コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

他社から引き抜かれる人の仕事術 (中山遼二著)

ヘッドハンティングされる人にはさまざまなタイプがいるだろうけれど、この本はその特徴を93項目にまとめている。いずれもなるほどと深々とうなずけるものばかりだ。

著者はヘッドハンティングを、仕事の成果を誰かが認めたから起こるものだと捉える。具体的には【1】目の前の業務で成果を出す 【2】その成果をまわりの人に知ってもらう 【3】「こいつと一緒に仕事がしたい」と思ってもらう、の三項目だ。

こう書いてみるとわかるように、ヘッドハンティングされるほどの人であれば、成果面でも人間面でも人を魅せることができる。成果を思い切り出すために必要である①知識も小技も身につける、②成果にこだわる、③体調・時間・お金の管理を徹底する、といったことから、成果を知ってもらうために必要な④情報収集 ・発信に長けている、⑤魅せ方にもこだわる、というところまでこなす。最後に周囲の人の気持ちを動かし、チャンスをつかむために必要なキャリアを描き、⑥チャンスをつかむ、⑦視点を高く持つ、⑧人間に向き合う、⑨心を平穏に保つ 、ということを心がける。

私のまわりでも、数年前、50代後半の方がヘッドハンティングされて転職した。この業務はこの人、と誰もが認めるほどのベテランであったが、今の業務は自分が本当にやりたいことではないと不満をもっていたと聞く。その方のような社員こそヘッドハンターの標的で、たとえあと数年で定年であっても迎え入れてくれる会社はたくさんあるのだと、いい意味で驚きにも励ましにもなった。

 

『買収ファンド ハゲタカか、経営革命か』(和田勉著)を読んだ

買収ファンドという言葉にはあまりなじみがなかった。ファンドという言葉は米国発マネーゲームの一種で、破綻寸前の企業を安く買って高く売ることでもうけているというイメージだった。著者に言わせるとこれはハゲタカに近いイメージだそうだが、買収ファンドはそれだけではないというのが本書の内容だ。

そもそもファンドとは、機関投資家など多くの人からカネを集めた基金のこと。投資家から集めたカネは利子をつけて返さなければならない。利子をつけるためにファンドは基金を運用してもうけを出す。

買収ファンドは適正価格で投資先企業を買い、「企業価値を高める」。投資先企業の価値を高める作業こそが、買収ファンドと他の投資業とを分けるものだと著者はいう。大株主の権力を背景に、経営者や従業員を経営改革に向かわせる。投資先企業にはこれまでのしがらみからある程度解放されるメリットが生じ、再生後、改めて売却されるなり株式上場するなりして、ファンドは買ったときと売ったときの差額をもうけとして手にする。

一方ハゲタカファンドは適正価格よりずっと低い価格で投資先企業を買い、適正価格に近い価格で売ることでもうけを出す。ここにある違いは「企業価値を高める作業をするかどうか」だ。ハゲタカはそんなまどろっこしいことはしない。いかに安く買い叩き、高く売るかに興味が集中しているからだ。

ハゲタカファンドは論外だが、買収ファンドは「企業価値を高める」ことこそが腕の見せどころだ。そのために買収ファンドがやることは、たとえばできるだけ命令系統のすっきりした組織を作り、リーダー層が自分で判断して組織を動かせるようにする。加えて、会計処理システムを会社の実態が反映するように作り直す。言われてみれば、教科書的な経営組織作りにすぎないのだが、買収ファンド会社は一様に、日本企業にはそんな経営の基本もできていないところが多いと証言する。

ファンドに参加している人々は、そこに魅力を感じていることが多いという。自らがそれまでのキャリアで身につけた経営改革の手法を最大限使い、投資先企業が新たな成長軌道に乗ることに貢献すること、企業改革プロジェクトに参加することにやりがいを感じているから、ファンドに参加するのだ。この意味でファンドは、プロ経営者にとって、よい選択肢だと思う。

私、社長ではなくなりました。ワイキューブでの7435日 (安田佳生著)

 

私、社長ではなくなりました。 ― ワイキューブとの7435日

私、社長ではなくなりました。 ― ワイキューブとの7435日

 

 

2011年3月10日、東日本大震災前日に、ワイキューブ民事再生を申請した。中小企業の新卒採用コンサルティング及び企業ブランディングを業務内容とする会社で、負債総額は四十二億円だった。本書は、ワイキューブ社長の安田佳生が自身の社長として歩んできた道を振り返ったものだ。

安田氏は子供のころから他人の価値観にあわせることに意味を見出せず、満員電車に乗らなくてすむように社長になりたかったというような人物だ。この本の中で安田氏はこう述べている。

誰かが勝手に決めた常識や既成概念から自由になりたい。思い切りラクに生きたい。そのために必死にもがいてきた。それが、これまでの私の人生だったのだ。 

ただ安田氏の凄いところはやりたくないことをただ避けるのではなく、やらずに済むような仕組みをつくることを真剣に考えたことである。例えば安田氏は営業電話が大の苦手でやりたくないのだが……。

自分がやりたくないことを社員にやらせて、自分はそれを見ているだけというのは居心地が悪かった。そこで社員が営業電話をかけなくてもいいように、顧客から問い合わせがやってくるような仕組みをつくった。

ということをやってのけている。ここが安田氏の一番凄いことだと思う。

 

 

(2019/06/01 追記)

最初にこの本を読んだ時は、はっきり言って、それほど感銘を受けたわけではなかった。

なぜわたしがこの本を読み返したかというと、「会社倒産」がどういうときに起こるかを知りたいと思ったときに、たまたまこの本を思い出したからだ。

最初に読んだとき、わたしは、なぜ著者が起業したのか、どうやって会社を大きくしていったのかに興味があった。だが今回は、どういうときに会社を潰さなければならないのかという、真逆の視点から読んだ。当然感想もちがう。

 

本書に書いていることによると、まず業績が傾いていったのが始まりだったという。財務担当役員が退職したのをきっかけに、社長である著者自らが会計を確認したところ、会計処理に無理があり、黒字決算だと言っていたのが、実は赤字決算だとわかった(これは粉飾ではないか?)。

こうなると銀行の態度は一変する。貸付金を一括返済してほしいといわれ、著者はその対策に右往左往した。そこにリーマンショックが被さり、会社売上が激減。金利分も返済できなくなり、にっちもさっちも行かなくなった。

ただ、著者が会社倒産を決めたのは、金策がうまくいかなくなったからではなく、「ついていかざるをえない従業員がかわいそうだ」と言われたからだという。(会社は不渡りを出すなどすれば強制的に倒産となるはずだが、ワイキューブの場合は、就職用教材という形にしにくいものを売っていたため、「不渡り」ということはなく、従業員給与や銀行借入金を払っていれば存続できたということか?  だとすればそれは会社制度の欠陥では?)

 

もう一度読んで、この著者はそもそも「経営」というものととことん相性が悪かったのではないかと思うようになった。なぜなら著者は、利益を残すことに興味がないからだ。ここ最近の内部留保を手厚くする大企業とはまるで反対である。

そもそも私は利益を残すことに興味がなかった。どういう商品をつくり、どうやって集客するかというところは必死で考えたが、どうやって利益を出すかについてはほとんど考えたことがなかったのだ。むしろ、売上が伸びれば利益はおのずとついてくるものだと思っていた。

そうであればこそ、財務担当役員は運転資金を確保しようと無理な借入れを重ねたのかもしれない。著者は「利益をあげて会社を存続させる」ことをあまりにも考えなかった。

これが著者の会社が破綻した根本原因ならば、単純に、著者は会社経営に向かず、それをサポートする立場の人間でもフォローできなくなったときに、会社は存続できなくなった、ということになろう。

その仕事のやり方だと、予算と時間がいくらあっても足りませんよ。 (降籏達生著)

『大金持ちの教科書』を読んだときのブログ記事にこう書いた。

【マネジメントがある判断をしたが、その内容は私には理解しがたかった。だが後に、マネジメントからすると非常に合理的な判断であったと分かった。

このことは私に、立場による判断の違いを深く考えさせた。それとともに、いつか同じ立場に立つことができたなら、私は今回彼がしたのと同じ判断をするだろうか、と疑問をもつきっかけにもなった。】

いつか同じ立場に立つことができたなら。この考えが頭に残っているからか、プロジェクトマネジメントの書籍によく手がのびる。あの時そう判断したマネジメントには、私には見えないものが見えていた。だからそう判断した。いつか同じ立場に立ち、マネジメントが今見ているのと同じ風景を見たい。

 

この本ではT機能、M機能、I機能という3つの機能を紹介している。T機能は「タスク機能」。組織の目標を達成し、課題を解決する機能だ。M機能は「メンテナンス機能」。組織を維持する機能だ。最後のI機能とは 「インディビジュアル ・ビヘイビア機能」。組織を破壊する私的な欲求からくる行動だ。すぐれたプロジェクトチームはT機能とM機能をふやし、I機能は駆逐すべきものだ。

リーダーとは指導者だとこの本では述べている。メンバーを指導し、引っ張って、その気にさせ、メンバーの能力を最大限に発揮させて、その結果としてプロジェクトを目標に到達させる。ルールよりも目標が優先するから、事故、クレーム、はたまた戦争など予想されないリスクやトラブルとの遭遇が待っている。予想できないリスクやトラブルに出会ったとき、リーダーの持っている知識、経験と共に、問題解決能力が問われる。

一方、マネジャーとは管理。メンバーにルールを伝え、それに従っているかどうかをチェックし、うまくいっていないとメンバ ーと共に改善策を協議する人。役割がかなり違う。どちらになりたいかで、身につけるべきスキルも違う。

企業はなぜ危機対応に失敗するのか 相次ぐ「巨大不祥事」の核心 (郷原信郎著)

神戸製鋼が揺れている。全世界の製造業を巻きこんだ前代未聞レベルの不祥事に発展しそうで、企業として市場からの退場はもはや時間の問題のように思える。

だが「偽装」された数値がなにで、品質にどのような問題が生じうるのかはなかなか詳細が見えてこない。メディアは不安をあおり、まるで神戸製鋼が出荷した鋼材を使用した製品がいまにも崩れたり解体したりするのではないかという騒ぎだが、納品先企業だって品質検査をしていなかったわけではない。納品先企業が数十年気づかなかったレベルの数値改竄となると、もしかしてそこまで大騒ぎするほどのことではないのでは?  という気もする。(世の中には品質をごまかす方法がいくらでもある。神戸製鋼以外の会社が全員清廉潔白なわけはあるまい)

この本では一企業の不祥事が時には業界全体の巨大不祥事に成長することもあることをふまえ、企業の危機対応のまずさ、どうすれば問題を正しく伝えられるかを述べている。不祥事を隠すべきと言っているわけではない。不祥事は公表しなければならないが、誤解されるような公表のしかたはしばしば問題を大きくするから、起こった問題を正しく伝えられるよう努力しなければならない、というのが著者の意見だ。

著者によると、実際の不祥事は、環境が変化しているのに組織がそれに適応できる方向に変われないということと、組織が環境に適応できない方向に変化してしまうこと、これら二つの要因によって起きる。

企業組織は社会との信頼関係の上に組み立てられている。不祥事はその信頼関係が失われかねない有事であり、不祥事への危機対応というのは 、平時から有事への急激な環境変化に企業組織がいかに適応するのかということにほかならない。

大工の棟梁に学ぶプロジェクトマネジメント (白鳥美子著)

プロジェクトマネジメントの本に最近良く手が伸びる。

大工の棟梁といえば、現場の気難しい大工達をたたき上げの実力でまとめあげる漢、というイメージがあるが、この本を読んでみれば半分当たりであった。現場の大工達をまとめるには、圧倒的実力と、ついて行きたいと思わせる人間力も必要不可欠になる。この本では人間力の方にスポットをあてている。

チームメンバーに対しては、

「まずは、頭っから信用するんだよ。同じ目的を持ってプロとして集まってくれたんだから、最初はこっちが『よろしくな』って言ってやればいいってなもんよ」

 任せたのに期待通りの仕上がりにならなかった時は、

「あれ、おかしいなって思ったら、自分の話がうまくないせいで、やってほしいことが伝わってないのかなって反省するね。…相手にやる気があるとかないとか、能力があるとかないとかを考えるのは、その後だよ」

万が一現場判断が間違っていた時は、

「そいつに任せたんだから 、任せた自分の責任よ。…誰かになにかを任せて、その誰かがミスをして失敗が大ごとになったとしたら、それは任せ方も悪いし、確認のやり方も悪いんだよ。だいたい大ごとになるまで気づかないなんて、気を緩め過ぎだよな」

棟梁達の話から伝わってくるのは、決断に際しては迷わずにすぐに決めること、それに加えて決めたことに責任をとるという覚悟があることだ。プロジェクトリーダーとはそういうもので、チームメンバーの意見が分かれたときに決断を求められ、プロジェクト成果を誰のせいでもなく自分の責任だと覚悟する。数十年生きてきた大工の棟梁達の言葉には、とてつもない重みが感じられた。

『特定の人としかうまく付き合えないのは 、結局 、あなたの心が冷めているからだ』(五百田達成、堀田秀吾著)を読んだ

ぐさりとくるタイトルに惹かれて手にした本。

著者は心が冷めている状態を、①人の話に興味がない、②人と積極的に関わろうとしない、③そのため、世界がどんどん狭まっていく状態と説明している。要するに対人関係に興味がないのだ。

だけど一方で人は、興味関心があることに接すると心の温度が高まる。興味があることに関しては「もっと知りたい」「自分の意見を言いたい」と感じる。面白そうなことがあれば首をつっこみたくなる。だから対人関係に興味がないのは、つまるところそれを「面白いこと」だと思っていないからだ。

ではなぜ面白いと思えないのか?  著者はさまざまな心理学的傾向を織り交ぜながら説明していく。例えばあるタイプを苦手だと思う人は、目の前にいるその人を見ていない。記憶の中にいる苦手な誰かと重ねている。これはつい最近体験した。私は数週間前にジムである女性に出会ったが、一目見て、その女性からなるべく離れたいと感じた。私が最も苦手な同僚に似ていたのだ。言葉どころか目さえあっていないのに、気持ちとしてはこうなるのだ。

人と意見があわずにぶつかることを恐れて、人との交流そのものを控えることもある。ちなみに以前読んだ心理学本のセルフ診断で私はこの傾向が強いと出た。恐れを克服するためには、対立が起きたときは逃げずにぶつかってみることだと著者はいう。相手を言い負かすのではなく、相手のことを理解するために話し合ってみる。そして 、問題から目を逸らさずに妥協点を探してみる。(議論が白熱すると言い負かすことが目的になってしまうのが困るが…)

最後に著者の言葉を引用しよう。

「あ~、この人と距離を取ろうとしてるな」 「心冷めてきてるな」と自覚すること。次に見て見ぬふりをせず、「じゃあ、どうしたらいいんだろう?」と問題意識を持って少しでも行動に移してみることです。敵は相手ではなく、自分の中にいるものなのです。