コーヒータイム -Learning Optimism-

18歳のわが子に読書をすすめるために、まずわたしが多読乱読しながらおすすめを探しています。英語書や中国語書もときどき。

人生を切り開くために〜ハリエット・アン・ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』

本に出会うこともまた物語だというけれど、この本を買ったのはほんとうに偶然だった。

ふだん行かないスーパーに買い物に行こうと思い立ち、スーパーの横にある個人経営の小さな書店がたまたま目に入り、なんとなくふらりと入って、なんとはなしに何か買わなければならない気分になり、手をのばした先にあったのが新潮文庫コーナーであり、手に取ったのがこの本であった。

この本を買うことにしたのは、フォントが気に入ったから。小学生の頃から私はフォントに妙なこだわりを持ち、フォントが気に入らないせいで読む気が失せてしまうこともあった。この本のフォントは適度に柔和なところが好き。たぶんリュウミンR-KSというものだと思う(下記リンク参照)。

波:2017年6月号 | 新潮社

 

さて肝腎の内容だけれど、かなりショッキング。

アメリカ南部、ノースカロライナ州で自由黒人の父親と奴隷の母親の間に生まれたハリエット(小説ではリンダ・ブレントという偽名を使っている)は、生まれながらの奴隷であった。当時の法律では、子の身分は母親のそれに従うとされたためである。少女時代からハリエットは、奴隷主が奴隷たちに加える無情な仕打ちーー家族をバラバラに売り飛ばしたり、血が滲むほど鞭打ちにしたり、奴隷女性をレイプして混血児を産ませたりーーを日常的に見聞きしていた。

15歳になったハリエットは主人であるフリント氏に目をつけられ、執拗に性的発言を繰り返される。フリント氏の思い通りになれば、さらなる不幸が待っているのは目に見えていた。フリント夫人は嫉妬深いし、フリント氏は自分の子を孕んだ女性奴隷を長く手元におくことはなく、遠方に売るのが常だったからである。しかもたいてい母親は子どもとバラバラの場所に売られる。

身の危険を感じたハリエットは絶望的な反抗に出る。それはフリント氏に犯される前に、親切にしてくれる別の白人男性の子を身ごもるという奇策であった。妊娠発覚後にフリント氏は激怒し、ハリエットを屈服させようと激しく迫害する。追いつめられたハリエットはついに、フリント氏からの逃亡をはかるーー。

奴隷時代のことを語るハリエットの文章の行間からにじみ出る恐怖と絶望は想像を絶する。当時、奴隷は家畜とおなじであり、あらゆる権利は守られず、主人の気まぐれでどうとでもされる存在でしかない。ハリエットの願いはただ女性としての尊厳が守られること、子どもたちと一緒にいること、怯えることなく働き暮らしたいことであり、どれも〈家畜〉には与えられていない権利であった。ハリエットはついに北部〈自由州〉への逃亡を果たすが、そこも彼女の安息の地にはなりえなかったことに、アメリカの奴隷制度の根深さがうかがえる。

奴隷に関する文学といえば、もっとも有名なのは《アンクル・トムの小屋》《風と共に去りぬ》やマーク・トウェイン作品あたりだと思うが、いずれにも、奴隷男性に加えられる暴力描写はあるものの、奴隷女性の身に起こる悲惨な出来事、「奴隷に子どもを産ませても南部紳士の評判は傷つけられないが、子どもを買い取って自由にしようとすれば世間にそっぽを向かれる」当時の社会常識についてはほぼふれられていない。《風と共に去りぬ》では、南北戦争後に黒人と白人の混血児がふえたことをほのめかしているが、主人公である南部の大農園主の娘スカーレットのまわりでは、農園主が奴隷女性に手を出して子を産ませるなどということは起きていない。それどころか奴隷に親切な南部紳士が多く、スカーレットの父ジェラルドは、自分付きの奴隷ポークの妻と娘を買取り、家族団欒させている。『ある奴隷少女に起こった出来事』は、奴隷のうちでもとくに女性に起こる悲劇について、控えめながら、当事者目線で語られる点が独特。

 

訳者あとがきでは、読みやすさを重視して、原著のかな りの部分を削除し、さらに改編もしてまとめていることが示唆されている。削除部分は全体の1/4におよぶという研究結果がある。下記リンク参照。

http://reposit.sun.ac.jp/dspace/bitstream/10561/1797/1/v6p73_yamada.pdf

同研究ではさらに「奴隷として生まれたリンダの経験する奴隷制度の不条理と当時のアメリカ社会で制度化された人種差別について、また奴隷制度や白人中心主義に抵抗する黒人について、原作が描いているものの中から削除されたものと残されたものについて、一貫した方針は見つけにくい」、「作品の黒人表象から、このような黒人奴隷の抵抗する力、たくましく生きる知恵の部分がかなり削除されていることは残念なことである」と評価している。いつか完全版を読みたいものだ。