた。高級幹部専用のアパートメントに住み、外の世界でなにが行われているのか知らないことも多かった。だが著者の父親は見た。視察に赴いた農村で、痩せ衰えた人間が突然倒れて事切れるのを。このことは父親に強烈なショックを与え、共産党支配や自分自身の役割について、自省するきっかけになった。盲目的に信頼していた共産党とは、と、考えるきっかけはこのとき芽生えたのかもしれない。後日著者の父親は文化大革命のさなか、毛沢東を批判したために投獄され、狂気にむしばまれる。

毛沢東は宮廷政治における権謀術数を記録した数十巻にのぼる『資治通鑑』を愛読しており、他の指導者たちにもこれを読むよう勧めていた。実際、毛沢東の支配は中世の宮廷に置き換えて見るのがいちばん理解しやすい。

文化大革命」という言葉は、その時代を生きた中国人にとって、恐怖と惨劇と破壊と暴動と混乱を足して割らずに二乗するほどの意味をもつ。それこそが文化大革命の真の目的でもあったというのが著者の意見だ。文化大革命のさなか、紅衛兵という十代から二十代の若者を中心とし、毛沢東に絶対的忠誠を誓う組織が暴虐の限りを尽くしたが、彼らは毛沢東が妻江青を通して煽動した。これは権力闘争の一環だった。共産党そのものを事実上解体し、毛沢東ただひとりに権力を集中させるために。

人民を思い通りに動かそうとするならば、党から権威を奪い、毛沢東ただひとりに対する絶対的な忠誠と服従を確立しなければならない。そのためには恐怖という手段が必要だ。それも、あらゆる思考を停止させあらゆる懸念を押しつぶすような戦慄に近い恐怖が必要だ。毛沢東の目には、十代から二十代はじめの若者が格好の道具と映った。

血気盛んな若者たちが大義名分や個人的恨みのために、批判してもよいと言われた教師や知識人たちになにをしたか、両親の身体がどのように殴打や拷問にさらされたか、精神が、尊厳が、どのようにふみにじられたか、身の毛のよだつような体験を、著者は冷静さを失わない文章でつづる。

けれどもこれを書き上げるために著者はどれほどの夜を涙で明かしたことだろう。文章が感情的にならないようにどれほど自制心をきかせなくてはならなかっただろう。それでも著者の押し殺された慟哭が、それが文章の間から血臭のように匂い立つのを感じる。

 

迫力ある文章は、書き手が血の滲むような経験を、さらに追体験することで生まれる。

これまで私が読んだ中で、最も痛々しい文章を書くのは作家の柳美里さんだが、ユン・チアンはそれに勝るとも劣らない。

命

 

文化大革命の混乱と破壊の中で、どんなに痛めつけられようとも尊厳を失わず、信念を貫こうとする両親の姿を抉るように書いて、中巻は終わる。