コーヒータイム -Learning Optimism-

本を読むということは、これまで自分のなかになかったものを取りこみ、育ててゆくこと。多読乱読、英語書や中国語書もときどき。

『最短で達成する 全体最適のプロジェクトマネジメント』(岸良裕司著)を読んだ

初めて読んだゴールドラット博士の著書は『クリティカル・チェーン』だったと思う。内容というより、難しいことを物語に編みこんで説明するという表現方法に興味をもった。その後『ザ・ゴール』も読み、プロジェクトマネジメントのこれまでの常識と、それをひっくり返していく物語を純粋に楽しんでいた。

ところが、今自分が大規模プロジェクトの中に身を置いてみれば、マネジャーが意識的にか無意識にか『ザ・ゴール』『クリティカル・チェーン』などの著書でゴールドラット博士が提案してきたマネジメント手法で、実際にプロジェクトを進めるのを見る機会が増えた。うまくいった場合、うまくいかなかった場合を見た。「不確実性にいかに対処して当初の狙い通りの結果を出すか」というのがプロジェクトマネジャーの腕の見せどころだと言われるが、不確実性の山がどんどん積み上がっていくのも、それをぎりぎり綱渡りでこなしていくのも見て、体験した。なによりプロジェクトは人が行うものなのだと痛感した。

この本は6つの人の問題行動を挙げている。①サバよみ、②予算と時間をあるだけ使う、③一夜漬け、④過剰管理、⑤早く終わっても報告しない、⑥マルチタスクだ。このすべてを私は実際に体験したし、同僚がどうふるまうのかも見てきた。クリティカルチェーンプロジェクトマネジメント(Critical Chain Project Management, CCPM)は、人の問題行動を無視せず、それらを前提として積極的に受け入れて、シンプルで実践的な解決策を提供している。

プロジェクトマネジメントにおける根本的な誤りは、安全余裕を個々のタスクに入れて見積もるという慣行であると著者はいう。個々のタスクでバッファを入れると全体的にすごい量のバッファが積み上がる。それをやめ、プロジェクト全体でバッファを持つというのがCCPMの主張だ。

いま私がいるプロジェクトもこの方法に近いやり方をしている。だが、期待した通りの成果は上がっていない。なぜか。個々のタスクにしろプロジェクト全体にしろ、バッファがあることそのものにメンバーが安心してしまうからだ。最終的に、納期はバッファがある場合とない場合の中間地点位に落ちつく。すぐれた仕組みを実践にうつすのはこんなにも難しいと、私は日々実体験から学んでいる。それこそが一番貴重な経験かもしれない。

大金持ちの教科書 (加谷珪一著)

前著『お金持ちの教科書』の応用編ともいうべき本書のメッセージは、「大きなお金を稼ぐには 、ビジネスから得られる利益の多くを獲得できる立場になる必要がある。具体的には経営者あるいは投資家となり、儲かる仕組みを自分で作ることができ、そこから得られる利益の多くを自分のものにできる立場になることが重要」ということだ。

会社が損をしていても従業員には給与を支払う義務があるので、会社経営者には、従業員の給与を低く抑えるインセンティブが働く。つまり、給与を得るだけでは会社があげる利益を自分のものにはできない。業績ボーナスといった仕組みはあるにせよ、それでも会社利益の一部でしかない。この辺りはベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』の考え方にも通じる。

経営者になるにしろ投資者になるにしろ、節約が重要だ。コストパフォーマンスと言ってもいいかもしれない。日々の生活の出費を減らすのではない。必要な稼ぎを得るための出費を最小限にすることを、お金持ちは 「節約」と呼ぶ。この発想はとても面白いと思う。

 

ここ数日、立場が異なれば見えているものも違うものだということを深く考える機会があった。

マネジメントがある判断をしたが、その内容は私には理解しがたかった。だが後に、マネジメントからすると非常に合理的な判断であったと分かった。

このことは私に、立場による判断の違いを深く考えさせた。それとともに、いつか同じ立場に立つことができたなら、私は今回彼がしたのと同じ判断をするだろうか、と疑問をもつきっかけにもなった。

 

お金持ちと一般人の違いもそこにあるのだろう。お金持ちは世の中の見方が違う。立場が異なれば判断も違うように、見方が異るからこそ気づけるお金持ちになるためのチャンスがある。著者はお金持ちの見方を前著『お金持ちの教科書』にまとめ、その見方を利用してお金持ちになるためのヒントを今著『大金持ちの教科書』にまとめた。合わせて読みたい二冊。

魯迅 《祝福》

魯迅の小説二作目。『阿Q正传』よりは分かりやすいのだが…読了後の正直な感想は「なぜよりによってこのタイトルにした?」だ。

 

小説の主人公は旧正月を控えて故郷に戻り、親戚宅に居候している。村全体で旧正月のお祝いに特別なごちそうを用意し、爆竹を鳴らし、新年に福の神を迎えるために浮き足立ってお祭りさわぎだ。

大晦日の日、主人公は女物乞いーーまだ40代だが老婆のような見た目だーーの祥林嫂にばったり会う。祥林嫂は主人公に「人が死んだあと、魂は残るのかい?」「地獄はあるのかい?」「死んだ家族に会えるのかい?」と質問して、主人公は答えられず曖昧にごまかした。その夜主人公は、祥林嫂が死んだことを聞き、彼女の過去に思いを馳せる。

祥林嫂はもともと女中として親戚宅にやってきた。夫を亡くして出稼ぎにきたという。働き者で評判の彼女だったが、ある日拉致同然に前夫の親戚に連れ戻される。彼女は前夫の母が持ちこんできた結納金目当ての再婚話を拒んで、故郷を逃げ出してきたのだ。

連れ戻された祥林嫂は強制的にど田舎で暮らす男のもとに嫁がされる。働き者の夫と息子に恵まれてしばらく平穏に暮らしていたが、夫を病気でまたもや失い、さらに息子を狼に喰われ、精神的におかしくなってしまった。かつて女中をしていた主人公の親戚宅を頼ってきた祥林嫂だったが、かつてのように働くことはできず、居場所をなくしていった。

「あたしがバカだったんだよ。雪が降る頃には狼が飢えて村に降りてくると知っていたのに、春先にもくるとは思わなかったんだ。…」

この言葉で始まる、息子が狼に喰われた話を、祥林嫂は繰り返した。人々は最初同情をもって聞いたが、あまりに何度も繰り返し、しかもまったく同じ言葉だったためしまいには暗記してしまい、誰も彼女の話を聞かなくなり、あからさまに疎むようにもなった。そうして祥林嫂は女中もクビになり、物乞いに落ちぶれ果て、大晦日に主人公と出会った。…

そんなことを思いながら外に出た主人公は、新年を祝福する爆竹の音に包まれ、お祝い一色となった村の雰囲気を感じとる。故郷の村に祝福をもたらすよう祈りを感じとっていた。

 

…これのどこが「祝福」なのか、魯迅の考えることはよくわからない。

魯迅の描写は淡々としている。主人公は久々に里帰りしたため祥林嫂の近況に詳しくなく、避けようとはするものの村人達のようにあからさまに疎むほどではない。かといって同情しているわけでもない。不幸で役立たずとなったよそ者、という程度の認識だ。そんな主人公が語る祥林嫂の半生も、必要以上に同情をさそうものではなく、淡々と噂話を繰り返すように述べられている。困窮のうちに死んだ祥林嫂のことなど忘れ果て、主人公は爆竹が鳴らされ、新年祝いが始まるのを楽しむ。

『阿Q正传』のように、魯迅はあえて淡々と書くことで当時の村社会の冷酷さ、女性の地位の低さを鋭く表現しようとしたのだろうか。

お金持ちの教科書 (加谷珪一著)

Kindle が故障してしまった。目に悪そうだが、Kindleが復活する(できるのか?)まではiPhoneアプリと紙媒体の本だけになる。

 

この本の筆者はお金持ちとつきあう中で、お金持ちの人たちに特有の思考パターンや行動原理が存在することがはっきりしてきたという。資産を形成しやすいキャリアがあることにも。なお筆者によると、お金持ちの分岐点は資産ベースだと3億円、年収ベースだと3000万円程度で、そこから先は「思考パターンが変わる」。グルメな人なら好きなレストランに通うのではなく、趣味と実益を兼ねてレストランオーナーになる、という具合だ。

筆者によると、お金持ちを考えるにあたって「年収が多いこと」「資産をたくさん持っていること」「社会的地位が高いこと」を混同しがちだが、これらを満たしているからといって必ずしもお金持ちではないという。日本でよく見かけるのは資産のほとんどを不動産で持っている(いわゆる先祖代々の土地)パターンで、評価額は億単位であっても売却しずらかったり活用出来なかったりすれば、実際の日常生活の豊かさには繋がらない。同じ評価額でも資産を金融商品で持っていれば現金化しやすいため、活用出来る。

お金持ち特有の心理として、筆者は面白い例をいくつか挙げている。

まず、今の資産や立場を失くすことを極端なまでに恐れること。欲しいものをほとんど手に入れられるお金持ちにとって、この恐怖感が唯一のバイタリティになっているケースは案外多いらしい。今ある(遊んで暮らせる程度の)貯金を切り崩さないために、きつい仕事についてでも稼ぐ、という思考回路になることすらある。

次に、時間感覚が違う。一時間あたりお金がいくら入るか自然に考えるようになり、言いかえれば、そのお金を自分の一時間あたりの値段と考えるのだ。こうなるとだらだら飲み会に三時間も付き合うことはなくなる。お金持ちにとって時間は売り買いできるものであり、お金を出して時間を買うことの方に興味がある。お金持ちには友達が少ないといわれるのもこの辺りに理由がある。お金持ちにとって、食事は人脈や経験を得るための投資なのだ。

そして、結果のすべてを自分のせいにできる精神力の強さ。逆にいうと、このメンタリティさえ身につけることができれば 、かなりお金持ちに近づくことができる。お金を失うこと、裏切られること、コネで追い越されることをお金持ちは自分のせいだと認識する。裏切られるのはそうできない仕組みを作らなかったからだし、コネで追い越されるのは、それを前提としたゲームだと自分が認識して手を打たなかったからだ。

筆者の示唆の中で最も興味深かったのは、妬みの感情が大きいと「人と違うこと」ができにくくなり、お金持ちへの道の障害になる、としている点だ。「人を妬むということは、妬む相手と同じ土俵に立っていることを意味している。それは、与えられた競争のルールを無意識に受け入れてしまっているということ」なのだ。

会社の電気はいちいち消すな コスト激減100の秘策 (坂口孝則著)

最近会社でもコスト削減にうるさくなってきた。コスト削減目標提示、夜の定刻消灯、部署別コピー枚数調査などなど。この本のタイトルからして、会社の電気をこまめに消したらどれほどのコスト削減が期待できるか、計算されているかもしれないと期待して手に取ったが、残念ながらそのような内容はなかった。

この本では、固定費は変わらないのだから社員を遊ばせておくのはもったいないこと、効率化して余剰時間をつくっても、それを社員がより付加価値が得られることに活用出来なければ結局節約効果は得られないこと、社員に「節約したい」と思わせるような「しかけ」をつくることなどを紹介している。著者によると人間には三つの特性があり、コスト削減達成を難しくしているという。

まず、人は、楽しいこと、自分の利益になることしか進んでやろうとしない。

次に、人は、ルールやシステムがないと、高い倫理観を持ち続けられない。

最後に、人は、強制的にやらされることしか達成できない。

いずれもなるほどとうなずきたくなる。メリットもシステムもなければ人は節約術を継続できないものなのだ。

【おすすめ】『組織力を高める』(古田興司/平井孝志著)を読んだ

 

組織力を高める 最強の組織をどうつくるか

組織力を高める 最強の組織をどうつくるか

 

 

マネジャーがどうあるべきかについての素晴らしい入門書。著者の発想としては『ビジョナリー・カンパニー』に近しい。本文の記述を引用するならばこうだ。

同じような戦略を持ち、同じようなオペレーションを行っていても、企業によって生み出されるモノやサービスに歴然とした差が存在し、利益を上げる力の差につながっている場合も多い。...この差をもたらすものが、実は組織そのものに深く根ざした『組織力』なのではないか、とするのが本書のスタンスなのである。

だが、この二冊の本には決定的な違いがある。

この『組織力を高める』は、タイトル通り、具体的な組織の作り方を中心としており、なんのために組織力を高めるのかについてはこう述べている。 

企業の存在理由が「社会に対してモノやサービスの付加価値をもたらし、しっかりと利益を上げ、存続していくこと」だから、競争相手に対する自社優位性を築くために組織力を高める。

一方『ビジョナリー・カンパニー』では基本理念の重要性を繰り返し述べ、競争相手などの外部環境ではなく、自社の存在意義の中核たる基本理念を実現するために、会社組織を築くべきだとしている。基本理念は必ずしも付加価値や利益についてのものではない(むしろそうでないことの方が多い)。時代を超えた普遍的価値観、技術の進歩を目指すとか、生活を良くするとか、そういったものを掲げる会社が長期間存続することもある。

どちらが正しいとか間違っているとかではない。経営哲学の問題だ。だがこの違いは著者自身の価値観を反映していて、興味深い。

 

会社組織の第一の目標は利益を得て会社組織を存続させることであり、そのためにはますます複雑化するビジネス環境で、自らを変え、結果を出し続けなければならない。この力を著者は「組織力」だと定義する。

マネジャーに要求されるのは環境変化にあわせて進むべき方向性を正しく把握・修正するための「戦略能力」と、結果を出していく「遂行能力」であると著者はいう。遂行能力とは最後までアウトソーシングできない卓越した現場の実践力、いわばそれぞれの会社のDNAともいうべきものである。戦略能力とはシンプルで整合性のとれたビジネスモデルを構築し、顧客と共有する力だ。

しかし、組織力は人の特質や能力の限界のために削がれることがある。「情報の減衰」「力の減衰」「フィードバックループの減衰」「顧客の声の減衰」がそれだ。トップマネジメントから一般社員に経営戦略をプレゼンテーションしても、取締役員、中間管理、現場監督者、などと伝達するにしたがって、最初の意図がうまく伝わらなくなる。逆もしかりで、現場からの生の声は上に伝えられる過程で生々しさを失い、耳障りがいいけれど中身の薄い表現に変えられていく。メールが転送されるのならまだましで(少なくとも発信者の生の言葉は残る)、これが口伝えとなると、正確に意図を伝えるのはとても難しくなる。

さらに、マネジャーが直接チームメンバーとコミュニケーションをとることには、心理的作用もある。

これは私が身をもって体験したことだが、部下はマネジャーが「話を聞いてくれない」ことそのものに不満をもつ。マネジャーは忙しい。部下の考えはたいてい経験豊富なマネジャーより浅く、時間をとってまで聞く価値のある意見は多くない。こういう考えではチーム内に致命的なコミュニケーションの断絶が生じる。一度広がった溝を修復するのは10倍の労力がかかるものだ。

 

この本にはいますぐマネジャー育成に使えるアイディアがたくさんあり、すべてのエッセンスをここに書くことは難しい。幸いなことに身近にこの本で述べているマネージャーがいるため、そのマネージャーを観察することでここに書かれているエッセンスをどれだけ守っているか(あるいは守れないか) 、さまざまな心理的障壁になるできごとやものはなにか、徹底的に観察することができる。そうすることで書かれていること同士結びつけることができる。 

『戦略の不条理 なぜ合理的行動は失敗するのか』(菊澤研宗著)を読んだ

「戦略」という言葉は軍事の世界で生まれ、経営学の世界でも使われるようになった。この言葉が意味するものは経営学と軍事とでまったく異なるとされるが、実はとても似通っていると著者はいう。軍事的戦略は競争社会で勝つためのヒントとなるのだ。

著者は、戦略思想を展開するにあたり三つの世界を前提とする必要があると主張する。「物理的世界」「心理的世界」「知性的世界」だ。

(1)「物理的世界」とは物質的なもの。たとえば軍隊や武器装備。ビジネスでは売ろうとしている商品。

(2)「心理的世界」とはある出来事に対する人間としての心理的反応。たとえば士気、死の恐怖、愛国心。ビジネスでは商品に対するお客の好き嫌い、商品購入によるメリットデメリットの主観的判断。今年ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学はまさに人間心理が経済活動にどう影響するかを研究している。

(3)「知性的世界」とはイメージ、固定概念、知識、技術、権利などの概念世界。たとえば「常勝将軍」というイメージ戦術。ビジネスでは値段交渉の労力、説明書を読む手間、商品を置くスペースを空ける手間、メンテナンスのためにかける手間、などの非効率性がここに入る。

この本のタイトルともなっている「戦略の不条理」は、一見合理的な判断にもかかわらず失敗してしまうことだが、それは三つの世界のうち、ある特定の世界だけできわめて合理的であるからであり、別の世界ではまったく不適合となっているため失敗するのだ。

たとえば心理的世界に注目し、行動経済学の中心理論ともなっているプロスペクト理論がある。ある人間がプラスの心境にあるならば、さらに多くの利益を得ても心理的価値は大きく向上することはないが、少しでも失敗すると心理的価値はがた落ちする。逆にある人間がマイナスの心境にあるならば、さらに失敗しても心理的価値はたいして下がらないが、少しでも利益を得れば心理的価値はぐっと上がる。するとなにが起こるか。戦争で勝っている間は慎重になり、負けつづれば玉砕覚悟でリスクの高い戦術を取るようになる。リスクの高い戦術は物理的世界、すなわち戦力差から見れば不合理でも、心理的世界からは合理的になるのだ。

このように、三つの世界を考えてビジネス戦略を練るべきだというのが著者の主張だ。どれか一つではいけない。また硬直した戦略ではいけない。三つの世界を同時に考え、絶えず状況によって戦略を修正することによってのみ、戦争に、そしてビジネスに勝つことができる。