「1980年、みずからの体験をもとに書き上げたこの作品はソ連ではタブーとされたチェチェン民族の強制移住にふれたため発表を許されなかった」
この小説には、著者自身の血のにじむ叫びが凝縮されている。何も知らないまま送りこまれたコーカサスの土地、そこで同じ釜の飯を食った孤児たち、行方不明になり、生きているかも定かでない彼らをみつけるために叫びつづけている。
古くから交易の重要拠点としてギリシャやペルシャを結び、多様な民族が住み、イラン、オスマン帝国、モンゴル帝国、ロシアなどに絶えず奪われ支配されてきた土地。現在でもロシアの一部でありつつ諸民族自治共和国が存在し、とくにチェチェン共和国21世紀に入ってからも独立運動の気勢高い。ちなみに最近コンビニで「ジョージア」の郷土料理「シュクメルリ」が登場したが、ジョージア(グルジア)もコーカサス地方にある。
ここに暮らすチェチェン民族は、第二次世界大戦時、ヒトラーに協力したとして故郷から強制移住させられた。空っぽになった村々には、都会で厄介者扱いされていた戦争孤児、浮浪児、傷痍軍人、寡婦など、行き場のない人々が送りこまれた。一方、強制連行を逃れたチェチェン人の一部がパルチザンとなって山岳地帯に隠れ住み、奪われた地の回復をかけて攻撃を繰り返していた。
著者は浮浪児のひとりとしてこの地に送りこまれ、チェチェン人とロシア人の確執などなにも知らないまま、この地で起こったことを見て、聞いて、体験した。この物語は小説の形をとってはいるものの、自伝にほかならない。著者は小説の中ではっきり書いている。自分の物語を通して、あのとき一緒にコーカサスに送りこまれ、大部分が生命を落としてしまった数百人もの子供たち、その生き残りに呼びかけていると……。
これは、生き延びることが出来た者が、大人になってからすべての経験を回顧し直しているのだ。馬のいななき、見知らぬ民族のくぐもった声、爆発、がらんと人気のない部落の中で燃えさかっている自動車、よそよそしい夜を突き抜け歩いて行ったこと……を。
(……)
いずれにしても、死の恐怖のあった夜を突き抜けて進んだことは、生きたいという、僕らの無意識な熱望の現れだった。僕らは生きていたかった。全身でそれを望んでいた。
それがかなったのは皆ではない。
小説の主人公、サーシカとコーリカ、見分けがつかないほどそっくりな双子のクジミン兄弟は、著者がコーカサスから都市部に戻ってきたのちに出会った兄弟から名前をもらったとほのめかされている。
サーシカとコーリカはモスクワの孤児院で育ち、孤児院の物資を横流しする院長のもとでいつも腹を空かせ、ロウソクさえ食べてしまうような飢餓の中、どんな手でも使って食べ物を得なければならなかった。クジミン兄弟がパン切り場にどれほどの渇望を覚え、どれほどパンの皮一欠片を手に入れたがったかが、実体験ならではの生々しさをもって書かれている。厳しいモスクワの冬を乗り越えるための食べ物、パンの皮、ロウソク、塩漬けきゅうりの窃盗。二人一緒なら生き延びることができた。ひとりが盗み、もうひとりが見張ることができた。
クジミン兄弟がコーカサスに行くことになったのは偶然だったが、コーカサスにはなんでもあると教えられた。家も、畑も、食べ物も。空っぽの村と収穫前の畑がチェチェン人を強制移住させたあとに残されたものだとも、山岳地帯に逃げのびたチェチェン人がいることも、子供たちは知らなかった。ただ空腹にまかせてジャガイモを盗み、トウモロコシをもぎとり、生の野菜を食べすぎて腹を下すだけだった。だがある日唐突に建物が燃え上がる……!
物語は終始子供視点で書かれる。たまに回顧録のように大人側の事情や、成長したあとの著者の視点が挟みこまれるが、すぐさまサーシカとコーリカの視点に戻る。二人はまわりで起こっていることに無知なまま、食べ物をくすねること、厳しい冬に備えて秘密の隠し場所に蓄えておくことしか考えていない。二人に罪はない、二人がチェチェン人を追い出したわけではない、二人はただ都合が悪いときに都合が悪い場所に居合わせただけ。
流れるような日常物語は、突然断ち切られる。
衝撃のあまり深呼吸し、おぼれるように没頭していたことに驚き、目覚め、コーカサスの大地から見慣れた家にたったいま戻ってきたかのように、あたりを見回す。
この読後感を言葉で伝えることはできない。
是非読んでほしい、そしてみつけてほしい。